九州(沖 縄 県)」カテゴリーアーカイブ

金武大川(ウッカガー)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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金武大川(ウッカガー)  金武町金武

国道329号金武町の中心部、金武町役場入口の交差点まで行き、南東へ町道の坂道を下る。並里公民館の右下に大川児童公園がある。この前が「金武大川(ウッカガー)」の井泉である。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

ウッカガー(金武大川) [ 記念物(遺跡)]
ウッカガー(大川)は、並里部落の中央に位置する部落共同井泉で、カーヤマを背に湧出る清水は、県下に知られた井泉です。大正12年に衛生上の見地から改修計画金武並里両区で経費を負担し、大正13年1月に竣工されました(金武町史より)。
コンクリートで用途別に区切り、道路を境に泉口の堰を飲料水、近くに男女の水浴場を設け、道路下方を洗濯、芋洗場、更に下方に牛馬の水浴せ場をして構築されました。水道が普及するまで金武並里住民の飲料水の汲み場であり、元日の若水を汲み、もやしを作り、夏の水浴を楽しむ語らいの場で朝に夕に人々が絶えない場でした。
豊富な水量は、かんばつ時にも変わることなく、余水は武田原に注ぎ用水として稲・水芋の産地を形成しています。生活様式や地域社会の変化の中で幾度か変遷を重ねながらも、「長命の泉」を象徴するように湧き続ける井泉は、先人達よりの文化遺産です。
指定年月日 : 平成4年5月7日
所在地 : 金武町字金武640番地

観音寺のフクギ・観音寺・日秀洞  金武町金武 ( 沖縄県 )

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観音寺のフクギ・観音寺・日秀洞  金武町金武

国道329号金武町金武の中心部から、奥の通りの「金武観音寺」へ入る案内標識がある。「日秀洞」は、観音寺境内にある鍾乳洞。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

観音寺のフクギ [天然記念物]
観音寺のフクギは、正門礼拝道を下った17m左側に位置し、その樹根・樹枝の大きさは、沖縄本島各地の樹木(フクギ)調査の中でもひときわ大きいフクギの木で、各地の調査と比較した結果によると樹齢約350年と推定された希少な巨木です。
幾年代の歴史を積み重ね成長し強く根を張り、高く、どっしりとそびえるその樹影に愛郷のこころを育む巨木です。
近年、金武町に於いても宅地の整地、土地造成事業等による緑の破壊が進む中で、自然的な景観と緑に対する町民の認識を深める上からも、このような稀有な巨木は町の遺産だと考えています。
指定年月日 : 平成3年12月24日
所在地 : 金武町字金武222番地

観音寺 [建設物]
観音寺は、16世紀に日秀上人によって創建されました。 現存する観音寺は、昭和17年に再建されたものですが、建築手法には近世社寺の手法が取り入れられています。 沖縄県下の社寺建築の多くは、今次大戦で焼失しましたが、幸い観音寺は戦災を免れ、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築として今日に至っています。
指定年月日 : 昭和59年6月1日
所在地 : 金武町字金武222番地

伊芸のガジュマル  金武町伊芸 ( 沖縄県 )

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伊芸のガジュマル  金武町伊芸

国道329号金武町伊芸の中心集落から、伊芸地区公民館へまっすぐ北に入る道がある。このすぐの左角の先にがじまる公園があり、大きなガジュマルの木「伊芸のガジマル」が生える。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

伊芸のガジマル [天然記念物]
伊芸旧区事務所跡の「がじまる」の樹は金武町地内の熟成木の中でも樹齢約300年と云われる稀な名木で、その毅然と立つがじまるの樹は部落の多くの出来事を見守り、村芝居や綱引き等部落の行事を興し、農作業の労を癒し人々の語らいの場を提供しています。
また、年輪を重ねる毎に部落の歴史を刻み地域の風土を語り、部落の風景を創り出します。
この名木の「がじまる」の樹を町文化財として保護・育成する事により、町民の郷土に対する認識と理解を深め、文化の高揚に資することを目的としています。
指定年月日 : 平成3年7月12日
所在地 : 金武町字伊芸33番地

屋嘉の大井戸  金武町屋嘉 ( 沖縄県 )

