富岡城跡  天草郡苓北町富岡

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富岡城跡  天草郡苓北町富岡

熊本県観光サイト”なごみ紀行 くまもと”による説明は次のとおり。

富 岡 城 跡

富岡城は別名臥竜城と呼ばれ、慶長9年(1604)天草統治の本拠地として肥前唐津の城主・寺沢志摩守広高によって築城されました。三方を海に囲まれ、一方だけが街に通じている天然の要塞です。寛永14年(1637)11月、天草四郎が率いる一揆軍の2度にわたる猛攻撃にも落城せず、やむなく一揆軍は島原へと渡っていきました。乱後、一時細川藩の預かり城となり、次の戸田伊賀守忠昌支配の寛文10年(1670)、三の丸を除いて取り壊しました。その後天領になると、明治維新まで代官役所の所在地として、天草統轄の中心になりました。

現在は石垣などの城跡だけが残っているだけですが、展望所から巴崎を望む風景は、「新くまもと百景」にも選ばれています。近くには幕府時代の「郡会所」だった建物の一部を移築した苓北町郷土資料館があり、古文書、隠れキリシタンの遺品、民俗資料等が展示してあります。

所在地 天草郡苓北町富岡