九州(大 分 県)」カテゴリーアーカイブ

赤坂の石畳・伊塚の石畳  大分市竹矢 ( 大分県 )

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赤坂の石畳・伊塚の石畳  大分市竹矢

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。大分市野津原支所前から国道
442号を今市方面へ行く。一の瀬橋脇のバス停先に「肥後(豊後)街道 赤坂石畳・伊塚石畳・矢貫石橋」の案内板があり、この街道の道を上がる。
写真1〜6が「赤坂の石畳」、写真7〜12が「井塚の石畳」。「井塚の石畳」は山手反対側の下りにあるので、私は矢貫バス停側から矢貫石橋を渡って訪ねた。 

赤坂の石畳 あかさか
大分市 <肥後街道> 石畳道 長100m以上 江戸期 WEB 保存状態良好(放置に近い) 2 C

伊塚の石畳 いづか
大分市 <肥後街道> 石畳道 長50m前後 江戸期 市教委/WEB 保存状態良好 1 C

ブログ「ぐんさん 物見遊山記 : 豊後街道を歩く 野津原〜今市」2012年3月による記録は、次のとおり。

今回の豊後街道歩きは野津原宿から今市宿までの約10km超。七瀬川の一の瀬橋からスタートし、坂道を登っていく。
国道442号の坂道を登ってすぐ、消防署の向かいあたりに野津原町商工会が立てた案内標識があり、これにしたがってUターンし小道を登っていく。ひと登りですぐにまた折り返し、山道へと入る。
山道に入って少しのぼると、「赤坂の石畳」が現れる。街道中のこのような坂は雨水による洗い掘りを避けるために石畳が整備された。今では通る人も稀なこの山中の道を、かつては村人や旅人が行き交ったのだろう。

石畳の道を登って平坦な道となって少し先の丘の上に、「夜泣き止め地蔵」が祀られている。お堂の中には穏やかなやさしい顔をしたお地蔵さま。お堂の背後には岩窟が掘られており、いくつか小さな石仏が並んでいる。お堂の中のお地蔵さまももとはこの岩窟に祀られていたのだろうか。
夜泣き止め地蔵の前は切り通しになっているが、そこに水路橋が架かっている。大正j拾四年の銘がある。

夜泣き止め地蔵から降るとすぐに三差路となり、これを右に行くと 「伊塚の石畳」 が現れる。距離は短いが保存状態が良く歩きやすい。逆方向(矢貫側)から登ってくると石畳を登ったところで三差路となり、夜泣き止め地蔵へは左へ曲がることになるが、案内板がなく分かりにくい。松尾卓次氏著、弦書房出版の『豊後街道を行く』という本では、伊塚の石畳の先は藪で行き止まり となっており、夜泣き止め地蔵へも行っていない。著者が歩いた時は整備されていなかったようだ。野津原町商工会発行の地図では夜泣き止め地蔵を通るルートになっている。

伊塚の石畳を下ると開けた田園地帯へ。道は川を渡るが、ここに 「矢貫の石橋」 が架かっている。アーチ橋ではなく、平らな岩を架けた”桁橋”。橋本橋とも呼ばれているようだ。参勤交代の列もこの橋の上を通って行ったそうだ。…

猪牟田霊水(猪牟田ダム調査横抗の跡)  九重町町田 ( 大分県 )

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猪牟田霊水(猪牟田ダム調査横抗の跡)  九重町町田

現地説明板は、次のとおり。国道210号豊後中村駅入口交差点から九重高原の方の県道40号に入る。町田発電所先に「猪牟田霊水」の案内板がある。おおいた名水200選。猪牟田ダム調査横抗跡の湧水である。

猪牟田ダム調査横抗の跡

この横抗は猪牟田ダム建設予定地の地質を調査するため、昭和四十六年に最初に掘削された横抗で、その長さは約四十メートルありました。
この水は、ここから約三十七メートル先の岩盤の割れ目から湧水しており、掘削当時から今日まで枯れることなく流れていたものを残したものです。
この周辺には、このような地質調査のための横抗がニ十本掘られ、その延長は約二千メートルに達していましたが、猪牟田ダム建設中止により全ての横抗がコンクリートにより埋め戻されました。
当横抗は、猪牟田ダムの計画がこの地にあったことを後世に伝えるために、この横抗の地権者である瀬戸基彦氏(日田市在住)のご協力を得て「猪牟田ダム調査横抗の跡」として設置したものです。
平成十四年三月吉日

