投稿者「misakimichi」のアーカイブ

野母崎権現山の風景

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野母崎権現山の風景

平成19年8月8日、長崎半島の突端、野母崎の「権現山」(標高198m)を訪ねた。寛永15年(1638)異国船の監視のため遠見番所が設置され、明治・大正・昭和を通じ日本海軍の望楼や高射砲陣地が築かれ、現在は展望台公園として整備されている。
四周の景観は素晴しい。椿公園や日山神社がある。

瞑想石  野母崎権現山展望台

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瞑想石  野母崎権現山展望台

長崎半島の先端にある権現山(標高198m)は四方に天草、雲仙、五島灘、高島、香焼、長崎方面、遠くは鹿児島県甑島を一望することができる。寛永15年(1638)には遠見番所が設置されてから、外国船の来航を監視した。その後、明治・大正・昭和を通じ、日本海軍の望楼や高射砲陣地も築かれ、現在は展望公園として整備されている。
「瞑想石」と刻んだ石は、山頂展望台の階下に大きい座石とともにある。観光百選の地。公園整備のため近年設置された石のようで、特に由緒もないと思われるが、気のきいた石柱でなかろうか。

脇岬狼煙台跡とは、どこにあるのか

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脇岬狼煙台跡とは、どこにあるのか

長崎県遺跡地図の野母崎町に「脇岬狼煙台跡」が表示されてある。場所は最近、風力発電の風車が建った野母崎グリーンパークモトクロス場のある所である。この一角に標高280mの小高いピークがある。現在の5万分の1地図では無名峰である。標高を比べると遠見山が259m、殿隠山が263mであるから、それらより高い。

長崎名勝図絵によると高浜の背後に「笠山」が描かれ、陣所のマーク□がある。小ヶ倉の大久保山こと「笠山岳」とは別のようであり、別資料の長崎市教育委員会昭和50年発行「長崎市周辺ハイキングコース」27頁、殿隠山のコース図に、ここは「△高遠見山 283m」とされている。資料提供は長崎市山岳連盟で、長崎岳人会故臼木寅雄氏の資料と思われる。この人は地元の話をよく聞き、書いていることはあまり間違いなかった。

そこでさっそく出かけてみた。県の資料を調べれば正確な位置があるかも知れないが、目星をつけて探すのがおもしろい。しかし、わからなかった。やむなくモトクロス場の経営者の方に聞いてみた。高浜の山口さんで現地に案内してくれた。モトクロス場の広いコースのある一番高い所の方となり、土塁で築かれていた。直径4m、高さ1.5mほどの土盛りの円形が確認できた。

今は中は完全に埋まって木が生えている。探してもわからなかったはずである。木立がなかったら四方見渡せる良い場所である。山口氏の父親が畑とするため掘っていて見つけ、寛永時代のものか茶碗のかけら等が出てきて、博物館へ引き継いだという。
まだ、昔の山名に関することは、わからないままでいる。 (この稿は平成17年記)

川原本村海浜の蛇紋岩れき浜

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川原本村海浜の蛇紋岩れき浜

三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊、地質の項13〜15頁「三 蛇紋岩」から

蛇紋岩は超塩基性岩に属するかんらん岩が蛇紋石化してできたものである。脂肪光沢をもった濃緑色の岩石で、三和町では栄上を中心に為石、蚊焼、為石から野母崎町二ノ岳付近へと三和町の中心部一帯に広く分布し、野母崎町井上付近まで広がっている。…
風化の進みはじめた蛇紋岩は水を含むと崩れやすいものであるが、岩石そのものは緑黒色で重厚な感じのする岩石である。磨けば非常に美しく、記念碑などに好んで用いられる。

蛇紋岩地帯の東方にあたる川原本村海浜と宮崎海浜(川原海水浴場)には、蛇紋岩だけからできた「れき浜」が、数百メートル続き、蛇紋岩のみごとな円れき浜をつくっている。特に川原本村の海浜のれきは拳大の円れきがそろっており、自然な状態が良く保存されている。県下でもこれに類するものはない。三和町町民が有する天与の美しい財産のひとつと言って良い。

五家原岳石楠花尾根の地蔵標石

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五家原岳石楠花尾根の地蔵標石

平成19年8月6日、先輩松林氏から多良五家原岳に珍しい地蔵標石があったと、画像をつけたメールが入った。

8月5日(日)、五家原岳にオオキツネノカミソリを見に行きました。水神の滝の上部の谷は毎年見事な群生が見られますが、今年は時期も遅く台風のあとでしたので、写真に撮ってみると見劣りしました。…仏の辻まで登り、弁当を食べて石楠花尾根の方へ降りてきました。ここに地蔵が2体あります。
「右小江村、左太良嶽、道」とあり、施工者は小江村の左兵ヱとあります。小江から登ってきて、五家原の山腹を横切り、中岳の下に出て金泉寺へ参拝したのでしょうね。

