佐賀県の石橋」カテゴリーアーカイブ

佐賀市(旧市内)に残るアーチ石橋

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佐賀市(旧市内)に残るアーチ石橋

佐賀市(旧市内)に残るアーチ石橋は、2橋である。

1は伊勢町の「大覚寺参道橋」。佐賀県庁の西側「辻の堂」交差点から北へ大和方面への国道264号線に入る。すぐ護国神社の横となり左へ曲がると伊勢町で、奥の路地に大覚寺がある。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 佐賀県の石橋」によるデータは次のとおり。
同HPの記すとおり、「大覚寺参道橋」は欄干の親柱に「寛文十二壬歳(1672年)南呂(8月)上旬」と彫られている。

2007年10月18付毎日新聞記事によると「九州最古とされる長崎眼鏡橋は1634年建造で、大覚寺参道橋はそれから38年遅いが、佐賀県内最古のもので、全国でも10番目前後の古さとみられる」。
佐賀旧市内において、貴重な発見となったアーチ石橋である(同HPを参照)。

2は松原2丁目の「松原神社北の太鼓橋」。佐賀市市制百周年記念事業の1つとして、平成元年4月に松原川に架けられた最新の橋。結婚夫婦の写真撮影中で石橋に近寄れなかった。
最後は神社東の太鼓橋。これは桁橋で安永元年とも明治六年架け替えとも言われる。

写真  1    №2,919  大覚寺参道橋      2007.08.25   佐賀市伊勢町
大覚寺井樋水路  橋長:4.0m  橋幅:3.0m  径間:2.3m  環厚:33cm
架設:寛文12年(1672)
大覚寺入り口。山門の奥に高欄が見えています。側面を確認すると、なんと石造アーチ橋でした。(小城市世戸氏の後日の調査で、欄干に年号が刻まれていることが判明)
毎日新聞佐賀支局の方と同行しました。2007年10月18日付記事。
23代目のご住職。創建は慶長11年(1607)だそうです。2007.10.07撮影

写真  2    №1,740  松原神社北の太鼓橋  2006.03.12   佐賀市松原2丁目
松原川      橋長:m  橋幅:m  径間:m

唐津市(浜玉町)に残るアーチ石橋

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唐津市(浜玉町)に残るアーチ石橋

唐津市(浜玉町)に残るアーチ石橋は、1橋である。浜玉町平原「倉坂の眼鏡橋」。最近、見つかっている。
国道202号線の唐津バイパスにより「千居」交差点まで行って右折。野田温泉の道へ入る。温泉館を過ぎて先へ下り、県道306号線の「座主」交差点に出る。県道を平原小学校まで行き右折。一の里りんご園へ向けて谷奥へ走る。

集落が切れると「倉坂神社」があり、カーブの坂道をまだ上がって行くと、左方からの支流上に「倉坂の眼鏡橋」が架かっている。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 佐賀県の石橋」によるデータは次のとおり。

写真     №3,397  倉坂の眼鏡橋     2008.05.03
唐津市浜玉町平原 倉坂
橋幅:3.6m  径間:4.8m  拱矢:2.45m  環厚:40cm
これも世戸さんから昨日頂いたばかりの情報です。
山道をかなり上って来ました。
上流側に回ると、アーチが確認できました。花崗岩製です。

武雄市に残るアーチ石橋

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武雄市に残るアーチ石橋

武雄市(山内町・北方町を除く)に残るアーチ石橋は、1橋である。西川登町神六の「持山橋」。最近、見つかっている。
国道34号線が嬉野町から武雄市へ入ってすぐの「日の出城」交差点から、矢筈ダムを通り波佐見へ行く県道102号線へ入る。

JA先から右折し西川登小学校前を通りながら「神六」バス停まで行き、左方下を注意して進むと、「持山橋」のアーチが見える。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 佐賀県の石橋」によるデータは次のとおり。

写真        №3,401  持 山 橋         2008.05.03

武雄市西川登町大字神六
橋幅:2.98m  径間:4.5m  拱矢:1.35m  環厚:32cm
架設:昭和8年(1933)
世戸さんからの情報です。
県道102号線から西側、下の方に見えます。
下流側要石には竣功年。上流側要石には橋名。

