投稿者「misakimichi」のアーカイブ

名護市立名護博物館所蔵の印部石(ハル石) ( 沖縄県 )

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名護市立名護博物館所蔵の印部石(ハル石)

沖縄県地域史協議会 地域史叢書「沖縄の印部石(しるびいし)」2009年8月発行に、名護市立名護博物館所蔵の印部石(ハル石)は、次のとおり掲載されている。
順不同、展示されている一部を名護博物館の許可を得て撮影してきたが、印部石の状況写真として見ていただきたい。サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストは、現地に現存する印部石のみ登載対象としている。

46p 印部石 め きちる原  56×25×7.5cm 硬砂岩 名護市指定文化財
48p 印部石 た こくてん原 56×24×13cm  安山岩 名護市指定文化財
49p 印部石 き さきやま原 67×23×20cm(最大値) 泥 岩
53p 印部石 キ たこ川原  61×25×16cm  石英はん岩
54p 印部石 テ なかをす原 63×27×20cm  砂 岩 名護市指定文化財
55p 印部石 き まてきや原 55×23.5×14.5cm 砂 岩 名護市指定文化財
57p 印部石 □ ・・・     55.5×24.5cm  流紋岩
68p 印部石 ち かうち原  69×22×12cm  石英はん岩 名護市指定文化財
69p 印部石 ゆ 寸ろき原  58×25×12cm  砂 岩 名護市指定文化財
72p 印部石 く せなか原  54×20×16cm  砂 岩 名護市指定文化財
76p 印部石 ヨ ふくち原  32×15×3.8cm  陶 製 名護市指定文化財
78p 印部石 ヱ ゐまた原  56×25×12cm  砂 岩 名護市指定文化財

名護市教育委員会社会教育課「なごわらびーネット なごしキッズサイト」による説明は、次のとおり。

■ 名護博物館所蔵のハル石(なごはくぶつかんしょぞうのはるいし)
市指定有形民俗文化財  指定年月日 平成4年12月1日
ハル石は印部土手石(しるびどていし)ともいいます。1737年〜1750年に琉球王国の三司官(さんしかん、今の大臣)だった具志頭親方蔡温(ぐしちゃんうぇーかたさいおん)という人が行なった検地(けんち)の時に建てられたものです。検地とは、農民の田畑などをはかって調査することです。ハル石は土地をはかるのに必要な基準点(きじゅんてん)として建てられました。石には、建てられた場所の地名と、ひらがなやカタカナがきざまれています。ひらがなやカタカナは、ハル石を建てた順番を表していると考えられています。
沖縄全体で7,000〜8,000基も建てられたといわれていますが、今ではその中の200基ぐらいしか見つかっていません。名護市では37基が見つかっていて、その中の12基が名護博物館に展示されています。
ハル石に刻まれている地名は、今はもう無くなってしまった地名もあります。ハル石はむかしの地名を知ることができるので、地域にとってとても貴重(きちょう)な資料(しりょう)です。

塩 川  本部町崎本部 ( 沖縄県 )

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塩 川  本部町崎本部

現地説明板は、次のとおり。名護市から国道449号により本部町へ向かう。本部町に入ってすぐが崎本部塩川集落である。塩川バス停手前に、国指定天然記念物「塩川」の説明板があった。

国指定天然記念物  塩 川   昭和47年5月15日
この塩川は海岸線より150m余の陸地内部にあって海面上1.29m〜1.42mの岩場から常時海水を湧水している世界でも珍しい川で昭和47年5月15日、国の天然記念物に指定された。
この塩川の湧出機構については岩塩層説、サイフォン説、地下空洞説などいろいろあるが、確定的なものは未だない。
これまでの調査によれば
①潮位と水位(湧水量)は比例する。
②湧出量と塩水濃度は逆比例の関係にある。
③海水と陸水が混合したもので岩塩層説は全く否定される。
海水の流れる川は世界でもここ「塩川」とプエルトリコの二カ所しかなく貴重な川である。
この地域において許可なく現状を変更し、または保存に影響を及ぼす行為をすることは法律で禁じられています。      本部町教育委員会

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

塩 川 (沖縄県)
塩川(しおかわ)は、沖縄県国頭郡本部町字崎本部塩川原にある全長約300メートル、川幅4メートルほどの小規模な河川であるが、日本国内ではで唯一塩分濃度の高い河川として、沖縄返還当日の1972年(昭和47年)5月15日に、国の天然記念物に指定された[1]。

