九州(鹿児島県)」カテゴリーアーカイブ

川内一里塚  曽於市末吉町二之方 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

川内一里塚  曽於市末吉町二之方

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。曽於市役所近くから県道503号に入り南東へ進む。川内交差点少し先の県道沿い左側にこの一里塚があるが、民家前の説明板を見落とさないよう進む。

川内一里塚 かわち
曽於市 <今町街道> 一里塚(1基) 江戸期 市史跡 WEB 土塚の基部C擁壁化 4 C

曽於市HPの史跡・文化財による説明は、次のとおり。

川内の一里塚

指定区分:市指定文化財
種別:史跡
指定日:S43.1
所在地:曽於市末吉町二之方2735

末吉町川内にある一里塚で、都城と志布志を結ぶ街道上にあります。都城今町の一里塚から川内一里塚、次は南之郷の坂元一里塚、それから松山を経て志布志に通じています。

新田山橋  曽於市末吉町南之郷 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

新田山橋  曽於市末吉町南之郷

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。曽於市の東部、県道71号が国道222号と合流する手前から南の県道65号へ入る。
愛の里近くから「花房峡いこいの森」入口に左折、すぐ安楽川を渡るところにこの石橋が架かる。

№324  新田山橋

曽於市末吉町南之郷 新田山(しんでんやま)
安楽川
橋長:12.5m  橋幅:6.5m  径間:9.05m  拱矢:4.18m
架橋:大正14年
宇都口橋より県道65号線を少し南下し左下旧道へ進み、すぐ。

付近では、上記HPの次も参照。私は花房製鉄跡の撮影のため通ったので、新田山橋の他は訪ねていない。
新田山橋
http://5.travel-way.net/~niemon/kagosima/sueyosi/sindenyama.html
牧野開田・花房水路橋
http://5.travel-way.net/~niemon/kagosima/sueyosi/hanabusa.html
牧野開田・新田山架け越し水路橋
http://5.travel-way.net/~niemon/kagosima/sueyosi/hanabusakami.html

花房製鉄遺跡  曽於市末吉町南之郷 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

花房製鉄遺跡  曽於市末吉町南之郷

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。曽於市の東部、県道71号が国道222号と合流する手前から南の県道65号へ入る。
愛の里近くから「花房峡いこいの森」入口の方へ左折、すぐ安楽川を渡る石橋「新田山橋」(次記事とする)からいこいの森とは反対側の市道を進む。谷奥の花房集落に曽於市思いやりタクシー花房停留所があり、この下の田の中に製鉄跡の史跡標柱が見える。

花房製鉄遺跡 はなふさ
曽於市 (南之郷) 製鉄炉(なし) 市史跡 WEB 製鉄炉は滅失 南九州特有の石組の竪形製鉄炉/志布志湾の砂鉄と豊富な木材を用いて製鉄が行われた 4 C

曽於市HPの史跡・文化財による説明は、次のとおり。

製鉄所跡

指定区分:市指定文化財
種別:史跡
指定日:S43.1
所在地:曽於市末吉町南之郷

南之郷の新田山の集落を過ぎた花房の田んぼには、かつて製鉄所がありました。製鉄は志布志の浜の砂鉄を馬の背で運び、山林深く木炭が多いこの地において、明治初期まで行われていました。花房ではいつ頃から行われていたのか定かではありませんが、大隅地方では、千年前から行われていたという古記録もあるそうです。現在は、周囲に鉄滓が残っており、その名残を今に伝えています。
また、この一帯から安山・黒仁田、志布志の田ノ浦・四浦にも製鉄所がありました。

垂水千本イチョウ  垂水市新御堂 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

垂水千本イチョウ  垂水市新御堂

ふるさと元気風ネットによる説明は、次のとおり。国道220号垂水市役所前交差点から高峠方向に向かう県道71号の途中にある。
前夜の宿、垂水ベイサイドホテル アザレアから早朝の垂水フェリーの光景も。

