月別アーカイブ: 2015年8月

新藤造化天神のいちいがし群  山都町新小 ( 熊本県 )

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新藤造化天神のいちいがし群  山都町新小

県道180号により猿ケ城キャンプ場に向かった。途中、山都町新小(しんこ)の新藤造化天神の境内で見たいちいがし群。山都町指定文化財一覧による説明は、次のとおり。

44 記(天) 新藤造化天神のいちいがし群 〃 新小 ・樹齢300年以上、最大のものは樹高40m。7本が群生している。 〃

通潤用水〔上井手、下井手〕  山都町笹原川ほか ( 熊本県 )

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通潤用水〔上井手、下井手〕  山都町笹原川ほか

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。通潤橋以南の「通潤用水路線図」は、通潤橋史料館から展示図の提供を受けた。最後の資料は、山都町パンフレットから。
詳しい場所説明は省くが、写真1〜11が上井手、写真12〜17が下井手の現況。本ブログ前記事も参照。
笠原川の通潤用水取入口・円形分水工  https://misakimichi.com/archives/4733
通潤橋の石管水路  https://misakimichi.com/archives/4740

通潤用水〔上井手、下井手〕 つうじゅん〔うわいで、したいで〕
(上益城)山都町 笹原川→上井手 五老ヶ滝川→下井手 用水路 上井手:11.2㎞,下井手:5.87㎞,下井手だけで24ヶ所(最大長373m) 安政2(1855)頃 重要文化的景観・重要な構成要素 通潤用水と白糸台地の棚田景観 上井手:C改修 下井手:保存状態良好(一部改修) 施主:惣庄屋:布田保之助/白糸台地8ヶ村に水を引くために計画された用水/高度の高い上井手で導水・分配した水を、高度の低い下井手で回収するシステム/安政2(1855)に穀物が採れたとの記載がある=用水が実効的に機能した年代 2 A

五老ヶ滝  山都町長原 ( 熊本県 )

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五老ヶ滝  山都町長原

熊本県HPの地域発 ふるさとの自然と文化による説明は、次のとおり。山都町役場から県道180号により行く。国民宿舎「通潤山荘」先の布田神社横駐車場などから自然遊歩道へ入る。

五老ヶ滝(ごろうがたき) 山都町

所在地  上益城郡山都町長原
利用案内 駐車場 道の駅(多数)、布田神社横駐車場(10台程度) トイレ 道の駅、布田神社横
解 説  阿蘇火砕流の歴史を刻む五老ヶ滝

◆滝つぼから見上げてみよう!

矢部町の通潤橋の下を流れる五老ヶ滝川にかかる五老ヶ滝。周辺には通潤橋や通潤橋の建設に尽力した布田保之介の記念館や布田神社、また近年「道の駅」や国民宿舎「通潤山荘」があります。また、周辺は公園化されており、紅葉の時期はとてもきれいです。布田神社横の駐車場から遊歩道を通って下りて行くと10分くらいで滝つぼに着きます。滝つぼはひろく休憩所があり、見上げると落差50mある五老ヶ滝がながめられます。水量が多いときはしぶきがシャワーのようになります。

◆五老ヶ滝で地質を観察しよう!

滝つぼの水面付近には丸い大きな礫をふくむ礫層があり、その上にはローム層があります。その上に黄色い火山灰層があり、そこから阿蘇火砕流堆積物が上面まで続きます。火山灰層やその直上は固まっていませんが、すぐに急激に固まり、強く溶結した凝灰岩の壁になります。これは4回の大きな火砕流を起こした阿蘇の噴火の1回目のもので、阿蘇—1とよばれます。この五老ヶ滝はこの阿蘇—1火砕流堆積物の強溶結部分にかかっています。滝つぼの休憩所の対岸には、礫層、阿蘇—1の上に阿蘇—2が斜めに重なる様子が見ることができます。また、布田神社から通潤橋方面へ向かい、途中から滝つぼへ向かう道(滝つぼまで15分ほど)があります。この道沿いには阿蘇—4から阿蘇—3、阿蘇—2、そして阿蘇−1と4回の大きな火砕流噴火の堆積物を観察することができます。その中に、阿蘇—4の軽石や阿蘇—3、阿蘇—2のスコリアなども観察できます。また、滝つぼから流れ出る本流の川底には「おう穴(ポットホール)」も見られます。さらに、本流を下ると、阿蘇—2の強溶結層でできた峡谷があり、そこから見上げるとつり橋が見えます。遊歩道はさらに下流へとのびています。遊歩道途中の看板には滝つぼ付近にチャート層が見られるとありますが、現在ははっきりしません。

◆五老ヶ滝に数多く見られる割れ目は・・?

