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富岡城跡  天草郡苓北町富岡

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富岡城跡  天草郡苓北町富岡

熊本県観光サイト”なごみ紀行 くまもと”による説明は次のとおり。

富 岡 城 跡

富岡城は別名臥竜城と呼ばれ、慶長9年(1604)天草統治の本拠地として肥前唐津の城主・寺沢志摩守広高によって築城されました。三方を海に囲まれ、一方だけが街に通じている天然の要塞です。寛永14年(1637)11月、天草四郎が率いる一揆軍の2度にわたる猛攻撃にも落城せず、やむなく一揆軍は島原へと渡っていきました。乱後、一時細川藩の預かり城となり、次の戸田伊賀守忠昌支配の寛文10年(1670)、三の丸を除いて取り壊しました。その後天領になると、明治維新まで代官役所の所在地として、天草統轄の中心になりました。

現在は石垣などの城跡だけが残っているだけですが、展望所から巴崎を望む風景は、「新くまもと百景」にも選ばれています。近くには幕府時代の「郡会所」だった建物の一部を移築した苓北町郷土資料館があり、古文書、隠れキリシタンの遺品、民俗資料等が展示してあります。

所在地 天草郡苓北町富岡

天草の風景  (苓北町・天草市天草町)

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天草の風景  (苓北町・天草市天草町)

平成20年6月24,25日、天草へ行く。天草郡苓北町・天草市天草町の風景。
茂木出港、富岡入港、天草フェリーきずな、寿覚院、富岡海水浴場と白岩崎、九州電力苓北火力発電所、妙見ヶ滝、下田大橋、旧トンネル、下田温泉、五足の靴碑、妙見浦、十三仏崎など。

天草市(旧牛深市)に残るアーチ石橋

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天草市(旧牛深市)に残るアーチ石橋

天草市(旧牛深市)に残るアーチ石橋は、1橋である。久玉川に架かる無量寺橋。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 熊本県の石橋」によるデータは次のとおり。

写真     №1,587    無 量 寺 橋      2005.06.04
天草市久玉町吉辺川
久玉川
橋長:8.15m  橋幅:2.85m  環厚:38cm  
架橋:享保元年  明治26年(1893)修復
牛深港から国道266号線を北上、久玉小を過ぎ左手に無量寺があります。無量寺から国道の東側に小道を下るとすぐに久玉川に架かっています。

天草の乱後、切支丹禁制のため創立された浄土宗無量寺の山門に享保元年架けられたもので、橋の宝珠は格式のある寺院にのみ許されたものである。(案内標柱より)

天草市河浦町に残るアーチ石橋

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天草市河浦町に残るアーチ石橋

天草市河浦町に残るアーチ石橋は、2橋である。いずれも河浦町今田の今田川に架かる芦刈橋と轟橋。
特に轟橋は深い峡谷。架橋記念碑があり、下流岸辺に轟神社跡があった。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 熊本県の石橋」によるデータは次のとおり。

写真  1  №176    芦 刈 橋         2004.01.03 
天草市河浦町今田
今田川
架設:大正3年(1914)  橋長:10m  橋幅:5.2m  環厚:53cm
国道266号線、宮地岳小から県道291号線に入り、福連木〜河浦町を結ぶ県道との三叉路に架かる橋です。

写真  2  №177    轟    橋        2004.01.03
天草市河浦町今田 今村
今田川
架設:大正3年(1914)  橋長:12m  橋幅:5m
芦刈橋より約1km南下した右手の旧道に架かっています。

南川プロムナードの「ふれあい橋」はコンクリート造橋  天草市南新町・栄町

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南川プロムナードの「ふれあい橋」はコンクリート造橋  天草市南新町・栄町

本渡市街にある国指定重要文化財の石造桁橋「祇園橋」を見に行く途中で見かけた橋。北へ国道324号線を天草市役所の方へ行って、祇園橋の架かる町山口川の1つ手前の川となる。南新町に「新南川橋」があり、この上流にアーチ形の橋が見えた。

河畔は、親水通りとして昭和63年頃整備された「南川プロムナード」。「ふれあい橋」がそれで、「昭和63年3月竣工」とあった。
しかし、川に降りて見ると、両側の表面だけ切石を張ってアーチ形にしたコンクリート造橋であった。

天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋  (3)

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天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋  (3)

天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋は、6橋である。(1)は、市ノ瀬橋、施無畏橋。(2)は、志安橋、蓮河橋。(3)は、楠浦の眼鏡橋、平尾橋。
本渡市街にある国指定重要文化財の石造桁橋「祇園橋」は、別項参照。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 熊本県の石橋」によるデータは次のとおり。

写真  5  №178  楠浦の眼鏡橋      2004.01.03
天草市楠浦町
県指定重要文化財(平成18年5月)
架設:明治11年(1878)  橋長:17.6m  橋幅:3.7m
瀬戸大橋から牛深へ向かって南下し約4km先県道278号線へ右折、820m先JAのところから市道へ左折、300m先右手に架かっています。

