長崎の巨樹・名木 (長崎市)」カテゴリーアーカイブ

諏訪神社神域のクスノキ  長崎市上西山町

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諏訪神社神域のクスノキ  長崎市上西山町

「諏訪の森のクスノキなどの巨木」は、2007年12月の次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/461
前から気にしているのは、諏訪神社の本殿左奥に高くそびえるクスノキの大木。2本見えるが、神域内で中へ入れない。
噴水池から上手の六角堂へ登る遊歩道へ行くと、神域の高い塀越しに根元が覗かれる。幹囲はかなりあるようだが、確認できない。

諏訪の森の数あるクスノキで、どの木が幹囲が一番大きいか。はっきり書いたものが見当たらない。どなたか調べたか、長崎県生物学会などの資料があったら教えてもらいたい。市内全域のクスノキの巨木についても、10位くらいまで知りたい。

長崎版ギネスブック作成委員会編「長崎なんでもNo.1 〜これが長崎初のギネスブックだ!〜」昭和63年刊113・115頁は次のとおりであるが、宮摺町竃神社の大クスなどが洩れ、正しい情報となってない。大徳寺のも長崎県一とされない。
・樹齢が高い木
1.大徳寺の大クス       樹齢 約八百年。長崎県一。
2.山王神社の大クス・岩屋神社のスギ群  樹齢約三百年
・周囲が大きい木
1.大徳寺の大クス       目通り幹周り  12.55m
2.矢上八幡神社の大クス(北側)        10.05m
3.山王神社の大クス                 8.05m
・背が高い木
1.松森神社のクスノキ                25m
2.太田尾の大クス・観善寺の大クス       20m

太田尾のアコウ群落とクスノキ  長崎市太田尾町

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太田尾のアコウ群落とクスノキ  長崎市太田尾町

長崎市茂木北部、甑岩裏の太田尾町。県道34号野母崎宿線の沿道にある市指定天然記念物「太田尾の大クス」は次項を参照。 https://misakimichi.com/archives/168
先日、先輩の水彩画家松林氏から、太田尾にアコウの大木があると聞いた。氏のHP「松林重宗水彩ギャラリー」に作品を載せているという。最初の絵がそれである。
見た覚えがある。大クスは、2007年8月の記事で、大クスを訪ねた際、太田尾の海岸でアコウも見て、写真を写してきていたのに、掲載を失念していた。

きのう3月21日に太田尾町を再訪。アコウの群落がある所は、海岸へ下ったバス終点から右の埋立地グランドの方へ向かう。橘湾に面した防波堤道路の終わりまで約150mの区間に、アコウの大木が10本近く並んでいる。防風林として植えられたものであろう。
海岸通りの奥の方のが一番大きい。住家入口の石垣の上に生え、幹囲8m位。上部で6本ほどの支幹に分かれている。

バス終点に戻り集落の左手(南方)を眺めると、こんもりした木があった。電柱横に大幹が斜めになって良く見える。これもアコウかと根元へ行ったら、クスノキだった。「山の神」の小さな石祠が祀られている。幹囲は約5m。上部で2本に分かれ、直立した方は4mほど上で折れていた。
県道沿いの市指定天然記念物の大クスに比べると、やはり小さい。

上丹馬のエノキ  長崎市香焼町

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上丹馬のエノキ  長崎市香焼町

長崎市香焼町の豊前坊社と岩立神社のエノキが、ともに樹高約20m、根回り約4mで、樹齢約200年と推定され、町当時から引き続き長崎市指定天然記念物になっている。
香焼にこれより大きいと思われるエノキを見かけた。豊前坊社前のエノキの車道反対側、左下となる。

上丹馬バス停から安保トンネルの安保側出口へ下る車道があり、しばらく行くと、カーブ地点の手前右斜面地にある。上は浜浦宅で、犬が吠える。エノキが2本あり、下が目通り幹囲2m、上が同幹囲4mはあると思われる。急な斜面地に根を張り、計測ができない。根を見せているためか、大きく感じる。
この手前の車道右脇には大きな岩があり、くりぬいた小さな穴に地蔵が祀られ、アコウの大木が横たわって生えていた。水場だったようである。

