投稿者「misakimichi」のアーカイブ

長崎県民の森の風景  長崎市神浦北大中尾町ほか

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長崎県民の森の風景  長崎市神浦町北大中尾町ほか

平成20年2月10日、長崎市神浦「長崎県民の森」の散策ウォーク。東ゲートー展望台ーみどりの池ーシャクナゲ橋ー水車小屋ーオシドリ渕ーオオルリ橋ー芝生広場ー森のつり橋ーキャンプ場管理棟ー御用堤ー山菜の森ー薬草の森ー森林資料館と歩いた。
帰りは神浦へ下り、外海の道の駅から海を見た。

森林資料館正面に展示している巨樹標本の説明は次のとおり。
杉      樹齢179年、 直径1.28m、 島原市眉山国有林
けやき   樹齢200年、 直径1.60m、 大村市萱瀬国有林
さわら   樹齢179年、 直径2.27m、 島原市眉山国有林

長崎県民の森の散策  平成20年2月

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長崎県民の森の散策  平成20年2月

平成20年2月10日(日)曇ときどき晴。長崎市神浦「長崎県民の森」の散策ウォーク。参加17人。風景は別項。
東ゲートPを10時発。展望台ーみどりの池ーシャクナゲ橋ー水車小屋ーオシドリ渕ーオオルリ橋ー芝生広場(昼食)ー森のつり橋ーキャンプ場管理棟ー御用堤ー山菜の森ー薬草の森ー森林資料館と約10kmを歩く。15時着現地解散。
昔と変り過ぎ、私は一行からはぐれ、迷いオジさんとなった。あまり道と標識が多くわかりずらい。マップ図や標識は、ピクニック用に一周基本コースを表示してほしい。

鎮西橋・西山橋(西山川)と鳴滝橋(鳴滝川)  長崎市馬町ほか

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鎮西橋・西山橋(西山川)と鳴滝橋(鳴滝川)  長崎市馬町ほか

先項において、桃渓橋から上流の西山川に残るアーチ石橋4橋を訪ねた記事を載せた。うっかりしていた。諏訪神社前の国道34号線馬町交差点にある「鎮西橋」をもらしていた。
資料は、石橋を最も詳しく調べられている諫早在住の方のHP「長崎県の石橋を訪ねて」。このHPに「鎮西橋」は出てこない。それで私ももらした。他の人のHPでは、石橋として紹介されている。

(1)鎮 西 橋
鎮西橋(ちんぜいばし)は、昭和9年(1934)架設と銘板がある。欄干から下部を見るとアーチ石橋のようだ。桃渓橋側から全体が見える。最近の工事で石が新しく白っぽい。馬町交差点に地下歩道を造ったとき、改修されたのでないか。
川の景観に調和させるため、表に見えるところだけ石を張り、下のアーチ部分は全面コンクリート。近代工法の橋である。
そのため、同氏HPの石橋の範囲に「鎮西橋」は該当しなかったようだ。ほかにも理由があるかも知れない。すぐそばの大手橋側の川底から見た2つの橋の写真。大手橋は石橋が残っている。

(2)西 山 橋
大手橋のすぐまた上流の「西山橋」。今の橋に銘板があるので、橋は間違いない。長崎バイパスへ行く西山通りの県道を挟んで、正面に料亭富貴楼と松森神社のクスノキが見える。
この橋も昔は石橋だったようである。同氏HPの中に読者などからの情報に基づく「調査中の石橋」があり、「長崎市下西山の西山橋は現存するという。 07/01/2007消失を確認」とある。これは同氏が現地を見に来た日。現在の橋が架け変えられた時期はあくまで大水害後であろう。が、水害前もすでに石橋ではなかったという人もいる。
その人の話によると、長崎大学経済学部裏通りのリンガーハットへ出る橋も、昔は石橋だったそうである。

(3)鳴 滝 橋
鳴滝川の「鳴滝橋」。やはり同氏HPの中「調査中の石橋」に、「鳴滝橋が57年の長崎水害では被害を受けていなかったという。 06/30/2007架け替えを確認」とある。
「鳴滝橋」と言われるのは、現在、3つの橋がある。
①鳴滝の滝の上に架かる本来の鳴滝橋。自然石の橋名が残る。②鳴滝高グランド横から車道を進み、次に川を渡るところの橋。コンクリートの橋名がある。③鳴滝入口の石橋が残っている「古橋」(ふるはし)。これも一名「鳴滝橋」と呼ばれる。

