長崎の巨樹・名木 (長崎市)」カテゴリーアーカイブ

琴海神上墓地のクロガネモチ  長崎市琴海戸根原町

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琴海神上墓地のクロガネモチ  長崎市琴海戸根原町

長崎市琴海戸根原町神上墓地にある。国道206号線のイチョウが目立つ自証寺前バス停から左方2つ目の角から坂道を上がる。ほどなく住宅のはずれに小さな墓地がある。ここが神上墓地。墓の中央にクロガネモチの巨木が立つ。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リスト中の説明は次のとおり。

クロガネモチの巨木

琴海町戸根郷の神上墓地にある。幹周り4.23m。幹には洞ができている。
幹の途中に、ネズミモチが着生して花をつけていた。鳥の糞で運ばれてきて芽を出したのだろう。
クロガネモチは赤い実をつけていて雌株。先祖のお墓がある近所のおばあさんが墓地の
掃除をしていたが、実を食べに来る鳥の糞でお墓が汚れて困る、この木はどうにかならんもんか…、とこぼしていた。
「りっぱな木なので、切り倒さないで下さい」とお願いしたが、墓地に植えるクロガネモチは実をつけない雄株がいいのかも…。

琴海のヒイラギ  長崎市琴海戸根町崎山

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琴海のヒイラギ  長崎市琴海戸根町崎山

長崎市琴海戸根町崎山の浦江俊穂宅の庭にある。県指定天然記念物。国道206号線戸根バス停よりオーシャンパレスゴルフクラブの標識により海岸の方へ入る。鴻池団地を過ぎ海岸通りに出ると、まもなく20m先左脇崎、右ゴルフ場の標識あり、左の坂道を行く。
登ったところが浦江宅で、石碑の説明板とともにこのヒイラギと大きいシイがある。現地説明板は次のとおり。

県指定天然記念物  琴海のヒイラギ

ヒイラギは、モクセイ科モクセイ属の常緑高木である。このヒイラギは、地上40cmの幹囲3.6m、その上が三大支幹に分かれている。枝張りは北へ1.7m、南へ3m、東へ3.7m、西へ7mあり、ヒイラギの珍しい巨樹である。わが国では、関東以南の本州、四国、九州本島から沖縄まで自生する。葉の形が独特であることなどのため、人によく知られている樹木で、庭園樹などとして広く栽植されている。
指 定  長崎県教育委員会 昭和58年8月30日
所在地  西彼杵郡琴海町戸根郷547
所有者  浦 江 俊 穂
建設者  琴海町教育委員会 昭和60年3月30日

琴海土井ノ浦のアコウ  長崎市琴海戸根原町

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琴海土井ノ浦のアコウ  長崎市琴海戸根原町

長崎市琴海戸根原町土井ノ浦は、パサージュ琴海アイランドゴルフクラブのある半島の1つの入り江で、公園として整備されていた。国道206号線の戸根バス停か長浦の方からゴルフ場の案内標識により入る。両方からの中間地点くらいとなり、距離が結構ある。
アコウは護岸整備竣工の記念樹として外海町から移植された。現地説明板は次のとおり。

琴海町のアコウ樹

アコウは、アコギまたはアコノキなどいわれるクワ科の常緑高木です。イチジクのような小果を結びわが国では九州、四国、本州の暖地に分布します。県内では本土の沿岸暖地や五島・平戸・壱岐・鷹島等のキリスト教信者の多い島に多く大木を見ることができます。亜熱帯植物で奇観を呈することが多いですが、琴海町のアコウ樹は県内でも一級の巨樹の部類に入ります。大きさは根回り6.5メートル、胸高幹回り4.8メートル、高さが10.4メートルとなっています。このアコウは護岸整備竣工の記念樹として外海町から移植したものです。

阿蘇神社のケヤキ・イチョウ  長崎市琴海戸根町

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阿蘇神社のケヤキ・イチョウ  長崎市琴海戸根町

長崎市琴海戸根町の阿蘇神社はあまり紹介されてないが、ケヤキなど大木がある樹叢をなしている。戸根川沿いに行った国道206号線が橋を渡り、琴海中学校にかかる手前左方に中央幼稚園が見え、神社はこの裏手にあるので回り込んで行く。
幹回り3m位ある高いケヤキ2本は参道右に立つ。アカガシのような大木も参道にあった。林間にはかなりの大木が倒壊していた。

弁天山樹叢  長崎市脇岬町

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弁天山樹叢  長崎市脇岬町

長崎市脇岬町の海岸埋立地に弁天山の姿がすぐ望める。長崎半島の南端となる。県指定天然記念物の説明板がある先の民家の間から、頂上の小社へ登る坂段がある。
ここで目立つのはアコウの大木。林間を探すと7〜8本あった。幹回り5〜6mに達する巨木もあり、圧倒される。特に小社の裏側急斜面には、支柱根が地形に応じて数本垂れて立っているのは見事である。中に入って写した人は少ないので、詳しく数本を木を紹介する。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。同氏のにも中の写真はない。

弁天山樹叢

野母崎町・脇岬にある弁天山は、海抜20mの陸けい島で、古くから魚付保安林として保護されてきた。ムクノキ・エノキの他、アコウ、モクタチバナ、シロダモ、ヤブツバキ、ハマビワなどがみられる。アコウ、モクタチバナ、ハカマカズラなど南方系の植物が成育しており、昭和35年に県の天然記念物に指定された。
民家の脇から、狭い急な階段を登って行ける。頂上には弁天を祀った小社がある。