この眼鏡橋は、楠裏〜宮地往還を結ぶために方原川に架けられたもので、釜の迫の堀切と共に、楠浦村庄屋宗像堅個氏の遺徳を構成に伝える二大事業の一つである。
アーチ型の石橋は優美にして且つ堅牢、橋長26.3m、橋巾3.05m、明治11年6月11日から80日間で完成している。石材は下浦石で、石工も下浦の松次、打田の紋次、足場枠組大工は楠浦の和田茂七である。
宗像庄屋はこの架橋工事の25年前に前潟新田の水害を救うため、方原川下流を変える釜の迫の堀切りの大工事をなし遂げている。
即ち万延元年(1860)から元治元年(1684)まで実に5年余の歳月と延4万5千余人を使った大工事であった。削川碑は、方原川が「なきごしの海」に曲がる河畔に建てられている。
本渡市教育委員会

写真  6  №2,234  平 尾 橋      2006.12.02
天草市楠浦町 方原下
方原川
橋長:13.0m  橋幅:4.2m  環厚:39cm
(註) 楠浦の眼鏡橋の上流部にあるので、県道278号宮地岳本渡線により楠浦ダムの先まで進むと、現在、新平尾橋が工事中。この旧道に残る。

天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋  (2)

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天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋  (2)

天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋は、6橋である。(1)は、市ノ瀬橋、施無畏橋。(2)は、志安橋、蓮河橋。(3)は、楠浦の眼鏡橋、平尾橋。
本渡市街にある国指定重要文化財の石造桁橋「祇園橋」は、別項参照。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 熊本県の石橋」によるデータは次のとおり。

写真  3  №174  志 安 橋     2004.01.03
天草市亀場町
宇土川
架設:明治15年(1882)  橋長:8.8m  橋幅:3m
国道266号線を牛深方面に進み、ジャスコの先の信号を左折(間違えて手前を左折し、ジャスコの業務用駐車場に入ってしまいました)、小さな小道を約200m進み、左手を注意してみると、案内標識があります。

志安橋は亀場町から枦宇土への往還道で亀川の支流「枦宇土川」に架かる石橋である。橋の形式は、太鼓型の眼鏡橋で、長さ8.8m、径間7.1m、幅3.0mを計る。
架橋年代は「明治15年暮秋」架橋世話人は「大塚光治、横山為吉、大塚芳太郎、同要太郎、同孫市」と親柱に記銘してある。
石橋の本体は痛みも少なく、小規模ながら周辺の田園風景とあわせて風情のあるたたずまいとなっている。
本渡市教育委員会

写真  4  №175  蓮 河 橋     2004.01.03
天草市枦宇土町
架設:1901年頃  橋長:15m  橋幅:7m  径間:2.6m  環厚:21cm
国道266号線亀川ダムを過ぎ、約500m先から左手に山道を約1km進んだ地点です。
内部確認のため約3年ぶりの訪問。上流側拱頂部、輪石はRCブロックです。

天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋  (1)

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天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋  (1)

天草市(旧本渡市)に残るアーチ石橋は、6橋である。(1)は、市ノ瀬橋、施無畏橋。(2)は、志安橋、蓮河橋。(3)は、楠浦の眼鏡橋、平尾橋。
本渡市街にある国指定重要文化財の石造桁橋「祇園橋」は、別項参照。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 熊本県の石橋」によるデータは次のとおり。 

写真  1  №172  市 ノ 瀬 橋   2004.01.03
天草市下河内下向
港町交差点から県道24号線で400m西進、県道44号線へ。3.3km先左手に一の瀬変電所があります。
その先から左に分岐した旧道を約300m進むとこの橋が架かっています。

この石橋は太鼓型めがね橋で、橋長22.2m、橋幅4.6mある。明治15年4月最初の橋が架けられたが明治19年7月洪水により倒壊、その後の再建年代は不詳。地元長老の話では富岡線の県道とともに完成したということであり、明治23〜4年頃と思われる。石碑の表には何も刻まれていないが裏には世話人たる佐藤信邦外、石工、大工等の氏名が刻まれている。
本渡市教育委員会

写真  2  №173  施無畏(せむい)橋  2004.01.03
天草市本渡町
県指定重要文化財(平成18年5月)
町山口川
架設:明治15年(1882)  橋長:22m  橋幅:3m
港町交差点から西に左折し、約3km進むと、左手に案内標識があります。

染岳登山口にある無畏庵の参道として架けられたこの石橋は、最初明治4年(1871)に完成したがそのご崩壊し明治15年(1882)9月に再建された。楠浦の眼鏡橋とほぼ同型で橋長22m、幅3m、石材は下浦石である。庵の入口にある記念碑には、戸長、出納方、常詰、世話人、石工、寄進者の名が刻んである。
天草市教育委員会

祗 園 橋  天草市中央新町・船の尾町

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祗 園 橋  天草市中央新町・船の尾町

本渡市街地の中心を流れる町山口川に架かる。中央新町まで行き本渡橋へ出ると、その上流に見える。架橋は天保3年(1832年)。石造桁橋という構造で、この形式では日本最大という。
国指定重要文化財。現地説明板は次のとおり。

祗 園 橋   国指定重要文化財 平成9年12月3日指定

この石橋は、天保3年(1832年)町山口村庄屋大谷建之助が発起し架設したもので、祇園神社の前にあることから、祗園橋と呼ばれています。石造桁橋では日本最大で、長さ28.6m、幅3.3mあり45脚の石柱により支えられています。下浦村(現下浦町)石屋の辰右衛門により建造され、地元の砂岩が使用されています。
この付近は、寛永14年(1637年)11月 天草の乱で、天草四郎の率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所です。両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられています。毎年、10月の第4日曜日には殉教祭が催され、宗派を超えて御霊の供養が行われています。                            熊 本 県