九州(沖 縄 県)」カテゴリーアーカイブ

アーヌカー(東の井戸)・東の大門・ザー(座) ・シダディムトウ  宮古島市平良字狩俣 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

アーヌカー(東の井戸)・東の大門・ザー(座)・シダディムトウ  宮古島市平良字狩俣

県道230号の狩俣集落入口、狩俣小学校前右手側とその奥で見たアーヌカー(東の井戸)・東の大門・ザー(座)・シダディムトウなど。狩俣自治会独自指定の歴史民俗文化財などである。内容は説明板のとおり。

狩俣遠見番所と方位石  宮古島市平良狩俣 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

狩俣遠見番所と方位石  宮古島市平良狩俣

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。宮古島市の市街地から県道83号、県道230号により宮古島の北部、狩俣へ向かう。狩俣小学校前の市道へ右折、奥まで行くと史跡案内板があり、海岸の見える高台へ上がる。右手水道施設後ろ側に「狩俣遠見番所」と「方位石」が残る。
高台へ出て反対の左へ少し行くと、「ティンドウ(天堂)」なる石積みの史跡がある。狩俣には「四島の主の墓」といわれている墓が四ヶ所ある。これはそのうちの1つである。地元民は番所「のろし台」と言っているが、真偽は不明。 

狩俣遠見番所 かりまた
宮古島市(宮古島) 狩俣集落後方の海岸線に沿った丘陵上 遠見台、火番盛 (方形) 1644年以降 国史跡 現地解説板/WEB 明治末まで使われていたため保存状態が悪く、矩形の番所跡が、かろうじて推測できる程度 先島諸島の火番盛群/大神島がよく見える/残る石塁は不規則/方位石(別項目)が残る 4 B

狩俣遠見番所の方位石(ピャイイス) かりまた
宮古島市(宮古島) <狩俣遠見番所> 方角石(円形) 1644年以降 国史跡 現地解説板 石灰岩のため風化が目立つ 宮古島周辺の遠見番所には方位石が付随しているものが複数あるが、その中で最も明確な形で残る/日本最古の方角石の1つ(これまで国内最古と言われてきた「大的矢の初代方角石」もしくは「輪島の日和山方角石」より半世紀は古い) 2 A

宮古島市HPの宮古島市の文化財 > 国関係 による説明は、次のとおり。

国指定史跡 先島諸島火番盛(遠見番所)  指定年月日: 平成19(2007)年3月23日
狩俣遠見番所
狩俣集落後方の丘陵上にあって、方位を刻した円柱形のピャイイス(方位石)が設置されている。そこは明治の末頃まで「遠見番屋」(壁・石積・屋根瓦・約3坪)が遺されていた。この遠見は主として沖縄本島を往還する上国船、漂流船の発見・監視など、広く海上警備の役割を果たしていた。
伝承によれば、この遠見には遠見番が日夜、交替で海上の監視にあたり、船影を発見すると、すぐさまブンミャー(村番所)の役人に連絡をとったという。ブンミャーにはソーカツ(総聞)、ユーサズ等の役人が詰めていて、船影発見の連絡を受けると急ぎ、集落の庶民をピャーツカイ(伝令)として蔵元へ走らせたと言われている。

島尻のマングローブ林  宮古島市平良字島尻 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

島尻のマングローブ林  宮古島市平良字島尻

宮古島市HPの宮古島市の文化財 > 名勝・天然記念物による説明は、次のとおり。県道230号に戻り、しばらく北上すると、「島尻のマングローブ林」入口の案内標識があり、右折する。島尻集落へ戻り気味に、ばたらす橋の先まで行くと、この橋が架かる入江に「島尻のマングローブ林」がある。駐車場・散策路は少し奥へ入る。
実際は、池間島からの帰りに寄ったので、夕方となり日照が悪かった。

市指定天然記念物 島尻のマングローブ林(りん)  指定年月日: 平成12(2000)年2月14日
マングローブ林は熱帯、亜熱帯地方の海岸や河口の汽水域(海水と淡水が混ざり合う水域)の泥土に生育する常緑低木一高木の一群である。日本では南西諸島に数種が分布し、鹿児島県喜入が北限とされている。沖縄県内では、4科6種が分布し、八重山6種、宮古5種、沖縄本島4種の分布が確認されている。
島尻のマングローブ林は、奥行き約1kmの入江(バタラズ)に発達し、宮古諸島内で最大規模の群落を形成しており、ヤエヤマヒルギ、オヒルギ、メヒルギ、ヒルギモドキおよび宮古を北限とするヒルギダマシの3科5種が確認されている。宮古に分布するすべてのマングローブが観察でき、河川のない地域で群生を発達させて植物地理学上重要である。
マングローブ林は「海の森」とも呼ばれ、特殊な生態系を持つ。その生態系内の「食物連鎖」を児童・生徒が学習するのに最適な場所でもあり、環境保全の面からも適切に保護する必要がある。

