月別アーカイブ: 2008年11月

(3)矢上八幡神社のクスノキ  長崎市矢上町

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(3)矢上八幡神社のクスノキ  長崎市矢上町

国道34号線を行って、番所橋バス停先の中尾入口交差点から左折する。すぐ次の通りが旧長崎街道の道で、右折すると一方通行となって矢上宿の矢上神社前へ続く。
クスノキのある「八幡神社」はその中ほど。矢上小学校先の左奥に参道の石段が見え、両脇に大クスノキが立つ。最後の写真が、小さいクスノキの方の根元。
次の樹木の再掲。  https://misakimichi.com/archives/283  

2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」調査結果一覧による説明は次のとおり。

(3)矢上八幡神社の大クス  所在地:長崎市矢上町 矢上八幡神社境内

長崎市指定天然記念物(昭和44年6月15日指定)
クスノキ(クスノキ科)    幹周り 10.20m   樹 高 22.0m
クスノキ(クスノキ科)    幹周り  5.30m   樹 高 23.0m
八幡神社(1732年建立)の石段の上部に2本並んで立つが、北側のクスノキが特に大きく、大きさでは県下第7位にランクされる。
かつての長崎街道で、いまは九州自然歩道となった一角にそびえ立つ巨樹でもある。

(2)長崎自動車学校敷地内のクロガネモチ  長崎市矢上町

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(2)長崎自動車学校敷地内のクロガネモチ  長崎市矢上町

国道34号線を行って、番所橋バス停先の中尾入口交差点から右折する。矢上団地入口の方へ向かうと、すぐ左方が「長崎自動車学校」の教習場。敷地内の高台にクロガネモチが1本だけ雄大に立つ。後方の山は矢上普賢岳。
次の樹木の再掲。  https://misakimichi.com/archives/469  

2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」調査結果一覧による説明は次のとおり。

(2)長崎自動車学校敷地内のクロガネモチ〔雄樹〕  所在地:長崎市矢上町43

クロガネモチ(モチノキ科) 根周り 3.95m(最大幹の幹周り2.48m)  樹 高 14.0m
根元50cmの上部から主幹と支幹に分かれているが、広い自動車教習コースの中に一本立ちしているため、みごとな樹形が遠くからもすぐ目に付く。
楠公神社の対岸に位置し、かつてはこの樹の根元の石垣の下までが海であったとのこと。

(1)楠公神社のクスノキ  長崎市かき道1丁目

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(1)楠公神社のクスノキ  長崎市かき道1丁目

ジャスコ東長崎店前から東望橋を渡り、矢上団地入口交差点を過ぎて行くと、すぐ左方に大きなクスノキが見える。ここが楠公神社である。
次の樹木の再掲。  https://misakimichi.com/archives/812

2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」調査結果一覧による説明は次のとおり。

(1)楠公神社のクスノキ  所在地:長崎市かき道1丁目

クスノキ(クスノキ科)     幹周り 7.83m  樹 高 24.0m
このクスノキの巨樹がそのまま神体木となっている神社で、クスノキの前には石仏2体が並ぶ。かつては、この神社の前までが海であった。
隣接して「大星稲荷神社」がある。

東長崎の巨樹・名木などの調査一覧とマップ

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東長崎の巨樹・名木などの調査一覧とマップ

長崎市東長崎地域(諌早市飯盛町を一部含む)の巨樹・名木・貴重木の調査一覧とマップは上図のとおり。
各樹木の最近の現地写真と簡単な説明を、以下、記事によって紹介する。

資料は、2001(平成13)年7月15日開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」配布資料などによる。
樹木の順、符号は、同マップのとおりとする。各樹木はリストを出し、検索してください。

雲仙キリシタン殉教道の標石  雲仙市小浜町雲仙

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雲仙キリシタン殉教道の標石  雲仙市小浜町雲仙

小浜から国道57号線により雲仙へ登ると、標石は雲仙の入口「札の原」にある。有家や諏訪の池からの県道と合流したすぐ先。旧道が右方に少しの区間残り、道脇の植え込みの中に、「雲仙キリシタン殉教道」の説明板とともに、この標石がある。
現地説明板による説明は次のとおり。
この先にあるカトリック雲仙教会は、ローマ法王・ヨハネパウロ11世初の長崎訪問を記念し、雲仙で殉教した信者に捧げるため、1981年建てられた。

雲仙キリシタン殉教道

江戸時代、時の幕府がキリシタン信者に対して改宗を迫り、あらゆる弾圧を加えたことがありました。1627年(寛永4年)から1632年(寛永8年)まで雲仙はキリシタンの責めの場所となり、地獄につけたり、熱湯を浴びせる等過酷な迫害が加えられ尊い生命を信仰に捧げた数多くの者がでました。しかしさすがの幕府も信者たちの厚い信仰心まで打ち消すことができませんでした。
この地点は小浜方面と有家方面から登ってきてちょうど合流する所で、長崎あるいは有家、口之津地方の信者たちがこの道を歩いて雲仙に向ったといわれます。なお、右下の石柱はその当時の道しるべで、下記のように刻まれています。

