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えびの高原と不動池  宮崎県えびの市

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えびの高原と不動池  宮崎県えびの市

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

不 動 池

不動池(ふどういけ)は、九州南部のえびの高原北東部にある直径約200メートルの火山性湖沼である。
周りを高さ約20メートルの急斜面に囲まれており流入流出する川はない。雨の少ない冬期には水位が約2メートル低下し、1月から2月にかけて結氷することもある。水質は強い酸性(pH=4.5)を示すが、酸性度は年々弱まる傾向を示している。強い酸性水質のために生物は少ないが、ハリミズゴケ、ウマスギゴケ、ユスリカ、ゲンゴロウなどが確認されており、生物種数は年々増加傾向にある。池岸の地質は輝石安山岩であり、池底には火山砂礫が堆積している。
生物が少ないことと砂礫地質のために透明度が高く、水深が比較的大きいことから特徴的な濃い青色(フォーレル水色標準3番または4番)を呈する。近くを県道1号が通っており、池を見おろす駐車場付近は日中多くの見物客で賑わう。

形成
不動池は霧島火山群に属する火口の跡であり、おおむね3000年前にここから流出した溶岩が六観音御池と甑岳の間に残されている。噴火に伴って水蒸気爆発が発生し深い窪地(マール)が形成され、やがて水が溜まって池となった。

参考文献
・えびの市郷土史編さん委員会編 『えびの市史 上巻』 宮崎県えびの市、1994年
・田中正明 『日本湖沼誌』 名古屋大学出版会、1992年
・水沼栄三 「霧島山頂火口湖の水質」 『霧島山総合調査報告書』 霧島山総合研究会、1969年

加久藤ループ橋  人吉市国道221号

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加久藤ループ橋  人吉市国道221号

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

国道221号

国道221号(こくどう221ごう)は、熊本県人吉市から宮崎県都城市に至る一般国道である

概要
中九州と南九州を結ぶ重要な道路であり、難所であった標高720mの加久藤峠を加久藤トンネルや人吉・えびのループによって解消してきた[1]。1995年(平成7年)7月27日に並行する九州自動車道人吉IC・えびのIC間が開通[2]後も同自動車道八代IC・えびのIC間では危険物積載車両の通行が禁止されているため、規制されるタンクローリーなどは八代市からえびの市にかけて国道219号と併せて代替道路として利用することとなり、国土交通省九州地方整備局は高速輸送ネットワークのミッシングリンクとして課題に挙げている[3]。

トンネル
加久藤トンネル 熊本県人吉市から宮崎県えびの市に至る延長1,809mのトンネル。1972年(昭和47年)3月に完成[9]。全長のうち、宮崎県側は1,160mである[10]。雲海トンネル

橋梁
加久藤ループ橋 熊本県人吉市と宮崎県えびの市の境界にある加久藤トンネルの前後にはそれぞれループ橋が設置されている。これらは標高差55mの人吉ループと標高差75mのえびのループからなり、加久藤トンネルと同じく加久藤峠の狭隘な道路の解消を目的に建設され、加久藤ループ橋と総称される[1]。人吉ループはカーブ半径95mから140mの橋3本で構成され、1977年(昭和52年)に完成。えびのループはカーブ半径150mから400mの橋6本とトンネル3本で構成され、1979年(昭和54年)に完成した[1][11]。

人吉城跡  人吉市麓町

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人吉城跡  人吉市麓町

熊本県観光サイト「なごみ紀行 くまもと」による説明は、次のとおり。

人吉城跡

日本百名城の一つである人吉城跡は、鎌倉時代から幕末までのおよそ700年間、相良家の中心だった中世城趾で、球磨川と胸川を堀がわりにした特異の築城と、江戸時代末期に施された石垣のはね出し武者返しが、我が国の築城史上でも珍しい遺構です。相良氏の入国時に城の南端から発掘された三日月の紋様がある奇石から「繊月城」の別名があり、先年、大手門際の多門櫓と角櫓、長塀等が復元されました(国指定史跡)。また、春は相良護国神社境内と、球磨川沿いの石垣に沿って咲く桜が見事であり、多くの花見客で賑わいます。

熊本県のアーチ式石橋  禊(みそぎ)橋  人吉市上青井町

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熊本県のアーチ式石橋  禊(みそぎ)橋  人吉市上青井町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№757  禊(みそぎ)橋

人吉市上青井町
橋長:22.3m  橋幅:3.8m  径間:6.2m(大アーチ)、5.7m×2(小アーチ) 拱矢:2.3m(大アーチ)、1.0m(小アーチ)
架設:大正10年(1921)6月