島尻遠見番所と方位石  宮古島市平良字島尻 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

島尻遠見番所と方位石  宮古島市平良字島尻

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。宮古島市の市街地から県道83号、県道230号により宮古島の北部、島尻へ向かう。県道の島尻入口から右折すると、集落内に島尻購売店がある。バス停前から黄線矢印のとおり進むと、「島尻遠見番所」の史跡説明板があり、高台へ上がる。
説明板にある「方位石」は、番所跡の残った石垣の間にあった丸い刻みのこの石だろう。 

島尻遠見番所 しまじり
宮古島市(宮古島) 島尻集落北東部の丘陵上 遠見台、火番盛 (方形) 海側を石塁,陸側を石垣とした矩形の番所跡 1644年以降 国史跡 現地解説板/WEB 矩形の番所跡が、割と明確に推測できる状態 先島諸島の火番盛群/石積は小規模 3 B

島尻遠見番所の方位石 しまじり
宮古島市(宮古島) <島尻遠見番所> 方角石(円形) 1644年以降 国史跡 現地解説板 石灰岩のため風化が目立つ 同上/ただし、形態から方位石と推定できる程度 3 B

宮古島市HPの宮古島市の文化財 > 国関係 による説明は、次のとおり。

国指定史跡 先島諸島火番盛(遠見番所)  指定年月日: 平成19(2007)年3月23日
島尻遠見番所
島尻遠見台は島尻集落北東部の丘陵上にあり、方位を刻した針石(方位石)が設置されている。この遠見台には数名の遠見番が交代で任務に就き、近海を通過する上国船や進貢船、異国船の位置を蔵元へ報告したと言われている。

サバウツガー(鯖沖井)   宮古島市伊良部字前里添 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

サバウツガー(鯖沖井)  宮古島市伊良部字前里添

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。県道90号などにより伊良部島の東、佐良浜交差点まで行くと、少し北の海岸側へ進む「サバウツガー」の案内標識があり、展望台から下の石段を下る。 

サバウツガー(鯖沖井)
宮古島市(伊良部島) 石積井(海岸崖下の湧水) 径1.5m,深4.5m 1720年 市史跡 現地解説板/WEB 昭和41まで生活用水として使用/新規に階段が整備されアクセスが容易 宮古島に多い海岸崖下タイプ/池間島からの強制移住させられた佐良浜の人々の生活用水として240年にわたり使われてきた井戸→丘陵上から崖下の海岸まで124段の簡易な石段で降りる大変な労働だった/円形に丁寧に積まれた石 2 B   宮古島市HPの宮古島市の文化財 > 史跡1〜25による説明は、次のとおり。

市指定史跡 サバウツガー  指定年月日: 昭和50(1975)年8月1日
直径1.5m、深さ4.5mの石積みの井戸とその周辺地域、それに、井戸までの階段も含めて指定されています。 昭和41年8月の簡易水道が敷設されるまで、240年以上の佐良浜の人達の生活用水として活用されてきた井戸です。
名前の由来は、池間島から見た地形が鮫(サメ)の口に似ていることからサバウツと名付けられたものと考えられます。サバウツガーまでの石段は124段あったと言われています。
井戸を発見したのは、「ミャーギ立の金大主」と「フッズゥーの松大主」の二人で、サバウツバンタ(バナタ)での野良仕事の合間に、水の音を聞き、発見したと言われていますが、潮により、塩辛さがことなり、飲料水としては適していません。
鍛冶技術や石工技術を知る上からも貴重な史跡です。

アラガー  宮古島市伊良部字佐和田 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

アラガー  宮古島市伊良部字佐和田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。県道204号により伊良部島の北西となる字佐和田まで行く。集落内に入りスーパーみなみの近くに「アラガ—」があるが、荒れて場所がわかりにくいから、所在図を参照。 

アラガー
宮古島市(伊良部島) 石積井(円形) 径1.8m,深4-4.5m 近世以前?→近世(大親時代)の改修 市史跡 現地解説板/WEB 周囲が高い柵で覆われ、内部は放置状態なので、視認不可能 鳩が雑木林に出入りしていることから発見されたという伝承にちなんで、「鳩見付きカー」とも呼ばれる 4 C

宮古島市HPの宮古島市の文化財 > 史跡1〜25による説明は、次のとおり。

市指定史跡 アラガー  指定年月日: 昭和55(1980)年6月26日
字佐和田の西側にあり、佐和田ではもっとも古い井戸です。
縦8m、横6m程の敷地に直径1.8m、深さ4〜4.5mの井戸です。
昔、この辺一帯は広範囲にわたって雑木林が発達しており、入江側は塩田が発達していたようです。
起源は、鳩が雑木林にしきりに出入りしているので、この井戸を見つけたと言われ、一名「鳩の見つけ井戸」とも言われています。
この井戸が発見された事によって、元世乞(ムトゥユークイ)周辺にあった集落が現在地の家後原に定着していたと考えられます。
構造は、湧き水の縁を石で囲った簡単なものですが、大親時代に大きく改修され現在の佐和田の集落形成の元になった重要な井戸です。