吉野社のスギとケヤキ  九重町後野上(猪牟田) ( 大分県 )

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吉野社のスギとケヤキ  九重町後野上(猪牟田)

HP「人里の巨木たち」全国巨樹探訪記大分県によるデータは、次のとおり。国道210号豊後中村駅入口交差点から九重高原の方の県道40号へ入る。町田発電所先の猪牟田霊水のところから左の橋を渡り、猪牟田集落まで行く。集落の北はずれに「吉野社」がある。
拝殿の左に2本の大木が立つ。左がスギ、右のがケヤキのようだ。私が見たのは後ろの写真どおり、参道の右側茂みの中にも何かの大木があったが、近寄って確認できない。

名称 吉野社のスギ (よしのしゃのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 30m(注1)
目通り幹囲 5.7m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
天然記念物指定 なし
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による

吉野川右岸高台に猪牟田集落がある。
水平面がほとんどない地形なのだが、先人が苦労して耕地を作り、そして今も維持されている。
家々の北端、山を背にして吉野社が鎮座する。
あたりはひっそりしている。集落に住む人以外、ほとんど訪れることもないだろう。
境内にスギとケヤキの巨木が見える。
スギは拝殿の右手(向かって左)に2本。
小雨に霞んで立っていた。

名称 吉野社のケヤキ (よしのしゃのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 25m(注1)
目通り幹囲 5.5m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
天然記念物指定 なし
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による

鳴子川沿いに走る県道40号(飯田高原中村線)の「一軒家」バス停近くで橋を渡って東に山道を辿ると、猪牟田集落に達する。家々が斜面に肩を寄せ合って集落ができた、といった印象。
北のはずれに吉野社があり、拝殿に向かって右奥、一段高い位置に大ケヤキが立っている。
御神木とされているらしく、幹には細い注連縄が巻かれていた。
ケヤキの反対側には大杉。ケヤキの近くにも大きな切株が朽ちかけている。
いまも巨木が残る鎮守の森である。

後野上の地蔵道標2  九重町後野上(猪牟田) ( 大分県 )

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後野上の地蔵道標2  九重町後野上(猪牟田)

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道210号豊後中村駅入口交差点から九重高原の方の県道40号へ入る。町田発電所先の猪牟田霊水のところから左の橋を渡り、猪牟田集落のバス停まで行く。近くに5体の石地蔵を安置した祠があり、左端のがこの地蔵道標である。

後野上の地蔵道標2 うしろのがみ
(玖珠)九重町 (猪牟田) 石道標(舟型) 天保4(1833) 九重町郷土誌p241 原位置? (正面右端)「右 やま」、(同左端)「左り 田の道」/正面中央に地蔵立像を陽刻 1 –

菅原の地蔵道標1 九重町菅原(桐木) ( 大分県 )

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菅原の地蔵道標1 九重町菅原(桐木)

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道387号宝泉寺温泉先から桐木集落内の旧道へ入る。集落の中ほどに大萱葺屋根の家があり、手前の坂道を登るとすぐその左崖面にこの地蔵道標がある。宝光寺の手前カーブのところ。
九重町郷土誌には、「備考 歯の痛みをとる地蔵として、今でも参拝がある。この地蔵は、他より移転した物。総高67センチ」と記している。

菅原の地蔵道標1 すがわら
(玖珠)九重町(桐木)石道標(舟型) 高67㎝ 文化11(1814) 九重町郷土誌p239 原位置? (正面右端)「右 もり道」、(同左端)「左 やまうら道」/正面中央に地蔵立像を陽刻 1 C

豊栄鉱山の間歩・尾平鉱山の間歩  豊後大野市緒方町上畑ほか ( 大分県 )

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豊栄鉱山の間歩・尾平鉱山の間歩  豊後大野市緒方町上畑ほか

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。
豊栄鉱山は、上畑健男社手前から傾山九折登山口まで行くと、ここが鉱山跡である。「豊栄鉱山鉱害防止協会現場事務所」のある一帯である。
尾平鉱山は、尾平越トンネルの登りにかかるところまで県道をさらに進む。「資源環境センター尾平事務所」がある一帯である。

