近畿(兵 庫 県)」カテゴリーアーカイブ

中淡用水  兵庫県淡路市一宮・北淡

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中淡用水  兵庫県淡路市一宮・北淡

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
県道31号の尾崎交差点に、香りの館パルシェへの案内標識があり、神戸淡路鳴門自動車道近くまで上がって行く。最初のHP掲載写真の塔屋建物は、香りの館パルシェだろう。
オーナーらしき人と会い、昔の中淡用水の水路を確認し、撮影場所を教えてもらった。HPは香りの館パルシェの建物から平成10年頃の写真らしい。水路奥のユーカリの木が大きくなって塔屋がうまく写らない。本四道路近く中淡用水第1号隧道出口までは、確認できなかった。

淡路島近代化遺産  12 中淡用水

■ 基礎データ
名 称:中淡用水
分 野:疎水(灌漑)施設
所在地:淡路市一宮・北淡
設計者:大塚 佳節
着 工:昭和12年(1942) 
竣工年:昭和27(1952)年

■ 概要説明
耕地の拡張、農地の保全、農業経営の合理化農業生産の増強を目的に昭和17年着工し戦中戦後の苦難の多い時期、室津川より山向こうの尾崎遠田に用水を引く難工事の第1号隊道(トンネル1.932m)が、昭和26年3月貫通することができた。尾崎小学校上の(本四道路近く)第1号隊道出口より水路を引き滝ヶ谷池を通り、香の館パルシェの横をとおり、遠田保育園の上、分水嶺を越えて口遠田真正寺廻り、田まで水を買ったこともある。現在は用水ポンプ設備が整っているので、使用されていない。)

旧原家住宅  兵庫県淡路市浅野南

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旧原家住宅  兵庫県淡路市浅野南

県道31号の浅野交差点に、淡路市北淡歴史民俗資料館への案内標識がある。北淡小学校手前となる同資料館の敷地内に、移築再現した旧原家住宅がある。
現地説明板は、次のとおり。 

県指定文化財  旧原家住宅
指定年月日 昭和52年3月29日
所有者・管理者 淡路市

原家は代々農業を営む旧家で、第65代衆議院議長 原健三郎氏の生家である。昭和50年、その母屋を当地に移築再現した。建築年代は18世紀中頃(江戸中期)と推定される。外観は当地方に多い茅葺きの寄棟造で、棟に雁振瓦を置き、四方に本瓦葺きの大蓋(下屋)を付けている。
間取りは、左手前からオモテ・ヒロシキ・土間、これらの奥側にオク・オイエ・カマヤと並び、前面と左手側に入側縁が廻っている。室内には、江戸時代の生活用具等も展示していて、当地方における祖先の生活様式を知る民俗文化財として貴重である。
平成元年10月   兵庫県教育委員会

不動の滝(浅野滝)  兵庫県淡路市浅野南

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不動の滝(浅野滝)  兵庫県淡路市浅野南

HP「兵庫の滝」による説明は、次のとおり。
県道31号の浅野交差点から常隆寺山の山麓へ向い、県道462号に入ると、浅野公園への案内標識がある。公園奥の不動堂(車道が入る)のところに、不動の滝(浅野滝)がある。 

浅 野 滝

淡路市北淡町浅野南にある「浅野滝」(別名:不動の滝、紅葉ヶ滝)です。落差15m。不動堂の脇に1条の美しい流れを見せる綺麗な直瀑です。
滝脇には不動堂があり、地域の信仰の対象にもなっています。…
浅野公園には駐車場が2つあり、大駐車場からは「西谷池」脇の参道を通って滝へ、トイレ脇の駐車場からは公園内を抜けて滝へと行くことができます。

野島断層  兵庫県淡路市(北淡震災記念公園内)

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野島断層  兵庫県淡路市(北淡震災記念公園内)

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

野島断層

野島断層(のじまだんそう)は、兵庫県淡路市にある活断層。一部が保存され文部科学省によって天然記念物に指定されている。
長さは淡路島の北西部・旧北淡町の北端、江埼灯台付近から富島地区までの約10kmにわたり、六甲山より淡路島に至る六甲・淡路島断層帯の一部にあたる。1975年の地質図に活断層として記載された[1]。

地震活動と断層の隆起
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震は六甲・淡路島断層帯が活動したために起こったもので、中でも構成断層のひとつである野島断層は震源に最も近い断層である。地震発生の際には断層南東側が南西方向に約 1m – 2m 横ずれし(横ずれ断層)、同時に南東側が約 50cm – 1.2m 隆起して逆断層となっている(一部、野島蟇浦地区では北西側が 20 – 40cm 程度隆起)。この際に変位した断層面が地表に露出した。

