九州(鹿児島県)」カテゴリーアーカイブ

いちき串木野市に残るアーチ式石橋  大六野橋・八牟礼橋・岩下橋

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いちき串木野市に残るアーチ式石橋  大六野橋・八牟礼橋・岩下橋

いちき串木野市に残るアーチ式石橋の一部を紹介する。石橋は鹿児島県には数多いが、今回、幹線道路を通っていて見かけた各石橋である。
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは次のとおり。詳しくは同HP参照。

写真  1〜  2   №1,108   大六野(だいろくの)橋 いちき串木野市生福
大六野川   橋長:8.0m   橋幅:6.8m   径間:7.1m   拱矢:2.8m
県道39号線の生福郵便局前に架かっています。

写真  3〜  5   №1,106   八牟礼(はちむれ)橋  いちき串木野市冠岳
五反田川   橋長:16.5m   橋幅:3.8m   径間:14.3m   拱矢:4.5m
架設:大正7年
県道39号線を東進、冠岳小学校の入口道路に左折、下ったところに架かっています。

写真  6〜  8   №1,105   岩 下 橋         いちき串木野市冠岳
五反田川   橋長:12.1m   橋幅:4.2m   径間:9.2m   拱矢:4.2m
県道39号線、串木野市・樋脇町境の400m手前。現橋の下流に平行して架かっています。

薩摩川内市に残るアーチ式石橋  白津橋・降来橋・上之湯橋・野下橋・新大橋

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薩摩川内市に残るアーチ式石橋  白津橋・降来橋・上之湯橋・野下橋・新大橋

薩摩川内市に残るアーチ式石橋の一部を紹介する。石橋は鹿児島県には数多いが、今回、幹線道路を通っていて見かけた各石橋である。
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは次のとおり。詳しくは同HP参照。

写真  1〜  3   №1,120   白 津 橋    薩摩川内市西方
白津川    橋長:10.5m   橋幅:5.8m   径間:8.6m   拱矢:3.8m
架設:大正時代
西方の人形岩前、国道3号線現橋のすぐ上流に架かっています。

写真  4〜  8   №1,117   降 来 橋    薩摩川内市宮内町
銀杏木川   橋長:9.0m   橋幅:4.8m   径間:6.7m   拱矢:2.7m
架設:明治25年
川内駅前から国道3号線を北上、大平橋を渡り600m先左折、800m先、新田神社前に架かっています。

降来(こうらい)橋と擬宝珠  薩摩川内市指定文化財
「鎌倉時代中期の、正応三年(1290)新田八幡宮の降来橋において舞楽が催されたとの記録があり、この橋の由来は古く昔の盛時がしのばれる。
降来橋の下を流れる川を“忍穂井川”といい、橋から南に“八丁馬場”と呼ぶ参道が直線に伸びて、その入口は川内川に通じていた。その参道の両側に寺院が立ち並び“新田神社十二坊”と称されていた。
慶長七年(1602)島津義弘が、神社の神殿を修復した際、この降来橋の欄干に刻銘入り青銅製擬宝珠八個が取付けられたが、現在ははずされ、宝物殿に大切に保管されている。
太鼓橋は、明治二十五年十一月に架け替えられたもので、長さ八メートル、幅五メートルである。」

写真  9〜 11   №1,099   野 下 橋    薩摩川内市樋脇町市比野
五反田川   橋長:4.1m   橋幅:5.0m   径間:3.6m   拱矢:1.8m
架設:大正末期
野下小学校正門のすぐ東側に架かっています。上流側が拡幅してあるみたいです。

写真 12〜 14   №1,095   上之湯(かみのゆ)橋  薩摩川内市樋脇町市比野
城後川    橋長:13.2m   橋幅:5.7m   径間:10.5m   拱矢:3.9m
架設:明治36年
市比野温泉上之湯、市比野郵便局の北側に架かっています。

写真 15〜 17   №588    新大(しんだい)橋    薩摩川内市入来町浦之名
後川内川   橋長:24.7m   橋幅:4.1m   径間:10.9m   拱矢:4.4m
架橋:明治42年
船越橋より県道42号線に戻り1.5Km先左手に架かっています。現役の2連橋です。

国指定登録有形文化財  新 大 橋
「この橋は、後川内川に架けられており、県道蒲生線(現在の川内加治木線)の開通に伴い寄付金を集めて、当時の工費250円にて架橋されました。
昭和34年(1959)3月には、自動車等の普及による橋の拡幅工事が行なわれました。また、近くにある記念碑は、正面に由緒が記され、両側面と裏面に建設資金の寄付者名が記されています。」 指定日 平成16年(2004)11月8日