これよりうんぜん十八丁(18町 約1.8km)
左 みなんめみち(左 島原半島南部道)
右 をばまみち(右 小浜道)

昭和55年6月  雲仙小浜ライオンズクラブ

雲仙の高岩山歩きの草花  平成20年11月

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雲仙の高岩山歩きの草花  平成20年11月

平成20年11月2日(日)、雲仙の宝原から高岩山(標高881m)へ登り、九州自然歩道を塔の坂へ下った。途中で見かけた季節の草花と紅葉。野良妻の撮影。

雲仙鬼人谷の紅葉速報とアルバムは、always氏ブログ、同日午前10時頃の写真を参照。
http://blogs.yahoo.co.jp/always_blog/57202208.html
http://blogs.yahoo.co.jp/always_blog/57203943.html 

雲仙の高岩山 (2)  平成20年11月

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雲仙の高岩山 (2)  平成20年11月

平成20年11月2日(日)曇り。参加10人。雲仙は紅葉の時期となり連休のため、人出を避けて少し離れた宝原から高岩山(標高881m)へ登り、九州自然歩道を塔の坂へ下った。よく整備された道である。
10時半宝原発ー高岩山(昼食)ー塔の坂ー札の原ー小地獄ー宝原16時着。
写真は(1)が午前の高岩山まで、(2)が午後の宝原までの道。

宝原から高岩山までは、標高差131m。1.3kmの約40分である。山頂の岩に登ると雲仙や島原半島の眺望がよいが、あいにく曇り空。
塔の坂へ尾根伝いに2.5kmの九州自然歩道を下る。後は県道389号線へ出て、札の原・小地獄経由で車に戻ったが、高度差が激しく、長い車道歩きは疲れた。
塔の坂まで下らず、途中、いったん車道へ出たところから宝原へ近道(約45分)をした方がよいようだ。小地獄温泉館は連休で人が多い。風呂どころでない。

雲仙の高岩山 (1)  平成20年11月

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雲仙の高岩山 (1)  平成20年11月

平成20年11月2日(日)曇り。参加10人。雲仙は紅葉の時期となり連休のため、人出を避けて少し離れた宝原から高岩山(標高881m)へ登り、九州自然歩道を塔の坂へ下った。よく整備された道である。
10時半宝原発ー高岩山(昼食)ー塔の坂ー札の原ー小地獄ー宝原16時着。
写真は(1)が午前の高岩山まで、(2)が午後の宝原までの道。

宝原から高岩山までは、標高差131m。1.3kmの約40分である。山頂の岩に登ると雲仙や島原半島の眺望がよいが、あいにく曇り空。
塔の坂へ尾根伝いに2.5kmの九州自然歩道を下る。後は県道389号線へ出て、札の原・小地獄経由で車に戻ったが、高度差が激しく、長い車道歩きは疲れた。
塔の坂まで下らず、途中、いったん車道へ出たところから宝原へ近道(約45分)をした方がよいようだ。小地獄温泉館は連休で人が多い。風呂どころでない。

明治33年建などの矢上村にあった街道標石 (2)  長崎市東町

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明治33年建などの矢上村にあった街道標石 (2)  長崎市東町

明治33年9月などに建てられた矢上村にあった街道(国道・県道)標石が2つ現存している。矢上村の明治34年測図国土地理院旧版地図を末尾に掲げたので、所在場所は地図により確認。

標石1は、矢上神社を出た旧長崎街道が国道34号線を斜めに横切り、50mほど八郎川に向って入った右道脇。井出松次様宅の玄関とガレージとの間、マキの木の根元にある。
刻面は次のとおり。寸法は18cm角、高さ65cm。

正 面  ←喜々津 諌 早  長 崎→
左側面  ←有 喜 愛 野
右側面  仐矢上村字宿
裏 面  明治三十三年九月建

標石1は、次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/470
もともとここにあったのではなく、国道34号線が戸石へ分岐する現在の矢上交差点近く、旧長崎街道の道から移設されている。

標石2は、八郎川を渡って旧長崎街道が現在の長崎自動車道下を行く東町。彩が丘団地入口を少し登り藤尾の集落を通ると、この下り坂の途中の右道脇にある。清藤橋へ出て明治の街道の道と合うので、清藤橋から上った方が近い。
刻面は次のとおり。寸法は同じく18cm角、高さ65cm。

正 面  ←平 野  間ノ瀬  現 川 長  
左側面  
右側面  仐 (下部に小さく)矢上村町
裏 面  明治三十四年八月

標石2は、10月26日実施した長崎学さるく「長崎街道歩き」で、講師の諫早郷土館織田先生から教えてもらった。
実際の刻面は写真のとおり。よく判別できないが、平野に建ち、場所のない右面は間ノ瀬へ、左は現川へ行き、現川峠を越して長(崎)へも出られるという意味ではないだろうか。
平野と間ノ瀬を合わせて平間町になっている。もともと前の陸運事務所があった「年の神」バス停近く平間町平野の街道の分岐となるところにあった標石を、これもここに移設しているようである。
右側面の「仐(下部に小さく)矢上村町」が今ひとつ、はっきりしない。矢上村の「町名」にあったのか。