現在の鳴滝橋は②だが、これは石橋でなかったようだ。HPの情報は③のことでなく、やはり本来の①のところの鳴滝橋であろう。今はここは暗渠橋で片側しか見えない。鳴滝高グランド横のここは、大水害前のまだ前、昭和30年代末頃までは、街のシシトキ川のような開渠であった。その年代には石橋が架かって、川を渡っていた。名残りが今の橋脇の標石であろう。改修されたのは暗渠工事の際でないだろうか。
地元で石橋のこんなことを聞いても知らない人が多い。関係官庁の保存資料もなくなっている。

古賀と船石地区に残るアーチ石橋  長崎市古賀町・船石町

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古賀と船石地区に残るアーチ石橋  長崎市古賀町・船石町

昭和57年長崎大水害から残ったアーチ石橋が長崎市古賀町に1橋、船石町に2橋ある。滝の観音境内にある羅漢橋、普済橋を除き、集落の里道で今も使われているこの橋を訪ねた。
その外に、船石地区の木場橋は存在が貴重である。水害により損壊し橋は新しくなっているが、近くの田嶋邸庭(並松翠鯉の苑)に旧橋欄干の片側が移設され、立派に保存されている。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真 1   第118番  正念の橋(念橋 善八橋) 長崎市古賀町正念
年代 大正5年との近隣の住民の話   長さ 6.3m 幅員 2.0m
長崎バイパス市布古賀入口近く。付近には正念公民館や長崎市消防団第29分団6部詰所がある。もとは長崎へ山越えで抜ける間道に架かる橋のようだが、現在は下流に新しい橋が架かっている。
この橋は「2000年の東長崎」という郷土史によれば、「善八橋」として記載されている。著者が現地で橋の名前を、そのように取材されたそうだ。「善八橋」の名を併記する。

写真 2   第154番  下 大 野 橋  長崎市船石町千束野
年代 昭和35年  長さ 5.0m 幅員 4.0m
石垣バス停から右折し船石ポンプ場より左折。数多くの石橋が有った船石地区で57年の水害に残った石橋。親柱も欄干も架橋当時のまま残る。多少白い手すりが気になるが現役の橋としては安全の為にはいたしかたないだろう。このままでも充分美しい。

写真 3   第177番  千  歳  橋  長崎市船石町並松
年代 明治45年架橋、昭和12年拡幅  長さ 4.0m 幅員 4.4m
数多くの石橋が有った船石地区で57年の水害に残った石橋。古賀木場バス停から右手に入ってから更に右手に下る。拱環石もしっかりしている。周辺の風景に溶け込んで美しい。

写真 4           木  場  橋  長崎市船石町並松
近くの木場橋も水害で損傷は受けたものの残っているかも?との情報で近くを歩いたら、こんな所で遭うことが出来た。木場橋は千歳橋から少し下ったところにある田嶋邸の池の手摺に姿を変えていた。何でも大正3年に田嶋家のご先祖様の顕徳を記念して架橋したのが木場橋であったとかで、水害後の復旧工事の際に田嶋家が手摺部分を譲り受け、田嶋倉治翁の100回忌に親族の手で手摺だけが残されたものだそうだ。

57年の水害時の被害とし木場橋の上流、木場川に架かっていた石造アーチ橋で流出した橋は下流側から、すすき橋(市道中川内線、長さ6m、幅3.6m、単アーチ)・山下橋(市道山口線、長さ4m、幅4m、単アーチ)・山口橋(市道山口線、長さ4m、幅4m、単アーチ)、また更に支流となる二双船川の二双橋(市道曲田線、長さ5.3m、幅3.5m、単アーチ)で有った。

また木場橋から下流には都通川と名前が変わって千束野橋(市道上戸石千束野線)が現在コンクリート橋として架かっているが水害時半壊し、その後解体した。
さらに下流で本流の八郎川となって角橋(市道木場線)、鎧橋が石造アーチ橋であった。