新田神社の大クス  薩摩川内市宮内町

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新田神社の大クス  薩摩川内市宮内町

薩摩川内市街を通る国道3号線の「267入口」交差点から、国道267号線に入らず反対方向の県道44号線に右折する。しばらく進んだ宮内交差点先の右手に赤い大鳥居があり、石橋「降来橋」を渡った高台に新田神社がある。参道の長い石段左右や拝殿裏手の森にも多くの大クスが見られるが、指定の大クスは拝殿右下近くの参道脇にある。

現地説明板は次のとおり。新田神社の大クスは「かごしまの名木」に選定されていない。
神社後ろの小山には、神代三山陵の1つにあげられ、明治7年、ニニギノミコトの墳墓と指定され宮内庁直轄で管理されている「可愛山陵」(えのさんりょう)がある。

薩摩川内市指定文化財  新田神社の大楠

昭和46年11月1日指定  管理者 薩摩川内市教育委員会
クスノキは、関東以西に分布し、樟脳をとる工芸植物としても重要な樹です。また、建材や船材として有用な樹でもありました。
このクスノキは、根回り13.3m、目通り幹回り9.9m、枝張りが東西17.2m、南北は15.5m、高さ約20m余り、根元近くは空洞になっていて、樹齢2000年ともいわれていますが、年輪成長平均率からすると約650〜800年と推定されます。
地上2mのほどの所に彫刻が施されています。これは慶長年間(1596〜1615)に新田神社を修築した時に、工事奉行の阿多長寿院盛淳(?〜1600)が自ら薬神ともいわれる大穴牟遅神の像を刻んで奉納したものと伝えられています。
可愛の山の樟の大樹の幹半ば うつろとなれど広き蔭かな    与謝野鉄幹
平成10(1998)年3月建立

蒲生のクス  姶良郡蒲生町上久徳

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蒲生のクス  姶良郡蒲生町上久徳

鹿児島県には巨樹が多い。特に国指定特別天然記念物「蒲生のクス」は、昭和63年度環境庁「巨樹・巨木林調査」によって、日本一と証明された巨樹。
蒲生八幡神社の境内上部、拝殿すぐ左下の広場に立つ。鹿児島市から車で約40分。鹿児島空港から約30分。蒲生町役場まで行くと、蒲生八幡神社はすぐ近くにある。

かごしまの名木  50  愛称 蒲生のクス  樹種 クスノキ
所在地 姶良郡蒲生町上久徳  所有者 蒲生八幡神社
幹周 24.22m  樹高 30m  樹齢 1500年  本数 1本

現地説明板は次のとおり。他HP資料から参考のため「全国巨木リスト上位60位中の鹿児島県の巨木全国順位」表を掲げた。後ろの写真は同神社境内のカヤ、ムクロジの大木。

国指定特別天然記念物  「蒲生のクス」

大正11年3月8日(国天然記念物指定)  昭和27年3月29日(国特別天然記念物指定)
推定樹齢 1500年  樹高 30.00m  根廻り 33.57m  目通り幹廻り 24.22m
「蒲生のクス」は、昭和63年度に環境庁の巨樹・巨木林調査によって、日本一の巨樹であることが証明された。
樹幹の下部には凹凸が多く、内部には直径4.5m(約8畳敷)の空洞がある。枝張りは四方に広がり、その壮観な様は、まるで怪鳥が空から降り立った様である。
保安4年(1123)閏2月21日に、蒲生院の領主であった蒲生上総介舜清(しゅんせい)が豊前国宇佐八幡宮を勧請して、この地に正八幡若宮(蒲生八幡神社)を建立した。その時すでに「蒲生のクス」は、神木として祀られていたという。
伝説では、和気清麻呂が宇佐八幡の信託を奉上し大隅に流された時に蒲生を訪れて、手にした杖を大地に刺したところ、それが根づき大きく成長したものが「蒲生のクス」だとも言われている。また、出水地方に残る伝説では、悲しき恋愛物語によって「出水の大楠」と「蒲生のクス」は互いに相思の楠であるとも言われている。
これまでの長い歳月や自然災害の影響で「蒲生のクス」の樹勢に衰退が見えられたため蒲生町では、この歴史的遺産を末永く保護し後世に伝え残していこうと、平成8年度から4ヶ年計画で国庫補助事業による「蒲生のクス」保護増殖事業を実施した。
蒲生町教育委員会

全国巨木リスト上位60位中の鹿児島県の巨木全国順位

順位   市 町 村    樹  種    俗    称    幹周(cm)
1  蒲  生  町   クスノキ   蒲生の大楠      2,422
3  大  口  市   エドヒガン  奥十曽のエドヒガン 2,100
10  志 布 志 市   クスノキ   志布志の大楠    1,710
12  上 屋 久 町   ス  ギ   縄 文 杉       1,610
13  川  辺  町   クスノキ   飯倉神社のクスノキ 1,600
29  高  山  町   クスノキ   塚崎のクス       1,400
38  屋  久  町   ス  ギ   紀 元 杉        1,350
49  川  内  市   クスノキ   大   楠        1,300
59  鹿 児 島 市   クスノキ   城山のクス林     1,290

