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成 ヶ 島  兵庫県洲本市由良町成ヶ島

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成 ヶ 島  兵庫県洲本市由良町成ヶ島

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は、次のとおり。
県道76号で「由良支所前」まで行く。対岸にあるのが成ヶ島。渡船で渡る。

成 ヶ 島

成ヶ島(なるがしま)は、兵庫県洲本市由良町由良の東側の紀淡海峡に、南北約2.5kmにわたって砂州が伸びる細長い島。瀬戸内海国立公園の一部。淡路橋立とも呼ばれる[1] 。

概要
成ヶ島は北端の新川口と南端の今川口の水路で淡路島から約100m離れている。由良港から渡し船があり約2分で島に連絡している。島の西側の由良湾内ではハマチの養殖が行われ、春には潮干狩りでアサリなどが採取できる。

北端の成山の東の紀淡海峡側には成ヶ島海水浴場があり、南端の高碕には髙埼灯台がある。また明治29年(1896年)に開設された由良要塞の砲台跡が成山にわずかに残っている。

地形・自然
北の成山(標高52m)と南の高埼(標高23m)はもともと陸繋島で、江戸時代初期までこれらは砂州で淡路島と繋がり [2] 、ラグーンである由良湾の湾口は成山と高埼の間で開いていた。南北両端の水路開削と旧来の湾口を閉鎖して成ヶ島は現在の沿岸州になった。この成ヶ島の面積は約39ha、海岸線の長さは約6.4kmあるが [3] 、成山と高埼の間の最狭部は護岸を含めても25mほどしかない。

成ヶ島の西側には干潟が広がり、砂州や干潟沿いに希少な海浜植物が自生し、ハクセンシオマネキなどの希少動物も生息している。

ハクセンシオマネキ – カニの一種。環境省レッドリスト(2007) 絶滅危惧II類(VU)
ハマボウ – アオイ科の樹高3mほどの落葉低木。兵庫県版レッドデータブック(2003) Aランク 絶滅危惧I類[4]
ハマウツボ – 寄生植物。兵庫県版レッドデータブック(2003) Aランク 絶滅危惧I類[4]
ハママツナ – アカザ科の一年草。潮間帯に見られる。兵庫県版レッドデータブック(2003) Cランク 準絶滅危惧種[4]
アカウミガメ – 紀淡海峡側から上陸して砂地に産卵するのが見られる。
瀬戸内海国立公園の第2種特別地域に指定されていて、これらの貴重な生態系と自然景観の保全を図るため

砂州の侵食を防止するための護岸堤の整備
「成ヶ島クリーン作戦」- 地域住民らが行っている漂着ゴミなどの回収清掃[5]
海岸利用者へのマナー啓発
などが行われている[6]。

歴史
慶長16年(1610年)、池田忠雄が洲本城を廃し、由良成山城を修築した(水軍城)。寛永12年(1635年)、蜂須賀至鎮が由良成山城を廃し、再び洲本城へ移した。「由良引け」[7]
寛永から明和年間にかけて、北側の新川口と南側の今川口が切り開かれ、旧湾口が閉じられて現在の姿になった[8]。
明治29年(1896年)、由良要塞が開設され成山第一砲台、成山第二砲台、高碕砲台が設置された。大正13年(1924年)に要塞の整理により廃止。
昭和61年(1986年)、国民宿舎「成山荘」が閉鎖。

交通アクセス
由良港から成ヶ島へは渡船で約2分。由良町中央漁業協同組合成ヶ島渡船事務所[9][1]、兵庫県道76号洲本灘賀集線

洲本城跡  兵庫県洲本市小路谷(三熊山)・山手1丁目

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洲本城跡  兵庫県洲本市小路谷(三熊山)・山手1丁目

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は、次のとおり。
三熊山ドライブウェイを使うと、車ですぐ山頂の洲本城跡まで行ける。

洲本城
洲本城(すもとじょう)は、淡路国津名郡、現在の兵庫県洲本市にある城。別名三熊城。国の史跡に指定されている。

沿革
1526年(大永6年)、三好氏の重臣・安宅治興が築城した。治興の後は養子安宅冬康(三好長慶弟)、冬康死後は長男信康、二男清康へ受け継がれ、1581年(天正9年)の淡路討伐の際、総大将羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。しかし、秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治が城主となり、天守が造営されるとともに、石垣の大改修の際、倭城での経験から「登り石垣」が築かれた。