鳥栖市に残るアーチ石橋とみやき町の煉瓦アーチ橋梁

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鳥栖市に残るアーチ石橋とみやき町の煉瓦アーチ橋梁

鳥栖市に残るアーチ石橋は、「飯田天満宮参道橋」の1橋である。小郡市との市境、飯田町に天満宮はあるので、JR鳥栖駅前から県道246号線と県道41号線により小郡へ向かう。
駅の北ガード下をくぐってまっすぐに、国道3号線は突っ切り、九州自動車道ガード下をくぐると、すぐ左に鳥居が見えるのが、飯田天満宮。市境標識がなく、わかりにくい。

三養基郡みやき町の煉瓦アーチは他にもあるが、「中原(なかばる)5連橋梁」が珍しい。長崎本線JR中原駅のすぐ先で、線路沿いの小道を行く。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 佐賀県の石橋」によるデータは次のとおり。

写真  1  №2,486  飯田天満宮参道橋     2007.02.12  鳥栖市飯田町
橋長:1.7m  橋幅:1.8m  径間:cm  拱矢:cm
県道脇です。通り過ぎてUターンしようとしたところがうどん屋さんでしたので、一杯食べてから引き返しました。
内部。おや、これは立派な石造アーチ橋です。

写真  2  №2,135  中原(なかばる)5連橋梁  2006.10.14  三養基郡みやき町原古賀
寒水川    橋幅:4.2m(煉瓦部)  径間:5.2m  拱矢:2.6m
架設:1891年(明治24年)頃
JR長崎本線
北側はRC拡幅。南側は煉瓦アーチ。右岸側はRCで補強。左岸側も道路併設。下流側遠景。

神埼市(脊振町)に残るアーチ石橋

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神埼市(脊振町)に残るアーチ石橋

神埼市に残るアーチ石橋は、「脊振の眼鏡橋」の1橋である。国道34号線神埼市役所前から脊振・三瀬への県道21号線により行く。長崎自動車道東脊振ICなら、県道飯町交差点まで戻って入る。

眼鏡橋まで約5km。城原川の新橋のすぐ下流に架かる。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 佐賀県の石橋」によるデータ及び現地説明板は次のとおり。

写真     №1,433  脊振の眼鏡橋    2005.01.03 脊振町大字鹿路字川ノ内
城原川  橋長:20.0m  橋幅:6.0m
架設:明治24年
東背振ICより県道31号線へ。佐賀方面へ2.9Km先、飯町交差点を右折約5Km先左手にあります。
め が ね 橋    所在地 脊振村大字鹿路字川ノ内 

この橋は、明治の中期、県内道路改修の一環として進められた橋梁架け替え工事によって架設されたもので、当時、地形や工法上の数多くの困難を克服した先人の努力が結集した貴重な文化遺産の一つである。
橋の幅員6m、長さ20m、橋脚は城原川両岸の岩盤に固定され、耐久性と、急流の負荷を少なくするために、アーチ構造を持つ石造橋として、明治24年3月に総工費875円で竣工した。
この橋の完成によって、三瀬、背振の山内に通じる広滝山里道と、神埼方面に至る仁比山県道が直結して、神埼郡内の南北縦貫幹線道路が完備、以後の交通運輸、産業開発に計り知れない恩恵がもたらされた。更には、背振渓谷の景観にも一層の趣が加わって道行く人々の目を楽しませてきたのである。
しかし、近年の車輌大型化と、交通量の激増から架け替えの必要が生じた為昭和53年9月、東方100m余の地点に現在の鉄筋コンクリート製の新橋が架設され、旧めがね橋は、明治期における脊振村の近代化を象徴する文化遺産として保存され、今日に至っているのである。
平成十四年六月  神埼市教育委員会

恵みの流水
脊振村は、森林と水源のふるさとです。
森林は、人々にやすらぎとうるおいをあたえ、さらに私たちの生活に欠かせない大切な水を育んでくれます。
めがね橋の欄干から噴き出る水「恵みの流水」は、みどり豊で自然の豊富な村「せふり」からここを訪れる人たちへの贈りものです。
平成14年6月

佐賀市(富士町)に残るアーチ石橋 (2)