資 料:昭和63年度環境庁第4回自然環境保全基礎調査(緑の国勢調査)
「巨樹・巨木林調査報告書」より

出水の大クス  出水市上鯖渕渡瀬口

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出水の大クス  出水市上鯖渕渡瀬口

国道3号線米之津交差点から甲佐市大口方面の国道447号線に入る。出水市街を通りJR出水駅前を過ぎながら約10分進むと米之津川沿いに出、国道は九州新幹線と交叉しガード下をくぐる。出水の大クスノキは、ちょうどこのガード先の国道右脇、川に面した一角にある。

かごしまの名木  40  愛称 出水の大楠  樹種 クスノキ
所在地 出水市上鯖渕  所有者
幹周 12.15m  樹高 12m  樹齢 1300年  本数 1本

鹿児島県総合観光サイト「ゆっくり悠・遊観光かごしま」の観光スポット巨木・古木による説明は次のとおり。
俗称「大井出の楠」。近くの「渡瀬口」バス停川岸にもクスノキの大木がある。

出水の大楠   所在地 出水市上鯖渕 (旧出水市)

市指定の天然記念物で、樹高12メートル、根廻り17.5メートル、樹齢1,300年余りといわれ、根元には大きなうつろがあり、郷土の長い歴史を無言のうちに秘めて静かに立っています。この大楠には、井手の幸媛と鴨雅彦の悲しい恋物語も残されています。

稲富神社のイチイガシ・タブノキほか  薩摩郡さつま町求名

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稲富神社のイチイガシ・タブノキほか  薩摩郡さつま町求名

さつま町の宮之城市街地から、国道267号線を伊佐市大口方面へ約15kmほど行くと、求名(ぐみょう)という地区がある。求名駅前(求名駅という駅は廃止されて今はない)というバス停があり、国道左に大木群が見えるのが稲富神社である。

かごしまの名木  33  愛称 稲富神社のイチイガシ  樹種 イチイガシ
所在地 薩摩郡さつま町求名  所有者 稲富神社
幹周 5.5m  樹高 34m  樹齢 800年  本数 4本

現地説明板は次のとおり。参道石段を登ったすぐ左にあるのがイチイガシⅡの大木(写真5〜7)とⅢ及びイヌマキ。右にあるのがタブノキ(8〜10)である。
イチイガシⅠは拝殿右前にある(写真4)。

薩摩町(現さつま町)指定文化財 天然記念物  名 称 稲富神社古木群

所在地 薩摩町求名2681−1  所有者または管理者 宮司 赤崎 弘道
指定年月日 平成14年6月9日
稲富神社は寛文9年(1669)の創建と推定され、求名村の村社として尊崇されてきました。この境内には、推定320年の古木3本の外、200年近くの2本は創建当時の植栽と思われます。
この境内は南面で陽当たり、風通よく、地味が肥えて神域として大切に保存されたものであります。境内の古木は右のとおりで、外にも保存を要する樹種もあります。
イチイガシⅠ  幹周 3.3m  高さ 25.0m  推定樹齢 190年
イチイガシⅡ      5.5m      28.0m         320年
イチイガシⅢ      5.1m      34.0m         300年
タ  ブ          5.7m      15.0m         170年
イヌマキ         1.7m      15.0m         320年
薩摩町教育委員会  平成15年8月建立

藤川天神の臥龍梅  薩摩川内市東郷町藤川

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藤川天神の臥龍梅  薩摩川内市東郷町藤川

薩摩川内市街の国道3号線「267入口」交差点から、川内川沿いに遡る国道267号線により東郷町まで行く。東郷町の町中に入る手前に県道46号阿久根東郷線が分岐し、左折して約10km阿久根市方向へ県道を北上すると藤川天神に着く。

かごしまの名木  30  愛称 藤川天神の臥龍梅  樹種 ウメ
所在地 薩摩川内市東郷町藤川  所有者 藤川天神
幹周 1m  樹高 8m  樹齢 1000年  本数 群落

鹿児島県総合観光サイト「ゆっくり悠・遊観光かごしま」の観光スポット巨木・古木による説明は次のとおり。ウメの開花期写真は同HP参照。
拝殿左手前の参道脇に、ご神木大スギの切株跡があった。樹齢800年、目通り6.8m。平成元年7月28日の台風11号によって倒れたものである。

藤川天神(臥竜梅)  所在地 薩摩川内市東郷町藤川 (旧東郷町)