江戸時代になり、姫路城主池田輝政の三男忠雄が領主になった際に廃城となり、まず岩屋城、次に由良成山城に居城する。これは関ヶ原の戦い以降も、豊臣方大名の動きを牽制するために、徳川家と縁戚関係にある池田氏(忠雄の正室は徳川家康の孫)に播磨灘と大坂湾一帯を防衛させるためとされる。

大坂夏の陣の後、徳島藩の蜂須賀氏の所領となり、筆頭家老の稲田氏一族が由良城代となるが、交通の便が悪いなどの理由から1631年から1635年にかけて由良城を廃して洲本城に再び本拠を移した。この移転は城下町ごとの大移転であったため俗に「由良引け(ゆらびけ)」と呼ばれている。 現在は曲輪、池、石段、石垣、櫓跡などが残る。天守台からの眺望「大浜を大観」と三熊山東側展望台からの「マリーナを展望」は洲本八景の1、2に選ばれている。

現在ある模擬天守は、1928年(昭和3年)に御大典(昭和天皇の即位式)を記念して、鉄筋コンクリート製で築造されたもので、江戸時代の天守を復元したものではないが模擬天守としては日本最古のものである。

「由良引け」以降に築かれ、明治まで続いた「下の城」とは史跡としては全く別の時代のものと考えられ、「上の城」と分類 されている。

上の城は1999年(平成11年)1月14日、国の史跡に指定され、下の城も洲本市の史跡に指定されている。 下の城の跡地にはかつての洲本城(上の城)に関する資料を展示する洲本市立淡路文化史料館などがある。

近年、石垣のライトアップや周辺の樹木の伐採を行うなど整備が行われているが、2011年(平成23年)3月はじめに模擬天守の壁面にひび割れが見つかり、補修工事を行うことになったため模擬天守への立ち入りは禁止されている[1][2]。

概要
城郭遺構地域面積 – 278,459.9 m²
所在地 山上 -兵庫県洲本市小路谷(三熊山) 山下 -兵庫県洲本市山手一丁目

現存建物
下の城の迎賓館として建てられた金天閣が、明治初めには、淡路高等女学校(現在の兵庫県立洲本高等学校)に移築されて作法室として使用され、 その後洲本八幡神社境内に移築されている。(兵庫県指定文化財建造物 )

金 天 閣  兵庫県洲本市山手2丁目

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金 天 閣  兵庫県洲本市山手2丁目

洲本市HPによる説明は、次のとおり。洲本バスセンターから徒歩5分。

金天閣(きんてんかく)
■名   称  金天閣
■指定種目  県指定 重要有形文化財
■指定年月日  昭和59年3月28日
■文化財種類  建造物
■時   代  江戸時代
■所 在 地  洲本市山手二丁目甲785
■所 有 者  洲本八幡神社
■管 理 者  洲本八幡神社
■概   要
寛永18年(1641年)に徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)が、三熊山山麓の洲本城内に建てた洲本御殿の一部です。洲本御殿の大部分は明治維新後に取り壊されましたが、この玄関と書院だけが移築され残りました。
現在は、金天閣として洲本八幡神社の境内にあります。

洲本八幡神社のクスノキ  兵庫県洲本市山手2丁目

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洲本八幡神社のクスノキ  兵庫県洲本市山手2丁目

HP「人里の巨木たち」全国巨樹探訪記による説明は、次のとおり。
洲本バスセンターから徒歩5分。

名称 洲本八幡神社のクスノキ(すもとはちまんんじんじゃのくすのき)
樹種 クスノキ
樹高 12m(注1 環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による)
目通り幹囲 6.7m(注1)
推定樹齢 伝承900年(注1)
所在地の地名 兵庫県洲本市山手2丁目
天然記念物指定 なし