垂水千本イチョウ  垂水市

垂水千本イチョウは、国道220号線垂水市役所前交差点を高峠方向に向かう県道71号線の途中にあり(垂水市中央から約3.5km、車で10分)、大隅の観光スポットの一つになっている。このイチョウは、30年ほど前、都会から移り住んできた中馬吉昭さん夫妻が自分の山4.5haの荒れ地を開拓してこの地に植栽したイチョウだ。昭和53年から毎年100本程度植え続け、現在までに1200本程が植えられ、2008年から一般公開されている。イチョウは棚田状の山の斜面に植栽され、上段の高台からは桜島や開聞岳が一望できる景勝の地にある。11月中旬になると深緑の葉が黄色く色づき始め、11月下旬には黄色く染まり、12月になると黄葉のじゅうたん風景が楽しめる。イチョウ園からながめる夕日の景色も風情がある。垂水千本イチョウは鹿児島県景観大勝第一号に認定、垂水世間自然遺産第一号に登録。

元・お長屋の石垣  垂水市田神 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

元・お長屋の石垣  垂水市田神

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。垂水市役所前交差点から県道71号へ入り、2つ目の信号となる中央田神から左折すると垂水小学校に着く。正門右脇にある建物が「お長屋」である。最後の写真は、近くの垂水高校グランド側の同高校旧正門門柱。 

元・お長屋の石垣 おながや
垂水市 (田神)<お長屋> 石垣 長約30m 慶長16(1611) 市史跡 WEB 民具資料館 長さ70㎝ほどの大型矩形石を布積風に積んだ見事な石垣 1 C

鹿児島県の文化財による「お長屋」の説明は、次のとおり。

お長屋 おながや

【所 在 地】垂水市田神145
【種   別】県指定有形文化財(建造物)
【指定年月日】平成26年4月22日
慶長16(1611)年に,林之城(垂水市)を築いたときに建築された城郭関連施設の一種で,規模が正面15間,側面3間と大きく,県内ではほかに類例がない。城郭外周部の石垣上に構築される桁行の長い建物であり,建築様式は,大名屋敷などで家臣の居住用として造られた「長屋」と同種である。用途は,独立した長屋(多聞櫓風 たもんやぐら)で侍詰所であったと考えられる。
本建物は,「長屋」としては鹿児島県下で唯一の遺構であるとともに,慶長期を創建と確認できる木造建築も県内に殆どないことから,たいへん貴重な存在であると言える。
また,近世前期からの永きにわたってこの地に在り続け,近世領主屋敷とその城下である麓集落の景観を維持し続けた貢献度も大きく,その歴史的意義も高い。
垂水市指定史跡(昭和57年3月13日指定)である。
○ 指定基準
建造物の部
建築物,土木構造物及びその他の工作物のうち,次の各号の一に該当し,かつ,各時代又は類型の典型となるもの。
(1) 意匠的に優秀なもの
(2) 技術的に優秀なもの
(3) 歴史的価値の高いもの

一倉の製鉄炉・跡  鹿児島市喜入一倉町 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

一倉の製鉄炉・跡  鹿児島市喜入一倉町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。鹿児島市の南部、喜入一倉町の県道232号沿いに「鹿児島市観光農事公園 グリーンファーム」がある。
製鉄遺跡は、管理棟の南西側下の谷間に所在図のとおりあったが、案内標識が倒れ場所がわかりにくいから、管理棟で聞くこと。水路跡などは雨が降るし、ヤブで降りられなかった。

一倉の製鉄炉・跡 ひとくら
鹿児島市 (喜入)上茶筅松製鉄遺跡の一部 製鉄炉(1基) 石組: 長6m,幅1.8m,高1.4m 江戸末期〜明治初期 市教委/南九州市教育委員会 製鉄炉が遺構として残存(かなり崩ている) 南九州特有の石組の竪形製鉄炉(中近世の韓国の製鉄遺構と類似している、ふいごを使わず水車を用いる点が韓国とは異なる) 3 C

かごしまデジタルミュージアムによる説明は、次のとおり。

資料名:一倉の製鉄炉跡 ひとくらのせいてつろあと

分類:文化財−史跡等
制作年:江戸
地域:喜入方面
所管:国土交通省
解説:
「喜入の森」の南側の2号遊歩道から入った傾斜面に、江戸時代末期から明治初期とみられる溶鉱炉跡の切石の石組みが残されている。周辺には、炭焼きの窯跡や鞴用水車のための水路跡、金池の跡もあり、谷間には多量の鉄滓が堆積している。これは一貫した精錬施設であり、近世の喜入の産業を知るうえで貴重な遺構である。なお、藩政時代からの喜入の海岸は、たたら製鉄のための優良な砂鉄の供給源であった。