概要
沖縄本島北部、本部半島の地質には石灰岩が多く含まれており、雨水が石灰岩の亀裂から地下に浸透し、海岸近くで湧水となっている場所が多くあり、地下には多数の鍾乳洞が存在すると推察されている。塩川も鍾乳洞からの湧水を水源とするもので、湧水量は毎秒100リットルを超える本部半島では第一級の湧水であるにもかかわらず塩分を含むことから、古くから「本部の七不思議」のひとつとされてきた[2]。石灰岩の洞口から勢い良く湧き出す水は、そのまま僅か数百メートルの小川となって東シナ海へ注いでいる。

世界には有名な塩湖である死海や、砂漠地帯には岩塩が地表に表れている場所もあるが、これらは水中の塩分が水の蒸発によって濃縮されたもので、気温の高い乾燥気候という特殊な条件下のもとにできたものである。日本のように適度な降水量がある湿潤な気候条件下では地上に塩分が湧出するようなことは通常ではありえない[3]。

塩水の湧出構造
塩川の水は海水が約4.5倍の淡水に薄められたもので、カルシウム分だけが海水における含有量よりも際立って多く含まれており、カルスト由来の石灰分が溶けていることを示している[2]。
陸域からの強い淡水の流れが石灰洞系をつくる流路を海水準下にまで下がって流下するため、海水と地下水(淡水)が混じり合い、その後に地表に湧出すると推定されている[2]が確定的なものは未だにない。

これまでの調査により明らかになっているのは、塩川の湧出量は那覇港の潮位と連動しており、満潮時に湧水量が増加し干潮時に湧水量は減少する。また、湧水量と塩分濃度は反比例の関係にあり、水量が多いと塩分濃度は低くなり水量が少ないと塩分濃度は高くなる。加えて降水量も塩分濃度に影響を与え、24時間降水量が200ミリを超えるような大雨が降ると、約1日遅れて湧水量が急激に増加し塩分濃度は低下する。これは海水と混合する塩川湧水の淡水の供給源が、降雨の影響を受ける鍾乳洞の水を主体としていることを示している[3]。

生物的自然
希少種の海藻が生息しているとして、日本の重要湿地500に選定された[4]。特に危急種に指定されているシオカワモッカは、日本国内では唯一塩川でのみ生息しているが、大雨による赤土流入の影響で、生育環境が悪化している。また近年、塩川周辺を通る国道449号の道路拡張整備により、日当たりが良くなり、アオノリやアオサ等の他の海藻が繁殖し、日陰を好むシオカワモッカの生育を妨げている[5][6]。

参考文献
・加藤陸奥雄他編 『日本の天然記念物』、講談社、1995年3月20日 第1刷 p.918、pp.920-921 ISBN 4-06-180589-4

宜野座村のカチバ  宜野座村松田・漢那 ( 沖縄県 )

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宜野座村のカチバ  宜野座村高松・漢那

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。猪垣とは、方言「カチバ」と呼ばれ、宜野座地域では明治以前からどこの集落も、集落周辺の畑と山の間に廻らせていた。現在、確認できるのは、「宜野座村の文化財分布地図」によると、松田地区と漢那地区の3箇所に表示されている。
私が訪ねたのは。村の東部・松田地区「高松の猪垣(カチバ)」。国道329号宜野座大橋を過ぎて、左上高台へ上がる町道に入り、松田地区高松の交差点手前に史跡説明板があった。赤線の猪垣跡を神社手前まで辿った。
村の西部・漢那地区は、漢那原平松原ハウス団地組合の高台農道脇に残るようなので、これが猪垣か断定できないが、農道沿い左側の主な土盛り跡を写してきた。漢那福地川右岸のは、はっきり確認できなかった。

高松のカチバ たかまつ(カイクン)
(国頭)宜野座村 松田地区 猪垣(土塁) 約2.3㎞→ 1.2㎞,高約1m 琉球王国時代 市教委/
WEB(みさき道人) 猪垣→保安林 土塁の上にテーブルサンゴ石や竹槍を刺し、島竹を植え、猪が土塁を越えないよう工夫されていた 2 B

漢那のカチバ かんな
(国頭)宜野座村 猪垣(土塁) 集落全体,高さ約1m 琉球王国時代 市教委/WEB 集落内なので途切れ途切れに残る 低い土塁と密生した木だけの簡単な構造 3 C

名古川の泉(ナコウガー)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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名古川の泉(ナコウガー)  金武町金武