この断層による破壊状況が最も顕著であった旧北淡町小倉地区(現・淡路市小倉地区)には1998年(平成10年)に「北淡町震災記念公園(現・北淡震災記念公園)」がオープンした。公園内に「野島断層保存館」が設けられ断層の一部が保存されている。この年の7月31日に国の天然記念物に指定された。また、神戸市長田区にあった通称「神戸の壁」も同施設に移転し公開されている。なお、2011年(平成23年)8月22日には入館者数が800万人目を迎えており、淡路島有数の集客施設にもなっている。

過去の活動歴
断層面の掘削調査により最近の2万年間で20mの変位を確認した。また、梨本地区の掘削調査により約1100〜2400年前というデータが得られ、前回の活動時期は約2000年前と推定された[2]。また、1596年慶長伏見地震の割れ残りと考える説もある[2]。

交通アクセス
北淡震災記念公園:淡路交通西浦線・あわ神あわ姫バス(淡路市北部生活バス路線(コミュニティバス)) 「震災記念公園前」下車

脚注 略

野島鍾乳洞  兵庫県淡路市野島常磐

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野島鍾乳洞  兵庫県淡路市野島常磐

県道157号から兵庫県立淡路景観園芸学校の方へ曲がると、途中に案内標識がある。矢印地点のすぐ近く下に野島浄水場があり、この前の小川が鍾乳洞の上端入口である。
現地説明板2枚は、次のとおり。草が茂りドリーネを確認できない。詳しくは、次HPを参照。
http://www.tosikun.com/nojima.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~HASSHI/nojimasyonyudo.htm

県指定文化財 野島鍾乳洞
指定年月日 昭和40年3月16日
所有者・管理者 中垣 章ほか・淡路市

野島鍾乳洞は第三紀中新世中期(約2000万年前)の神戸層群下部の岩屋累層中にあるカキの貝ガラの密集してできた含礫砂質石灰岩中に生じたもので、洞内には小型の鍾乳石など石灰洞特有の現象がみとめられる。
この洞窟は全長約120mで、中央部はまだ未調査であるが、既調査部分は約60mで県立津名高校地学部の手によってくわしい調査が行われている。
鍾乳洞の上端入口は小型のドリーネを形成し石灰岩地帯特有の地形が見られる。
平成3年11月   兵庫県教育委員会

野島鍾乳洞 (県指定天然記念物) 昭和40年3月
この鍾乳洞は新生代第三期中新生(約2000万年前)に属し、いわゆる神戸層群の岩屋累層で、カキ、フジツボ等が多く含まれる礫層である。規模は小さいが鍾乳洞としての条件は全て備えており、主洞の長さ120m、高さは平均1mで、高いところは5mに達するものもある。洞底の勾配約十分之一で、淡路では 唯一この鍾乳洞だけで 貴重な天然記念物である。

あわじ花さじき  兵庫県淡路市楠本

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あわじ花さじき  兵庫県淡路市楠本

公益財団法人 兵庫県園芸・公園協会「兵庫県立あわじ花さじき」HPによる説明は、次のとおり。東浦IC近く、県道157線沿いにある。

あわじ花さじきとは?

「あわじ花さじき」は花の島にふさわしい花の名所として、兵庫県が平成10年4月から設置しています。淡路島北部丘陵地域の頂上部、標高298〜235mの海に向かってなだらかに広がる高原に一面の花畑が広がります。(面積約15ha)
明石海峡・大阪湾を背景に花の大パノラマが展開し、季節により変わる愛らしい花々が夢の世界に誘います。眼下に広がる花のジュウタンを楽しめる、極上の見物席として、『あわじ花さじき』と命名されました。さじき席ですので、自由に散策して自分の席を見つけてください。

施設概要
所在地 兵庫県淡路市楠本2865-4
面積 約15ha
開園年月日 平成10年4月4日
開園時間 9:00〜17:00
休園日 年末年始
入園料 無料(駐車場も無料)

江崎灯台  兵庫県淡路市野島江崎

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江崎灯台  兵庫県淡路市野島江崎

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
県道31号の緑の道しるべモニュメントがある江崎公園右側に、江崎灯台へ登る約185段の石段がある。車道はない。

淡路島近代化遺産  1 江崎灯台

■ 基礎データ
名 称:江崎灯台
分 野:航路施設(灯台)
所在地:淡路市野島江崎
設計者:R.H.ブラントン
構 造:石造
竣工年:明治4(1871)年

■ 概要説明
江崎灯台は、スコットランド生まれの英国人によって設計された我が国で8番目に建設された高さ8.3mの洋式灯台である。石造りの灯台や旧宿舎は明治4年4月27日に初点灯した当時のままの姿を残しており、海面から灯火まで48.5mを有する灯台からみる明石海峡の眺めは格別なものがある。この海峡は昔から好漁場として国内でも最も船舶の輻輳する海域であり、この灯台の果たした役割は大きかったものと思われる。