藤川天神の祭神は学問の神様として親しまれる菅原道真公で「菅原神社」とも呼ばれています。道真公が太宰府に左遷され、さらに逃れて藤川北野の地に隠退、没したと言い伝えられます。拝殿は平成10年2月24日に新しく立て替えられたものです。毎年、大晦日から三が日は大勢の初詣客で賑わい、大晦日0時から除夜祭が始まり、元旦祭、氏子初詣と続きます。また、受験シーズンは合格を祈願する受験生や家族などで賑わいます。
境内の約40アールの梅園には約150本の梅の木があり、これは梅をこよなく愛された道真公がお手植えになられた1株が繁茂したものと言われ、このうち50株の梅はその幹を地上に伏せ、まるで伏した竜のように咲き誇ることから臥竜梅と呼ばれています。毎年2月中旬から3月上旬に薄いピンク色の花を咲かせ甘い香りを漂わせ、観梅客の心をなごませます。昭和16年10月3日に、国の天然記念物に指定されました。

永利のオガタマノキ  薩摩川内市永利町石神神社

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永利のオガタマノキ  薩摩川内市永利町石神神社

JR川内駅前の右から高架上の県道42号川内加治木線により東に2kmほど行き、平佐川の橋を渡ると永利町石神に入る。少し先の右道角に注意。「永利のオガタマノキ」の案内標識がある。右折して入ると石神神社へ着く。永利交差点のまだ手前である。

かごしまの名木  27  愛称 永利のオガタマノキ  樹種 オガタマノキ
所在地 薩摩川内市永利町  所有者 石神神社
幹周 8.4m  樹高 22m  樹齢 800年  本数 1本

オガタマノキの大樹として国指定天然記念物に指定されている。主幹の上部に伸びる大枝は残念なことに折れている。現地説明板は次のとおり。長崎県小長井町(現諌早市)長里の日本一のオガタマノキは次を参照。 https://misakimichi.com/archives/506

国指定天然記念物  永利のオガタマノキ

昭和19年11月13日指定  薩摩川内市教育委員会  管理者 宮浦 正子
永利町石神神社の境内にあるオガタマノキは、樹齢800余年で昔から神社にゆかりが深く、今日まで保護崇拝されている。
この木はモクレン科に属しており、暖かい地域に自生する常緑の高木である。花期は2月〜4月で、白色で基部は紅色を帯びた芳香がある。実は神代の首飾りの形に似ている。長崎県小長井町のオガタマノキとともに日本における大樹として大切にされている。
和名オガタマは「招魂(おきたま)」から転訛した名前とする説がある。タマは霊に通じ昔から神事には欠かせないものとされている。伝説によると、天照大神の「天の岩戸隠れ」の際、天細女命はこの木の枝を手に舞ったという。
神前に奉納する玉串は、この「オガタマノキ」を使うのが正式とされるが、現在では「サカキ」が代用されている。
幹回り 6.7m  樹高 22m  根回り 10m  枝張り 東西に30m 南北に26m
平成7〜8年に樹勢保護事業を実施している。         平成13年7月

市来神社のタブノキ  いちき串木野市湊町

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市来神社のタブノキ  いちき串木野市湊町

(旧)串木野市街地から国道3号線を南下、串木野高校や神村学園前を過ぎ八房川の橋を渡ると、国民宿舎吹上浜荘の入口道路標識があるが、国道から左折して反対側へ進む。
住宅地の中に広い道路ができており、この道路をしばらく進むと左方に市来神社がある。神社の裏側をJR鹿児島本線が通っている。3枚目の写真は右側入口の別のタブノキ。

かごしまの名木  19  愛称 権現どんのたぶ  樹種 タブノキ
所在地 いちき串木野市湊町  所有者 市来神社
幹周 4.8m  樹高 15m  樹齢 150年  本数 1本

冠岳小学校のソテツ  いちき串木野市冠岳

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冠岳小学校のソテツ  いちき串木野市冠岳

(旧)串木野市街地から薩摩川内市市比野温泉方面へ県道39号線により向かう。冠岳(西岳)麓の名所「冠嶽園」前を過ぎ県道を先へ進むと、左方の五反田川向かいに冠岳小学校の校舎が見える。
アーチ式石橋「八牟礼橋」を渡って学校へ行くと、2本のソテツは校庭側入口門の左右にある。

かごしまの名木  18  愛称 冠岳小学校の蘇鉄  樹種 ソテツ
所在地 いちき串木野市冠岳  所有者 冠岳小学校
幹周         樹高 3m  樹齢 700年  本数 2本

旧串木野市HP「くしきの」教育・文化の歴史と由来による説明は次のとおり。

蘇    鉄

冠岳小学校の校庭にある蘇鉄は、承久2年(1220)〜正応年間(1288〜1292)まで西岳中腹にあった霊山寺に生えていたものを移植したものといわれています。
樹木医による葉柄鱗片計測(葉のついていた跡を数え樹齢を推定する方法)では、樹齢約264年と推定されます。