滝つぼから五老ヶ滝を見上げると数多くの割れ目が見えます。これは、「節理」と呼ばれるものです。火砕流は高温のまま堆積します。とくに、厚く堆積するところではその熱と圧力のために強く溶結します。しかし、その後、冷やされていきます。そのとき、空気に触れる上面や堆積前の地表面(下面)から冷やされていきます。このとき、冷える面に垂直に節理は生じ、その後鉛直方向に向かいます(小野ほか、1977)。そして、この五老ヶ滝では柱状に節理が発達していきます。これを「柱状節理」といいます。ただ、上下から冷えるので、中央部でぶつかるとき急激に冷え、また、伸びる方向を探して節理が乱れます。さらによく見ると放射状の節理も見られます。これは水がしみこんだことが原因と考えられます。この五老ヶ滝の成因にはこの柱状節理が大きく影響しています。それは、水流によってがけがけずられるとき柱状節理の節理面ではぎとられるために、垂直ながけができ、滝ができあがったのです。

参考文献
小野晃司 「阿蘇カルデラ東部の地質」『地質学雑誌』 1965 ほか

通潤橋の観光放水  山都町城原 ( 熊本県 )

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通潤橋の観光放水  山都町城原

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。山都町役場前から県道180号により道の駅「通潤橋」や史料館まで行く。最後の資料は、山都町パンフレットから。
2015年8月2日(日)13時からの観光放水を写した。通潤橋は、本ブログ次も参照。
https://misakimichi.com/archives/4029
https://misakimichi.com/archives/4601

№11  通潤橋

上益城郡山都町(旧矢部町)城原
五老ヶ滝川
橋長:75.6m  橋幅:6.3m  橋高:20.2m  径間:27.5m  拱矢:14.4m
架橋:嘉永七年(1854)
石工:棟梁 宇市、副棟梁 丈八(橋本勘五郎)、甚平、他のべ2万7千人

通潤橋(つうじゅんきょう) 国指定重要文化財 指定:S35.2.9
「通潤橋は灌漑用水を送るためにつくられた水路橋です。
建設者は、矢部総庄屋布田保之助、工事を担当したのは卯助・宇市・丈八ら「肥後の石工」と呼ばれる名工たちです。工事は、嘉永5年(1852)12月から1年8ヶ月を要しました。
通潤橋は何のためにつくられたのでしょうか。まわりを深い谷に囲まれた白糸台地は水に乏しく、田んぼの水はもちろん、飲み水も足りないような状況でした。
このような人々の苦しむ姿を見かねた布田保之助は、6Km離れた笹原川から水を引き、連通管の原理を利用した通潤橋を完成させました。この工事の完成により、白糸台地に100ヘクタールの水田が開けました。
橋の長さ  75.6m
橋の幅    6.3m
橋の高さ  20.2m
石管の長さ 126.9m」
山都町

通潤橋の観光放水前  山都町城原 ( 熊本県 )

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通潤橋の観光放水前  山都町城原

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。山都町役場前から県道180号により道の駅「通潤橋」や史料館まで行く。最後の資料は、山都町パンフレットから。
通潤橋は、本ブログ次も参照。
https://misakimichi.com/archives/4029
https://misakimichi.com/archives/4601

№11  通潤橋

上益城郡山都町(旧矢部町)城原
五老ヶ滝川
橋長:75.6m  橋幅:6.3m  橋高:20.2m  径間:27.5m  拱矢:14.4m
架橋:嘉永七年(1854)
石工:棟梁 宇市、副棟梁 丈八(橋本勘五郎)、甚平、他のべ2万7千人

通潤橋(つうじゅんきょう) 国指定重要文化財 指定:S35.2.9
「通潤橋は灌漑用水を送るためにつくられた水路橋です。
建設者は、矢部総庄屋布田保之助、工事を担当したのは卯助・宇市・丈八ら「肥後の石工」と呼ばれる名工たちです。工事は、嘉永5年(1852)12月から1年8ヶ月を要しました。
通潤橋は何のためにつくられたのでしょうか。まわりを深い谷に囲まれた白糸台地は水に乏しく、田んぼの水はもちろん、飲み水も足りないような状況でした。
このような人々の苦しむ姿を見かねた布田保之助は、6Km離れた笹原川から水を引き、連通管の原理を利用した通潤橋を完成させました。この工事の完成により、白糸台地に100ヘクタールの水田が開けました。
橋の長さ  75.6m
橋の幅    6.3m
橋の高さ  20.2m
石管の長さ 126.9m」
山都町

通潤橋の石管水路  山都町城原 ( 熊本県 )