鉱山跡はいずれも立入禁止で、山林内に残るという間歩は、簡単には確認できない。尾平鉱山については、ほかのHPによると、尾平越トンネル手前約1.6kmのカーブあたりから、急斜面を500歩ほど下ると、「コウモリ坑」なるものがあるが、現在は鉄柵がありコンクリートで完全に塞がれていると記している。
私はこの日、夕方となりそんな元気はなく、間歩への降り口(カーブミラーがある多分、ここだろう)を確認しただけ。尾平越トンネル入口まで行って緒方町へ引き返した。

豊栄鉱山の間歩 ほうえい
豊後大野市 坑道 江戸期 市教委 山林内の各所に坑口が多数ある

尾平鉱山の間歩 おびら
豊後大野市 坑道 江戸期 市教委 山林内の各所に坑口が多数ある

健男社のスギと自然林  豊後大野市緒方町上畑 ( 大分県 )

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健男社のスギと自然林  豊後大野市緒方町上畑

豊後大野市HPの県指定文化財(天然記念物)による説明は、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。県道の傾山登山口の先に上畑健男社がある。

健男社のスギと自然林
健男社は上畑標高450mの山麓に位置する。参道には杉の巨木が並木をつくり、神殿の背後地にはモミの巨木を優占種とする自然林が残されている。近年林業開発により消滅のモミ林の貴重な残存林として学術的価値は高い。
所在地:緒方町上畑948-1  指定年月日:昭和52年3月31日

権 現 橋  緒方町上畑九折 ( 大分県 )

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権 現 橋  緒方町上畑九折

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。上畑健男社手前から傾山九折登山口へ入ると、その途中の奥嶽川に架かる。
登山口はかつて豊栄鉱山があった所で、そのための石橋だろう。現橋の左手、草むらの部分に確認できる。

№938  権現橋

緒方町上畑 九折
奥嶽川
橋長:22.5m  橋幅:4.5m  径間:   拱矢:
架設:昭和16年(1941)
犬返橋から県道7号線へ戻り、4.8Km南下。
九折方面へ左折、1.3Km先現橋の左手に架かっています。
下流側は深い谷で、どうやっても降りることはできません。
左岸上流側へ200mくらい進み、川へ降り、そこから下流へ歩いてこの場所へ出ます。
手前は現橋です。下流側から、かろうじて写っています。
現橋の左手、草むらの部分です。

烏嶽円形分水  豊後大野市緒方町小原 ( 大分県 )

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烏嶽円形分水  豊後大野市緒方町小原

市報「ぶんごおおの」2009年8月号No.53による記事は、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方に向かう。烏嶽の麓、小原地区に案内標識あと2.4kmがあり大規模林道「宇目・小国線」へ入る。しばらく進むと右下への入口道があり、徒歩で10分ほど下った森の中に、直径約4mの円形分水がある。
豊後大野市では1カ所だけ。竹田市にもあるが、全国をみても30カ所程度しかない珍しい構造物らしい。

烏嶽円形分水
緒方町小原地区に烏嶽円形分水がある。長谷緒井路本線の水を小原方面と上緒方方面に分水するため、水路の水はサイフォンの原理を利用して、円形分水の手前から潜り中央から吹き上がる。
昭和13年の通水から71年間、常に一定の比率で分水され合理的な構造。豊かな実りを願った先人たちの思いが今も生き続けている。(通水時期は毎年5月連休明けから9月末)

木南切のエノキ・木南切のタブノキ  豊後大野市清川町平石(柏野) ( 大分県 )

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木南切のエノキ・木南切のタブノキ  豊後大野市清川町平石(柏野)

豊後大野市HPの市指定文化財(天然記念物)による説明は、次のとおり。「木南切のエノキ」は、轟橋手前から県道410号へ上がる坂道町道の入口右にある。「木南切のタブノキ」はこの町道を上がって行き、県道410号へ出る途中から左にバラス農道を少し下る。

木南切のエノキ
木南切の市道脇、轟地区に向かって右側にあるエノキの巨木で、ニレ科エノキ属の落葉高木である。樹高15m、胸高幹囲5.5mである。
所在地:清川町平石(柏野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

木南切のタブノキ
木南切の墓地にあるタブノキは、クスノキ科タブ属の常緑高木である。胸高幹囲2.6mなどの巨木で覆われている。他にカゴノキ、スギ、ヤマザクラなどが生育している。
所在地:清川町平石(柏野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)