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戸石の六地蔵塔  長崎市戸石町

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戸石の六地蔵塔  長崎市戸石町

長崎市にあるものでは一番古い。市指定有形民俗文化財。長崎市戸石地区事務所のすぐ裏手の山中高台にある。地区事務所入口の消防建物の左角から細い道を上がって行くとすぐである。現地説明板は次のとおり。
最後の写真は、諌早市唐比天満社の六地蔵塔を参考のため。

市指定有形民俗文化財   戸石の六地蔵塔    指定年月日 昭和52年7月20日

この戸石の六地蔵塔は、肥前東部旧佐賀領を中心に分布する重制石幢(とう)の六地蔵で、この型式の六地蔵は、筑後肥前型と呼ばれ室町時代中期以後、江戸時代前期にかけて流行したもので、長崎市にあるものでは一番古い。
基礎と竿石は連続二石積みの角柱である。竿石には円・角・月型の彫り抜きがあり、各地蔵は蓮台に立つ厚肉彫りの立像である。
島原の乱(1637〜1638)後、この地に宝瑞庵が創設されたといわれるが、六地蔵銘は慶長9年(1604)であるから、これよりも古く、もともとこの地に存在していたものか、宝瑞庵創設後他から移したものかは不明である。
長崎市教育委員会  (62.12設置)

雪浦の目一ッ坊岩の石鍋跡と山中の境石を見る  平成20年2月

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雪浦の目一ッ坊岩の石鍋跡と山中の境石を見る  平成20年2月

雪浦の目一ッ坊岩の石鍋跡と山中の境石を見ようという大瀬戸歴史民俗資料館の江越先生の企画行事。平成20年2月13日に参加14人で実施した。コースは、県民の森西ゲートー目一ッ坊岩ー原山ータンポ山ー御用堤ー自然歩道ー西ゲート。
いつもの調子で、のんべんだらりと後から歩いていたら、最初から道がわからなくなり、また置いてきぼりされた。街道歩きの人は足が早い。携帯は通じない。この日私は何の目的を達せず、時間つぶしだけした。みじめ…。

快晴の2月16日。ひとりでリベンジ。地図も持たず位置勘だけ。目一ッ坊岩の石鍋跡はわかりにくい場所にある。岩の周辺を3回まわってやっと見つけた。何のことはない。自然歩道を九電鉄塔の方まで行って登ればすぐで、また弁慶岩洞窟や頂上へ立てる。
石鍋跡は岩裏側の中腹の離れた岩面にある。歩道に今つけている標識は不親切だ。ただ、岩の真下で岩が眺められるからその標識。手前すぎる。ここから登ると石鍋跡まで遠く踏跡不明でたどれない。初めての人は、誰でも迷って探しきれないのでは。

目一ッ坊岩の尾根を歩き、鞍部で崖面工事中の林道へ出る。左、左と林道を進むと、植林の伐採地で行き止り。先は尾根の作業山道。「大村郷村記」雪浦村・神浦村に記す村境石を連続して8基ほど見る。
先は踏跡不明となったので、やや明瞭だった小沢へ下り、本流との合流点から今度は本流を遡った。植林地内で作業道があり、つめるとタンポ山広場だった。境石はこの谷にもあった。
コンクリート林道が御用堤まで出る。林道の途中からは県民の森小道がある。後は九州自然歩道を歩き岩瀬戸渓谷の車道を下って、出発の西ゲートへ戻った。西ゲート付近は「西彼杵半島ふるさと林道」の橋脚架設中。一帯で道路工事が進められている。

国地院地図は郷土誌から理解のため掲げるが、国有林内がほとんどで一般人は歩いてはいけない。道もわからないだろう。大瀬戸町「大瀬戸町郷土誌」平成8年刊228〜229頁から次の話だけ紹介する。
目一ッ坊の洞窟

目一ッ坊は、河通川の南岸に聳える、標高三三〇メートルの、峻険な山塊の頂上に近い急斜面にあり、その頂上にある岩山を目一ッ坊岩と呼んでいる。この岩山を遠くから眺めると、ちょうど帽子をかぶったように見える。
この周辺には、かつての石鍋製作所跡があり、現在もその未完成品が散在し、滑石露頭面にはその痕跡をとどめている。
なおこの近くには、高さ約六〜七メートルの断層間の間隔に、「弁慶岩」という洞窟があるが、この洞窟については、次のような話が伝えられている。
「巨岩の内には洞窟があり、この洞窟に近づくと、その身に凶禍が及ぶ」といわれ、この洞窟には誰一人入った者はいないという。また「この洞窟の奥には石棺が置いてある」とも伝えられるが、それをまた見た者はいないといわれる。
一説には、かつての古代人の住居であったとか、キリシタン信者の隠れ場所であったとかいわれるが、いずれも定かではない。 

福田千本松原のアコウとマツ  長崎市福田本町

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福田千本松原のアコウとマツ  長崎市福田本町

長崎市西部の福田本町。国道202号線により行く。福田千本松原の先の海は埋め立てられ、海上レジャー基地”長崎サンセットマリーナ”となっている。
福田の浦は、長崎港が開港される前に開港された。長崎の港口に当り、千本松原は古台場跡である。今は姿を変え、松とともに遺跡らしさもところどころしか見受けられない。