国道329号金武大橋を渡り、金武町中川区の中川バス停まで行く。右側にローソンあり、左右どちらの町道から入ってもよいが、合流するところの草原奥に「名古川の泉(ナコウガー)」の井泉がある。
現地説明板には「国頭方東宿道に隣接した井泉は、往時の役人や旅人が労を癒したところであったと伝えられている」とある。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

ナコウガー(名古川)の泉 [記念物(遺跡)]
中川区名古川原10408番地に位置し、部落の先人達が生活の中で造り利用した掘り下げの井泉で、南西約350mの地内に背からの集落が多く見受けられます。近年まで地域住民の飲料水であり、元旦の若水を汲み、産水として利用された井泉です。井泉の下方には野菜・芋・農具の洗い場や牛馬の洗い場などがあり、近くの子供たちの遊び場でもありました。
花城文進氏(83才)によれば、泉の近くの畑に花城、屋比久両家の藍つぼがあり、付近の畑では昭和初期頃まで藍の栽培が営まれ、藍つぼは昭和50年代までその跡をとどめていたそうです。昭和37年に上水道が地域に普及し、生活様式の変化と共に泉も生活用水として利用されなくなり、今日まで至っています。
指定年月日 :平成6年4月28日
所在地 :金武町字金武10408番地

茶 川 (サーガ)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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茶 川 (サーガ)  金武町金武

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。慶武田川(キンタガー)から離れた東側にあるが、場所がわかりにくいから、国道329号にいったん戻る。金武大橋の手前、県道104号入口の金武交差点から反対側の南へまっすぐな町道に入る。
しばらく進むと広い四つ角あり、左折して谷間へ下ると左奥にうなぎ養殖場のハウスが見える。「茶川 (サーガ)」がこの養殖場の水源となっているので、場内に入れてもらい奥に行くと「茶川(サーガ)」の湧水がある。
所在図㉟のところ。坂段上はヤブとなって道から入れない。

茶川 サーガ
(国頭)金武町 湧水 琉球王国時代? 町史跡 WEB 四角の囲いはコンクリート製 石灰岩基盤の多孔質より湧出る水を、囲いに引いた井戸 3 C

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

茶川(サーガ) [ 記念物(遺跡)]
茶川(サーガ)の泉は、琉球石灰岩基盤の多孔質より湧出る自然的な古い形態をとどめた囲い井泉です。金武の古謡に「神人来りて、福蔵の水清し・・・」とあり、水清しは茶川の泉からの清流を謡ったのではないかと暗示されています。
豊富な湧水は、茶川の水田から水田へ送る「田越灌漑」により、福花原の水田に利用されていました。
また、イジュイダカリや美里原の地域住民の飲料水として昭和38年頃まで利用され、地域住民の生活と深い関わりを持った泉です。
指定年月日 : 平成3年12月24日
所在地 : 金武町字金武12041番地2

慶武田川(キンタガー)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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慶武田川(キンタガー)  金武町金武

国道329号金武町の中心部、金武町役場入口の交差点まで行き、南東へ町道の坂道を下る。並里公民館の右下に「金武大川(ウッカガー)」の井泉である。この町道をまだ下って行くと、並里部落南東の端に「慶武田川(キンタガー)」の井泉がある。
現地に案内標識や説明板は特にない。「金武大川(ウッカガー)」にある所在図から参照㉞

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

慶武田川(キンタガー) [ 記念物(遺跡)]

慶武田川の泉は並里部落南東の端に位置し武田原を前に控えた大きな井泉です。森を背にした井泉は夏場でも渇水することがなく、慶武田川の水は底から湧出ると伝われるくらい、豊富な水量を有しています。昔は樋からあふれ出る水を利用して、「もやし作り」が行われていた時期もありました。
昭和38年頃に各家庭に水道が普及するまでは、泉は地域住民の飲料水として、また洗濯・水浴場・農産物洗い場として利用され、地域住民の日常生活に欠くことのできない井泉でした。地域住民の生活感情や風習との関わりを持ち、長い歴史をとどめた希有な井泉です。
指定年月日 : 平成3年12月24日
所在地 : 金武町字金武919番地

金武大川(ウッカガー)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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金武大川(ウッカガー)  金武町金武

国道329号金武町の中心部、金武町役場入口の交差点まで行き、南東へ町道の坂道を下る。並里公民館の右下に大川児童公園がある。この前が「金武大川(ウッカガー)」の井泉である。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