人吉市、青井阿蘇神社前に架かっています。

青井阿蘇神社  人吉市上青井町

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青井阿蘇神社  人吉市上青井町

人吉市歴史遺産課HPによる解説は、次のとおり。

国宝青井阿蘇神社

平成20年6月9日(月)、当市上青井町118番地に所在する「青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)」の本殿(ほんでん)・廊(ろう)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)・楼門(ろうもん)の5棟が官報告示により国宝に正式に指定されました。

熊本県に現存するものとしては初めての国宝となり、全国でも神社の国宝指定は47年振りの快挙です。
青井阿蘇神社は慶長期(けいちょうき)に一連で造営された社殿群であり、中世球磨(くま)地方に展開した独自性の強い建築様式を継承しつつ、桃山期の華麗な装飾性を取り入れていることが特徴です。また、南九州地方における近世神社建築の発展において影響を与えていることなどの文化史的意義が認められ、今回の国宝指定となりました。

青井阿蘇神社とは

平安時代の大同元(806)年に創建され、平成18年に創建1200年を迎えました。
阿蘇神社の三神を祭神とし、鎌倉時代から明治維新までの約700年に渡ってこの地を治めた相良家歴代当主の保護により、たびたび改修が行われてきました。
特に、現在境内中央に南北に並んでいる本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の五つの社殿は、初代人吉藩主相良長毎(さがらながつね)と重臣相良清兵衛(せいべえ)の発起により、慶長15(1610)年から18年にかけて造営されたものです。

社殿の特徴
①急勾配の茅葺(かやぶき)屋根や軒から下を黒漆塗としつつ、組物や部材の面に赤漆を併用する技法など人吉球磨地方の独自性の強い意匠を継承している。
②彫刻や彩色、錺(かざり)金具などは桃山期の華麗な装飾性を機敏に摂取しており、その後の当地方社寺造営の規範となっている。
③廊の龍にみられる秀麗な彫刻や特異な拝殿形式は、広く南九州地方にその影響が認められる。

本ブログ熊本県の記事は、台風接近のため7月31日八代市で中断。いったん長崎市へ帰り、9月11日から人吉市を通り、次は鹿児島県を10日間ほど訪ねた。以下、この記事を続ける。 

長崎の西空の夕日  14−01

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長崎の西空の夕日  14−01

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。夕日シリーズは以降も続く。しばらく中断していたが、久し振りにアップ。

写真  1〜  6  2014年 9月20日の18時14分頃

馬場俊介氏著「近世以前の土木・産業遺産」による長崎県の特徴分析部分

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馬場俊介氏著「近世以前の土木・産業遺産」による長崎県の特徴分析部分

岡山大学大学院環境生命科学研究科教授、馬場俊介氏著「近世以前の土木・産業遺産」(街道・水運・農業・漁業・鉱山・防災・水道・測量・防衛)が、2014年8月発行された。
報告書の「はじめに」によると、調査の目的などは次のとおり。

この報告書は、WEB上で公開している学術情報データベース「近世以前の土木・産業遺産の全国調査」
http://www.kinsei-izen.com/
の3つの柱である、➀都道府県ごとのデータリスト、それに基づいた➁都道府県ごとの特徴分析、及び、➂各種遺産ごとの個別リストの中で、➁の部分を印刷製本したものである。WAB上で公開している全情報(➀〜➂)も、巻末のDVDに2014年8月15日現在のものを収録している。

学術情報データベースの対象は、古代〜江戸期(慶応4年)までに造られた交通(街道、河川舟運、海運)、産業(農業・飼馬業、林業、漁業、鉱業、工業)、 防災(河川、海岸)、衛生(井戸、湧水)、行政(測量)、防衛(台場、狼煙場)関連の遺産群であり、少しでも姿を留めているものを恣意的にリスト化したものである。とは言っても、この種の遺産に関する全国初の調査であることと、対象のあまりの広さのため、恣意的は実現できなかった。重要なものが抜け落ちている可能性も十分あり得る。それでも今回、報告書という形でとりまとめて印刷・製本・配布することにしたのは、7,580件の画像データを含む全17,200件の遺産群の存在をできる限り多くの機関・人々に知ってもらい、その存在と価値を広く認識していただき、次世代にしっかり残していくことが重要だと考えたからである。…

本調査研究は、財政的には、2007〜2009年はトヨタ財団、ウエスコ学術振興財団の研究助成金、2010〜2014年は科学研究費補助金(基礎研究(B))により実施された。また、資料収集にあたっては、全国の市区町村の教育委員会、ならびに、これまでに刊行された各種の書籍も利用し、ウエブ上のデータも信頼性を確認した上で使用している。また、一部の写真・データについて、善意の方々のご支援を得た本格的な全国調査である。
この調査報告書から、152〜155頁「長崎県の特徴分析」部分を紹介する。長崎県の境界石をはじめとする多様な遺構については、本ブログ私の記事や写真を取り上げていただいているは、光栄なことである。
詳しくは、WEB「近世以前の土木・産業遺産」を参照。  http://www.kinsei-izen.com/ 