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屋嘉の大井戸  金武町屋嘉

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道329号沿い金武町屋嘉の中心集落から、底森御嶽神社へまっすぐ北に入る道がある。この2つ目角から右折すると、屋根付き「屋嘉の大井戸」の石積井(湧水)がある。所在図のとおり。

屋嘉の大井戸 やか・ウフカー
(国頭)金武町 石積井(湧水) 琉球王国時代? 町有形民俗 WEB 屋根は後付け周囲の囲いもコンクリート製 屋嘉の村カーとして構築(石積みの掘り下げ井戸) 3 C

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

屋嘉のウフカー(大井戸) [民俗文化財(有形)]
ウフカー(大井戸)は、部落の中央に位置する石積みの掘り下げ井戸で、屋嘉の村カーとして構築されたと伝承されています。
ウフカーは往時より人々の生活に欠くことのできない生命の水であり、カミカー(神井戸)として部落の祭司と深い関わりを持っています。
部落の長い歴史とともに、民俗信仰行事が今日まで継承されているカミカー(神井戸)です。
指定年月日 : 平成5年4月27日
所在地 : 金武町字屋嘉14番地

カンジャガー  恩納村恩納 ( 沖縄県 )

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カンジャガー  恩納村恩納

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道58号により恩納村役場前まで行く。国道対面のまっすぐな村道に入り、恩納公民館先から左折、カトリック教会から下の急坂へ下ると、「カンジャガー」の石積井(流下式水源)がある。
8枚目以降の写真は、散策ルート説明板にあった①の場所の「カマラガー」。琉球泡盛古酒「萬座」が、酒造所の近くにある嘉真良井(カマラガ—)の湧き水を仕込み水として使用した、恩納酒造所を代表する商品とある。

カンジャガー
(国頭)恩納村 石積井(流下式水源) 琉球王国時代 村有形民俗 WEB コンクリートの覆いと鉄柵付き 石造の小型井戸(流し場を伴う)/住民の信仰の対象 3 −

じゃらんnetによる説明は、次のとおり。

カンジャガー
民家の密集する位置に今でも残る石造りの井戸。古くから産井(ウブガー)として地元の人々が生活の中で利用してきた。琉球王朝時代から正月の村拝みの時には村の有志が集まり、このカンジャガーを拝む習慣は現在にも伝わっている。名称の由来は、近くに鍛冶屋があったためにつけられたと言われている。
人々に親しまれ続ける村人たちの貴重な井戸。

県道10号平安座島・伊計島などの風景  うるま市南東部 ( 沖縄県 )

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県道10号平安座島・伊計島などの風景  うるま市南東部

うるま市の南東部、県道10号海中道路により平安座島、さらに宮城島、伊計大橋を渡り伊計島へ入り、伊計島灯台まで行った。往復の風景により順不同、日照も違う。
海中道路、海中道路ビーチ、平安座島・宮城島間埋立道路、沖縄石油備蓄基地、伊計大橋、伊計ビーチ、伊計島灯台のほか、金武町から望む海中道路、帰りの飛行機から写した周辺の航空写真

ウィキペディアフリー百科事典による「海中道路」の説明は、次のとおり。

海中道路
海中道路(かいちゅうどうろ)は沖縄県うるま市にある道路。沖縄県道10号伊計平良川線の一部分であり、勝連半島(与勝半島)から平安座島を結ぶ5.2 kmの道路である[1]。沖縄本島と離島との間に横たわる海のなかを、橋ではなく堤防上の道路として造られており[1][2]、船舶航行のための橋1か所と潮流確保のための水路2か所が設けられている。中央分離帯のある4車線の道路で、線形もほとんど直線である[2]。当初は産業道路として建設された道路であるが、近年はレジャースポットとしても人気がある沖縄を代表するシンボルロードとなっている[1]。

歴史
勝連半島の屋慶名地区と平安座島の間の海域は浅く、浅瀬が広がっており、古来より干潮時には徒歩で行き来されてきた[1]。平安座島には平家落人伝説が残り、また隣接する宮城島は琉球王朝の流刑地であった古い歴史を持ち、両島は太平洋に浮かぶ孤島であったが、開拓されて地続きとなっていた[1]。また1956年から、アメリカ軍より払い下げられた水陸両用トラックが半島と島の間を往来していた。そして1960年になると、島民は海中道路建設期成会を結成し翌1961年から建設が始められたが、台風の被害に遭いこの工事は頓挫してしまった。

