長崎の古写真考 目録番号:4813 茂木街道(5) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:4813 茂木街道(5) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:4813 茂木街道(5)
〔画像解説  超高精細画像〕
この写真のタイトルは「長崎からの茂木街道」となっている。撮影時期は彩色写真から見て、明治20年(1887)代である。写真の対象は、比較的規模の大きな住宅の前に止まる人力車に乗った若い女性と車夫の演出写真である。撮影場所は、道路の整備状況から判断して、茂木の港の近くではないかと思われる。明確な場所の特定はできていない。明治時代には、茂木は長崎から小浜、熊本、鹿児島方面へ人や物資を運ぶ重要な港であった。また、居留外国人の保養地として知られていた。江戸時代に、長崎から茂木に到る街道があったが、明治時代になり、人力車や荷車が通行する近代的な道路を開削する必要があった。そこで、長崎県は明治18年(1885)から茂木新道の開削に着手した。特に、田上の切り通しの開削工事が困難であった。明治20年(1887)6月25日、午後1時より、当時の茂木村田上名において開通式が行われた。

目録番号:3837 茂木街道田上梶原茶屋 (掲載略)

■ 確認結果

きょう2012年2月11日付、朝日新聞長崎地域版”長崎今昔 長大写真コレクション”に掲載された「田上の東郷・梶原茶屋」古老の証言から特定。解説は次のとおり。
「これまで撮影場所も建物の名前も不明でしたが、今年に入って長崎市の茂木支所職員が地元の古老に確かめ、昭和初期まで田上の中心地にあった東郷茶屋であることがわかりました。場所は現在の長崎バス田上バス停付近。手前の石垣は隣の茶屋、鶴見荘のものです」

「東郷茶屋」は、データベースでは目録番号:4813「茂木街道(5)」の作品。私も以前から田上の茶屋と思っていたが、深く調査はしなかった。看板「江戸町の広島岩作商店」も興味はあった。
ところで、本ブログこの古写真考は、別に「東郷茶屋」の疑問ではない。茶屋がそんないきさつでわかったなら、次のデータベース作品も、「撮影場所:神戸」となっているが、実は「茂木街道」関係の古写真なのである。

地元茂木の関係者や長崎大学附属図書館は、まだ知らないと思われる。早く正しい検証をお願いしたい。
この記事は再掲。次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2218

目録番号:1962 山間の水車小屋  撮影地 茂木町の河平川岸
https://misakimichi.com/archives/2210
目録番号:1963 八坂神社      撮影地 鍛冶屋町の八坂神社
https://misakimichi.com/archives/2211
目録番号:1964 弟を背負う兄と妹 撮影地 茂木町の茂木街道「河平橋」手前
https://misakimichi.com/archives/2212
目録番号:1965 山腹から望む港町 撮影地 桜木町の弥生が丘バス停付近
https://misakimichi.com/archives/2213
目録番号:1966 漁村の風景     撮影地 茂木町の茂木郵便局前
https://misakimichi.com/archives/2214
目録番号:1967 海岸を散歩する外国人 撮影地 茂木町の茂木郵便局先
https://misakimichi.com/archives/2215