月別アーカイブ: 2009年8月

金目の大山桜  熊本県御船町七滝

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金目の大山桜  熊本県御船町七滝

熊本県の名桜。「ふるさと熊本の樹木」に指定されている。所在地は上益城郡御船町七滝下金目2902。幹周4m、樹齢200年。
国道445号線七滝バス停から八勢目鑑橋へ出る道路標識があり、新道を横切り山腹を横に巻く車道を行く。途中カーブする所に「金目の大山桜 徒歩5分」の案内標識があり、左へ荒れた林道を少し下ると、右側高台に桜の大木が見える。

開花期写真は、HP「中国・四国・九州の名桜古木」の次を参照。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~agrifolk/sakura/sakura-kyuusyuu/kaname.htm

長生のイチイガシ  熊本県御船町田代

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長生のイチイガシ  熊本県御船町田代

イチイガシの巨木は、全国でも大分と熊本に1位から5位までがある。熊本県御船町の「長生(ながばえ)のイチイガシ」は、その中で第4位である。幹周8.6m、樹高22m。御船町天然記念物。「ふるさと熊本の樹木」に指定されている。
玉来の北田代公民館角の案内板から入る。林道は右方へ行き、広域農道「矢形川 虹の大橋」を右谷間に見る。途中に道標はない。狭く悪路で離合できにくい。
熊本県広報課HP”週刊メールマガジン 気になる!くまもと”2007年8月23日第321号の「老樹名木が語るふるさと熊本の自然・歴史・暮らし」による説明は次のとおり。

樹齢300年の長生の石櫧(ながばえのイチイガシ 御船町)

■細い山道を抜けると突然現れる巨樹
イチイガシ  町指定天然記念物
樹齢 (推定)300年  幹囲 8.6メートル  樹高 22メートル
車でやっと通れる山道を走ると突然現れる巨樹。周囲の雑木を圧倒し、大地をしっかりとつかんだ根が、長い間この地に生き続けてきた風格を漂わせています。

■「長生」の集落を見守り続けてきたイチイガシ
車がやっと離合できるくらいの山道を、豊かに茂る木立に囲まれて登ること15分、森の右前方に突然大きなイチイガシが現れます。案内の地図や案内板の指示に従い道を確かめながら来たのに、どこかで間違ったのではないか、まだか?まだか?の連続で期待よりも不安が大きくなる長い道のりを経て、やっと出会えたという感動がこみ上げてきます。豊かな森の中で、周囲を多くの木々に囲まれてひときわ大きくそびえ、悠々と構えているイチイガシの姿には、苦労したが会えてよかったと思わせる風格があります。
乗ってきた車は樹の近くに寄せず、少し離れた場所に駐車してください。樹の根は、幹や枝葉が茂っている範囲以上の地下に広がっています。そうでなければ、大きな幹や枝を支えることも、全体を養う水や養分を吸収することもできません。特に、この樹は自然の森に戻った場所で、根元を重い車で踏まれることなく生育していますから、訪問する人が全員しっかり心に留めてほしいことです。

周囲を見回してみると、樹が立っている小高い場所の周囲は、人の手でならされて平坦になった地形ですから、ここに集落があったことがわかります。しかし、その地面の上に現在は落ち葉が厚くふわふわに積もり、落ち葉を踏んで歩き回る自分の足音だけが響きます。このイチイガシの巨樹は、自然に帰った森の中で誰にも邪魔されずに、自由に素直に枝を伸ばし今日も成長を続けているのです。
集落があった時代にも、この樹は集落の守り神として大切にされていました。そのような記録はありませんが、樹の幹などに傷がなく、自然のままの姿を保ちながら育ってきたことが、何百年も大切にされてきた証拠です。その大切にする気持ちが現在に続いていることを示すように、幹には注連縄が巻かれています。
樹の姿がよく見える場所に、または、樹の下に座って、林床に木漏れ日が斑紋となって踊るのをぼんやり眺めていると、自然の懐に抱かれているのを感じます。しばらく休んだら、樹の根元に近づいて大きい幹に触れ、ゆっくりと周囲を巡って上を見上げ、枝の張り具合を確かめてください。このような巨樹は、見つめれば見つめるほど大きく見えてくるのが不思議です。
この樹の横に「大山祇(おおやまづみ)神社」の鳥居と小さな祠(ほこら)があります。祠と樹の関係は分かりませんが、両者あわせて周辺が神聖な場所として大切にされ続けていることが分かります。

