投稿者「misakimichi」のアーカイブ

耳取峠展望所  南さつま市坊津町坊

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耳取峠展望所  南さつま市坊津町坊

南さつま市坊津町 観光案内マップ、及び現地説明板による説明は、次のとおり。

⑫耳取峠
薩摩富士「開聞岳」から連なる薩摩半島の海岸を一望できる場所。江戸時代、耳取峠からの絶景は「本藩(薩摩藩)第一」と称されるほどでした。

耳取峠
耳取峠の地名は、この地で罪人の耳を切取っていたという説と、この峠に来た人々が眼下にひろがる眺望のすばらしさに見ほれ、立ちつくしたことから、見ほれが訛って、耳取りになったという説があります。
明治の歌人高崎正風は「玉敷きの都あたりに移しなば世にふたつとなきところならまし」と詠い、ここを絶賛しています。

坊の町並みの石畳  南さつま市坊津町坊

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坊の町並みの石畳  南さつま市坊津町坊

坊の町中には、旧海商の屋敷や、古い石垣、石段、石組造りの古い井川(井戸)などが残り、往時の港町の雰囲気を漂わせている。
古い石段や石畳道は、随所で見たので、主なところをピックアップした。案内板やパンフレットによって、さまざまな場所を書いている。

NPO法人・坊津やまびこ会(観光ボランティア)サイト「坊津へようこそ」景観の案内による説明は、次のとおり。

坊 浦     栄華に築いた歴史の湊町

坊浦は、古来中国・南方貿易等の重要港として繁栄を誇った港でありますが、江戸時代初期の秘密貿易に変わり、享保(西暦1722年)の唐物崩れでついに漁港に転身しました。その間一千数百年もの間、栄華が華咲いた輝かしい歴史が存在しました。
”坊津千軒いらかのまちも 出船千艘(せんぞう)の帆にかくる” と唄われたのは、この時代をたとえて表現されています。
しかし、唐の港と呼ばれ、また鶴の港とも呼ばれた坊の港も、今は大きな歴史の流れの中で、沿岸漁業の小型船が浮かび、静かな漁港になっています。

なお、景観はエメラルドブルーをたたえた美しい入江が、華やかな栄華の昔を静かに物語っているかの様であります。折り重なった瓦屋根の家々や荒削りの石垣・石畳には、古き良き時代のたたずみが残されており、港の内外には国名勝指定の 「双剣石」 などの奇岩怪石が風景にアクセントを加え、海底は白砂清澄で訪れる旅人の目を奪うほど感動させられます。
現在、夏場を中心に 「瀬渡し船」 が、釣り場やレジャー用に、それぞれのポイントに気軽に案内するサービスが盛んで好評を博しています。

秘密貿易屋敷跡  南さつま市坊津町坊

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秘密貿易屋敷跡  南さつま市坊津町坊

NPO法人・坊津やまびこ会(観光ボランティア)サイト「坊津へようこそ」史跡の案内による説明は、次のとおり。

秘密貿易屋敷跡    幕末の豪商「森家」

坊津で秘密貿易屋敷(官許貿易に対して)として公開されていた森家は現在八代目にあたります。坊津では享保(西暦1716年)以降も、規模はともかく商いに従事していた者も多かったが、その中でも坊の森家は、幕末の豪商として知られています。
森家は鰹漁業と販売を営み、かたわら海運業者であり島津藩の御用船としても活躍したと言われています。 四代目森吉兵衛が記録した 「坊津拾遣史」 によると初代は安永元年(西暦1772年)からで、当初は海産物である塩漬けや魚の販売で、二代目から屋久島のサンゴ採取をしたり、坊津での金山試掘などを行い、幕末まで巨額の富を蓄えていきます。
尚、森家以外にも坊津では多くの豪商たちが存在していましたが、歴史の流れの中で、江戸時代の建物は老朽化のため大規模に改造されたり、建て替えられたりして現存している建造物は数少なくなりました。
これらの豪商たちが保管していた中国を中心とする輸入品など貴重なものは、現在、南さつま市の歴史資料 「輝津館(きしんかん)」 等に展示されていますので、是非訪れて見て、素晴らしい繁栄の時代を振り返っては如何でしょう。

船戸神社と庚申塔  南さつま市坊津町坊

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船戸神社と庚申塔  南さつま市坊津町坊

NPO法人・坊津やまびこ会(観光ボランティア)サイト「坊津へようこそ」史跡の案内による説明は、次のとおり。

こさっどん   船戸神社

下浜の県道の南側突き当りに船戸神社があります。祭神は猿田彦命ですが、これは中国の岐神(くなど)道祖神で、もともとは道路の神様でしたが、日本へ渡って狩猟や農業の神、地元では漁業の神として祭られてきました。
また、この辺りを「こさっどん」と言う所から高札の場所(法度などを記した立札を立てていた場所)であったと言う説と、沖縄県の石垣島にある崎原御岳(さきはらうたき)の伝説の白髪の老人が、八重山から坊津に鍬、鋤、鎌などの農具を求めに来、開けてはならない「櫃(ひつ)」を授けたと言う話が、沖縄の琉球国由来記の14に伝えられています。 これらから推定しますと「こさっどん」は「耕作」つまり農業の神として祭っていたことも想定されます。
現在でも石垣島の大浜村に有名なヒルマクイ、幸地玉ガネ兄弟が坊津へ渡った話と、その時の「櫃」の中の神を崎原御岳に新神と称して祭ってあるとのことです。