洲本市の官庁街の一角に洲本八幡神社が鎮座している。
洲本八幡神社は淳仁天皇(在位758〜64)による創祀とも伝える古社で、すぐ前に洲本城があったことから、藩主からも相当に重きを置かれていた神社であることが窺われる。
参道を進んで行くと、小振りの随身門があり、その脇に大クスノキが立っている。
上部を失い、すっかり背が低くなってしまった姿だ。
この姿に勢いを感ずることは出来ないが、その代わり、老木としての風格が出てきた。
最近の若枝が見られるところをみれば、今のところは元気も悪くないようだ。

旧鐘紡洲本工場の赤レンガ建築群(洲本市民広場)  兵庫県洲本市塩屋1丁目

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旧鐘紡洲本工場の赤レンガ建築群(洲本市民広場)  兵庫県洲本市塩屋1丁目

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は、次のとおり。
洲本バスセンターから徒歩3分。

洲本市民広場
洲本市民広場(すもとしみんひろば)は兵庫県洲本市にある都市公園。洲本市新都心ゾーンの中核を成す公園施設である。園内には近代日本における有数の紡績工場であり近代化産業遺産に認定される旧鐘紡(現:クラシエホールディングス)洲本工場の赤レンガ建築群が遺され、図書館やレストラン施設として再生されている。

沿革
東京に本社を置く鐘淵紡績は淡路紡績を買収して1900年(明治33年)に洲本町(当時)山手で操業を開始した。その8年後の1908年(明治41年)に同町塩屋に20ヘクタールの土地を確保して工場を移転する。昭和初期までに全て赤レンガ建築の第一、第二、第三、第四、第五工場(面積32,700平方メートル)が竣工。これらの工場跡地が、20世紀末から21世紀初めにかけ洲本市新都心ゾーンとして整備されている地区にあたる。当地区における整備計画推進にあたっては、土地所有者である鐘紡とカネボウ電子の意向を受けて、樹木の保存を最優先している。地区内にある赤レンガ建築群は、経済産業省の近代化産業遺産に認定されている。

年表
1900年(明治33年) – 鐘淵紡績、淡路紡績を買収して洲本町山手で創業開始。
1908年(明治41年) – 鐘淵紡績、塩屋に工場移転。
1950年(昭和25年) – 昭和天皇が当地を訪れる。
1987年(昭和62年) – 工場閉鎖。
1994年(平成6年) – 新都心ゾーン整備構想スタート。行政が市民広場、民間が建築物という役割分担を明確にして、整備実施を開始。
1995年(平成7年)11月 – 旧原綿倉庫を使用した民間美術館「ミュージアムパーク・アルファビア」開業
1998年(平成10年) – 旧第3工場汽缶室を使用した洲本市、農協、酪農、鐘紡などが出資する第三セクターが経営するレストラン「淡路ごちそう館御食国」開業
1998年(平成10年)9月 – 洲本市立図書館開館
2000年(平成12年) – ミュージアムパーク・アルファビア閉館
2001年(平成13年) – 旧第2工場汽缶室をリノベーションした洲本アルチザンスクエア開館

園内にある施設
洲本市立洲本図書館(旧鐘紡洲本第2工場)
洲本アルチザンスクエア(旧鐘紡洲本第2工場汽缶室)
旧鐘紡洲本工場原綿倉庫
淡路ごちそう館御食国(旧鐘紡洲本第3工場汽缶室)
レストラン「タイムアフタータイム」
「静内の庭」 – 洲本市と姉妹都市提携をしている北海道新ひだか町(旧 静内町)の町木エゾヤマザクラが植樹されている。

里 程 標  兵庫県洲本市本町4丁目

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里 程 標  兵庫県洲本市本町4丁目

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、以下のとおり。
淡路島には6本現存するようだが、写真の洲本市本町4丁目の里程標は、洲本市の中心部、本町商店街通り入口近くの広い市道沿いに残る。目標の場所は、厳島神社参道口赤鳥居横の洲本信用不動産駐車場。付近に江戸時代地名「通町四丁目枡形」の碑があった。

ここの里程標の刻面は、次のとおり。判読間違いがあるかも知れない。
正面 岩屋標柱 八里貮拾五丁拾三間七分  神戸元標 拾五里二拾丁四拾九間六分
右面 福良標柱 五里拾八丁拾九間一分  市村 三里二拾三丁二拾七間九分
左面 由良標柱 貮里拾丁三拾三間八分  志筑 貮里三拾三丁四拾三間七分
裏面 明治三十年三月建設 津名郡洲本  