エノキの大木は、式見小学校のが別格、幹囲5.8m(高さ1.7mで3本の幹に分かれる)で一番大きく、市指定天然記念物になっている。香焼の幹囲4mほどなら、高浜海水浴場右側の川畔に防風林として植えられた老木の大木がある。蚊焼漁港にも大木がある。
次を参照。 https://misakimichi.com/archives/436
https://misakimichi.com/archives/538
後ろの2枚が、高浜海水浴場近くと蚊焼漁港のエノキ。幹囲はそれぞれ4.0mあった。

イチョウも大音寺墓地のが、市内一の大木とされ、市指定天然記念物になっているが、茂木の玉台寺境内の方のが、幹囲は大きいと思われる。
次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1514
地区によって天然記念物指定の不均衡とならないよう、専門家・関係者による正確な調査をお願いしたい。私の間違いがあるかも知れない。一応、紹介しておく。

岩立神社のエノキ  長崎市香焼町

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岩立神社のエノキ  長崎市香焼町

香焼行政センター前バス停から円福寺の参道入口鳥居の方へ行き、石段を登って行くと中段くらいの左方に児童公園があり、奥が岩立神社である。
岩立権現(神社)と称し、延宝2年(1674)頃に建立されたと伝承される神社。従来、村社といわれ、毎年10月17日が大祭で、昔は宮相撲で賑わったそうである。
指定のエノキは神殿の右高台に立つ。境内には外に4〜5本のエノキの大木があった。

円福寺から上丹馬まで上がると、豊前坊社鳥居横にも、旧「町の木」のモデルとなった同じ幹回りのエノキの大木がある。後ろの4枚の写真がそれ。
豊前坊社のエノキは、次項を参照。 https://misakimichi.com/archives/191
双方とも、旧町指定平成8年5月23日、市指定平成17年8月22日だったが、岩立神社のは知らず、紹介もれとなっていた。
長崎市教育委員会「文化財めぐり 香焼地区の文化財」平成19年1月発行による説明は次のとおり。
岩立神社のエノキ (市指定天然記念物)

エノキは、ニレ科の落葉高木です。岩立神社のエノキは、樹齢約200年(推定)で、樹高約20m、幹回り約4mを測り、岩立神社の境内で最も古い木であり、樹勢も旺盛です。
側に香焼村が明治31年(1839)に深堀村から分村したことを記念して大正2年(1913)に建立された記念碑があります。

西教寺裏のアコウ  長崎市為石町

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西教寺裏のアコウ  長崎市為石町

長崎市為石町の海岸通り。市為石地区公民館の先。藤田尾方面へ行く県道34号線登り口左側に見える坂田宅のエノキとその手前のアコウを、巨木ではないが、次により紹介している。
エノキは、採られて枯れたようだ。https://misakimichi.com/archives/492

為石町にアコウは、あと1本、大木があった。市為石地区公民館の今度は裏手の方、「西教寺」がある。寺の裏の左側、コンクリートで固めた斜面崖に大木が見える。大川橋側の墓地から見て、前から気づいていたが、近くに行って見ると、アコウの大木であった。
海岸通りのアコウより大きい。幹囲6m、上幹が伐られて樹高10mほど。不気味な姿で斜面崖に大きく根を張っていた。最後の写真が、海岸通りのアコウ。

西出津のツバキ  長崎市西出津町

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西出津のツバキ  長崎市西出津町

長崎市藤田尾町のツバキの大幹の方が、実測すると幹囲1.80mほどあり、長崎市指定天然記念物となっている。このようなツバキの大木がないか、各地を気をつけて見ているが、なかなか見当たらない。
このツバキは、西出津町の道路沿いにあった。出津教会からゆうこうの里の方へ車道を行く。途中の分岐から新屋敷へ少し入った所にあった。
幹囲1.3m、樹高10mほど。ツバキとしては大きな木であろう。花の付きは悪かった。

徳道の「みさき道」沿いに「ゆうこう」の木があった  長崎市以下宿町

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徳道の「みさき道」沿いに「ゆうこう」の木があった  長崎市以下宿町

