投稿者「misakimichi」のアーカイブ

塩俵断崖の柱状節理  平戸市生月町

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塩俵断崖の柱状節理  平戸市生月町

平戸市役所から県道19号線により生月大橋を渡って生月島へ入る。「塩俵断崖の柱状節理」は生月島の北部にあり、東シナ海を向いた西海岸側にある。
島内は一周道路が整備され、生月大橋を渡ってから、島の東回り県道42号線や西周り農免道路のどちらかでも行かれ、車では約20分のところである。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

生月町塩俵断崖の柱状節理  県指定天然記念物

指定年月日 平成元年9月29日  所在地 北松浦郡生月町壱部免1560外
管理責任者 生月町
生月島は平戸島の北西部に隣接し、南北約10km、東西は最大幅をもつ南端で3.8kmの細長い島である。東側はゆるやかな傾斜地になっているが、西海岸は切り立った海食崖が連続し、玄武岩の溶岩流の重なりが露出している。溶岩流の厚い部分では、冷却の際に生じた顕著な柱状節理が発達する場合が多い。

島の北西部の塩俵海岸に露出する玄武岩の柱状節理はその代表的なもので、規模はもとより、景観的にきわめてすぐれている。柱状節理が発達する玄武岩溶岩流は南北に500m続き、20m以上の厚みをもつ。玄武岩の柱はほぼ垂直であり、さらに水平に亀裂が入って板状節理もつくる。柱の太さは60〜120cmもあり、断面は五〜六角形をしめす。塩俵断崖の南端の展望所から波打ち際を見下ろすと、この柱状節理の蜂の巣状の多角形の断面もまじかに観察することができる。

中の浦のソテツ群落  平戸市大久保町

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中の浦のソテツ群落  平戸市大久保町

平戸市役所から県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。田の浦への県道をそのまま進むと、平戸海上ホテル「観月館」前から登りにかかり、崎方公園方面の分岐があり、なお行くと丘を越した高台に市営住宅などのある中の浦の住宅地へ出る。
「中の浦公民館」の次が「中の浦」バス停である。

ソテツ群落があるところには、このバス停前にある「観月館」送迎バス駐車広場角から右折し、海岸の方へコンクリート舗装道を約100mほど下って行く。
道の終わりに長嶺宅が1軒あり、少し手前の平戸海峡と浜を望む広い斜面地一帯が「中の浦の蘇鉄群落」となっている。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

平戸市中の浦の蘇鉄群落  県指定天然記念物

指定年月日 昭和27年5月13日  所在地 平戸市大久保町字中の浦
管理責任者 平戸市
中の浦は平戸島北部の平戸瀬戸に臨んだ海岸にあり、土地ではソテツが浦と呼んでいる。ここは松浦藩の家老熊沢大善の屋敷跡で、明治15年頃、長嶺氏のものとなった。
現在、長嶺氏の住宅を中心に北西500mにわたり、海岸から丘陵地にかけて大小60株ばかりのソテツが見られる。そのうち長嶺家付近の20株は植えたものと思われるが、丘陵地のものは野生状態である。

平戸古館のビロウ自生地  平戸市大久保町

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平戸古館のビロウ自生地  平戸市大久保町

平戸市役所から県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。田の浦への県道をそのまま進むと、平戸海上ホテル「観月館」手前の左手山側に石垣を高く築いた大きな邸宅がある。
平戸古館のビロウ自生地は、この邸宅(本澤宅か)の庭奥の山の斜面地にある。

県道から眺めても、ビロウの高木が数本わかる。邸宅の裏門が県道を少し登ったところにあり、ここからも眺められる。
邸宅の角にはイチョウも大きく石垣から枝を広げ、幹囲はかなりある大木であった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
平戸海峡を挟んだ対面となる本土側の田平町「平戸口(熊野神社境内)のビロウ自生地」は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/975

平戸古館(ふるたち)のビロウ自生地  県指定天然記念物

指定年月日 昭和31年4月6日  所在地 平戸市大久保町  管理責任者 平戸市
平戸大橋に程近い、古館の民有林の中に、大小50本ばかりのビロウが自生している。中には高さ10mの高木もあり、よく繁茂している。
樹下には、アオノクマタケラン・ハナミョウガ・ムサシアブミなどの大形で常緑の草木も自生している。

雄香寺開山堂  平戸市大久保町

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雄香寺開山堂  平戸市大久保町

平戸市役所から県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。田の浦への県道をそのまま進み、平戸海上ホテル「観月館」の上まで来ると、崎方公園方面などの交差点があり、反対の右の道へ入ると雄香寺駐車場へ着く。参道は海岸側からある。

山門をくぐり右へ折れると、朱色の艶やかな開山堂がある。寺名にもなっている5代松浦棟公(雄香院殿)の廟。県指定有形文化財となっている均整のとれた美しい建物である。
開山堂裏手の土塀に囲まれた一画が、その他の藩主墓所となっている(以上は、画像ともHP「minka world 大名墓」から)。
開山堂の内部は10月3日に開けられ見学できるらしい。最後は境内で見かけたシイの大木。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

雄香寺開山寺  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 昭和62年3月3日 所在地 平戸市大久保町字菅牟田又2169番地
所有者 雄香寺
雄香寺は、「俊林山雄香寺御建立書」によれば、元禄8年(1695)松浦家雄香公、棟(たかし)が大島の古寺「江月庵」をここに移して、開いた寺院で、この開山堂も同じく元禄8年に創建された。
建物は禅宗仏堂の様式に則し、入母屋造妻入、総丹塗とした江戸時代中期を代表する寺院建築物である。