近くに、日本を代表する恐竜の化石の産出地として町指定天然記念物の御船層群上部層化石包蔵地があり、このイチイガシの下にも多くの化石が眠っています。また、地元の小学生によって日本で最初に発見された肉食恐竜の化石は、いわゆる御船龍の愛称で知られています。
樹から遠くないところにある駄野(だの)神社は牛馬を守る神様です。近くに馬頭観音もあり、今も春と秋に大祭が行われ、ここ田代地区が阿蘇の外輪山に繋がる場所で、阿蘇と同じように牛馬との関係が深い生活が営まれていたことがうかがえます。

[案内図]
所在地: 上益城郡御船町大字田代
御船から県道221号で田代・玉来(たまらい)地区を目指す。広域農道沿いの玉来郵便局を右折。長生方面の山道へ。約1.5キロメートル進んだ右手にある。長生集落入り口に案内板あり。道が狭いので帰りは引き返した方が良い。

長崎の西の空の夕日  09−17

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長崎の西の空の夕日  09−17

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真 1〜 2  平成21年 8月 9日の19時32分頃から
写真 3〜 4  平成21年 8月16日の19時 1分頃から
写真 5〜 7  平成21年 8月18日の18時43分頃から
写真 8〜12  平成21年 8月24日の18時50分頃から

なにこれ? 高島の珍木  長崎市高島町

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なにこれ? 高島の珍木  長崎市高島町

8月23日、高島一周ウオーキングへ行って見かけた。高島行政センター左奥の上部遊歩道脇にある。南洋井坑排気坑跡の案内板から登る。松ではなく、クスノキの根元。
異様にふくらみ、尻から出ている大うんち? 鳩が戯れていた。後は近くの大松。南風泊のグラバー別邸跡では、豪勢に昼寝している人もいた。

高島一周ウオーキング (2)  平成21年8月

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高島一周ウオーキング (2)  平成21年8月

平成21年8月23日(日)快晴。長崎港外の高島へ史跡めぐりを兼ねた一周ウオーキング。参加11人。
長崎港ターミナル8時50分出港ー高島港9時半発ー石炭資料館ー高島海水浴場ー飛島磯釣り公園ーグラバー別邸跡(昼食)ー権現山公園・展望台ー高島陣屋跡ー高島風力発電所ー高島総合運動公園ー高島いやしの湯ー高島港17時10分発で帰崎。

長崎港から高速船で約34分。高島はかつて炭鉱の島。現在はシーズンの海水浴客や磯釣りで賑わう。長崎遊さるく(自由気ままに散策)コースは、距離約4.4km、約120分とあるが、飛島磯釣り公園、権現山公園・展望台、高島風力発電所も回ったので、倍くらいは歩いた。権現山公園で早く帰る2人と別れた。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/20613773.html

高島については、長崎の風景・史跡(市東南)の項ですでに詳しく紹介済み。次を参照。
高 島(1)  https://misakimichi.com/archives/1612
高 島(2)  https://misakimichi.com/archives/1613
高 島(3)  https://misakimichi.com/archives/1614
高 島(4)  https://misakimichi.com/archives/1615

最後の写真は、長崎水辺の森公園であっていた三菱重工労組の「とっとっと祭り」。次回は、長崎学さるく幕末編行事「大久保山と小ヶ倉の史跡めぐり」。9月13日(日)午前9時30分女神バス停集合。

高島一周ウオーキング (1)  平成21年8月

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高島一周ウオーキング (1)  平成21年8月

平成21年8月23日(日)快晴。長崎港外の高島へ史跡めぐりを兼ねた一周ウオーキング。参加11人。
長崎港ターミナル8時50分出港ー高島港9時半発ー石炭資料館ー高島海水浴場ー飛島磯釣り公園ーグラバー別邸跡(昼食)ー権現山公園・展望台ー高島陣屋跡ー高島風力発電所ー高島総合運動公園ー高島いやしの湯ー高島港17時10分発で帰崎。

長崎港から高速船で約34分。高島はかつて炭鉱の島。現在はシーズンの海水浴客や磯釣りで賑わう。長崎遊さるく(自由気ままに散策)コースは、距離約4.4km、約120分とあるが、飛島磯釣り公園、権現山公園・展望台、高島風力発電所も回ったので、倍くらいは歩いた。権現山公園で早く帰る2人と別れた。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/20613773.html

