近衛屋敷跡・龍巌寺・八坂神社 南さつま市坊津町坊
「近衛屋敷跡と藤」の現地説明板による説明は、次のとおり。説明文は説明板の裏面に記している。記念碑も近くにあるが、写し忘れた。
上の寺は龍巌寺。八坂神社は海岸側にある。
近衛屋敷跡と藤 (昭和37年11月1日市指定)
左大臣近衛信輔(のち信尹)は豊臣秀吉の怒りにふれて、文禄3年5月21日(西暦1594年)坊津に流され、翌年8月28日までこの屋敷に住まわれていた。
当時公は30才で、書画や和歌に長じ、すぐれた京文化をもたらした。
公お手植えと伝えられるこの藤は「近衛藤」と呼ばれている。なお、坊津戸主会は大正14年8月25日(西暦1925年)「関白准三宮近衛信尹公謫居舊址」の記念碑を建立。
題字は裔子近衛文麿の筆跡蹟」である。