三和の散策 (2) 元宮公園 長崎市布巻町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(2)は、布巻の元宮公園と展望台。
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
元宮公園の衣笠球場、衣笠詳雄氏書「忍耐」碑、三和公民館の衣笠氏展示物、ふるさとの森ゲート、元宮公園展望台の風景
三和の散策 (2) 元宮公園 長崎市布巻町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(2)は、布巻の元宮公園と展望台。
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
元宮公園の衣笠球場、衣笠詳雄氏書「忍耐」碑、三和公民館の衣笠氏展示物、ふるさとの森ゲート、元宮公園展望台の風景
三和の散策 (1) 布巻の風景・史跡 長崎市布巻町
長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
三和の散策(1)は、布巻の風景・史跡。元宮公園は次項へ。
国道499号線栄上交差点、さんわ南蛮ボード、長崎市三和行政センター、三和公民館の展示物(萬延元年蚊焼村彩色絵図・明治32年建脇岬村路標石)、農水産物直売所みさき駅さんわ、医療法人清潮会三和中央病院、野母半島サイクリング道路の水場、平山台を望む、布巻の摩梨支天、社会福祉法人みのり会三和みのり園、寺岳登山口、寺岳の利作岩、長崎市健康づくりセンターと光明石温泉「阿池姫の湯」
波戸の桜並木と元宮公園・椿が丘の桜 長崎市蚊焼町外
長崎市三和界隈の桜紀行。前項で川原大池公園を載せた。次に波戸の桜並木と元宮公園・椿が丘団地入口の桜を訪ねる。
写真 1〜10 波戸の桜並木道 (蚊焼町)
蚊焼から岳路へ今の国道は、蚊焼の地蔵寺前を通る。「岳路みさき道」もほぼ同じであって、蚊焼大川沿いに遡った。しかし、波戸から南百合崎を越し、海岸沿いの丘陵を岳路へ行く道もあった。春は桜並木が美しい。カーブの多い道。今は市道折山線となり、町認定は昭和40年である。くじら浜やホテルPALKO前へ出る。
この入口に「櫻御前」と刻んだ珍しい石祠がある。正面「櫻御前」、右面「明治廿四年十一月」、左面「桑原幸松 立之」とある。桜並木と何か関係ないか、高崎先生に生前、聞いたことがあったが、由来はわからなかった。
2007年8月記事を参照。https://misakimichi.com/archives/190
道の桜は、もう老木が多い。15本ほど残っているが、2本はまだ樹勢が良い。大きく枝を広げ、花をつけていた。
写真 11〜19 元宮公園の桜 (布巻町)
三和行政センターがある栄上交差点の1つ手前に、「元宮公園」入口バス停がある。橋を渡ると、大川沿いに衣笠球場にかけての道脇に桜が多く植えられている。上の高台は「ふるさとの森」。展望台やアスレチック広場がある。
三和町の歩みによると、昭和61年(1986)元宮公園多目的広場及びテニスコートが完成。昭和63年(1988)元宮公園の完成を記念し、『鉄人』衣笠祥雄氏が来町。多目的広場を「衣笠球場」と命名。平成6年(1994)元宮公園ふるさとの森ピクニック広場完成。植樹はこの頃か。
写真 20 椿が丘団地入口の桜 (椿が丘町)
椿が丘団地は、昭和52年完成。約400世帯。現在、団地入口は桜の名所となっている。これは、昭和56年に住民の手で130本の桜を植樹した成果である(さんわの足跡30頁)。
県道34号線沿い (5)川原・為石・藤田尾・千々の風景
平成21年3月27日、長崎半島東海岸沿いの県道34号線により川原大池公園から茂木の北浦海岸まで行く。途中で見た風景。
(5)は、住吉神社の大楠(市指定天然記念物)、トトロのバス停、蛇紋岩の円礫浜、為石大橋の架橋現場、休業の佐助寿司、県道分岐の標識、海岸のアコウ、為石漁港と集落、干藤トンネル、干藤小学校跡、ニッ岳崎、千々海岸と集落、桜の無人販売所、カラフル枇杷の木、猿岳と千々川、千々の第64番霊場、塩竈神社と楠、千々バス終点、千々海岸と集落、猿岳と小八郎岳、長崎市立南小・中学校
川原大池公園の桜 長崎市宮崎町
長崎地方は、きよう3月27日が桜の満開日である。自宅近くの桜の名所、野母半島県立公園の川原大池へ行く。展望台のところに植樹されている。人はまばら。静かな散策ができる。
後ろの写真は、海水浴場手前の長崎市立川原小学校と対岸の高台から見た川原大池の全景。2007年8月の記事は、https://misakimichi.com/archives/147