高島については、長崎の風景・史跡(市東南)の項ですでに詳しく紹介済み。次を参照。
高 島(1)  https://misakimichi.com/archives/1612
高 島(2)  https://misakimichi.com/archives/1613
高 島(3)  https://misakimichi.com/archives/1614
高 島(4)  https://misakimichi.com/archives/1615

恐竜などの化石の地層 御船層群  熊本県御船町田代ほか

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恐竜などの化石の地層 御船層群  熊本県御船町ほか

白亜紀後期の地層「御船層群」は、熊本県のほぼ中央部に分布し、御船町・甲佐町・宇城市にまたがっている。全体として2000mを越える厚さがある。地層を構成する岩石の違いによって、基底層・下部層・上部層に分けられる。日本初の肉食恐竜の化石”ミフネリュウ”の歯の化石は、下部層から見つかっている。

いろいろな化石が産出する地層をどこで手軽に観察できるか、御船町恐竜博物館に聞いた。
博物館から遠くでは、県道221号線と57号線で矢部方面に向い、途中の田代から吉牟田高原への道へ入る。田代から4kmほど行った所に「みふね化石ひろば」の案内板がある。
博物館の近くでは、辺田見交差点から右折、国道443号線を甲佐町方面に向う。妙見坂トンネルをすぐ抜け、しばらく行った妙見谷交差点から右手へ曲がると、建設機械置場の背後に地層が見られる。

御船町恐竜博物館  熊本県御船町御船

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御船町恐竜博物館  熊本県御船町御船

九州自動車道「御船IC」出口付近の国道445号線で、「恐竜の郷」御船町のモニュメントが迎えてくれる。御船町恐竜博物館は、御船町役場の裏手にある。玄関前には実物大のティラノサウルス模型が展示され、迫力ある姿と大きさにまず驚かされる。
開館時間 午前9時〜午後5時、休館日 月曜日・年末年始、観覧料 大人200円。
御船町恐竜博物館HPによる展示内容は次のとおり。

展示内容
平成2年(1990年)、ひとつの恐竜化石が御船町で発見されたのを契機に、町内で恐竜化石がまとまって発見されるようになり、平成7年からは熊本県の「熊本県重要化石分布確認調査事業」として、3年間をかけて調査が行われた。結果、新たにたくさんの恐竜化石が発見され、日本の恐竜化石としては第1級の資料とされる。現在も調査が継続されており、今後の調査研究に全国から期待が寄せられている。
化石発掘の発端となったのが、天君ダム近くの崖から発見された肉食恐竜の骨の化石である。今から約9000万年前の白亜紀の地層、御船層群から産出し、ほかにイグアノドンやアンキロサウルスの仲間の草食恐竜や翼竜、ワニ類、カメ類、魚類、ほ乳類の化石も多数発見されている。アロサウルスの全身骨格レプリカは、全長11メートル。博物館内に展示されている。

七滝神社・七滝  熊本県御船町七滝 

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七滝神社・七滝  熊本県御船町七滝

8月19日と21日、熊本県上益城郡御船町を訪ねた。用件はHP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している古写真についてである。
撮影地域が「長崎」とある滝の古写真があり、場所・撮影者は不詳。この滝は長崎ではなく、熊本県御船町の御船川の名滝「七滝」と思われ、現地確認に行った。
記事は次を参照。史跡「七滝神社・七滝」の詳しい写真はこれに載せている。
https://misakimichi.com/archives/1948

御船町は熊本市の南東方のすぐ隣りである。九州自動車道の「御船IC」があり、長崎からフェリーを利用しても行きやすい。「七滝」の確認だけではもったいなく、珍しい恐竜博物館や多く残る石橋、巨樹など見てきたので、書庫を特別に作り、以下の項でこれらを紹介する。

長崎外の古写真考 目録番号:2895 滝(5) ほか 

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2895 滝(5) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2895 滝(5)
目録番号:6083 御船の七滝