古く珍しい標石の情報は大歓迎である。山歩きの楽しみが増す。8月9日、さっそく水神池から見に行った。明治時代の標石のようだ。私が撮ったオオキツネノカミソリと水神池などの画像を添える。
なお、白木峰「青少年自然の家」の上から五家原岳へ登る車道とこの多良広域林道に入る分岐のところにも「右たらだけ道」の石柱が建っているのを見つけた。

道路元標  長崎県庁前の国道起点

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道路元標  長崎県庁前の国道起点

長崎市江戸町長崎県庁前の歩道石垣に組み込まれている。国道34号線などの起点の標石。
長崎市南公民館どじょう会「長崎の碑(いしぶみ) 第一集」平成5年刊3頁によると次のとおり。主要道路に水準点は設置されているので、その関連からこの項に載せた。

2 道路元標(江戸町、県庁正門脇)
(正面) 国道起点
(右側) 昭和三十五年七月 長崎県
碑  250×240×490mm

白崎台場跡  大きな石柱2本残る

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白崎台場跡  大きな石柱2本残る

女神から小ヶ倉へ行く海岸沿いの国道に「白崎」バス停がある。小峰商店横から石段を登りつめた所の宅地石垣に「従是南佐嘉領」の藩境石が埋め込まれていることは、知られている。
しかし、長崎港を警備するため平戸藩が幕命を受けて、明暦元年(1655)築いたという「白崎台場」はどこにあったか。長崎市立博物館「長崎学ハンドブックⅡ 長崎の史跡(南部編)」や南公民館どじょう会「城郭他遺構調査書」台場・番所の部を見ても、台場絵図・史料規模などはあるが、具体的な場所がよくわからない。

この台場のことは、昭和53年発行小ヶ倉小創立百周年記念誌「小ヶ倉の歩み」四、ふるさと史料の中にも規模だけ書いてあったので、地元竹内唯夫氏に聞いたところ、場所はバス停小峰商店のすぐ上。古い石垣と竹林の中に大きな石柱が残り、ここではないかと言っていたから、2年ほど前、探しに行って確認したことがあった。
石柱の存在はほとんど人に知られていない。どじょう会の調査もまったく別の場所で記録がない。石柱が何のためのものか判らないが、今回、また行って写真を撮ってきたから、とりあえず紹介してみる。

石柱は石段道のすぐ左道脇。竹林の中の斜面地に落ちたようにして2本転がる。30cm角。かなり大きな石。長い方は3m、短い方は1.2mくらいある。

茂木植物化石層  県指定天然記念物

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茂木植物化石層  県指定天然記念物

長崎市茂木町。天草フェリー前の長崎市茂木支所庁舎の裏手となる。現地説明板は金網が邪魔し写真の字が読み取れないので、「長崎市の文化財」HPの説明を掲げる。

茂木植物化石層  県指定天然記念物

指定年月日 昭和54年7月27日  所在地 長崎市茂木町字片町 所有者 池山寅一郎
茂木町北浦の白浜海岸に露出する地層である。露頭の下部の、厚さ1.5mの泥岩の層に植物化石を含んでいる。植物化石は31科40属52種が識別されているが、その大部分は双子葉類で、ブナ・イヌザクラ・フウ・ケヤキなどである。この化石から推定されるこの地層の地質時代は、新生代第三紀鮮新世の終りごろ、1000万年前と考えられている。
1879年(明治12年)、スェーデンの探検家ノルデンショルドが長崎に立ち寄った際にこの化石を採集し、本国へ持ち帰った。これを古生物学者ナトホルストが研究し、発表したが、これが日本の新生代植物化石の最初の記録となって国際的にも有名である。

竈神社の大クス  長崎市宮摺町

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竈神社の大クス  長崎市宮摺町

宮摺バス停奥から市民の森へ登る車道に入る。集落上手に竈神社はあり、すぐ大きなクスノキが見える。現地説明板は次のとおり。

市指定天然記念物  竈神社の大クス
指定年月日 昭和48年7月27日  所在地 長崎市宮摺町竈神社境内
所有者 竈神社

日本の樹木のうち、樹齢と樹高ではスギに勝るものはないが、幹囲りと枝張りではクスノキに勝るものはない。
この大クスは、神社創建の寛永3年(1626)当時からあったと伝えられている。樹高およそ25m、地上50cmの幹囲10.50mで、本県屈指のクスの巨樹である。枝張りも雄大で、地上すぐに2本の大支幹を広げ、これが更に4本の幹に分かれる。これらの幹から出た大小の枝は、東西に40m、南北に37mの大樹冠をつくっている。
長崎市教育委員会(平成16年12月設置)