長崎さるくマップブック83頁の三和界隈「川原大池」の説明は次のとおり。
川原大池
広さ約13ha、周囲約1.9km、最大水深約9mの淡水湖です。池には鯉、フナなどの淡水魚が生息し、湖岸には九州西部北限のハマナツメなどの樹林が広がっています。公園一帯は野母半島県立公園の中心地にあたり、社叢(しゃそう)一帯は県指定天然記念物の樹林地帯です。
野母の大立神灯台 長崎市野母町
長崎半島の南端、野母の大立神灯台は、権現山展望公園下の海面に突き出た「大立神岩」に立つ。展望公園に登る途中から見えるが、海岸へ近寄って写した写真は見当たらない。
権現山展望公園へ以前は、野母バス停から野母小学校前を通り登っていたが、最近、野母崎病院前から海岸沿いを上がる新しい道路が開通し、案内標識の矢印を変えている。
3月20日WBC観戦後、午後3時頃に野母へ行った。葉山神社先の野母終末処理場から海岸へ降りたら、ちょうど干潮時だった。大立神岩まで海岸伝いに歩いてみた。砂浜が多く、1時間ほどで着く。切り立った岩礁は高さ約18m。取り付け階段が手前側に見える。
「小立神岩」という岩もあり、これは海岸へ降りたすぐ近くの岩礁であろう。対岸は、脇岬海水浴場や樺島大橋、樺島灯台の景色となる。500m歩くと水場とタイル跡がある。
HP「日本の灯台」による説明は、次のとおり。
都道府県別 長崎県 ●6351 大立神灯台 [O^tategami]
位置 [Lat/Long] 九州西岸 北緯 32°34′ 01″, 東経 129°44′ 26″
塗色及び構造 [Colour, Structure] 白色 塔形 [White, Tower]
等級及び灯質 [Class, Characteristic] 単閃白光 毎3秒に1閃光 [Fl W 3s]
光度 [Luminous Intensity(Cd)] 500カンデラ (8M)
光達距離 [Range(M)] 12海里
高さ [Tower Height, Focal Plane Height] 地上〜頂部:6.6m、水面〜灯火:30m
初点灯 [Commissioning Date] 昭和46年1月29日 [1.29.1971]
管理事務所 [Office] 第七管区海上保安本部 長崎航路標識事務所
伊能忠敬研究会HPの「伊能忠敬測量日記」による関係記録は次のとおり。忠敬の足取りどおり歩いたようだ。
文化10年9月9日 (西暦1813年10月2日)
…元庄屋の岩永行助宅で昼休み。又、今朝横切った後浜のウの印より初めて、沿海を逆に測る。右に三十間斗(55mほど)引き込んで浄土宗蔵徳寺。左に小立岩(小立神岩)。但し三町斗(327.27mほど)沖。大立神。高さ十間斗(18mほど)の尖った岩。野母崎の内、字門ノ口。又、大絶壁で風と波が強くて測量が難しくなったので、サの印を残して沿海を逆に測る。二十七町六間(2,956.36m)。沿海を順と逆に合計一里十六町九間(5,686.09m)。横に一町四十二間(185.45m)。…
樺 島 (2) 長崎市野母崎樺島町
長崎半島の最南端の樺島へ行く。樺島大橋は昭和61年(1986)1月開通。すでに各項にもあるが、島めぐりの見所をまとめる。
(1)は、樺島全景、渡海船桟橋跡、樺島大橋、赤灯台、樺島漁港、樺島バス終点、無量寺、大うなぎ井戸、熊野神社のあこう、弘法寺、金比羅神社、樺島小学校
(2)は、樺島灯台への道、樺島灯台公園と資料館、行者山神社、地下ダム、樺島灯台点灯
樺 島 (1) 長崎市野母崎樺島町
長崎半島の最南端の樺島へ行く。樺島大橋は昭和61年(1986)1月開通。すでに各項にもあるが、島めぐりの見所をまとめる。
(1)は、樺島全景、渡海船桟橋跡、樺島大橋、赤灯台、樺島漁港、樺島バス終点、無量寺、大うなぎ井戸、熊野神社のあこう、弘法寺、金比羅神社、樺島小学校
(2)は、樺島灯台への道、樺島灯台公園と資料館、行者山神社、地下ダム、樺島灯台点灯
蚊焼漁港と赤土海岸 長崎市蚊焼町・大籠町
立春を過ぎたおだやかな日和の午後。長崎半島中部の西側海岸、岳路から赤土まで行く。長崎を遠く離れている方から、「くじら浜」や「赤土海岸」の現況を尋ねられていた。
石祠は桜御前の銘、赤い建物はOKエンタープライズ研修施設跡、赤煉瓦煙突は製塩所跡。
前の項に、岳路海岸とくじら浜。
岳路海岸とくじら浜 長崎市蚊焼町
立春を過ぎたおだやかな日和の午後。長崎半島中部の西側海岸、岳路から赤土まで行く。長崎を遠く離れている方から、「くじら浜」や「赤土海岸」の現況を尋ねられていた。
海岸洞穴は海水浴場の北側の浜にある。くじら浜はホテルPARCO先から下る。マリン施設が1軒、時季だけ開業。
次の項に、蚊焼漁港と赤土海岸。