牧山展望台  宮古島市伊良部字池間添 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

牧山展望台  宮古島市伊良部字池間添

沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語による説明は、次のとおり。

牧山展望台  まきやまてんぼうだい
宮古、来間、池間島が一望できる、島で一番高い場所にある展望台。

伊良部島(いらぶじま)で最も高い場所にあるのが、町のシンボル「サシバ」を幾何学的に形どった牧山展望台です。ここからは東側に宮古本島、来間島(くりまじま)、池間島が見渡せ、美しい海や真っ青な空が一面に広がっています。また展望台のふもとには遊歩道があり、亜熱帯原生林が生い茂る自然の中を散策したり、林森林浴を楽しむこともできます。
沖縄県宮古島市伊良部字池間添
アクセス ■佐良浜港から車(一般道)で約10分

伊良部大橋  宮古島市 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

伊良部大橋  宮古島市

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。那覇空港から乗り継ぎで宮古島市へ一泊、翌朝、伊良部島へ渡るため県道252号の「伊良部大橋」を通った。

伊良部大橋
伊良部大橋(いらぶおおはし)は、沖縄県宮古島市の宮古島と伊良部島とを結ぶ橋。2006年3月18日に起工し、2015年1月31日16時に供用開始[2]。全長3,540mで、新北九州空港連絡橋(全長2,100m)を上回り、通行料金を徴収しない橋としては日本最長である[3][4][5]。総事業費は380億円[6]。

概要
宮古島の平良港トゥリバー地区と伊良部島東南部の長山の浜近辺を結ぶ橋で、沖縄県道252号平良下地島空港線の一部である[7][8]。
橋梁の構造は一般部がPC連続箱桁橋、主航路部が鋼床版箱桁橋とされ、本橋部分の全長は3,540mに及ぶ。また、取付道路は2,960mで、伊良部島側取付道路の一部は600mの海中道路とされる予定。本橋部分と取付道路を合計すると、全長は6,500mとなる。

橋梁の幅員は8.5mで[1]、幅3mの片側1車線道路の両側に幅1.25mの路肩が設けられる[9]。主航路部は船舶の通航のため、支間長180m[9]、クリアランス27m[7]とされる。
伊良部大橋の開通により、観光の促進や流通コストの削減が見込まれる[2]。また、宮古島の地下ダムから農業用水や生活用水が大橋に併設された導水管を通って供給されるため、水道のコストも削減される[2]。

蔡温松並木  国頭町辺戸 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

蔡温松並木  国頭町辺戸

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道58号により沖縄本島の北端、辺戸岬の分岐まで行く。国道は辺戸御嶽の麓を回り込むように続くので、そのまま進むと辺戸集落入口のバス停手前に駐車場があり、「蔡温松並木保全公園」内の山手散策路を一周すると、バス停へ出る。 

蔡温松並木 さいおん
(国頭)国頭村 辺戸蔡温松並木保全公園 松並木 約30m 琉球王国時代(1761年までの18世紀) WEB ほとんど枯死 蔡温(三司官=宰相、風水思想)が薩摩侵攻で疲弊した琉球経済の復興に尽力した頃に植えた松並木 4 B

沖縄県環境部環境再生課HP「おきなわ 緑と花のひろば」沖縄の名木百選による説明は、次のとおり。

■辺戸の蔡温松
蔡温(1682〜1761)は、三司官(今でいう大臣で3人制)を25年も勤め、薩摩侵攻により疲弊した琉球において農業技術の改良や、植林を奨励して改革を押し進め、農林漁業に多くの業績を残した人物である。
現在、辺戸地区で蔡温松と呼ばれている松群落は、その頃に植栽されたと思われ、樹齢300年という説や、現存するものは2世から3世で樹齢150年という説もある。
当群落は、樹高19mのものを筆頭に15本、辺戸集落の東から北側に位置する道路沿いに生育し、地域のシンボルとして村民から愛さ れ、健全に保護されている。周囲には散策路や展望台も整備されている。

認定番号  053
認定年度  平成17年度
樹   種  リュウキュウマツ
樹   高  19m
幹   周  4m
推定樹齢  150〜300年
所在地    国頭村字辺戸
経度・緯度  26.8557230_128.262226
所有者    国頭村

大石林山・御願ガジュマル  国頭村宜名真 ( 沖縄県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

大石林山・御願ガジュマル  国頭村宜名真

沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語による説明は、次のとおり。那覇市から車(高速道路と国道58号利用)で約120分。沖縄本島の北端、辺戸岬近くまで行く。
私は主に大ガジュマル見学のためだったので、他のコースはほとんど回っていない。

営業時間 4月〜9月 9:00〜17:00(受付)18:00(閉園) 10月〜3月 9:00〜16:00(受付)17:30(閉園)
休業日  年中無休
入山料金 個人 大人(高校生以上)820円(税込)・小人(4才〜中学生)520円(税込)

大石林山  だいせきりんざん
本島最北端の辺戸(へど)岬の近くにある日本唯一の熱帯カルスト。約2億年前(古生代)の石灰岩が、雨水などで長い年月をかけ侵食されてできたものです。カルスト台地に石灰岩が塔のように露出している「ピナクル」が最大で約10メートルもあり、巨岩巨石が林立する迫力のある景観を見ることができます。また、年輪を重ねた巨大なガジュマルや、6万本以上のソテツが自生しています。