松帆台場  兵庫県淡路市岩屋字松帆

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松帆台場  兵庫県淡路市岩屋字松帆

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
県道31号松帆の浦の「神戸製鋼所健康保険組合健康増進センター 淡路ゆうなぎ荘」車道入口から敷地内へ入り、玄関へ向う途中の海側にある。

淡路島近代化遺産  5 松帆台場

■ 基礎データ名 称:松帆台場
分 野:軍事施設
所在地:淡路市岩屋字松帆
設計者: −
構 造:土塁(高さ9m)
竣工年:文久3(1863)年

■ 概要説明
明石海峡を通る外国艦隊を迎撃するための一大砲塁の一部である。砲塁は明石天文台の方向に向いて、M字型に築かれており、地図からの計測では現存する延長だけでも約140mになる。基礎部分は高さ約2mの切石を積んでつくった石塁、上部はその石の上に勾配約50度の急傾斜で粘土を盛って造った土塁となっており、石塁の高さ9m、土塁の最上部の幅は4m(土塁の高さは不明)ある。写真はこのM字型土塁の左翼部にある火薬所の跡で、現在は神戸製鋼の保養所の敷地になっている。

松 帆 湊  兵庫県淡路市岩屋字松帆

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松 帆 湊  兵庫県淡路市岩屋字松帆

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
県道31号松帆の浦の「神戸製鋼所健康保険組合健康増進センター 淡路ゆうなぎ荘」車道入口脇の溜め池が、松帆湊史跡と思われる。

淡路島近代化遺産  4 松帆湊 勝海舟が来た!1855年2月

■ 基礎データ
名 称:松帆湊
分 野:軍事施設
所在地:淡路市岩屋字松帆
設計者: −
構 造:土塁(高さ9m)
竣工年:文久3(1863)年

■ 概要説明
同遺跡は、神戸製鋼の保養所の脇にあり、溜め池となっていたため、長い間その存在が知られてなかったが、平成16年に民間の開発工事の際に水を抜いたことで発見された。黒船の来航を契機に、大阪湾岸の防衛を目的に江戸幕府の命で築造された。敵艦を迎撃するバッテラー(小型船)の基地として、岩盤を掘り込んで造られた一辺40mほどのひし形をしており深さは4m程度である。台場と一体となった湊跡の例としては日本唯一の遺跡であり、平成18年7月28日付けで国の史跡に指定された。

明石海峡大橋  兵庫県淡路市松帆

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明石海峡大橋  兵庫県淡路市松帆

Yahoo!百科事典による解説は、次のとおり。3枚目は、兵庫県立淡路島公園展望台から。

明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)

神戸(こうべ)市垂水(たるみ)区舞子(まいこ)と淡路(あわじ)島の淡路市松帆(まつほ)の間、明石海峡に架かる長大吊橋(つりばし)。1988年(昭和63)着工、約10年の歳月を経て1998年(平成10)4月に完成。全長は、3911メートル、桁(けた)下の高さは高潮時海面上で65メートル、塔の高さは海面上297メートル、中央支間長(塔と塔の間)1991メートルで、これまで長大吊橋の代表であったイギリスのハンバー橋(1981完成、中央支間長1410メートル)にかわって世界一の長大吊橋となった。この明石海峡大橋の完成により本州四国連絡橋の神戸—鳴門(なると)ルートが全通した。このルートは、神戸西インターチェンジ(山陽自動車道と接続)から明石海峡を渡って、淡路島を縦貫し、鳴門海峡に架かる大鳴門橋を渡って徳島県の鳴門インターチェンジを結ぶ、延長89キロメートルの自動車専用道路である。これまで3時間以上要していた神戸—鳴門間が一気に1時間40分に短縮され、風波や濃霧等の気象条件にも左右されにくい交通軸が実現した。すでに最初のルートとして1988年に完成した児島(こじま)—坂出(さかいで)ルート(瀬戸中央自動車道)、1999年5月に全通した尾道(おのみち)—今治(いまばり)ルート(西瀬戸自動車道)とあわせて神戸—鳴門ルート(神戸・淡路・鳴門自動車道)の3ルートの開通により、本州と四国の多様なアクセスが可能となり、観光需要の増大、物流の発展、経済の広域化と活性化などが期待される。  [ 執筆者:長瀬浩二 ]