大田坂の石畳  うるま市川田・大田 ( 沖縄県 )

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大田坂の石畳  うるま市川田・大田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。うるま市塩屋から県道33号の山腹を行く新しい道路を、高台の川田入口の方へ向かう。県道16号と交差し、しばらく進むと「大田坂 240m」の案内標識があり、側道の旧県道へ反転する。
遊歩道の坂段があり、ここが入口で、この上の展望が良いところに「大田坂」の説明板があり、石畳道が残る。長さ約300m。登り切った上部の大田住宅地にも、案内板があった。

大田坂の石畳 ウフタ・ビラ
うるま市 石畳道(石灰岩) 長約300m,幅2-3m 1800年頃 市史跡 WEB オリジナル分(摩耗した石)は100m/後は戦後の復旧 あかばんた掟、玉城親雲上、上門小ビニーの3人の企画と設計で施工/石が密集して置かれ、平坦に敷き詰められているわけではない 2 B

うるま市文化課HP「うるま市の伝統文化」による説明は、次のとおり。

大田坂(うふたびら)   2005(平成17)年2月16日指定

大田坂は今から約200年前にあかばんた掟と玉城親雲上と上門小ビニーの3者の企画で設計・施工され、地元や近隣の賦役や資材の協力を得て完成したと伝えられています。
幅員2〜3m、全長300mにおよび、石灰岩を敷き詰めた石畳で、具志川集落に番所があった頃首里王府から各間切(現在の市町村)間の伝達に利用され、宿道として整備された歴史の道です。
宿道は首里城を中心とした道で、古い絵図などから沖縄内に5本の道筋をみることができます。その中の1本が、西原間切を経て宜野湾・越来・美里・金武・久志及び中城、具志川、与那城、勝連のなどに通ずるものでした。
道路の規格としては、宿道は幅8尺以上、双方に幅6尺の余地を置くこと、脇道は5尺以上、原道は3尺以上とし、管理は、各間切や村単位で行われ、その手に余るものを王府が行ったといわれています。