1970年、アメリカの石油会社であるガルフ社(en)(後にシェブロンに吸収合併される)が平安座島に進出することになり、この時に建設されたのが沖縄石油基地である。ガルフ社は石油タンクが並ぶ臨海工業地帯と化した平安座島の島民に対する見返り事業と、沖縄本島までのパイプライン敷設のために、ガルフ社の負担で海中道路を建設することになった[3]。

1971年(昭和46年)5月に着工し、翌年の4月22日に2車線の道路として開通した。完成した海中道路は1974年(昭和49年)、与那城村(当時)に無償譲渡されて村道となり、1991年(平成3年)には沖縄県道に昇格した。そして1999年(平成11年)に4車線化が完了した。

地理
浅瀬上に築かれた堤防の上に道路があり、眼下に海を臨む高さのある橋とは異なり、目線とほぼ同じ高さで両側に金武湾の美しいエメラルドグリーンの海が広がる[1]。沖縄本島からこの道路を走って平安座島、宮城島、伊計島へ渡るルートは、人気のドライブコースとなっている[2]。道路の中間地点にある海の駅「あやはし館」は、駐車場やトイレ、道路情報室などを備えたロードパークで、施設は他にもレストランやシャワー設備も完備し海のレジャーにも利用できる[2]。

参考文献
・浅井建爾 『道と路がわかる辞典』 日本実業出版社、2001年11月10日、初版、170-171頁。ISBN 4-534-03315-X。
・須藤英一 『新・日本百名道』 大泉書店、2013年。ISBN 978-4-278-04113-2。
・平安座自治会発行 『故きを温ねて』 p.22,pp.166-170,pp.329-332、1985年

犬 名 河  うるま市与那城伊計 ( 沖縄県 )

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犬 名 河  うるま市与那城伊計

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。うるま市の南東部、県道10号海中道路により平安座島、さらに宮城島、伊計大橋を渡り伊計島へ入る。伊計ビーチ左上に上がった高台の交差点に案内標識があり、直線農道を北へ進むと、途中角に「犬名河400m」の左折標識がある。
バラス農道の終点広場まで行くと、「犬名河」由来記の石碑があり、ここから崖下の海岸まで150段ほどの石段の坂道を下ると、コンクリート建物の中に、「犬名河」の石積井(湧水)がある。

犬名河 インナーガー
うるま市 (伊計島) <石積井>(湧水) 不明 市史跡 WEB 外観は完全にRC建造物(破損) 伊計島唯一の水源/崖下の海岸にある 4 C

うるま市文化課HP「うるま市の伝統文化」による説明は、次のとおり。

犬名河(インナガー)  1995(平成7年)6月14日指定

犬名河は、伊計島の北西の海岸沿いの崖下にあります。島は昔から水不足で悩んでいました。干ばつに困っていた時、ずぶぬれになった犬が崖下から上がって来たのを見た農夫が不思議に思い、下りて行ってみると、こんこんと水が湧き出ている泉がありました。それで「犬名河(インナガー)」と呼ばれるようになったといわれています。
その後、伊計島の人たちは飲み水に困ることはなくなりましたが、150段ほどの石段の坂道を上がり下りしての水汲みは重労働でした。戦後はポンプで吸い上げて、米軍との共同使用をしていましたが、現在は本島から上水道がひかれ水に悩むこともなくなりました。

与佐次川  うるま市与那城平安座 ( 沖縄県 )

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与佐次川  うるま市与那城平安座

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。うるま市の南東部、県道10号海中道路により平安座島へ渡る。うるま市与勝消防署平安座出張所角に案内標識400mがあり、左折しながら奥の高台へ進むと、赤屋根の「与佐次川」の石積井(湧水)がある。手前右上にも東豊河と書いた別の石積井(湧水)があった。

与佐次川 ユサチ・ガー
うるま市(平安座島) 石積井(湧水) 1736年、あるいは、1799年 市有形民俗 WEB RC屋根が雰囲気を壊す 3面を石積壁で囲んだ立派な井戸 3 B