台場跡の石垣にはアコウが群生していた。口之津町早崎漁港の群落に及ばないが、長崎市内では珍しい群生地であろう。
千本松原であった名残りを偲ばせるマツの大木は、数本が福田中学校裏門辺りに残る。マツの大木はなかなか目にすることがない。ブログに登場させるため市内でマツを探していたが、やっと会った感がする。
福田中学校の正門内庭にも、アコウが植えられ大きくなっていた。なお、山手の福田天満宮にもクスノキの大木がある。

手熊橋の古い親柱  長崎市手熊町

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手熊橋の古い親柱  長崎市手熊町

長崎市西部の手熊町。手熊川河口にある小さな石橋「杉の上橋」を見に行った。HP「長崎県の石橋を訪ねて」によると、「河口の手熊橋も石造アーチ橋で有ったが、昭和57年の水害後撤去してしまった」とある。
現在、この「手熊橋」には、脇に古い親柱が2本残されている。地元で聞くと、石橋が解体されたのは、長崎大水害後でなく昭和40年代である。国道202号線ができ、橋の老朽化と道路拡幅のためである。銘板によると「昭和47年3月竣工」とあった。
古い橋の親柱をこうして保存されているのは、地元の心にくい配慮といえよう。1本は「手熊橋」、1本は「てぐま橋」と刻まれている。

手熊川河口のアコウと白髭神社の社叢  長崎市手熊町

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手熊川河口のアコウと白髭神社の社叢  長崎市手熊町

長崎市手熊町へは、国道202号線により飽の浦方面から行くか、県道112号線により小江原方面から入る。手熊橋の近く手熊川の河口は、海岸埋め立てもなく、昔のたたずまいが残り、アコウの大木が4本見られる。
杉の上石橋の対岸には、岸の石垣から川面へ横に張り出したアコウがあり、幹を積んだ石で支えていた。近くの白髭神社の社叢にはアラカシ、エノキ、ツバキがある。右隣り海岸側高台の手熊台場跡には、カゴノキの大木があった。

長崎の住宅地などに残るアーチ石橋  長崎市伊良林2丁目ほか

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長崎の住宅地などに残るアーチ石橋  長崎市伊良林2丁目ほか

長崎市の中島川石橋群は有名であるので、これら以外の長崎の住宅地などに残るアーチ石橋。最近の橋の姿を写した。
西山川・古賀・船石・平野・坂本はすでに紹介している。畦別当・出島・あぐりの丘は後日訪ねたい。HP「長崎県の石橋を訪ねて」リストによる順序。説明は次のとおり。

写真 1  第 68 番 若宮神社参道橋   長崎市伊良林2丁目
元治2(1865)年  長さ2.8m  幅員約2.4m
竹の芸で有名な若宮稲荷神社の参道に架かる橋。
小さいが端正な石橋だ。写真中央の左下に見える穴は、川の断面積を広げるためのバイパス。橋の保護のための手法の一つ。

写真 2  第 85 番 森   橋      長崎市館内町18〜十人町11
明治25年 長さ約2.5m  幅員 約2.0m
森伊三次氏が寄贈した橋。地元出身の森伊三次氏が寄贈した橋は、同じ川の上流に、もう2橋ある。アーチ橋ではないのだが、これも石橋。榮(さかえ)橋とが森伊橋。

写真 3  第 51 番 杉の上橋      長崎市手熊町
大正5年  長さ4.6m  幅員1.8m
手熊川の河口から50m程上流の支流との合流点に架かる。
河口の手熊橋も石造アーチ橋で有ったが、昭和57年の水害後撤去してしまった。杉の上橋は気をつけていないと、ただの歩道に見えてしまう。

写真 4  第 160 番 三原町2号橋    長崎市三原1丁目13番地(浦上川支流)
年代は未確認  長さ6.0m  幅員2.7m
浦上川の支流だが正式には下の川都市下水路という。
西山線のバス停、登立口バス停から下る。付近の車は通るが、外部の人間には通行が難しい。10

写真 5  第 161 番 山 口 橋       長崎市虹が丘町6番地(岩屋川)
年代は未確認  長さ4.9m  幅員3.8m
親柱が4本とも残っているが、橋の上部は嵩上げされていて判りにくい。
道の尾から、長崎工業高校に向けて走って、並行する岩屋川に沿って旧道にはいる。橋の向こうは岩屋山公園の上り口。だから山(の)口橋かも。

写真 6  第 153 番 本河内3号橋    長崎市本河内1丁目トンネル西口バス停そば
年代は未確認  長さ3.52m  幅員2.52m
長崎街道に架かる橋
日見トンネル西口から、峠の入り口に架かるこの橋は、長崎街道の通過点。

(追 記  2010年11月17日)

