投稿者「misakimichi」のアーカイブ

高井田用水・取水口  姶良市加治木町高井田 ( 鹿児島県 )

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高井田用水・取水口  姶良市加治木町高井田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道55号の九州自動車道加治木IC入口付近から龍門滝への市道に入る。龍門司坂入口を過ぎ、龍門滝の滝上展望台まで行く。滝上への遊歩道をベンチ広場まで下ると、滝の右岸に鉄柵の高井田用水・取水口がある。
吐口は龍門司坂入口に戻り、ここの駐車場から龍門滝下への新遊歩道が整備されているので、この終点まで行くと、水管となった吐口が確認できた。新遊歩道の山手側溝蓋が用水路で、龍門司坂入口まで下る。
ここから高井田集落内の市道沿いと田の中に、大小2つの用水の流れがあった。

高井田用水・取水口 たかいだ
姶良市 用水路 江戸初期? 加治木町教委 建造年は不明だが、獺貫の切通しと発想・工法がほぼ同じであるから、同時代と考えられる

獺貫の切通しのトンネル  姶良市加治木町木田 ( 鹿児島県 )

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獺貫の切通しのトンネル  姶良市加治木町木田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道55号の九州自動車道加治木IC入口付近から龍門滝への市道に入る。滝には行かず、すぐ途中、加治木温泉病院を回り込み九州道下の市道を西へ進み、宇曽木の滝(写真2枚目)からの小橋を渡って川沿い上流に給食センター先まで行く。市水道事務所の所で、車は行き止まりとなるので畑道を上がり、九州電力宇曽木発電所まで行く。
池田助右衛門が掘り抜いたトンネルというのは、私の撮影写真では中段の黄囲線の吐口。取水口にごみが溜まった場合しか、九電水路は流水を止めないらしいから、かすかな穴部分しか撮影できなかった。呑口は宇曽木の滝上か、その上流からと思われる。国土地理院地形図の青点線部分を参照。
最後の写真が、トンネル下から続く木田地区の用水路。

獺貫の切通しのトンネル うそぬき
姶良市 獺貫の切通し(天然の地形) 素掘トンネル (水路) 長218m 寛文3(1663) 加治木町教委/WEB(みさき道人) 現役/宇曽木発電所の放流水路(人工の滝)で隠れて見えない 木田地区に水を引くため、池田助右衛門がカナヅチとノミで、4年がかりで切通しの中を掘り抜いたトンネル 4 C

楽天ブログ「青春18切符で九州一周ひとり旅日記12 鹿児島県姶良市 網掛川流域 (8)」にトンネル穴のはっきりした写真がある。  http://plaza.rakuten.co.jp/himekyon2/diary/201401190000/

獺貫(うそぬき)の切通し の九州電力水力発電所

この近辺は、川底が低くて田んぼに水が引けず、荒れた田んぼだったのを350年ほど前に池田助右衛門という人がひとりで、4年がかりでトンネルを掘り、上流から水を引いたことにより、水田開発ができるようになったそうです。
下のほうに見えるのがトンネル、今は九州電力が発電所として利用しているそうです。トンネルから流れ出た水を用水へ。遠く見えるのは五老岳、Sさんの家は山の麓にありますが、その先まで続いているそうです。右側の用水路が続きます。夏には蛍が飛び交う清流です。

松永用水路  霧島市隼人町松永ほか ( 鹿児島県 )

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松永用水路  霧島市隼人町松永ほか

霧島市隼人町松永字平熊の市指定文化財「平熊の石橋及び石洗越附石洗越の碑・水神碑」は前記事とした。松永用水路に架かる石橋で、この歴史ある松永用水路も調べる必要を感じ、県道475号松永交差点付近の中流から取水口の上流まで松永用水路を辿ってみた。詳しい説明はできないが、現況は写真のとおり。
HP上では、「松永氏のルーツ – nifty」鹿児島県隼人町に、次の記録があった。
http://homepage2.nifty.com/ihmm/sub09-11.html

隼人町                   

① 1432年「松永上津家」形3段6疋、「松永大神家」3反6疋、「武安家」形3反6疋
※上津・下津=上納米を保管する場所
・松永の中で集落が三分し、神社の三ケ所設置されいる様子を示す
※一反(段)は360歩、坪で991.7平方メートル