淡路島近代化遺産 14 里程標

■ 基礎データ
名 称:里程標
分 野:道路施設
所在地:洲本市本町4丁目
設計者: −
構 造:花崗岩(高さ210センチメートル)
竣工年:明治35(1902)年

■ 概要説明
明治6年に政府が各府県ごとに正確な里程の調査と元標の建設を命じたことにより“里程標”が設置された。いずれの里程標にも兵庫県下の里程標の起点となる“神戸元標(=兵庫県里程元標)”からの距離が記されている。神戸元標は相生橋西詰の南側に建てられ、明治43年に現存する石柱に替えられた。その後、昭和35年に湊川神社に移設され、現在は元町通り7丁目に保存されている。また、淡路島にも複数の里程標が残存しており、広田南の交差点や国道28号の炬口付近でも確認することができる。

炬口台場  兵庫県洲本市炬口

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炬口台場  兵庫県洲本市炬口

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
炬口の兵庫県立淡路水産センターは、洲浜橋を渡った左方下にある。駐車場奥の周辺に、炬口台場跡の石垣を見ることができる。

淡路島近代化遺産 12 炬口台場

■ 基礎データ
名 称:炬口台場
分 野:軍事施設
所在地:洲本市炬口1−1
設計者: −
構 造:土塁・石塁
竣工年:文久元(1861)年

■ 概要説明
本台場は、県立淡路水産センターの駐車場脇に残っているもので、洲本城代の稲田氏が城下防衛の為に築造した。規模は東西・南北ともに40m程と推定されるが、現場には民家との境界として石垣が2/3ほど残っているにすぎず、説明の看板も表示もない。なお、この石垣は洲本川の最下流に架かっている洲浜橋へと続く上り坂(北側)付近から確認することができる。

大浜海岸  兵庫県洲本市海岸通1丁目

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大浜海岸  兵庫県洲本市海岸通1丁目

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は、次のとおり。
最後の写真は、洲本城跡から。洲本八景「大浜を大観」の構図。

大浜海岸 (洲本市)
大浜海岸(おおはまかいがん)は兵庫県洲本市にある白砂青松の砂浜海岸。大浜公園、三熊公園とも呼ばれる。慶野松原と並ぶ淡路島を代表する景勝海岸で、一帯は瀬戸内海国立公園に属する。

概要
淡路島の東海岸の南、洲本市新都心ゾーンと洲本温泉街を結ぶ位置にある。 遠浅の砂浜は南北750メートルあり、その背後に洲本城を頂く三熊山が迫る。砂の色は白く、砂浜には松原が続く、文字通りの白砂青松海岸である。当海岸に開設される大浜海水浴場は、環境省の「快水浴場百選」に選定されている。

かつて浜には遥かに多くの黒松が生い茂り、「洲本大浜千本黒松」と呼ばれる景観であった。この黒松の減少に歯止めをかけ、かつての景観を取り戻すべく、2001年から洲本ライオンズクラブにより毎年植樹が行われている。

厚浜諏訪神社のクスノキ  兵庫県洲本市中川原町厚浜

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厚浜諏訪神社のクスノキ  兵庫県洲本市中川原町厚浜

洲本から津名方面へ車で約20分。厚浜交差点から左折して谷奥の道を行く。
HP「人里の巨木たち 全国巨樹探訪記」による説明は、次のとおり。

名称 厚浜諏訪神社のクスノキ(あつはますわじんじゃのくすのき)
樹種 クスノキ
樹高 20m(注1)
目通り幹囲 6.1m(注1)
推定樹齢 
所在地の地名 兵庫県洲本市中川原町厚浜
天然記念物指定 なし

注1)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による

国道28号から200mほど谷奥に進んだところに諏訪神社があり、そこにクスノキ巨木が立っている。
境内は周囲より少し高くなっている。大した高さではないのだが、その縁に立っているものだから、谷奥に至る道路からクスノキの姿がよく見える。
細い注連縄がつけられている。神木とされているのだろう。
幹が地際に向かって大きく広がっているため上記幹囲データを測ることになったのだろうが、主幹の太さそのものは4m台だと思われる。