甑岩神社のイスノキ・モッコク   長崎市早坂町ほか

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甑岩神社のイスノキ・モッコク   長崎市早坂町ほか

甑岩は長崎市東部の山。江戸時代に書かれた『長崎名勝図絵』に「その頂に巌あり、甑の形のごとし崇くそびえて峭絶す」とある。愛宕・田手原を通る飯香浦行きのバス道路を行き、日吉青年の家の1つ手前のバス停が甑岩入口である。
展望台から遊歩道を甑岩神社へ歩く。岩があり樹木が密生する神社の周辺にイスノキ・モッコクなどの大木が見られる。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(長崎の山)の説明は次のとおり。

甑岩(362m)

長崎市の早坂町・北浦町・飯香浦町にまたがる山。その姿が、お米を蒸すときに使う甑(こしき)に似ることで、甑岩と呼ばれる。… 日吉青年の家に向かう途中に甑岩のバス停がある。甑岩に向かって進むと展望台のある駐車場に着く。そこで駐車。甑岩に向かうと、アスレチック広場の公園がある。そのすぐ先に、小甑岩がある。

小甑岩の道を進むと、小甑岩神社がある。神社の側にイスノキとモッコクの大木が並んであった。… 神社から下って、甑岩に向かう。山道は途中から分岐するが、岩の尾根道は急で、岩を登ることになるが、備え付けの梯子は壊れていて、危なっかしい。岩の尾根を諦めて、傍らの山道を行くと、岩の尾根道と飯香浦町へ下る山道と合流する。そこから岩の尾根まで戻ると、見晴らしのよい岩場がある。

甑岩のなだらかな尾根を進む。アラカシ、マテバシイ、シイ、ヤブニッケイ、イスノキ、シャシャンボ、ネズミモチなどが多い。尾根道は見晴らしは良くないが、林下は草地で、花の時期には思いもしない草花と出会えそうな雰囲気があり、ちょっとワクワクする。コショウノキが花をつけていた。15分ほどで、北浦町へ下る急坂になる。…

日見峠と地震神社のヒサカキ・ムクノキなど  長崎市本河内3丁目

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日見峠と地震神社のヒサカキ・ムクノキなど  長崎市本河内3丁目

長崎街道の日見峠へ長崎市日見方面から車で行く場合は、日見トンネルを通る前の国道34号線の道を行く。日見トンネル手前の長崎自動車道芒塚IC入口から、高速道下の右手道に入る。九十九折により峠へ向って登って行くと、途中に去来句碑の芒塚(すすきづか)がある。やっと着いた切り通しが、明治新道の日見峠。

その昔の日見峠へはここから10分ほど急坂を歩いて登る。関所跡があり、峠を越えた先に地震神社の鳥居がある。額は「御夢想 地震 神社」。石の神を祀るのか。調べる手立てがない。長崎方面へ明治新道を下ると、本河内低部水源池前の番所バス停のところに出る。
ヒサカキは切り通し入口角の岩清水の上、ムクノキ・カゴノキ・クロガネモチは地震神社の祠のところに生えている。Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

長崎街道・日見峠

長崎市芒塚町から本河内町に向う長崎街道の日見峠は、山越えの難所で「西の箱根」とも言われた。坂本竜馬も越えた。日見峠の山をV字形に切り開いて、明治15年に「日見新道」が造られた。馬車で通れるようになった。通行料を取ったので、日本初の有料道路と言う。…
芒塚は、芭蕉十哲の一人・向井去来(長崎市で生れた)が、長崎を離れるときに日見峠で 詠んだ句 「君が手も まじるなるべし 花薄(ススキ)」の句碑が建立されている。 「見送る君の姿は遠くなり、あれは、君の振る手なのか、揺れるススキなのか 」という意味のようだ。今では、日見トンネルや新日見トンネルができていて、高速道のトンネル建設も進められている。…

日見峠の新道の角にヒサカキがある。そこからV字形に開かれた切通しを少し歩くと右手に日見峠の表示板がある。その急な坂道を登っていくと、関所跡がある。意外に狭い場所だ。そこから、さらに登ると、剪定されたマサキのトンネルがある。日見街道はその手前を左に降りて行く。マサキをくぐって進み、左に折れる道に行くと祠がある。