②「鶴ヶ城」松永氏の城跡は無し
・所在地:現在の医療センターの裏山付近

③「松永用水路」(上溝、下溝)姶良郡隼人町から国分市にまたがる灌漑用水路
・霧島川の左岸松永小鹿野麻草坂下から用水を取り入れた水量豊富な用水路。
・隼人町松永→隼人町姫城→日当山の一部→新町→向花→府中→野口→松木→福島→広瀬を国分市の
田地に灌漑して海にそそぐ。
・1662年 島津氏の時代になって用水路として延長、改修工事が行われた。   
・1761年 松永竹山打ち出しの水神碑に宝暦11年(1761)の刻印
・1777年 改造の碑銘がある  
・1862年 松永津曲落し口の水神碑に1809年の刻字と用水排名も刻まれている
・隼人町の松永氏(源太左衛門)の中屋敷あり

④「松永米作り踊り」昔の苦労は大変なものでしたので昔ながらの米作りの過程を後世に残すため
・「御供田」は小鹿野と豊後田(花山〜竹山)で いずれもいずれも霧島川の上流、隼人松永地区であるここには「田の神」が現存する

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストのデータに、次のとおり登載された。

松永用水路 まつなが
霧島市 霧島川・左岸 用水路 長約12㎞ 寛文2(1662) WEB(みさき道人) C改修 4 B

平熊の石洗越・平熊の石洗越の碑  霧島市隼人町松永平熊 ( 鹿児島県 )

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平熊の石洗越・平熊の石洗越の碑  霧島市隼人町松永平熊

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道2号から県道475号へ、霧島川沿いを遡り1.9km先、松永漁協のところ(通称小鹿野岐れ)に案内標識があり右折、50m先左手の用水路に架かっている。

平熊の石洗越 ひらくま
霧島市 竹山川/松永用水路 石アーチ橋(水路、防災、凝灰岩),石段差工 石アーチ橋:長13.3m,S3.5m(A),幅7.5m 段差工:高2.1m 安永6(1777)以前 市有形 WEB(石橋)/WEB(みさき道人)/本田泰寛 保存状態良好/石アーチ橋と段差工(「落とし」)の間に近代の道路橋が架かり、全体構造が分かりにくいのが残念 松永用水に直接流れ込んでいた竹山川が、大雨の時には溢れて用水路を決壊させるので、竹山川専用の石橋を設けて用水路を跨いだ→災害防御用の石アーチ橋は現在判明している限り全国でこの1橋のみ/竹山川は橋の直後に設けられた「落とし」で勾配を一気に下げているが、この階段状の段差工が非常に珍しく美しい/由来を刻んだ「石洗越の碑」(同年)が脇に建つ 2 A

平熊の石洗越の碑 ひらくま
霧島市 平熊の石洗越 石碑(自然石) 安永6(1777) 市有形 WEB(みさき道人) 原位置 (正面)「安永六年/石洗越一口/丁酉二月改造」 1 C

霧島市HPの文化財による説明は、次のとおり。

9.平熊の石橋及び石洗越附(つけたり)石洗越の碑・水神碑

平熊の石橋は、松永用水路上に架かる石橋です。人の渡る石橋というよりは、山から流れ出す谷川水を越させるための石橋といえます。
石橋の上には石畳が敷かれ、谷川水はこれを越えて2mほどの落差の落としで排水されています。地元の人たちは、松永用水に直接流れ込んでいた谷川水が、大雨の時には溢れて用水路を決壊させるので、用水路を越す形に改造したと伝えています。

石洗越の碑 安永6年(1777) 水神碑 宝暦11年(1761)
平成17年7月6日指定(市指定有形文化財)
所在地:霧島市隼人町松永字平熊

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。

№571  平熊の太鼓橋

隼人町松永平熊
松永用水路
橋長:3.8m  橋幅:3.5m  径間:3.5m
架橋:安永6年(1777)
県道2号線から県道475号線へ、1.9Km先、松永漁協のところ(通称小鹿野岐れ)を右折、50m先左手の用水路に架かっています。

この橋は水路橋です。左から右へ春山川が流れています。右に見えるのは春山川に架かる町道の橋。
右下は小さな滝になっています。以前は稚鮎が水が黒くなるほど群れていたそうで、松永漁業協同組合は稚鮎を四万十川にも出荷しています。
近所の方に詳しく説明して頂きました。
記念碑には「安永六年」と刻んであります。この用水路は国分市まで続いて、田圃を潤しています。