山川郷地頭仮屋・跡の石塀  指宿市山川新生町 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

山川郷地頭仮屋・跡の石塀  指宿市山川新生町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。旧山川町役場・現指宿市山川支所敷地が山川郷地頭仮屋跡である。国道269号などにより指宿温泉先の山川中心部まで行く。

山川郷地頭仮屋・跡の石塀 やまがわ
指宿市 <山川郷地頭仮屋> 石塀(布積崩し、山川石) 江戸期 市有形 WEB 山川庁舎 1 C

現地説明板は、次のとおり。

市指定有形文化財 地頭仮屋跡石塀

この旧山川町役場の庁舎を取り囲んでいる石塀は地頭仮屋時代のものです。
地頭仮屋は江戸時代に山川郷の政治をつかさどっていた役所で、曖(あつかい)・横目・組頭の三役が置かれていました。
曖は郷士年寄とも呼ばれ、郷内全般の政務をつかさどり、横目は諸務取次、検察訴訟にあたり、組頭は郷士の指導と仮屋の警備にあたっていました。
現在、北側と南側は殆ど原型を留めていませんが、東側と西側は大部分が残っています。明治初年に地頭職制が廃止されてから、軍政所、学校と変遷をへて今日にいたっています。

平成14年2月1日 指宿市教育委員会

東市来町養母の石敢當  日置市東市来町養母荻 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

東市来町養母の石敢當  日置市東市来町養母荻

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道304号東市来町養母荻の上市来郵便局前交差点から北西上の高台通りへ上がる。荻の観音堂があり、左側の朝隈方溝下角に慶応2年の銘があるリストの石敢當があった。高76cm、幅24cm、厚16cmほど。市道と側溝工事で少し移設しているという地元の話。
右側の寺側へ向かうと、年代のないあと1本の石敢當が石垣に立てかけてあった。高55cm、幅20cm、厚15cmほど。場所がわかりにくいから所在図参照。

東市来町養母の石敢當 ひがしいちき、ようぼ
日置市 (荻) 石敢當 高96㎝,幅24㎝ 慶応2(1866) 市教委 移設→個人宅 (正面)「石散當」 4 C

荻前田橋  日置市東市来町養母荻 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

荻前田橋  日置市東市来町養母荻

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。県道304号東市来町養母荻の上市来郵便局裏側、農協支所前の大里川に架かっている。橋の手前と渡った先に大きな架橋記念碑が2つある。

№798  荻前田橋

日置市東市来町養母
市指定有形文化財
大里川
橋長:21.6m  橋幅:5.5m  径間:8.2m  拱矢:4.2m
架設:昭和6年
平石橋から県道309号線に戻り、北西に1.9Km進むと右手に見えます。

荻の荻前田橋
「荻前田橋は、長さ21.6m、幅5.4m、高さ5.65mである。
高さ1.72m、横73cm、厚さ52cmの大きな架橋記念碑に、
起工 昭和六年二月八日
竣工 昭和六年四月二十三日
総工費 弐千六百五円
夫役延日数 弐千参百四拾五日
部落戸数 壱百拾戸
浩司委員長 宮内貞夫
会計主任 米澤與七郎
監督 田丸佐吉  宮内才ニ
久保與兵衛 恒吉森左ヱ門
監督兼設計者 松山利行
と刻まれている。
昭和62年8月20日、有形文化財として町の指定を受けている。
現在、二連アーチ式石橋は、ここのみである。」
日置市教育委員会

樋之口(たいのくち)橋  日置市東市来町養母荻 ( 鹿児島県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

樋之口(たいのくち)橋  日置市東市来町養母荻

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。県道304号東市来町養母荻の上市来小学校前を過ぎた左側の大里川に架かっている。橋を渡った先に架橋記念碑があった。

№801  樋之口(たいのくち)橋

東市来町荻
大里川
橋長:12.7m  橋幅:4.6m  径間:11.9m  拱矢:4.8m
架設:昭和2年
飯牟礼橋から県道304号線を荻前田橋まで戻る。さらに150m先を左折、400m先右手に架かっています。