■ 確認結果

長崎の幕末・明治期古写真の撮影場所探しも、残り数点となった。目録番号:2895「滝(5)」は、撮影地域が「長崎」とあり、かねてから懸案としていた。長崎において古写真の対象となる名滝は、長崎名勝図絵に描かれた小島「白糸の滝」、同重篭(田手原)「轟の滝」、諫早藩の祈願所であった「滝の観音」、広瀬淡窓が訪れた「龍頭泉」などが考えられるが、滝の姿はまったく違う。
古写真の滝は大きく、流れは数段となっている。渕も大きく、何よりも左右の崖は高く、柱状節理を成している。

長崎の滝ではないと思い、本腰を入れて調べる。九州の主な名滝と比較した。あった。熊本県御船町の御船川名滝「七滝」。
滝に関するHPは数あるが、渇水期に写されたものが多い。最も古写真と似ていたのは、地元「御船町HP」観光マップにあった写真を参考に掲げる。
熊本まで昨日、現地確認へ行った。滝上の七滝神社駐車場から遊歩道の坂段を15分ほど下ると、滝下の渕へ出る。侵食と崩壊が進み、古写真どおりの写真は写せなかったが、「七滝」に間違いないことが確認できるであろう。

熊本は上野彦馬から写真術を習得した冨重利平が、明治3年(1870)に「冨重写真所」を開業したところ。冨重利平の関係を本日さらに調べると、同じ古写真が大学HPに、目録番号:6083「御船の七滝」でちゃんと別にあることがわかった。
この写真は撮影者から検索すると出てくる。こちらは撮影地域「熊本」。検索キーワードに両方とも「滝」と入力されていれば集合され、何も苦労することはなかった。
なお、冨重利平の仕事について、@あっと九州.com「九州ものしり情報」に、次のような記事があったので抜粋した。

時代を撮り続けて130余年—冨重写真所 〜その1〜 1999年10月

■ 冨重利平の仕事

現代のカメラは使いやすく、子どもにも手軽に撮影ができる。しかし、当時の写真撮影は容易ではなかった。
利平は長崎を離れる時、スタジオ用と野外用の二台の写真機を持ち帰った。野外の撮影にはもちろん野外用のカメラを運んでいくが、現在のように写真機だけを持って行けばいいわけではない。ガラス板に塗布した乳剤が濡れているうちに撮影しなければならないため、撮影現場ではまず暗室を組み立て、乳剤を塗布した種板を作ってカメラに入れる。この原板は長く置くと乾いてしまうため、撮影を終えたらその場で現像しなければならない。しかも、当時の写真機にはシャッターがなかったため、写真師はレンズのキャップを手で取って撮影し、時間をおいてまたはめる。その日の天候などさまざまな条件を把握して撮影時間を決めるのは、経験から身につけた写真師のカンに頼るところが大きかった。利平自身も二日も撮影しないでいるとカンが狂って、なかなか調子が出なかったようだ。
こんな具合だから、野外での撮影や出張撮影は人力車や大八車を使っての大移動となる。シャッターを押せば写る現代では考えられない一日仕事だった。

スタジオでの撮影にもいろいろな苦労があった。当時は今とは比較にならないほどの露光時間が必要だったが、被写体となる人物もその間じっとしていなければならない。今となっては笑い話のような「首おさえ」や、視線をどこに向けるかを示す「目標」は当時は不可欠な撮影機材だった。写真を西洋風の雰囲気にするために使われたヨーロッパ製の犬の置き物も、実は「三人で写ると縁起が悪い」という迷信への対応策だったらしい。
苦労のかいあって冨重写真所は大繁昌する。軍隊と学生の街だった熊本で、仕事は引きも切らず、写真所の前には順番待ちの行列ができるほどの盛況ぶり。職人の一カ月分の給料にも値するといわれた撮影代にもかかわらず、よそ行きに身を包んだ庶民も家族で記念の一枚を撮った。夏目漱石や小泉八雲などの文人も写真所を訪れている。
利平は熊本のさまざまな風景も撮影した。西南戦争で焼失する前の熊本城や軍の依頼で撮影した田原坂の戦跡、籠城中の将校たちなどは日本最古の戦争の記録写真だ。しかし、どんな無残な戦場を撮っても亡骸は撮らない。それが命を落した人々に対する礼儀だと考えていた。また、三角の築港経過も文明開化期の重要な記録だ。
利平が残した時代の写真は社会的にも文化的にも極めて価値が高い、日本写真史には欠かせないものとなっている。