写真 7  第 209 番 下向の橋      長崎市向町
長さ2.0m  幅員2.1m  径間1.6m
向町といっても馴染みが少ないが式見漁港の住宅街の小道に架かる橋。径間僅か1.6m、長い石材が少ない地域とはいえ道路に架かる橋としては最小径間クラスの橋だ。
次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/2448

写真 8           若宮神社参道の桁橋  長崎市伊良林2丁目
長さ2.3m  幅員3.0m
若宮神社の大鳥居がある参道石段の途中に架かる。アーチ式石橋の下流側。

長崎大学附属病院横に赤レンガのミニ石橋?があった  長崎市坂本1丁目

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長崎大学附属病院横に赤レンガのミニ石橋?があった  長崎市坂本1丁目

最初は、長崎市平野町22街区にある赤レンガと切石の「階段橋」写真。長崎大学附属病院前から医学部正門の方へバス道路はカーブする。すぐ左に富士医科精器長崎支店ビルと看板があり、歩道から下方の小川を覗くと階段橋はある。
階段部分は崩落しかけている。原爆落下中心地は間近か。よく耐え、灼熱地獄を見たであろうと思われる年代の不思議な橋。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」の説明は次のとおり。

第 100 番 平野町の階段橋   長崎市平野町22番の旧道(裏道)
年代は未確認   長さ 約3.0m 幅員 約1.2m
赤レンガと切石の階段橋。長崎大学付属病院からの小川にかかる。
もとはどんな役目の階段だったんだろうか? 行き場の無くなった橋は哀しい。

源流は、坂本小学校上の穴弘法寺の山。下流と上流をたどった。下流はすぐ暗渠となって、九電工ビルからバス通りの下をくぐっているようだ。バス道路を渡って上流の旧道を行く。「清水橋」「大正十三年八月竣工」と銘があるコンクリート橋があった。
川の先はすぐ右から枝川がある。合流点にコンクリートの堰堤が築かれ、2本の小川の流れを集めている。

大学病院が現在地の坂本にあるのは、第五高等中学校医学部時代の明治24年(1891)から。堰堤は水を溜めてない。大雨時に右道路下暗渠?へ川の流れを変えるよう鉄柵の落し口がある。この上方の枝川流れ込み出口が赤レンガのアーチ式ミニ石橋?となっている。
上は大学正門左横から坂本小学校へ上がるれっきとした広い市道。底に降りて調べた。

アーチ部分は、長さ6.3m、幅員1.1m。奥は現在、大学の駐車場と正門道となり、暗渠か真っ暗である。赤レンガはただ張っているようであり、厳密なアーチ式石造橋とは言えないかも知れない。下水路のような橋であるが、HPを作成している方のリストには表われてないので、見てもらいたい。
橋の場所は、長崎市坂本1丁目8街区。大学病院前交差点から30mほど市道を入った木谷内科ビルのすぐ先角である。

県立長崎工業高校角の「かりさこ橋」は石橋か?  長崎市岩屋町

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県立長崎工業高校角の「かりさこ橋」は石橋か?  長崎市岩屋町

道の尾交差点から左へ虹が丘病院や岩屋神社に行く道へ入る。市道岩屋町滑石線。工業高校前バス停の手前岩塔橋にかかると、左下に長崎県立長崎工業高校があり、校舎の左角に「かりさこ橋」が架かって見える。一見すると見事なアーチ石橋。

しかし、この橋はHP「長崎県の石橋を訪ねて」には出てこない。総合サイトトップへ戻ると、”fwd‐net長崎・諫早”。HP同氏のか、「お気楽日記帳」2007年7月14日記事「石橋かな?」に次のとおり出てくる。

fwd‐net長崎・諫早の変化狸の森羅万象日々雑感  「石橋かな?」

岩屋町開成学院前かりさこ橋という記載が57年の長崎市の調査資料にあるが、長崎工業高校のところに有ると聞いたので、ちょっと拝見。
写真のように一見、石造アーチ橋のようにデザインされた橋が在った。親柱を見ると「かりさこばし」とあるから、この橋のことなんだろう。
(ここで「続きを読む」をクリックすると)
石積みはあるが、コンクリートアーチの桁橋であった。残念。

「かりさこ橋」で検索すると、同ブログはすぐ出てくる。長崎工業高校は、昭和46年、家野町から現在地の県立開成学園跡地へ全面移転している。
私のブログ中の「長崎の石橋」は、専門の記でないからこんな橋も訪ねる。解体されてとうの昔から新しくなっている橋も、どんなところか見てみたいから訪ねて記事にしている。
この岩屋川沿いのまだ上流、旧道には「山口橋」が石橋としてただ1つ残っているが、これは後項により紹介する。

雪浦海浜公園・つがね落しの滝・九州自然歩道の風景  西海市大瀬戸町雪浦

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雪浦海浜公園・つがね落しの滝・九州自然歩道の風景  西海市大瀬戸町雪浦

平成20年2月13日、西海市大瀬戸町雪浦へ行く。雪浦海浜公園・つがね落しの滝・九州自然歩道の風景。歩道の途中、集落の石垣と猪垣の跡が荒れてあった。