川内一里塚  曽於市末吉町二之方 ( 鹿児島県 )

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川内一里塚  曽於市末吉町二之方

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。曽於市役所近くから県道503号に入り南東へ進む。川内交差点少し先の県道沿い左側にこの一里塚があるが、民家前の説明板を見落とさないよう進む。

川内一里塚 かわち
曽於市 <今町街道> 一里塚(1基) 江戸期 市史跡 WEB 土塚の基部C擁壁化 4 C

曽於市HPの史跡・文化財による説明は、次のとおり。

川内の一里塚

指定区分:市指定文化財
種別:史跡
指定日:S43.1
所在地:曽於市末吉町二之方2735

末吉町川内にある一里塚で、都城と志布志を結ぶ街道上にあります。都城今町の一里塚から川内一里塚、次は南之郷の坂元一里塚、それから松山を経て志布志に通じています。

新田山橋  曽於市末吉町南之郷 ( 鹿児島県 )

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新田山橋  曽於市末吉町南之郷

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。曽於市の東部、県道71号が国道222号と合流する手前から南の県道65号へ入る。
愛の里近くから「花房峡いこいの森」入口に左折、すぐ安楽川を渡るところにこの石橋が架かる。

№324  新田山橋

曽於市末吉町南之郷 新田山(しんでんやま)
安楽川
橋長:12.5m  橋幅:6.5m  径間:9.05m  拱矢:4.18m
架橋:大正14年
宇都口橋より県道65号線を少し南下し左下旧道へ進み、すぐ。

付近では、上記HPの次も参照。私は花房製鉄跡の撮影のため通ったので、新田山橋の他は訪ねていない。
新田山橋
http://5.travel-way.net/~niemon/kagosima/sueyosi/sindenyama.html
牧野開田・花房水路橋
http://5.travel-way.net/~niemon/kagosima/sueyosi/hanabusa.html
牧野開田・新田山架け越し水路橋
http://5.travel-way.net/~niemon/kagosima/sueyosi/hanabusakami.html

花房製鉄遺跡  曽於市末吉町南之郷 ( 鹿児島県 )

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花房製鉄遺跡  曽於市末吉町南之郷

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。曽於市の東部、県道71号が国道222号と合流する手前から南の県道65号へ入る。
愛の里近くから「花房峡いこいの森」入口の方へ左折、すぐ安楽川を渡る石橋「新田山橋」(次記事とする)からいこいの森とは反対側の市道を進む。谷奥の花房集落に曽於市思いやりタクシー花房停留所があり、この下の田の中に製鉄跡の史跡標柱が見える。

花房製鉄遺跡 はなふさ
曽於市 (南之郷) 製鉄炉(なし) 市史跡 WEB 製鉄炉は滅失 南九州特有の石組の竪形製鉄炉/志布志湾の砂鉄と豊富な木材を用いて製鉄が行われた 4 C

曽於市HPの史跡・文化財による説明は、次のとおり。

製鉄所跡

指定区分:市指定文化財
種別:史跡
指定日:S43.1
所在地:曽於市末吉町南之郷

南之郷の新田山の集落を過ぎた花房の田んぼには、かつて製鉄所がありました。製鉄は志布志の浜の砂鉄を馬の背で運び、山林深く木炭が多いこの地において、明治初期まで行われていました。花房ではいつ頃から行われていたのか定かではありませんが、大隅地方では、千年前から行われていたという古記録もあるそうです。現在は、周囲に鉄滓が残っており、その名残を今に伝えています。
また、この一帯から安山・黒仁田、志布志の田ノ浦・四浦にも製鉄所がありました。

垂水千本イチョウ  垂水市新御堂 ( 鹿児島県 )

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垂水千本イチョウ  垂水市新御堂

ふるさと元気風ネットによる説明は、次のとおり。国道220号垂水市役所前交差点から高峠方向に向かう県道71号の途中にある。
前夜の宿、垂水ベイサイドホテル アザレアから早朝の垂水フェリーの光景も。

