蚊焼波戸の桜並木道と桜御前の石祠

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

蚊焼波戸の桜並木道と桜御前の石祠

三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊の749頁、その他の信仰「蚊焼の石仏」において、高崎一郎先生は「桜御前」の石祠について、次のようにふれられている。

蚊焼には、石仏が数多く点在する。年代を見ると余り古いものは見当らず、年代不詳のものが多いが、どうしてこうも多いのか、江戸末期近く一つのブームにのって盛んになったものであろうと思われる。…
石仏の種類も様々で地蔵菩薩・観世音菩薩・阿弥陀仏の外に水神としての守り神や、恵比須様、摩利支天、天神様、それに何々家先祖神など数えるにいとまがない。中には桜御前と称するものも数か所にあり、応仁御前と呼ばれる碑石もある。

石祠一覧には、波戸にある明治二四年一一月、桑原幸松建立のものと、小家にある昭和八年七月、桑原弥太郎建立のものの2基が載せられている。小家のはまだ訪ねたことはないが、波戸のは最初見たときから、気が惹かれた。まず「桜御前」という碑名とその建っている場所である。

蚊焼から岳路へ今の国道は、蚊焼大川沿いに行く。「岳路みさき道」もほぼ同じである。しかし、波戸から南百合崎を越し、海岸沿いの丘陵を岳路へ行く道もあった。春は桜並木が美しい。カーブの多い道。今は町道折山線となり、昭和40年認定である。
この入口に「桜御前」の石祠は建つ。「桜御前」の名も桜並木と何か関係はないだろうか。高崎先生に聞いたが、由緒はよくわからなかった。

HPでは興味深い話があった。静岡県森町には「桜姫」の石碑がある。桜姫は藤原中納言の奥方となったが、保元の乱に敗れ中納言は島流しされ、姫は都に子を残し尼となって旅に出た。最後は森町に庵を結び亡くなった遺徳を偲ぶ。
福島県郡山市には赤津「御前桜」の伝説がある。京の公家の姫が人買いにさらわれ、この地に連れて来られた。慣れない下女仕事に耐えかね、望郷のあまり、桜を手折り挿し木して「帰ることが叶わぬならば根付くな!」と我が運命を占ったところ、春には花が咲き、姫は京から迎えの人たちと無事帰ることができたという。
蚊焼の「桜御前」石祠も、いずれに関係するのか。調べればおもしろい話となりそうである。