地震神社の祠の道沿にムクノキの大木がある。そばにはカゴノキが寄り添っていた。祠の横にクロガネモチの大木があった。太いカズラが絡んで上の方まで伸びていた。
峠を越える人々は、このあたりで、一息ついたのだろう。近くの石段を下ると、地震神社の鳥居がある。そこから、さらに下ると民家を通って日見新道に出る。

富川渓谷のイロハカエデ・スタジイ  諌早市富川町

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富川渓谷のイロハカエデ・スタジイ  諌早市富川町

長崎県指定天然記念物「富川渓谷のカツラ」については、先項で紹介している。これはその途中で見られるイロハカエデとスタジイの大木。イロハカエデは富川渓谷の駐車場から入ったすぐ右遊歩道脇。スタジイは滝上の森の吊橋を渡った右斜面にある。
長崎県生物学会編「多良岳の生物」2001年刊57〜59頁、宮崎正隆氏稿「多良山系の巨樹・巨木」の中による説明は以下のとおり。

高来町側の轟渓上流域小松尾公園内のイロハカエデは、キツネノカミソリの時期に行ったのだが、気づかなかった。
後の5枚は、県指定史跡「大雄寺の五百羅漢」。大雄寺先の滝の両岸岩面に見られる。
503体の羅漢像が刻まれ、県下一の磨崖仏群だそうだったが、諫早大水害などでだいぶん現地は変わっている。

Ⅴ.富川渓谷・大雄寺一帯の巨木、大木

現在、県の新観光百選の地となっている富川渓谷の大雄寺一帯にはまとまってスタジイ、クスノキなどの巨木や年輪を重ねても幹周りが3m以上には育ちにくいヤブツバキ、イロハカエデ等が川の両岸に大きく枝を伸ばしている。
特にイロハカエデは大木はもちろん小木が結構多いことから、植栽されたものではなく、自生のものと思われる。高来町側でも轟渓上流域の小松尾公園内に自生の幹周り2.54mのイロハカエデの大木がある。
また、大雄寺境内には、珍しいケンポナシが植え込まれている。

スタジイ(ブナ科)     幹周り 3.32m  樹 高 21m
クスノキ(クスノキ科)        3.25m       24m
イロハカエデ(カエデ科)      2.84m       16m
ヤブツバキ(ツバキ科)  根回り 2.10m        8m

深堀埋立地女島大神祠のアコウ  長崎市深堀町5丁目

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深堀埋立地女島大神祠のアコウ  長崎市深堀町5丁目

深堀のすぐ手前の海に、かつて「女島」という小さな島があった。昭和43年(1968)深堀〜香焼間の海面埋立てが完成し、三菱重工などの工場が進出した。この埋立地の中にまだ「女島」の島影が残っている。

場所は、深堀バス終点前の角に深堀公番がある。埋立地大通りを香焼側に50mほど行くと右に入る道があり、奥に赤い鳥居があってここが境内である。
アコウの大きな枝分かれした木の根元に「女島大神」が祀られ、中にはぐるぐる蛇がまいたような不思議な石の神体があった。女島は小さな岩礁だったので昔からあったのは、この祠だけと聞いた。他の祠や浜恵比須は後でどこからか持ってきているらしい。

アコウの木は、祠の後側とすぐ上の一番高かった岩礁に株を広げ、この広大な埋立地の中に隠れた一角をつくっている。
写真の後の2枚は、2007年5月撮影。地図は、明治34年測図国土地理院旧版地図である。

野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (2)

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野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (2)

平成20年2月4日、松原から野岳湖へ行き湖を一周。深沢儀太夫が築いた人工湖。ここから黒木へ行くため萱瀬ダムへの林道近道を通る。40年ほど前、野岳に泊まり、この山道を歩いたことがある。だいたいそのとおり車道となって整備されている。
杉を祀った水源や、ロッククライミングの岩場がある。多良の連峰と萱瀬ダムが高い位置から眺められ、景観がよい。萱瀬ダムの北川内橋手前に出る。