垂水千本イチョウ  垂水市

垂水千本イチョウは、国道220号線垂水市役所前交差点を高峠方向に向かう県道71号線の途中にあり(垂水市中央から約3.5km、車で10分)、大隅の観光スポットの一つになっている。このイチョウは、30年ほど前、都会から移り住んできた中馬吉昭さん夫妻が自分の山4.5haの荒れ地を開拓してこの地に植栽したイチョウだ。昭和53年から毎年100本程度植え続け、現在までに1200本程が植えられ、2008年から一般公開されている。イチョウは棚田状の山の斜面に植栽され、上段の高台からは桜島や開聞岳が一望できる景勝の地にある。11月中旬になると深緑の葉が黄色く色づき始め、11月下旬には黄色く染まり、12月になると黄葉のじゅうたん風景が楽しめる。イチョウ園からながめる夕日の景色も風情がある。垂水千本イチョウは鹿児島県景観大勝第一号に認定、垂水世間自然遺産第一号に登録。

元・お長屋の石垣  垂水市田神 ( 鹿児島県 )

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元・お長屋の石垣  垂水市田神

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。垂水市役所前交差点から県道71号へ入り、2つ目の信号となる中央田神から左折すると垂水小学校に着く。正門右脇にある建物が「お長屋」である。最後の写真は、近くの垂水高校グランド側の同高校旧正門門柱。 

元・お長屋の石垣 おながや
垂水市 (田神)<お長屋> 石垣 長約30m 慶長16(1611) 市史跡 WEB 民具資料館 長さ70㎝ほどの大型矩形石を布積風に積んだ見事な石垣 1 C

鹿児島県の文化財による「お長屋」の説明は、次のとおり。

お長屋 おながや

【所 在 地】垂水市田神145
【種   別】県指定有形文化財(建造物)
【指定年月日】平成26年4月22日
慶長16(1611)年に,林之城(垂水市)を築いたときに建築された城郭関連施設の一種で,規模が正面15間,側面3間と大きく,県内ではほかに類例がない。城郭外周部の石垣上に構築される桁行の長い建物であり,建築様式は,大名屋敷などで家臣の居住用として造られた「長屋」と同種である。用途は,独立した長屋(多聞櫓風 たもんやぐら)で侍詰所であったと考えられる。
本建物は,「長屋」としては鹿児島県下で唯一の遺構であるとともに,慶長期を創建と確認できる木造建築も県内に殆どないことから,たいへん貴重な存在であると言える。
また,近世前期からの永きにわたってこの地に在り続け,近世領主屋敷とその城下である麓集落の景観を維持し続けた貢献度も大きく,その歴史的意義も高い。
垂水市指定史跡(昭和57年3月13日指定)である。
○ 指定基準
建造物の部
建築物,土木構造物及びその他の工作物のうち,次の各号の一に該当し,かつ,各時代又は類型の典型となるもの。
(1) 意匠的に優秀なもの
(2) 技術的に優秀なもの
(3) 歴史的価値の高いもの

一倉の製鉄炉・跡  鹿児島市喜入一倉町 ( 鹿児島県 )

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一倉の製鉄炉・跡  鹿児島市喜入一倉町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。鹿児島市の南部、喜入一倉町の県道232号沿いに「鹿児島市観光農事公園 グリーンファーム」がある。
製鉄遺跡は、管理棟の南西側下の谷間に所在図のとおりあったが、案内標識が倒れ場所がわかりにくいから、管理棟で聞くこと。水路跡などは雨が降るし、ヤブで降りられなかった。

一倉の製鉄炉・跡 ひとくら
鹿児島市 (喜入)上茶筅松製鉄遺跡の一部 製鉄炉(1基) 石組: 長6m,幅1.8m,高1.4m 江戸末期〜明治初期 市教委/南九州市教育委員会 製鉄炉が遺構として残存(かなり崩ている) 南九州特有の石組の竪形製鉄炉(中近世の韓国の製鉄遺構と類似している、ふいごを使わず水車を用いる点が韓国とは異なる) 3 C

かごしまデジタルミュージアムによる説明は、次のとおり。

資料名:一倉の製鉄炉跡 ひとくらのせいてつろあと

分類:文化財−史跡等
制作年:江戸
地域:喜入方面
所管:国土交通省
解説:
「喜入の森」の南側の2号遊歩道から入った傾斜面に、江戸時代末期から明治初期とみられる溶鉱炉跡の切石の石組みが残されている。周辺には、炭焼きの窯跡や鞴用水車のための水路跡、金池の跡もあり、谷間には多量の鉄滓が堆積している。これは一貫した精錬施設であり、近世の喜入の産業を知るうえで貴重な遺構である。なお、藩政時代からの喜入の海岸は、たたら製鉄のための優良な砂鉄の供給源であった。