「みさき道」の徳道車道三叉路に、「長嵜ヨリ五里」「御嵜ヨリ二里」の大きな里程道塚がある。
柚の新種「ゆうこう」の木が、新たに見つかった場所は、道塚から300mほど車道を野母崎ゴルフ場裏門口の方へ向かって行った所。
広い水仙畑を過ぎると、右手に高い杉木立があり、脇に畑小屋の白い建物が見える。ここは枇杷や八朔の畑となっており、杉の後ろ枇杷の木との間に挟まれ、「ゆうこう」の木があった。

2009年1月15日付長崎新聞「あの人この人」に、”謎のかんきつ類を追う”とし「ゆうこう調査に情熱を傾ける」川上氏が載った。「ゆうこう」は、彼が新種発見のきっかけをつくった。
昨年10月、伝統的な食文化を守ろうとスローフード協会国際本部(イタリア)が進める「味の方舟」計画の認定品目となり、トリノ大会へ行った。
長崎県内を主に、自生樹の分布を丹念に調査しており、現在では120本余りを確認している。新聞を見た人から新たな情報が五島などからも寄せられ、今回、「ゆうこう」が徳道の「みさき道」沿いにもあることがわかった。

彼も私も「みさき道」歩きなどで、この道は良く通る。これまで気づかなかったのは、進行方向の逆で、あまり振り返らない。高い杉の後ろとなり、枇杷に隠れていたためであろう。畑の周りは八朔が植えられ、その観念しかなかった。
畑の所有者から今回、川上氏へ連絡が入り、彼が教えてくれた。先々代が種で植えたそうだ。
今の時季は「ゆうこう」が確認しやすい。徳道の現地の畑へ行くと、黄色い小ぶりな実が太陽の光に映えていた。幹囲70cm、樹高8mほど。
昨年1月、この木と思われるブログ記事が、実は次の山歩き記事にあった。その時に場所をよく聞いておいたら良かったのに、そのままとしていた。
参 照  http://blogs.yahoo.co.jp/sumiretyannn/1460410.html
今となっては、同じ場所の木なら、その方と山歩きの会に対し、たいへん申し訳ない。

徳道から帰りは、黒浜トンネル口へ出た。急なカーブの車道を下って行くと、軍艦島と海が見えてくる。ここの斜面の畑にも「ゆうこう」の木があった。幹囲90cmと60cmの2本。樹高7m位。
川上氏へ知らせたら、ここの木はすでに彼のリストに登載済みであった。2007年12月に見つけている。もう少し下るとダンプカー駐車場の横にもう1本あり、雑木の中で高いためわかりにくいらしい。

本蓮寺のオオカナメモチ(テツリン)とムクノキ  長崎市筑後町

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本蓮寺のオオカナメモチ(テツリン)とムクノキ  長崎市筑後町

本蓮寺は、JR長崎駅近く筑後町の高台にある。元和6年(1620)、大村本経寺の僧・日彗によって建立された日蓮宗の寺院。寺町界隈にある晧台寺、大音寺と共に長崎三大寺といわれていたが、原爆で全焼。現在の本堂は昭和30年(1955)に再建された。

本堂の右脇に、大きく根を張り、多くの支幹をつけているのが、”テツリン”と呼ばれる「オオカナメモチ」で、寺で大事にされている古木である。植物図鑑による説明は次のとおり。
本堂裏の山手斜面には、同寺の広い墓地があり港が見える。中段に大木が1本立つ。ムクノキで、幹囲3.5m、高さ12mほどあった。まだ枯れてないようだ。
いずれも原爆の業火に遭いながら、生き残った木である。

【バラ科 カナメモチ属】  オオカナメモチ  Photinia serrulata

【 大要黐 】 別名 / テツリンジュ
●常緑高木 ●高さ:4〜6m ときに10m ●花期:5〜6月 ●果期:10〜11月 ●分布:本州(岡山県),四国(愛媛県),九州(奄美諸島),沖縄(西表島)
参考文献:「山渓ハンディ図鑑3 樹に咲く花 離弁花①」(山と渓谷社) P653

