県道10号平安座島・伊計島などの風景 うるま市南東部
うるま市の南東部、県道10号海中道路により平安座島、さらに宮城島、伊計大橋を渡り伊計島へ入り、伊計島灯台まで行った。往復の風景により順不同、日照も違う。
海中道路、海中道路ビーチ、平安座島・宮城島間埋立道路、沖縄石油備蓄基地、伊計大橋、伊計ビーチ、伊計島灯台のほか、金武町から望む海中道路、帰りの飛行機から写した周辺の航空写真
ウィキペディアフリー百科事典による「海中道路」の説明は、次のとおり。
海中道路
海中道路(かいちゅうどうろ)は沖縄県うるま市にある道路。沖縄県道10号伊計平良川線の一部分であり、勝連半島(与勝半島)から平安座島を結ぶ5.2 kmの道路である[1]。沖縄本島と離島との間に横たわる海のなかを、橋ではなく堤防上の道路として造られており[1][2]、船舶航行のための橋1か所と潮流確保のための水路2か所が設けられている。中央分離帯のある4車線の道路で、線形もほとんど直線である[2]。当初は産業道路として建設された道路であるが、近年はレジャースポットとしても人気がある沖縄を代表するシンボルロードとなっている[1]。
歴史
勝連半島の屋慶名地区と平安座島の間の海域は浅く、浅瀬が広がっており、古来より干潮時には徒歩で行き来されてきた[1]。平安座島には平家落人伝説が残り、また隣接する宮城島は琉球王朝の流刑地であった古い歴史を持ち、両島は太平洋に浮かぶ孤島であったが、開拓されて地続きとなっていた[1]。また1956年から、アメリカ軍より払い下げられた水陸両用トラックが半島と島の間を往来していた。そして1960年になると、島民は海中道路建設期成会を結成し翌1961年から建設が始められたが、台風の被害に遭いこの工事は頓挫してしまった。
1970年、アメリカの石油会社であるガルフ社(en)(後にシェブロンに吸収合併される)が平安座島に進出することになり、この時に建設されたのが沖縄石油基地である。ガルフ社は石油タンクが並ぶ臨海工業地帯と化した平安座島の島民に対する見返り事業と、沖縄本島までのパイプライン敷設のために、ガルフ社の負担で海中道路を建設することになった[3]。
1971年(昭和46年)5月に着工し、翌年の4月22日に2車線の道路として開通した。完成した海中道路は1974年(昭和49年)、与那城村(当時)に無償譲渡されて村道となり、1991年(平成3年)には沖縄県道に昇格した。そして1999年(平成11年)に4車線化が完了した。
地理
浅瀬上に築かれた堤防の上に道路があり、眼下に海を臨む高さのある橋とは異なり、目線とほぼ同じ高さで両側に金武湾の美しいエメラルドグリーンの海が広がる[1]。沖縄本島からこの道路を走って平安座島、宮城島、伊計島へ渡るルートは、人気のドライブコースとなっている[2]。道路の中間地点にある海の駅「あやはし館」は、駐車場やトイレ、道路情報室などを備えたロードパークで、施設は他にもレストランやシャワー設備も完備し海のレジャーにも利用できる[2]。
参考文献
・浅井建爾 『道と路がわかる辞典』 日本実業出版社、2001年11月10日、初版、170-171頁。ISBN 4-534-03315-X。
・須藤英一 『新・日本百名道』 大泉書店、2013年。ISBN 978-4-278-04113-2。
・平安座自治会発行 『故きを温ねて』 p.22,pp.166-170,pp.329-332、1985年