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佐賀市(富士町)に残るアーチ石橋 (2)

佐賀市(富士町)に残るアーチ石橋は、7橋である。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の中「佐賀県の石橋 佐賀市富士町」によるテータは次のとおり。詳しくは同HPを参照のこと。

写真  5  №2,989  甚 五 郎 橋   2007.09.09  富士町大字藤瀬
古場川  橋長:12.0m  橋幅:2.5m  径間:7.6m  拱矢:8.0m  環厚:48cm
世戸さんの情報です。現橋の傍らに廃道として取り残されています。
時間はすでに15時、深い谷ですのでお神酒を捧げ左岸下流側から降りていきます。
川床に降りると見事なアーチが拝めました。
さらに下流は滝のようになっています。

写真  6  №2,990  川上川第二発電所排水門  2007.09.09 富士町大字小副川
橋長:m  橋幅:m  径間:m  拱矢:m  環厚:cm
架設:年
世戸さんの情報です。甚五郎橋の帰り道ですので立ち寄りました。
排水口が3基見えていますが、左端のみ手が加えられていないようです。
煉瓦建造物(切妻屋根)がいい感じです。
右端の排水口のところにステップが見えていましたので降りてみました。

写真  7  №2,991  川上川第一ダム水門  2007.09.09  富士町大字小副川
橋長:m  橋幅:m  架設:年
世戸さんの情報です。時刻は16時前、今回の探訪はここで終了です。
右端に放水口が見えています。対岸へのつり橋があり、渡ってみました。
右下に石造アーチが見えています。
世戸さんが言われるところの「すぐそばに石造アーチ構造物あり」でしょうか。
径間:2.0m  拱矢:0.85m  環厚:30cm
どのような用途だったのでしょうか。
放水口内部。右岸側にも放水口。

佐賀市(富士町)に残るアーチ石橋 (1)

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佐賀市(富士町)に残るアーチ石橋 (1)

佐賀市(富士町)に残るアーチ石橋は、7橋である。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の中「佐賀県の石橋 佐賀市富士町」によるテータは次のとおり。詳しくは同HPを参照のこと。

写真  1  №1,792  菖蒲(あやめ)橋  2006.04.16  富士町大字藤瀬
嘉瀬川  橋長:35.0m  橋幅:3.5m  径間:m  拱矢:m  環厚:cm
要石「石工・・・云々」とも読めます。
親柱「あやめはし」。 記念碑

写真  2  №1,793  鷹 ノ 羽 橋   2006.04.16  富士町大字大野
神水川  橋長:25.0m  橋幅:4.5m  径間:m  拱矢:m  環厚:cm
下流側には歩道橋が架けられています。要石
約1年5ヶ月ぶりの訪問は、ダム建設工事に伴って新しく出来た「銀河大橋」の上から
右下、右側の橋です。手前に鋼製歩道(2007.09.09撮影)

写真  3  №2,009  昭 安 橋     2006.08.26  富士町大字栗並
栗並川  橋長:9.9m  橋幅:2.3m  径間:7.6m  拱矢:2.7m  環厚:50cm
架設:昭和3年11月
「開けゴマ」さんからの情報で向かいました。現国道323号線、栗並橋の上流側に架かっています。向こうに見えるのは、新国道323号線、栗並大橋。
地図上では右手山の付近に神社のマークがあります。上ってみましたが、荒地でした。

写真  4  №2,988  大 松 元 橋   2007.09.09  富士町大字杉山
橋長:m  橋幅:3.9m  径間:4.8m  拱矢:2.4m  環厚:42cm
架設:昭和25年(1950)頃
世戸さんの情報です。相知町からいよいよ富士町へ入りました、すでに14時過ぎですがここも草刈が必要です。
川原の葦は刈ることが出来ますが、石橋に絡みつく蔦には手が届きません。
上流側、RCの水路が設けられています。

唐津市(厳木町・相知町)に残るアーチ石橋

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唐津市(厳木町・相知町)に残るアーチ石橋

唐津市(厳木町・相知町)に残るアーチ石橋は、2橋である。
厳木多久高速道の浪瀬ICで降り、伊万里へ行く県道32号線に入る。厳木町の「山神社御神橋」はすぐ右手にある。脇に架橋記念碑があり、「大正十二年四月」とあった。