●見分けるポイント●
カナメモチに比べて,葉の形状はよく似ているが,はるかに大きい。オオカナメモチが10〜20cm,カナメモチは6〜12cmと,2倍にちかい大きさ。
●豆知識●
生け垣に利用されるレットロビンは,カナメモチとオオカナメモチの雑種。
「○○モチ」と名があるが,モチノキ科ではない。

藤田尾のツバキ (2)  長崎市藤田尾町

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藤田尾のツバキ (2)  長崎市藤田尾町

長崎市指定天然記念物「藤田尾のツバキ」は、2007年8月の次記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/220
市内で最大のヤブツバキの木。前の記事は花の写真を添えてなく、ツバキの花が咲いた頃と思い、先日1月7日夕方、自宅から近いので見に行った。

古木のため花がつかないのか、海岸近く風あたりが強く蕾が落ちるのか、花はまったくついていない。先端の枝にかろうじてついていた花を写してきた。
幹囲は今回計測すると、説明板がある上方の木の大幹が1.8m、海岸側30mほど下方の木は1.6mくらいあった。現地説明板は、次のとおり新しくなっていた。

市指定天然記念物  藤田尾のヤブツバキ

指定年月日  平成17年8月22日(旧町指定年月日 平成元年3月16日)
所在地  長崎市藤田尾町472番地
樹齢約300年(推定)、樹高約11m、根回り約2.8mを測る。根元より幹は2つに分かれ、地上約2mのところから大枝を出している。樹勢は極めて旺盛である。
この地域はヤブツバキの古木が多く、その中でもこの木は最大のものである。
長崎市教育委員会 (平成20年2月設置)

最初の「藤田尾」コミュニティーバス停付近と、最後の写真の木はツバキ近くにあるクロガネモチの木。後者の幹囲は2.5mほどある。

裳着神社と玉台寺の「夫婦銀杏」  長崎市茂木町

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裳着神社と玉台寺の「夫婦銀杏」  長崎市茂木町

長崎市茂木町で見た大木として、玉台寺の大イチョウを前項に載せた。裳着神社も史跡の項に載せ、イチョウを写している。この2本の大きな木を、地元では「夫婦銀杏」と呼んでいるという話。

玉台寺のイチョウが大きいのは、寛政4年(1789年)島原の眉山の大爆発のとき漂着した死者を大量土葬した墓地(慰霊碑あり)に生えているから、という話もある。
平野露治氏著「茂木史談」昭和63年刊、第4章名所・旧蹟等42〜43頁による説明は次のとおり。

夫 婦 銀 杏

茂木の町に、四季折々の風情をそえる2本の大きな銀杏の木がある。町の人はこれを、「お宮の銀杏は雄銀杏、お寺の銀杏は雌銀杏」といっている。
お宮というのは、茂木の氏神様裳着神社、お寺というのは松尾山玉台寺のこと。いずれも、寛永3年(1626)の建立で、今から353年前のことになる。別に縁起をかつぐわけではないが、お宮お寺の建立が同じ年、2本の銀杏がまた、樹齢といい、大きさといいほぼ同じで、しかもそれぞれの地にあることなど思い合せて、なにか興味深いものがある。

2本の銀杏の樹齢は、もちろん推定だが、どちらも500年位だろうといわれる。根周りは、お寺の銀杏が5m、お宮の銀杏は4.6mでやや小さい(昭和37年調)。高さは目測で、お寺の方が20〜25m位だが、お宮の方はもっと低い。
だが、樹相というか、その姿となると、お寺の方は堂々とそびえて如何にも男性らしく、お宮の方は横に枝がはって豊満な感じだし、むしろこちらの方が女性を思わせる。学問的事はわからないが、こんなところに自然の愛敬があるのかもしれない。

それにしても、遠い昔の「通い夫」(かよいづま)のように、銀杏の木の精が、小高い裳着神社の地から若菜川を越え町並みを越えて、平地の玉台寺へ飛び、見事に銀杏を実らせる図は、思うだにおおらかで楽しい。
ちなみに、裳着神社は、初め八武者大権現といい、明治初年の神仏分離に改称したものだが、この八武者大権現と同じ年に、同村の各郷の神々の、つまり、田上の山王権現、稲荷大明神、木場の山神、宮摺の三方荒神、大崎の加茂大明神、千々の盟寵大明神が建立されている。