ウッカガー(金武大川) [ 記念物(遺跡)]
ウッカガー(大川)は、並里部落の中央に位置する部落共同井泉で、カーヤマを背に湧出る清水は、県下に知られた井泉です。大正12年に衛生上の見地から改修計画金武並里両区で経費を負担し、大正13年1月に竣工されました(金武町史より)。
コンクリートで用途別に区切り、道路を境に泉口の堰を飲料水、近くに男女の水浴場を設け、道路下方を洗濯、芋洗場、更に下方に牛馬の水浴せ場をして構築されました。水道が普及するまで金武並里住民の飲料水の汲み場であり、元日の若水を汲み、もやしを作り、夏の水浴を楽しむ語らいの場で朝に夕に人々が絶えない場でした。
豊富な水量は、かんばつ時にも変わることなく、余水は武田原に注ぎ用水として稲・水芋の産地を形成しています。生活様式や地域社会の変化の中で幾度か変遷を重ねながらも、「長命の泉」を象徴するように湧き続ける井泉は、先人達よりの文化遺産です。
指定年月日 : 平成4年5月7日
所在地 : 金武町字金武640番地

屋 川(ヤゴー)  与論町麦屋 ( 鹿児島県 )

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屋 川(ヤゴー)  与論町麦屋

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。与論町役場から県道623号を南回りし与論小学校角まで向かい、南の町道へ右折すると「屋川」の洞井(湧水)はあるようである。
画像提供は、(社)ヨロン島観光協会。「奄水」(アマンジョウ)とも所在図も、同協会「ヨロン島まるごとマップ」から。

屋川 ヤゴー
(大島)与論町(与論島) 洞井(湧水) 永正9(1512) 町史跡 WEB 非現役 与論世之主(又吉按司)による与論城跡築城の際、来朝した沖縄の石積工が発見したという伝承/昭和45頃まで、城集落の飲料用水として利用されていた 2 C

与論町教育委員会HPの文化財による説明は、次のとおり。

屋川(ヤゴー)
この地下のわき水は、与論世之主が築城時代より使用されたという説があり、城集落の生活用水として利用されていたが、水道施設がなされてからは使用されていない。 ちなみに、この流水は南海岸のウジジ浜に流れ出ている。

観音寺のフクギ・観音寺・日秀洞  金武町金武 ( 沖縄県 )

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観音寺のフクギ・観音寺・日秀洞  金武町金武

国道329号金武町金武の中心部から、奥の通りの「金武観音寺」へ入る案内標識がある。「日秀洞」は、観音寺境内にある鍾乳洞。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

観音寺のフクギ [天然記念物]
観音寺のフクギは、正門礼拝道を下った17m左側に位置し、その樹根・樹枝の大きさは、沖縄本島各地の樹木(フクギ)調査の中でもひときわ大きいフクギの木で、各地の調査と比較した結果によると樹齢約350年と推定された希少な巨木です。
幾年代の歴史を積み重ね成長し強く根を張り、高く、どっしりとそびえるその樹影に愛郷のこころを育む巨木です。
近年、金武町に於いても宅地の整地、土地造成事業等による緑の破壊が進む中で、自然的な景観と緑に対する町民の認識を深める上からも、このような稀有な巨木は町の遺産だと考えています。
指定年月日 : 平成3年12月24日
所在地 : 金武町字金武222番地

観音寺 [建設物]
観音寺は、16世紀に日秀上人によって創建されました。 現存する観音寺は、昭和17年に再建されたものですが、建築手法には近世社寺の手法が取り入れられています。 沖縄県下の社寺建築の多くは、今次大戦で焼失しましたが、幸い観音寺は戦災を免れ、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築として今日に至っています。
指定年月日 : 昭和59年6月1日
所在地 : 金武町字金武222番地

伊芸のガジュマル  金武町伊芸 ( 沖縄県 )

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伊芸のガジュマル  金武町伊芸

国道329号金武町伊芸の中心集落から、伊芸地区公民館へまっすぐ北に入る道がある。このすぐの左角の先にがじまる公園があり、大きなガジュマルの木「伊芸のガジマル」が生える。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

伊芸のガジマル [天然記念物]
伊芸旧区事務所跡の「がじまる」の樹は金武町地内の熟成木の中でも樹齢約300年と云われる稀な名木で、その毅然と立つがじまるの樹は部落の多くの出来事を見守り、村芝居や綱引き等部落の行事を興し、農作業の労を癒し人々の語らいの場を提供しています。
また、年輪を重ねる毎に部落の歴史を刻み地域の風土を語り、部落の風景を創り出します。
この名木の「がじまる」の樹を町文化財として保護・育成する事により、町民の郷土に対する認識と理解を深め、文化の高揚に資することを目的としています。
指定年月日 : 平成3年7月12日
所在地 : 金武町字伊芸33番地