榎地蔵のヤブニッケイ  長崎市野母崎樺島町

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榎地蔵のヤブニッケイ  長崎市野母崎樺島町

長崎市野母崎樺島町の樺島小学校裏手の谷間にある。樺島大橋を渡って、バス終点から「樺島灯台公園」への標識に従い進む。道は学校の正門前から谷間の上がりにかかり、カーブする手前に榎地蔵尊があり、木はここにある。
榎地蔵尊というとおりすぐ側にエノキの大木があったが、だいぶん前枯れて、ヤブニッケイが大木となっている。大ウナギ井戸のところにあったエノキ2本も枯れたそうだ。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

ヤブニッケイの大木

長崎市野母崎町・樺島の榎地蔵尊の側にある。幹周りはおよそ1.8m。巨木ではないが、ヤブニッケイの巨木は少なく、幹周り2mを越すことは稀。 このようなヤブニッケイの大木は初めて見た。

高浜に見るエノキ・アコウの大木  長崎市高浜町

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高浜に見るエノキ・アコウの大木  長崎市高浜町

「みさき道」などの調査で、長崎市高浜町を歩いて気がついたエノキ・アコウ。結構、大木が多い。地元の本村藤夫さんに聞くと、今、広い田畑の広がる国道と海水浴場のある浜との間は、昔は入り江で海水が入り、干潟だった。明治初期にここを締め切り干拓地とした。海に近くもともと風当りの強い地域で、町中でも防風林としてエノキが多く植えられたためらしい。

写真は高浜のこれらエノキの大木。昔は延命水に野中の一本松もあったし、海水浴場の松林も大きかった。
場所は、上から同じ木を2枚ずつ。長野観音堂跡の長野公民館の高台。国道から金徳寺・正端寺に行く川沿いの岸。それから直ぐ右に入った本田宅玄関横。高浜海水浴場手前の八幡神社脇(1枚は松林)。
最後の5枚は、海水浴場の浜裏の川沿い。ここは高浜小学校にかけてエノキの老木の並木が続く。川岸の家はアコウの幹の上に建てているようだ。

長崎街道のフジ  長崎市中里町

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長崎街道のフジ  長崎市中里町

長崎街道沿いの有名な「古賀の藤棚」。長崎市中里町の古賀人形小川家前にあるフジ。現地説明板は次のとおり。傍に「楓園」の碑もあった。

古 賀 の 藤 棚

長崎から四里七町(16.3キロ)。諌早から三里十八町(13.6キロ)の距離で、郷土人形として有名な古賀人形の小川家は中里町のこの地にあり、家の前には大きな藤棚がある。昔は、長崎街道を通る諸大名や旅人たちの休憩所となった茶屋である。

Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

長崎街道のフジ  フジ(藤) マメ科フジ属 落葉高木

つるは長く伸び右巻きに巻きつく(ヤマフジは左巻き)。葉は奇数羽状複葉で小葉は5〜9対あり、卵形〜卵状長楕円形。4〜7月、総状花序を出し、紫色〜淡紫色の蝶形花を多数咲かす。豆果は9〜10月に暗褐色に熟する。
長崎街道の東長崎・中里町にあるフジ(小川宅)。長崎と諫早の中間地点にあたり、藤棚茶屋として休憩場所になった。小川宅は古賀人形作りを受け継いでいる。

大崎にあった大ツバキ  長崎市大崎町

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大崎にあった大ツバキ  長崎市大崎町

平成7年12月発行の長崎市南公民館どじょう会「長崎の碑(いしぶみ) 第4集」は、長崎市茂木地区が載せられている。この中に49頁「大崎町」の紹介で、
「町内には、市立南小・中学校があり、市天然記念物のツバキは樹齢250年以上で、ツバキとしては極限に近い状況である」とあり、茂木地区公民館「茂木 ミニガイド」の地図でも大崎にツバキのイラストを描いていた。

大崎に行ってツバキの木を聞いてみた。県道脇の「大崎枇杷集出荷所」建物先の角から左へまっすぐに坂道を浜の方へ下る。80mほど下ると竹林の中に枯れた幹のみ残っていた。
幹回り1.2m位、高さ5m位のところで折れて、腐りかけた幹だけ立っていた。近所の人の話では、5〜6年前に枯れたらしい。

茂木のマキの木  長崎市茂木町

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茂木のマキの木  長崎市茂木町

長崎市茂木町の若菜橋近く茂木郵便局の裏手にある。おおよそ幹回り1.8m、樹高13m位。巨樹ではないが、茂木の町中にある名木となっているようだ。
もぎ歴史懇談会「茂木の名所旧跡」資料による説明は次のとおり。樹齢の推定のため、資料にあるマキをお手植えした「閑院宮織仁殿下」を調べてみた。出典フリー百科事典『ウイキベディア』でははっきりしない。
「織仁親王」は「有栖川宮」で6代目。宝暦4年生れ〜文政3年没。「閑院宮」の6代目となると「戴仁親王」。明治5年継承〜昭和20年没。茂木の資料に名前の間違いがあると思われる。懇談会で調べてほしい。
マ キ の 木

昔の造り酒屋、湊屋の跡で閑院宮織仁殿下の御手植えのマキの木で郵便局の裏手にある。

なお、この資料には記していないが、長崎大学附属図書館が所蔵する幕末・明治期古写真にマキの木が写っているようなので掲載してみる。左端の木か?。撮影時期は明治中期となっている。同じような写真が茂木若菜川河口(1)にもある。

茂 木(1)   写真説明

若菜川口。橋は若菜橋。川の左奥の大きな建物は茂木役場、中央の船は当時小回し(近距離)用の荷船であり、「イサバ船」と呼ばれた。