庚 申 塔   市指定文化財

下浜集落の船戸神社の上手の細い道の脇にあります。指宿市山川町でしかとれない黄色っぽい山川石と称する石で出来た三重層の塔で、県下でも二番目に珍しいものである。
下層正面に青面金剛(しょうめんこんごう・病魔や病鬼を追い払う菩薩)を中心に鶏、三匹の猿が彫ってあり左側に奉寄進庚申結衆中、右側に宝永8年(西暦1711年)などの文字が鮮明に判読できます。 道教の影響を受けた庚申講(こうしんこう)と関連があると言われています。
これは平安時代以降盛んだった民間信仰組織で、干支(えと)の庚申(かのえさる)にあたる夜は徹夜して、会食・談合を行う信仰があり、後に社交の場として継続されて来たようではありますが、現在では以前の様な習慣は途絶えているおります。

下浜公園の下浜滝磨崖仏・石管水道  南さつま市坊津町坊

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下浜公園の下浜滝磨崖仏・石管水道  南さつま市坊津町坊

現地説明板は、次のとおり。下浜滝磨崖仏は、説明板表示の場所に近かずけず、確認できなかった。

下浜公園案内図
●下浜滝磨崖仏
御身丈約75cm「地蔵菩薩」と思われる。由来ははっきりしないが一説には、この滝まで海だった頃、船の艫から彫ったものと考えられる。町内では数少ない磨崖仏である。
●石管水道
築路の鰹節製造納屋まで水を引くために造られたものという。約40cmの石管を滝の水源から岐神社下の井川(用水兼用)までつなぎ合わせた水道管である。築造については、江戸末期と明治初頭の二説があるが詳かでない。当初は現在の対岸にあったものである。なお、石管水道の流末水は橋の中央部より流水されていた。

近衛屋敷跡・龍巌寺・八坂神社  南さつま市坊津町坊

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近衛屋敷跡・龍巌寺・八坂神社  南さつま市坊津町坊

「近衛屋敷跡と藤」の現地説明板による説明は、次のとおり。説明文は説明板の裏面に記している。記念碑も近くにあるが、写し忘れた。
上の寺は龍巌寺。八坂神社は海岸側にある。

近衛屋敷跡と藤   (昭和37年11月1日市指定)
左大臣近衛信輔(のち信尹)は豊臣秀吉の怒りにふれて、文禄3年5月21日(西暦1594年)坊津に流され、翌年8月28日までこの屋敷に住まわれていた。
当時公は30才で、書画や和歌に長じ、すぐれた京文化をもたらした。
公お手植えと伝えられるこの藤は「近衛藤」と呼ばれている。なお、坊津戸主会は大正14年8月25日(西暦1925年)「関白准三宮近衛信尹公謫居舊址」の記念碑を建立。
題字は裔子近衛文麿の筆跡蹟」である。

一乗院跡  南さつま市坊津町坊

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一乗院跡  南さつま市坊津町坊

鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。指定地にあった坊泊学園小学校は移転しているので、順路に従い一乗院跡史跡の見学は、自由にできる。

一乗院跡
【所在地】南さつま市坊津町坊
【種 別】県指定史跡
【指定年月日】昭和 29 年5月 24 日

坊津町坊の集落のほぼ中央部の小高くなった坊泊小学校付近に位置していた。坊泊小学校校庭の前面に残る石垣,校庭の一隅にある石造仁王像等があり,校舎の間には,礎石の一部,遺構の一部が保存されている。また後方の畠地の中には特色ある石棺型の上人墓が多数残っている。
延宝元(1673)年に著された『一乗院来由記』によれば,敏達天皇 12(583)年,百済(来由記では百羅と記す)の僧日羅がこの地に三坊を建て,阿弥陀三尊を手刻して安置し,「鳥越山龍巌寺」と称したのが始まりというが,確証はない。長承2(1138)年,鳥羽上皇は院宣によって同寺を紀州根来寺の末寺とし「如意珠山一乗院」の勅号を授けた。その後一時衰えたが,延文2(1357)年日野良成(成円)が島津氏久の協力をえて再興し,氏久は寺領 3260 町歩を寄せた。以後,島津氏の尊崇は厚く,日秀上人をはじめ名僧が輩出し,当地が中世貿易港として栄えたこととも相まって寺運高まり,近世には三州領内に真
言宗広沢派 122 寺を末寺に持つ大寺となった。廃仏毀釈によって寺は破却され,石造仁王も前の谷川に放棄されていた。
昭和 57(1982)年に発掘調査が行われ,一乗院の客殿,本堂の一部,方丈の礎石,石畳等が『三国名勝図会』のとおり発見されている。出土遺物は青磁,白磁,染付,五彩,三彩,土師器,陶磁器等が多数出土した。