古写真展『古写真で見る 1874年、激動の長崎—県庁倒壊と科学の黒船』

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古写真展『古写真で見る 1874年、激動の長崎—県庁倒壊と科学の黒船』

長崎市立図書館イベント情報は、次のとおり。

古写真展『古写真で見る 1874年、激動の長崎—県庁倒壊と科学の黒船』を開催します!
古写真は彩り豊かな長崎の歴史を切り取った貴重な資料です。
その古写真を通して長崎の魅力をより多くの方に発見してもらいたいと思っています。
今回は長崎大学附属図書館の古写真コレクションの中から約100点を展示いたします。
開催期間中はオープニングセレモニーや姫野順一氏(長崎大学名誉教授)、松本直弥氏(特定非営利活動法人長崎県天文協会会長)、さるくガイドの川野さん達によるミニトークも開催予定です。
皆様のお越しをお待ちしております!!

主  催:長崎大学附属図書館・長崎市立図書館
日  時:8月27日(水)〜9月15日(月・祝)10時〜18時
(初日のみ10時30分開場) ※火曜日休館
場  所:長崎市立図書館 多目的ホール
申込・参加費:不要

ポスター「古写真展」(PDF:423 KB)
トークイベント スケジュール(PDF:99 KB)

きのう9月3日、写真展を観覧に行った。古写真の解説は、私も事前に協力しているので、あまり問題はなかった。ところが、玄関口にある長崎市立図書館が作成した明治20年代長崎のパノラマ(目録番号: 5615、5616、
5617 3枚続きパノラマ)の表示がおかしい。
梅香崎の長崎税関岸壁や、対岸側の身投崎・恵美須神社・稲佐崎と稲佐山や岩屋山の説明がない。「初代出島橋」も今、復元が課題となっている出島石橋の「表門橋」とまぎらわしい。

会場内の作品は、撮影禁止。入口に「あなたが選ぶ!長崎今昔写真No.1」という対比写真コーナーがあった。どなたがどれほど調査した結果だろうか。疑問に思う撮影地の写真が多い。堂々と公開し、トークイベントもされるようだが、市民に誤解を与えないような調査をお願いしたい。
後ろの写真が、私が調査している撮影地である。URLで参照。どこが違うか?、みなさんも考えてみてください。そのほか数点は疑問を感じた。主催者側でも、もう少し気をつけるべき問題だろう。

長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:4878 ドンの山(から)見た大浦居留地・出島
https://misakimichi.com/archives/1598 (データベースでは、目録番号:4878
長崎の幕末・明治期古写真考 古写真集: 83 戸町の入江 ほか
https://misakimichi.com/archives/1621 (データベースでは、目録番号:3875
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 2863 大浦川沿い(2) ほか
https://misakimichi.com/archives/3248 (データベースでは、目録番号:2879

無残! 明治32年建「脇岬村路」の標石

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無残! 明治32年建「脇岬村路」の標石

この標石については、まず本ブログ次を参照。概要は次のとおり。
明治32年建「脇岬村路」の標石と半島東回りルート推定図
https://misakimichi.com/archives/23

現在、三和公民館ホールの中庭に展示されている「明治三十二年十一月建」「東 脇岬」「西 髙濱」などと刻みのある標石の、もともと建っていたところは、埋め立て前の川原小池の上手である。
明治18年「西彼杵郡村誌」の記録によると、川原村に記す「脇岬村路」の起点となり、「髙濱村路」と分岐する。標石がここに戦後まで建っていたことは、証言を得て地点を確認している。

「みさき道」本道の今魚町系でない、明治の標石となるが、長崎半島を川原から脇岬へ至る東回りの「みさき道」コースも、江戸期からあったと推測させる貴重な標石である。
安永2年(1773)、当時の長崎代官「高木作右衛門支配所絵図」に、この道と思われる道が描かれている。また、川原小池の脇を上っていることは、長崎名勝図絵「河原池」に描かれている。

おととい2014年8月29日(金)、三和公民館図書室へ行った。現在、ここの中庭は、浦川建設によって「三和公民館耐震補強工事」が行われている。中庭を全部壊し、鉄骨が組まれるという。あろうことか私が見たときは、この貴重な標石がブルドーザーのすぐ脇に横倒しされていた。
ガラス越しに見ると、何か工事の傷がすでに見える。あまりの工事の無神経さに、三和行政センター所長へ苦情を言った。大切に扱うよう注意すると、すぐに別の場所へ移すと返答した。