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通潤橋の石管水路  山都町城原

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。山都町役場前から県道180号により道の駅「通潤橋」や史料館まで行く。最後の資料は、山都町パンフレットから。
笠原川の通潤用水取入口・円形分水工は、本ブログ前記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/4733

通潤橋の石管水路 つうじゅん
(上益城)山都町 通潤橋 逆サイフォン式石管水路(凝灰岩) 石管長:126.9m(内寸30㎝)(3本)水位差7.5m(上流側),5.8m(下流側) 嘉永7(1854)(竣工は7月なので嘉永) 国重文/重要文化的景観・重要な構成要素 矢部町史/WEB 保存状態良好 施主:惣庄屋・布田保之助/これ以上の長径間のアーチ橋を架けられなかったため、橋の高さを上井手より6-7m下げることとし、このup/downを逆サイフォンでカバーした/詰まり防止用の水抜き穴が中央に設けられている→観光用に有料で放水 1 A

元禄・嘉永井手 九十九のトンネル(再掲)  御船町上野・田代ほか ( 熊本県 )

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元禄・嘉永井手 九十九のトンネル(再掲)  御船町上野・田代ほか

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。県道221号線と57号線により矢部方面へ向い、御船町と矢部町の町境、下鶴近くまで行く。カーブが続く山道の杉林に隠れるように、九十九のトンネルの水路入口がある。
2枚目の写真は、上野の守護神社境内にある嘉永井手碑。
本ブログ次を参照。   https://misakimichi.com/archives/1958

九十九のトンネル つづら
(上益城)御船町 3水源→嘉永井手 素掘トンネル (水路) 長873m 安政5(1858) 町史跡 WEB 保存状態良好 郡代:上妻半右衛門、総庄屋:光永平蔵、設計:楠田順喜、石工:久五郎/元禄井手の機能補強/隧道呑口(上部)に記文入りの石梁/隧道断面は小さい/現役 1 B

御船町HPの観光マップによる説明は次のとおり。

元禄・嘉永井手 九十九のトンネル(げんろく・かえいいで つづらのとねんる)

この用水路は元禄井手の水不足を補強するため開削された嘉永井手という。水源は吉無田水源より取水した清水井手(改修して元禄井手という)の下流と、山都町境を流れる尾多良川、さらに大矢野原より流れる亀谷川の三渓流を合わせて873メートルのこのトンネルを貫流して矢形川の源流と合流させ、上田代の杉園堰より取水して南田代の屋敷部落で元禄井手と合流させて豊かな水勢となし、南田代から西上野を経て滝尾、木倉の一部に至る。
総延長28キロメートル、受益面積は300ヘクタールに及んだ。この難工事を直接担当した当時の上益城郡代上妻半右衛門、木倉郷総庄屋光永平蔵、測量設計と工事管理者楠田順喜以下の役職者と難工事に完遂した石工久五郎をはじめ労役に苦しんだ村人たちの功績が痛切にしのばれる。
[所在地]  御船町大字田代

八勢の石畳・八勢眼鏡橋・八勢水路橋  御船町上野字八勢 ( 熊本県 )

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八勢の石畳・八勢眼鏡橋・八勢水路橋  御船町上野字八勢

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道445号御船町七滝交差点から案内標識により県道221号茶屋元まで行き、八勢川の谷間へ下ると、八勢眼鏡橋がある。
今回は八勢の石畳撮影が主。八勢眼鏡橋・八勢水路橋は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/1960

八勢の石畳 やせ
(上益城)御船町 <日向往還> 石畳+石階段 長約500m,幅4〜5m,160段 安政2(1855) WEB 保存状態良好 八勢眼鏡橋と同時に施工/巨石(全て1m大)を敷き詰めた段差の低い石段と、石畳の組合せ/崖側の開削も見事 1 A

八勢眼鏡橋 やせ
(上益城)御船町 <日向往還>
/八勢川・東上野用水 石アーチ橋 (凝灰岩) 長62.0m,S18.2m(2A),幅4.06m 安政2(1855) 県重文 WEB(石橋) 保存状態良好/石畳と一体化した歴史的空間 石工:宇助、甚平(嘉八の長男と四男、三男は橋本勘五郎)/御船の材木商・林田能寛が私財を投じ架橋/上下流側に立派な鞘石垣/アーチ開口部の割りにアクセス部分が長い=左岸ぎりぎりに用水路用の開口部(S1.4m)/延長線上に石畳 1 A

八勢水路橋 やせ
(上益城)御船町 東上野用水/八勢川支流 石アーチ橋(水路) (A) 文化11(1814) WEB 保存状態良好 県下で最古級の水路アーチ橋/現役 2 C