鹿児島県のアーチ式石橋 中坊の太鼓橋  南さつま市坊津町坊

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鹿児島県のアーチ式石橋 中坊の太鼓橋  南さつま市坊津町坊

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。
後ろは「谷川橋」は、中坊の太鼓橋を模したようなコンクリート張り橋。「中坊の太鼓橋」と関係ないが、参考に載せる。一乗院跡の奥ノ院川(現大谷川)上流に架かる。

№1,577  中坊の太鼓橋(復元石橋)

南さつま市坊津町坊 中坊
橋長:3.8m  橋幅:4.0m  径間:3.4m  拱矢:1.9m
坊津町歴史民族資料館から国道226号線を400m南下したところ、道路わきにあります

太鼓橋(てこばし)
「昔、奥ノ院川(現大谷川)には橋がなく石伝いに渡っていたので大水がでたときには、里人たちは大変難儀をしていた。それを見かねた坊ノ浜の豪商・蒲地曽左衛門が、享保6年(1721)の10月に架けた橋である。その後、大正5年(1916)10月の県道工事で土台を残し架け替えられた。この橋は、唐(中国)の石積みの形式によったもので県内でも貴重な橋であり、形が太鼓のようになっていたところから太鼓橋(てこばし)と呼ばれた。また橋に使われた石は奥ノ院川から採ったものと伝えられている。
現太鼓橋は国道改良工事に伴い、平成13年(2001)1月鹿児島県により現在地に移設復元されたものです。」

谷川橋(新設橋)

南さつま市坊津町坊
中坊の太鼓橋を模したものでしょうか。

輝津館から見る双剣石周辺  南さつま市坊津町坊

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輝津館から見る双剣石周辺  南さつま市坊津町坊

鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」、及び現地説明板の説明は、次のとおり。「六十余州名所図会」(東京国立博物館所蔵)の図と現代の双剣石写真は、南さつま市パンフレットから。坊津観光マップも載せる。

坊 津
【所在地】南さつま市坊津町大字坊字御崎
【種 別】国指定名勝
【指定年月日】平成 13 年1月 29 日

坊津は薩摩半島の西南端に発達したリアス式海岸である。古くは遣唐使の寄港地であったが,近世以降は美しい海岸の景勝地として有名となった。文禄3(1594)年に豊臣秀吉と対立して坊津に配流された近衛信輔は,坊津海岸の八つの景勝地からなる「坊津八景」を選んで和歌を残した。そのうちのひとつが屹立する巨大な二石からなる双剣石で,江戸時代の浮世絵師歌川広重の『六十余州名所図会』にも主景として描かれている。坊津は近世を通じて薩摩地方独特の海岸風景として喧伝され,その文化的背景を有する風景の価値は極めて高い。

南さつま海道八景  7 輝津館から見る双剣石周辺

輝津館からは、天に向かって剣のようにそそり立つ双剣石を見ることができます。穏やかな波間に対峙するようにそそり立ち、それぞれの高さは27メートルと21メートル。坊津入口網代湾近くに位置します。
また、双剣石一帯は、その景観に加え、歴史・文化的風景が評価され、国の名勝「坊津」として指定されています。
浮世絵で有名な歌川(安藤)広重が画題に用いるなど、江戸時代から著名な地で、周辺の網代湾で行われる漁の様子は、遠方から見物客が訪れるなど、漁業観光のはしりであったと言われています。

坊津歴史資料センター輝津館  南さつま市坊津町坊

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坊津歴史資料センター輝津館  南さつま市坊津町坊

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。長崎県大村市や最近、生月島でも発見されている薩摩塔の展示品を確認したかったが、館内は撮影禁止のため、屋外の展示物を写した。薩摩塔の写真は同館パンフレットから。

坊津歴史資料センター輝津館

事業主体  南さつま市
管理運営  南さつま市
所在地   〒898-0101 鹿児島県南さつま市坊津町坊9424番地1
アクセス  鹿児島市から車90分

坊津歴史資料センター輝津館(ぼうのつれきししりょうせんたーきしんかん)は、鹿児島県南さつま市にある博物館。

概要
日本三津の一つに数えられた坊津の交易資料、仏教資料、漁具などの民俗資料を所蔵・展示している。
主な展示品
・絹本著色八相涅槃図 – 龍巌寺(南さつま市坊津町坊)から寄託。国の重要文化財に指定。
利用情報
・休館日:館内燻蒸日、館内整理日  ・開館時間:9時〜17時
・入館料:大人300円(小中学生100円、幼児無料)、20名以上の団体大人210円(小中学生70円)