どこへ移したかきょうは日曜で、工事現場へ確認に行った。工事現場の離れた片隅に、ほかの庭石とともに野積みされていた。標石を壊さないよう、人手で運ぶよう注意していたのに、その形跡はない。標石の損壊状況を写してきた。あまりに無残である。
深堀陣屋跡の遺構石垣破壊に続き、最近の長崎市の仕事ぶりは、見識を大いに疑う。三和行政センター所長も、あとどうするのかまったく考えていない。

標石の今後について私の考えは、三和物産販売所「みさき駅」前に「みさき道」道塚と並べて屋外展示する方法や、もともとあった川原小池上へ戻す方法もあるが、標石の表面はすでに一部欠損し、刻字も薄くなっている。屋外展示には問題がある。
西海市西海歴史民俗資料館3階展示品「旧県道一里塚」のように、三和公民館展示ホールの歴史資料コーナーの一角に、説明板とともに屋内展示してもらいたい。 https://misakimichi.com/archives/2383

長崎市長の大型コンベンション施設、MICE建設計画は、地元の身近な予算を削る。財政調整資金も勝手に使ってもらっては困る。三和行政センターは予算がないと言うなら、職員の手製でできないか。
長崎市文化財課にも、早急に対応を検討するよう電話した。標石の文化財的価値をもっと認識してほしい。

藤崎台のクスノキ群  熊本市中央区宮内

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藤崎台のクスノキ群  熊本市中央区宮内

HP「人里の巨木たち 全国巨樹探訪記」による説明は、次のとおり。
写真6枚目以降、バックスクリーン横のが最大株のよう。

名称 藤崎台のクスノキ (ふじさきだいのくすのき)
名称の典拠 天然記念物指定名称(注1)
樹種 クスノキ
樹高 22mほか(注2)
目通り幹囲 20.0mほか(注2)
推定樹齢 1000年(注3)
所在地の地名 熊本県熊本市中央区宮内(注4)
国指定天然記念物(1924年12月9日指定)

注1)2009年3月に熊本県教育委員会が設置した案内板の名は「藤崎台クスノキ群」となっているが、文化庁の国指定文化財データベース(WEB版)に登録されている名は「藤崎台のクスノキ群」と、「の」が入っている。それに従った
注2)環境省データベースより(2001年調査の結果とされている)。ただし、上記案内板では、「最大のものは幹囲12m、樹高28mに及び、(後略)」としている
注3)上記案内板による
注4)2012年4月1日、政令指定都市への移行に伴い、住所表示が一部変更された

国天然記念物の大クス群は、藤崎台県営野球場の裏。…野球場の横をぐるっと回って裏手に出ると、大クスたちが待っていた。ここは白川右岸の井川淵町に鎮座する藤崎八幡宮の旧地である。伝承によれば、八幡宮は、承平3年(933)、平将門の乱の鎮圧を願う朱雀天皇の勅願によって創建。これらのクスノキも、いわゆる鎮守の森の構成員たちであった。明治10年(1877)、西南戦争の熊本城攻防戦で八幡宮は焼失、現在地に遷座した。その後、跡地は軍用地となり、そして昭和35年(1960)に県営野球場ができた。(案内板より)
こんな歴史が、神木としての保護を失ったクスノキを、手つかずのまま今日に残してくれることになった要因なのだろう。とにかく、今ではこれだけ大きいクスノキが群生する場所は、もう他にない。

クスノキたちは、御神木であることを止めて、自然児に返った感じ。幹には多くの蔓が巻き付き、着生植物も多数。よく見ると、それぞれ個性があるようで、すっくと立ち上がって上方に腕を伸ばすものもあれば、横に伸ばした枝先が、文字通り地に着いているものもある。1本ずつ、ゆっくり対面してゆく。
球場からは断続的に歓声が聞こえてくる。しかし、クスノキのあたりに人影は少ない。…2〜3人連れが散歩に来られる程度。藤崎台の名のとおり、ここは市街地より20mほど標高が高い。台地の縁からは町並みがよく見える。天気の良い日には、町から、夕陽に輝くクスノキが見えるだろうか。

国文化遺産オンラインHPによる説明は、次のとおり。

藤崎台のクスノキ群 ふじさきだいのくすのきぐん
天然記念物 / 九州
熊本県
熊本市宮内
指定年月日:19241209
管理団体名:

史跡名勝天然記念物
天然紀念物調査報告(植物之部)第四輯 二三頁 參照
天然紀念物解説 一四〇頁
熊本舊城内藤崎臺ノ一隅ニアリテ、樟ノ巨樹七株並ビ立テリ其中ノ最太キモノハ根幹ノ境界部ヨリ五尺上ノ周圍三丈三尺アリ樹高ハ何レモ概ネ百尺以上ニ達シ壯觀ヲ呈ス