松永用水路 霧島市隼人町松永ほか
霧島市隼人町松永字平熊の市指定文化財「平熊の石橋及び石洗越附石洗越の碑・水神碑」は前記事とした。松永用水路に架かる石橋で、この歴史ある松永用水路も調べる必要を感じ、県道475号松永交差点付近の中流から取水口の上流まで松永用水路を辿ってみた。詳しい説明はできないが、現況は写真のとおり。
HP上では、「松永氏のルーツ – nifty」鹿児島県隼人町に、次の記録があった。
http://homepage2.nifty.com/ihmm/sub09-11.html
隼人町
① 1432年「松永上津家」形3段6疋、「松永大神家」3反6疋、「武安家」形3反6疋
※上津・下津=上納米を保管する場所
・松永の中で集落が三分し、神社の三ケ所設置されいる様子を示す
※一反(段)は360歩、坪で991.7平方メートル
②「鶴ヶ城」松永氏の城跡は無し
・所在地:現在の医療センターの裏山付近
③「松永用水路」(上溝、下溝)姶良郡隼人町から国分市にまたがる灌漑用水路
・霧島川の左岸松永小鹿野麻草坂下から用水を取り入れた水量豊富な用水路。
・隼人町松永→隼人町姫城→日当山の一部→新町→向花→府中→野口→松木→福島→広瀬を国分市の
田地に灌漑して海にそそぐ。
・1662年 島津氏の時代になって用水路として延長、改修工事が行われた。
・1761年 松永竹山打ち出しの水神碑に宝暦11年(1761)の刻印
・1777年 改造の碑銘がある
・1862年 松永津曲落し口の水神碑に1809年の刻字と用水排名も刻まれている
・隼人町の松永氏(源太左衛門)の中屋敷あり
④「松永米作り踊り」昔の苦労は大変なものでしたので昔ながらの米作りの過程を後世に残すため
・「御供田」は小鹿野と豊後田(花山〜竹山)で いずれもいずれも霧島川の上流、隼人松永地区であるここには「田の神」が現存する
サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストのデータに、次のとおり登載された。
松永用水路 まつなが
霧島市 霧島川・左岸 用水路 長約12㎞ 寛文2(1662) WEB(みさき道人) C改修 4 B