長崎外の古写真考」カテゴリーアーカイブ

長崎外の古写真考 目録番号:4005 庭園と屋敷

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4005 庭園と屋敷

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4005 庭園と屋敷
〔画像解説〕
戸塚村(現新宿区戸塚町)にあった旧高松藩主松平頼聡の別邸であろう。明治15年(1882)に東京専門学校(現早稲田大学)を開校した大隈重信が、2年後の明治17年(1884)にこの屋敷を購入。庭を和洋折衷に改装したという。1904年発行の写真5010では池が埋められ芝生の庭園になっている。この写真は明治初年にスティルフリード(Baron Raimund Stillfried Rathenitz)が撮影したものと思われ、大隈が購入する以前だと思われる。

■ 確認結果

目録番号:4005「庭園と屋敷」は、〔撮影者:F.ベアト〕であろう。
横浜開港資料館編「F.ベアト写真集2−外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊39頁に、「51.江戸の屋敷と庭園」として、掲載されている。

長崎外の古写真考 目録番号:3975 渡し舟(4) ほか

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3975 渡し舟(4) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3975 渡し舟(4)
〔画像解説〕
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。

目録番号:4068 渡し舟(5)    (同写真 掲載略)

■ 確認結果

目録番号: 629「渡し舟(1)」、目録番号:4886「渡し舟(7)」は前掲。この記事の目録番号:3975「渡し舟(4)」と、目録番号:4068「渡し舟(5)」(同写真 掲載略)も、場所は東京の多摩川下流「川崎・六郷の渡し」。〔撮影者:F.ベアト〕ではないだろうか。この項は次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/2757
https://misakimichi.com/archives/2617

歌川広重 保永堂版より「川崎・六郷の渡し」は、”web浮世絵”から。北斎・広重の浮世絵と東海道の古写真ーその3 に、「1860年代「川崎六郷の渡し」ベアト撮影」とした写真があり、「川崎・六郷の渡し」とわかった。長崎大学データベースでは、目録番号:3975「渡し舟(4)」の作品。

ただ、「ベアト撮影」とする確認が取れなかった。このたび、古写真集「異国人の見た幕末・明治
JAPAN」新人物往来社2005年刊76頁に、「渡し舟」として掲載されていることがわかった。
同解説は次のとおり。
渡し舟  渡し舟は村と村を繋ぐ重要な水上交通の手段であった。人や荷物を運ぶだけではなく、写真のように車や、牛などの動物の運搬にも役立っていた(ベアト撮影/着色)

長崎外の古写真考 目録番号:2443 刺青姿の男性(3)

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2443 刺青姿の男性(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2443 刺青姿の男性(3)

■ 確認結果

目録番号:2443「刺青姿の男性(3)」は、〔撮影者:日下部金兵衛〕ではないだろうか
小沢健志氏編「新版 写真で見る 幕末・明治」世界文化社2000年刊232頁に、「いれずみをした人足 1890年代 金幣アルバム」として掲載されている。

長崎外の古写真考 目録番号: 629 渡し舟(1) ほか

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 629 渡し舟(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 629 渡し舟(1)
〔画像解説〕
人や荷物を大量に運ぶ事のみを目的とする平底の渡し舟。船頭が前後に1人ずつ長い竿を操っている。乗船者全てが髷を結っているので、幕末から明治初期の頃と考えられる。場所不明。

目録番号:4886 渡し舟(7)

■ 確認結果

目録番号: 629「渡し舟(1)」と、次の目録番号:4886「渡し舟(7)」は、同じ写真である。場所は東京の多摩川下流「川崎・六郷の渡し」と思われる。
この項は次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/2617

〔撮影者:F.ベアト〕ではないだろうか。(掲載を略したが、目録番号:3975「渡し舟(4)」、目録番号:4068「渡し舟(5)」も、ベアト撮影のため後掲する)
小沢健志氏編「新版 写真で見る 幕末・明治」世界文化社2000年刊219頁に「村の渡し舟 1860年代 ベアト」として掲載されている。同解説は次のとおり。

村の渡し舟 1860年代 ベアト
渡し舟は村と村を繋ぐ水上の足として、住民や物資の運搬に重要な役割を果たした。写真では大勢の人々が見られるが、実際には定員があり、こんなには乗せられなかったようだ。

長崎外の古写真考 目録番号:4054 合わせ鏡(3)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4054 合わせ鏡(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4054 合わせ鏡(3)
〔画像解説〕
日本髪の結い具合を、合わせ鏡でみている女性。丸髷で既婚とわかる。鏡はそれぞれ大きさが違い、重ねて収納する。右に長火鉢。左にも化粧鏡が。