赤子谷の石畳  山都町北中島 十田里 ( 熊本県 )

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赤子谷の石畳  山都町北中島 十田里

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道445号山都町中島西部小先長谷交差点から北東に山中集落に向かう。山中大橋に下る手前の高台に十田里はあり、日向往還が横切るので、標柱に従い農道のその道を登って行くと、赤子谷の石畳へ着く。
この農道は、矢部ゴルフ場の周囲を行き、県道57号の最後の写真小橋(地鶏炭火焼・親子丼・たたきの看板)のところへ出るが、普通車は通らない難路である。私は逆に行った。
赤子谷の石畳の場所はわかりにくいから、前記事の山中橋とも所在図を載せる。

赤子谷の石畳 あかごだに
(上益城)山都町 <日向往還> 石畳道 長120m,幅1.6m 江戸期? 歴史の道・日向往還 保存状態良好 2 C

HP「百街道一歩の日向往還」3金内〜聖橋による記事は、次のとおり。

・その先、下り坂を下りきった所に十字路がある。ここも迷うところだが、右手角に「日向往還道標」があるので、これに従って直進する。
・上り坂となり、すぐ右手に「西南の役 薩軍兵士三人の墓」と書かれた白い標柱がある。…
・この墓地から山道がその先の民家の手前までわずかの区間ある。これを日向往還と言えなくもないが、墓地への連絡道と判断して、元の白い標柱まで戻って、その先を行くことにした。民家の手前で右から下りてきたさっきの墓地からの山道と合流した。
・その先、右手に茶畑がある。
・次の二股は、少し迷ったが右を行く。
・林間の道の先、視界が開け、棚田と茶畑がある。
・その先に二股があり、少し迷って左に行く。
・すぐ先にも二股があるが、ここは迷わず左に行く。
・その先の赤子谷は、竹林の素敵な道だ。山鳩のねぐらがあり、春先から初夏にかけて小鳩が生まれてその鳴き声が赤子の鳴き声によく似ていることから赤子谷と呼ばれるようになったとのことだ。
・やがて情緒ある石畳が続く区間となる。
・左に「日向往還道標」「石畳 赤子谷」と書かれた石標がある。
・その先、左右に分かれる二股があり、迷って立ち止まってしまった。ふと、右を見ると、なんと、H氏の車が待機してくれているではないか。「鬼の巡り石の恋占いの仕方を一歩さんに教えようと思いまして。」とH氏。
・何のことはない、迷った二股の左手すぐ前に昨日も車で案内してもらった鬼の巡り石があるのだ。「鬼の巡り石」は、今にも転げ落ちそうな巨岩で、木によってかろうじて支えられている。…
・言われたとおり、すぐにゴルフ場に突き当たる。「日向往還道標」「矢部ゴルフ場」の道標の矢印がゴルフ場の中を指しているように、ゴルフ場の中に日向往還があり、仙人塚という遺跡があるそうだ。歴史の道調査報告書によると、天正十三年(1585)島津氏と阿蘇氏との戦いでの戦死者を葬ったとの伝承があるとのこと。
・昨日H氏に車で案内していただいたとおり、ゴルフ場の左に沿った道をひたすら歩いた。やがて、左手の自動車道に合流するが、合流して最初の右に入る道を右に入ると、「日向往還」「水の田尾」の道標に突き当たり、旧道に出る。
・この道を右に行き、ゴルフ場の出口を確かめた。ゴルフ場の中を覗くと、今日は日曜日なので、結構人がプレイしているようだ。
・これで、ゴルフ場の入口と出口を確認できたので、そこから、再び日向往還を歩き始めた。林間の気持の良い道が続く。
・突然、牛が繋いである場所に出た。可愛い目をしてうらめしそうに一歩の方を見ている。
・そのすぐ先、「山都町北中島」信号交差点手前で、右手の国道445号に合流する。

山 中 橋  山都町北中島 山中 ( 熊本県 )

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山 中 橋  山都町北中島 山中

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。国道445号山都町中島西部小先長谷交差点から北東に山中集落に向かう。山中大橋の左下にこの石橋が見える。
山中大橋の道をそのまま進むと、県道57号下鶴橋に出た。

№109  山中橋(架設当初名:船川目鑑橋)

山都町(旧矢部町)山中
町指定文化財
舟川
橋長:12.0m  橋幅:2.25m  径間:6.37m  拱矢:2.8m  環厚:50cm
架橋:嘉永3(1849)年12月
滑川橋から国道445号線を西へ約3.2Km、中島西部小方面へ右折そのまま進むと、山中大橋がありますが、そこから左下に見えます