狩俣遠見番所と方位石  宮古島市平良狩俣 ( 沖縄県 )

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狩俣遠見番所と方位石  宮古島市平良狩俣

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。宮古島市の市街地から県道83号、県道230号により宮古島の北部、狩俣へ向かう。狩俣小学校前の市道へ右折、奥まで行くと史跡案内板があり、海岸の見える高台へ上がる。右手水道施設後ろ側に「狩俣遠見番所」と「方位石」が残る。
高台へ出て反対の左へ少し行くと、「ティンドウ(天堂)」なる石積みの史跡がある。狩俣には「四島の主の墓」といわれている墓が四ヶ所ある。これはそのうちの1つである。地元民は番所「のろし台」と言っているが、真偽は不明。 

狩俣遠見番所 かりまた
宮古島市(宮古島) 狩俣集落後方の海岸線に沿った丘陵上 遠見台、火番盛 (方形) 1644年以降 国史跡 現地解説板/WEB 明治末まで使われていたため保存状態が悪く、矩形の番所跡が、かろうじて推測できる程度 先島諸島の火番盛群/大神島がよく見える/残る石塁は不規則/方位石(別項目)が残る 4 B

狩俣遠見番所の方位石(ピャイイス) かりまた
宮古島市(宮古島) <狩俣遠見番所> 方角石(円形) 1644年以降 国史跡 現地解説板 石灰岩のため風化が目立つ 宮古島周辺の遠見番所には方位石が付随しているものが複数あるが、その中で最も明確な形で残る/日本最古の方角石の1つ(これまで国内最古と言われてきた「大的矢の初代方角石」もしくは「輪島の日和山方角石」より半世紀は古い) 2 A

宮古島市HPの宮古島市の文化財 > 国関係 による説明は、次のとおり。

国指定史跡 先島諸島火番盛(遠見番所)  指定年月日: 平成19(2007)年3月23日
狩俣遠見番所
狩俣集落後方の丘陵上にあって、方位を刻した円柱形のピャイイス(方位石)が設置されている。そこは明治の末頃まで「遠見番屋」(壁・石積・屋根瓦・約3坪)が遺されていた。この遠見は主として沖縄本島を往還する上国船、漂流船の発見・監視など、広く海上警備の役割を果たしていた。
伝承によれば、この遠見には遠見番が日夜、交替で海上の監視にあたり、船影を発見すると、すぐさまブンミャー(村番所)の役人に連絡をとったという。ブンミャーにはソーカツ(総聞)、ユーサズ等の役人が詰めていて、船影発見の連絡を受けると急ぎ、集落の庶民をピャーツカイ(伝令)として蔵元へ走らせたと言われている。