目録番号:4880 合わせ鏡(4)
〔画像解説〕
目録番号4054と同じ写真。周辺を楕円でトリミング。

■ 確認結果

目録番号:4054「合わせ鏡(3)」は、次の目録番号:4880「合わせ鏡(4)」のとおり、〔撮影者:F.ベアト〕である。
横浜開港資料館編「F.ベアト写真集2−外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊88頁に、「134.化粧」として掲載されている。

長崎外の古写真考 目録番号:4080 子守をする子供たちと老女

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4080 子守をする子供たちと老女

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4080 子守をする子供たちと老女
〔画像解説〕
子守をしている子供たちは、防寒のために赤ん坊を背負った上にねんねこ半天(はんてん)を着ている。しかし、足袋を履いている子供と素足で草履(ぞうり)を履いている子供がいる。

■ 確認結果

目録番号:4080「子守をする子供たちと老女」は、〔撮影者:F.ベアト〕でないだろうか。
小沢健志氏編「新版 写真で見る 幕末・明治」世界文化社2000年刊168頁に「子供たち 1860年代 ベアト」として掲載されている。同解説は次のとおり。

子供たち 1860年代 ベアト
背景から察すると、冬の日に境内の日向で撮られた光景と思われる。まだあどけない少女の多くが、赤ん坊を背負い、ねんねこ半纏を着ている。この時代、子守の仕事をはじめとして、幼子も貴重な労働力であった。

長崎外の古写真考 目録番号:3962 子供を背負う母親(2) ほか

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3962 子供を背負う母親(2) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3962 子供を背負う母親(2)
〔画像解説〕
子供を背負った母親は、長着に羽織を着ている。背負われた子供は、袖に紋(もん)のついた晴れ着を着ていることから、祝い事と思われる。

目録番号:4062 子供を背負う母親(3)   (同写真 掲載略)

目録番号:4896 子供を背負う母親(4)
〔画像解説〕
子供を背負った母親は、長着に羽織を着ている。背負われた子供は、袖に紋(もん)のついた晴れ着を着ていることから、祝い事と思われる。

■ 確認結果

目録番号:3962「子供を背負う母親(2)」と、目録番号:4062「子供を背負う母親(3)」(同写真 掲載略)は、次の目録番号:4896「子供を背負う母親(4)」のとおり、〔撮影者:F.ベアト〕である。
横浜開港資料館編「F.ベアト写真集1−幕末日本の風景と人びと」明石書店2006年刊162頁に、「226.母と子」として掲載されている。

長崎外の古写真考 目録番号:1068 米屋と土蔵

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1068 米屋と土蔵

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1068 米屋と土蔵
〔画像解説〕
土蔵造りの二階建ての米屋と土蔵。店先には米俵を乗せた大八車が置かれ、そのまわりには10人程の人が正面を向いて立っている。暖簾には「萬屋」と書かれている。土蔵の扉は2つとも開かれている。

■ 確認結果

目録番号:1068「米屋と土蔵」は、横浜の英字新聞 ファー・イースト Vol.2 No.6 1871/8/16 に掲載された写真である。
資料は、九州大学デジタルアーカイブから。

長崎外の古写真考 目録番号:1065 江ノ島の神社

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1065 江ノ島の神社

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1065 江ノ島の神社
〔画像解説〕
江ノ島神社は仁寿3年(853)慈覚大師により創建されたと伝えられる。日本三大弁財天の一つで、お岩屋と三宮からなる。写真は市寸島比売命を祭る中津宮。

■ 確認結果

目録番号:1065「江ノ島の神社」は、横浜の英字新聞 ファー・イースト Vol.2 No.8 1871/9/16に掲載された写真である。
資料は、九州大学デジタルアーカイブから。

長崎外の古写真考 目録番号: 909 由比ヶ浜からの江ノ島

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 909 由比ヶ浜からの江ノ島

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 909 由比ヶ浜からの江ノ島
〔画像解説〕
由比ヶ浜からの江ノ島とあるが、写っているのは小動岬のようであるから、おそらく手前の七里ヶ浜よりの撮影か。立っている人物は渡し舟の船頭らか。

■ 確認結果

目録番号: 909「由比ヶ浜からの江ノ島」は、横浜の英字新聞 ファー・イースト Vol.2 No.7 
1871/9/1 に掲載された写真である。
資料は、九州大学デジタルアーカイブから。