うるま市文化課HP「うるま市の伝統文化」による説明は、次のとおり。

与佐次川(ユサチガー)  1995(平成7)年6月14日指定
現在のユサチガーは、1736年〜1799年のいずれかの年に建造されたと推察されています。それ以前の井泉は、現在地より上のほうにあったようです。
このユサチガーを平安座島では、産井ガー(ウブイガー)とも呼び、子どもが誕生した際には、初水として汲んできました。また正月3日には、門中一族がユサチガーに集まり子孫繁栄、無病息災を聖泉に祈願する「ウビナディー」は、由緒ある伝統行事として平安座島の人々の心のよりどころとなり代々続いています。

田場ガー  うるま市田場 ( 沖縄県 )

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田場ガー  うるま市田場

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。県道33号うるま市川田入口から県道10号を少し行き、大田入口から右の県道8号に入る。東田場交差点から右折、田場ポンプ場後側あたりに、「田場ガー」の石積井(湧水)がある。

田場ガー たば・ガー
うるま市 石積井(湧水) 不明 市史跡 WEB 1999年上部崩壊→2004年復元直上に道路のガードレール 湧きロを囲んだ二つの池と水神を祭った祠、池の水貯めをするマグサ、歩き道の石敷、二箇所の降り口、洗濯場、シッティからなる 3 B

うるま市文化課HP「うるま市の伝統文化」による説明は、次のとおり。

田場ガー  2005(平成17)年2月16日指定

田場ガーは別名「ウブガー」とも呼ばれ、古くから地域で正月の若水、子どもが生まれた際のカーウリー・産水、生活・農業用水などに利用されてきました。
造りは、湧き口を囲んだ2つの池と水神を祀った祠、池の水貯めをするマグサ、歩き道の石敷、2箇所の降り口、洗濯場、シッティがあります。
石積みの技法は、正面を相方積みでその上部を野面積み、左右を切石積みで造られています。
1999(平成11)年に正面上部が一部崩壊しましたが、住民はじめ関係者の努力により2004(平成16)年に修復されました。現在も田場集落の行事として旧暦正月にカー拝みが執り行われています。

大田坂の石畳  うるま市川田・大田 ( 沖縄県 )

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大田坂の石畳  うるま市川田・大田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。うるま市塩屋から県道33号の山腹を行く新しい道路を、高台の川田入口の方へ向かう。県道16号と交差し、しばらく進むと「大田坂 240m」の案内標識があり、側道の旧県道へ反転する。
遊歩道の坂段があり、ここが入口で、この上の展望が良いところに「大田坂」の説明板があり、石畳道が残る。長さ約300m。登り切った上部の大田住宅地にも、案内板があった。

大田坂の石畳 ウフタ・ビラ
うるま市 石畳道(石灰岩) 長約300m,幅2-3m 1800年頃 市史跡 WEB オリジナル分(摩耗した石)は100m/後は戦後の復旧 あかばんた掟、玉城親雲上、上門小ビニーの3人の企画と設計で施工/石が密集して置かれ、平坦に敷き詰められているわけではない 2 B

うるま市文化課HP「うるま市の伝統文化」による説明は、次のとおり。

大田坂(うふたびら)   2005(平成17)年2月16日指定

大田坂は今から約200年前にあかばんた掟と玉城親雲上と上門小ビニーの3者の企画で設計・施工され、地元や近隣の賦役や資材の協力を得て完成したと伝えられています。
幅員2〜3m、全長300mにおよび、石灰岩を敷き詰めた石畳で、具志川集落に番所があった頃首里王府から各間切(現在の市町村)間の伝達に利用され、宿道として整備された歴史の道です。
宿道は首里城を中心とした道で、古い絵図などから沖縄内に5本の道筋をみることができます。その中の1本が、西原間切を経て宜野湾・越来・美里・金武・久志及び中城、具志川、与那城、勝連のなどに通ずるものでした。
道路の規格としては、宿道は幅8尺以上、双方に幅6尺の余地を置くこと、脇道は5尺以上、原道は3尺以上とし、管理は、各間切や村単位で行われ、その手に余るものを王府が行ったといわれています。