平戸和蘭商館跡  平戸市崎方町・大久保町

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平戸和蘭商館跡  平戸市崎方町・大久保町

平戸市役所から田の浦への県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。ターミナルビル前の県道をそのまま進み、海岸の突端手前に石垣に囲まれた平戸和蘭商館跡がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

平戸和蘭商館跡  史跡(国指定)

指定年月日 大正11年10月12日 所在地 平戸市崎方町・大久保町 管理団体 平戸市
慶長14年(1609)和蘭船2隻が入港し、寛永18年(1641)長崎出島に移転するまで約33年間、平戸はわが国唯一のオランダ貿易港であった。商館は慶長16年(1611)崎方町の町屋22軒をこわして住宅倉庫を建て、元和2年(1616)に防波堤ができ、元和4年(1618)にはさらに付近の民家50戸を取払い増築工事を行った。
オランダ塀もこのとき築造されたものである。オランダ塀のほか、オランダ井戸、棹頭、倉庫の壁、防波堤、海岸の石垣などが残っている。

的山大島の風景  平戸市大島村

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的山大島の風景  平戸市大島村

平成20年7月15、16日、平戸市大島村へ行く。大島(正確には「的山(あづち)大島」)は長崎県の西北端。平戸港の北に浮かぶ。市営フェリーが毎日4便就航。所要時間40分。片道640円。
平戸出港、平戸海峡と海路、大島の神浦港入港、同的山港、馬の頭鼻と灯台、曲り鼻、漁火館、神浦出港、島を後になどの風景。

大賀断崖・大賀キャンプ場  平戸市大島村西宇戸

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大賀断崖・大賀キャンプ場  平戸市大島村西宇戸

平戸港から北に浮かぶ大島へ市営フェリーで渡る。町の中心地神浦港で降り、島内の最東端大賀鼻へ向う。約10分で西宇戸にある大賀断崖と大賀キャンプ場に着く。
平戸ガイドマップの的山大島による説明は次のとおり。

大賀断崖
大島の最東端に位置する断崖で、ノコギリの歯のように連なる断崖に圧倒されます。草原にキャンプ場もあります。

大賀キャンプ場
通年型のキャンプ場として人気のキャンプ場です。施設は新しく、シャワー室も完備しています。展望台からは大賀断崖を望むことができます。

板の浦のアコウ  平戸市大島村的山戸田

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板の浦のアコウ  平戸市大島村的山戸田

平戸港から北に浮かぶ大島へ市営フェリーで渡る。町の中心地神浦港の次に大島の西の港である的山港へ入港する。
フェリー発着場から島の西にある「戸田海水浴場」へ向けて約10分走る。案内標識はあるが、荒磯の海水浴場で設備は一切ない。透明度だけが良いらしい。

「板の浦のアコウ」は、この戸田海水浴場のすぐ手前、車道左脇にある地蔵堂前広場と、その下となる海岸との間の林の中にある。
平戸ガイドマップの的山大島に位置図があったので、どの程度の大木か確認しに大島へ渡ったのだが、幹囲は4.5mほど、根元1mくらいから7本ほどの支幹に分かれていた。島一番のアコウの木といわれる。
大島村「大島村郷土誌」平成元年刊441頁による説明は次のとおり。

ア コ ウ

島内に数か所あるが、そのうち、板の浦戸田浦のものがいちばん大きい。根元に近いところのまわりが4.5m。海岸の絶壁上に生えている。多くの根が互いに癒着して、高さ3m、幅12mにも広がっている。
アコウの分布の北限として、またアコウの生態を示すものとして注目される。

朝鮮井戸  平戸市大島村的山戸田

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朝鮮井戸  平戸市大島村的山戸田

平戸港から北に浮かぶ大島へ市営フェリーで渡る。町の中心地神浦港の次に大島の西の港である的山港へ入港する。
朝鮮井戸はフェリー発着場から的山湾沿いに西へ行くと、すぐ海岸際にある。
現地説明板は次のとおり。

遣明使船寄港の地 朝鮮井戸と的山湾
大島村指定史跡  朝鮮井戸  昭和61年3月指定

この井戸は、近くから黒曜石等が発見されていることや上部水路の状況から、縄文、弥生時代からの水系とみられている。地層の傾斜が海水の浸入を防ぎ、水質も良く水量も豊かである。
天然の良港的山湾とこの井戸の存在は、古くから多くの船団に知られ、大陸に渡る船団の寄港や貿易の中継地として海上交通の要衝をなしている。
遣随使船、遣唐使船寄港の口伝のほか、足利時代の享徳2年には遣明使船8艘が半年間にわたって風待ちのため滞在し、天文8年にも遣明使船3艘が寄港している。
また、応仁元年には豪族大島氏も自ら朝鮮使船を仕立て、大陸貿易を始めている。
一方、大陸沿岸を襲った倭寇の中継地だった時期もあるとみられ、対岸の高峰山の下には「海賊が浦」という地名も残っている。
井戸付近の海岸からは宋、元、明、清にわたる中国陶磁器片も確認され、大陸貿易の中継地であったことを物語っている。
遣明使船寄港の記念すべき地である。
平成8年11月  大島村教育委員会

天降神社のエノキ  平戸市大島村神浦

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天降神社のエノキ  平戸市大島村神浦

平戸港から北に浮かぶ大島へ市営フェリーで渡る。町の中心地神浦港で降り、海岸沿いに行くと「天降神社」がすぐある。
エノキは、参道石段を登った奥の社殿左側の広場にある。大島村指定天然記念物。
大島村「大島村郷土誌」平成元年刊442頁による説明は次のとおり。

エ ノ キ

本島にはエノキの巨木は数少ない。根張りや幹まわり、それに枝ばりなどすぐれているものに、天降宮のエノキがあげられる。目通り幹囲り370cmのもの。