浪瀬峠を越えて相知町の平山上集落に入ると、相知町消防団第六部格納庫手前に「小城川内川石橋」が架かる。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」(佐賀県も一部あり)による説明は次のとおり。小城川内川石橋は、N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」のデータから。

写真  1  第 182 番  厳木町の山神社の御神橋  唐津市厳木町浪瀬
大正12年 原 又四郎     長さ 11.0m  幅員 2.3m
風景と馴染んで、なかなか良い感じの参道橋。
浪瀬ICを降りて南に向かうと、すぐに右手に橋が見えてくる。大正期の橋は実用的なデザインが多いが、やはり参道の橋となれば意匠にも拘ったと見えて、もっと時代がある橋に見える。

写真  2  №2,987     小城川内川石橋   2007.09.09
唐津市相知町平山上
橋長:m  橋幅:3.7m  径間:4.2m  拱矢:2.1m  環厚:37cm
架設:明治29年(1896)
世戸さんの情報です。伊万里市から相知町へ入りました。県道32号線です。上流側はRC拡幅。

(追 記 平成20年5月22日)
厳木町うつぼ木で最近、小さなアーチ石橋が見つかっているので、写真・地図とも追記した。
場所は国道205号線の「町切(ちょうぎり)橋」から、厳木川沿いに少し入った道の水路上の橋。気をつけて見ないとわからない。
N氏上記HPによるデータは次のとおり。これで3橋となった。

写真  3  №3,399     うつぼ木の眼鏡橋  2008.05.03
唐津市厳木町うつぼ木
径間:1.6m  拱矢:0.85m  環厚:25cm
世戸さんからの情報です。国道203号線、うつぼ木小の西側から厳木川沿いに南に進んだところです。
内部の下流側はコンクリート拡幅。

伊万里市に残るアーチ石橋  (2)

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伊万里市に残るアーチ石橋  (2)

佐賀県伊万里市に残るアーチ石橋は、7橋である。このうちの(2)。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の中「佐賀県の石橋 伊万里市」によるテータは次のとおり。詳しくは同HPを参照のこと。

写真  5  №2,983  岩谷無名橋     2007.09.09
伊万里市大川内町甲 岩谷
橋長:5.0m  橋幅:1.82m  径間:3.05m  拱矢:1.6m  環厚:30cm

写真  6  №2,984  市山無名橋     2007.09.09
伊万里市大川内町甲 市山
橋長:2.8m  橋幅:2.5m  径間:2.4m  拱矢:1.15m  環厚:25cm
架設:昭和17年(1942)

写真  7  №2,985  山 川 橋     2007.09.09
伊万里市松浦町中野原
橋長:5.0m  橋幅:2.5m  径間:4.5m  拱矢:2.1m  環厚:33cm
架設:明治?

伊万里市に残るアーチ石橋  (1)

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伊万里市に残るアーチ石橋  (1)

佐賀県伊万里市に残るアーチ石橋は、7橋である。このうちの(1)。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の中「佐賀県の石橋 伊万里市」によるテータは次のとおり。詳しくは同HPを参照のこと。

写真  1  №2,973  大石天満宮眼鏡橋  2007.09.09
伊万里市二里町八谷搦
橋長:3.27m  橋幅:1.33m  径間:2.5m  拱矢:0.81m  環厚:27cm
架設:大正9年

写真  2  №2,974  木須町無名橋    2007.09.09
伊万里市木須町
橋長:5.8m  橋幅:3.4m  径間:3.47m  拱矢:1.3m  環厚:33cm
基礎4段H1.22m

写真  3  №2,975  堀田川(ほったごう)橋  2007.09.09
伊万里市脇田町
橋長:5.75m  橋幅:2.75m  径間:4.25m  拱矢:2.2m  環厚:37cm

写真  4  №2,976  龍 玄 橋      2007.09.09
伊万里市脇田町
橋長:6.5m  橋幅:2.74m  径間:5.45m  拱矢:2.25m  環厚:37cm

なお、後の写真は参考。伊万里神社参道橋(近代橋)と松浦鉄道川東駅ホーム下橋梁。