アーチ石橋「藤尾橋」と近くの鉄道橋梁 東彼杵郡川棚町新谷郷で見つかる
東彼杵郡川棚町に残るアーチ石橋は、川棚川の上流となる石木・木場地区の3橋、勘蔵(かんぞう)橋・川原(こうばる)橋・山川(やまご)橋をすでに紹介していた。
参 照 https://misakimichi.com/archives/686
このたび8月16日、川棚町新谷郷の旧国道の道に「藤尾橋」という明治30年代に架けられたアーチ石橋が現存していることがわかった。
見つけられたのは、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の制作者二エもん氏。盆休みを利用し長崎県へ来て、JR大村線の鉄道橋梁を主に調べられた際、この橋を偶然、発見された。
今まで紹介されなかった川棚町でも把握していないと思われる橋。連絡をもらい現地へ見に行ったが、中ぶりの見事なアーチ石橋である。同氏の地道な調査結果に、また感心した。
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」長崎県の石橋の中のデータは次のとおり。
同HPも参照。今回及び前から、同氏が見つけられた近くの鉄道橋梁の煉瓦アーチと煉瓦桁橋もあわせて載せてみる。
現地は、国道205号線の「大崎公園入口」から国道を下った「新谷橋」交差点から左折する。すぐJR大村線の「三反間橋りょう」ガード下へ出るので、ここから左右を探すと位置図のところに各橋がある。
写真 1 №3,615 藤 尾 橋 2008.08.16
東彼杵郡川棚町新谷郷
橋幅:4.5m 径間:3.8m 拱矢:2.0m 環厚:37cm
架設:明治三十?年
新谷郷橋梁(仮称)から上流側を見ると、なんとアーチが見えました。目を疑いましたが、確かに石造アーチ橋です。以前来たことがあるかどうか、記憶を辿ります。鉄道跡ではなく、道路です。
親柱に「藤尾橋」と「明治三」まで読めますので、恐らく三十年代でしょう。
右手に民家があります。念のためこの道を進んでみましたが、国道205号線にぶつかったところで途切れていました、恐らく旧道でしょう
写真 2 №3,326 新 谷 橋 梁 2008.04.19
東彼杵郡川棚町新谷郷
橋幅:5.55m 径間:2.7m 拱矢:1.35m
架設:明治31(1898)年頃
JR大村線
国道205号線から南側へ入り込んだところに架かっています
写真 3 №3,614 新 谷 郷 橋 梁 2008.08.16
東彼杵郡川棚町新谷郷(しんがえごう)
橋幅:7.5m 径間:3.6m 拱矢:1.8m
架設:明治31(1898)年頃
JR大村線
今回の目的の一つ、この付近の煉瓦アーチを探します。前回は国道35号線、新谷郷の信号から入り込み、東側を探索しましたので、今回は西側へ。ありました。
小川と歩道。そこから小川の上流へ進むと、前方にアーチのようなモノが見えるんですけど… (これが写真1の「藤尾橋」となる)
写真 4 №3,616 新 谷 西 橋 梁 2008.08.16
東彼杵郡川棚町新谷郷(しんがえごう)
径間:0.9m×2 開口部H:1.0m
架設:明治31(1898)年頃
JR大村線
中央部で小川と線路が交差しています。手前から川に降り遡ります。てっきり煉瓦アーチと期待したら煉瓦と桁でした。
しかし、ここを探すついでに「藤尾橋」という立派な石造アーチ橋に出会えたのですから、計上します。
写真 5 №3,617 豊 姫 橋 梁 2008.08.16
東彼杵郡川棚町白石郷 下内
橋幅:11.9m 径間:1.8m 拱矢:0.9m 基礎:7段H2.3m
架設:明治31(1898)年頃
JR大村線
豊姫踏切の西側、川と線路が交差している場所を調べます。
基礎とポータル切石、内部煉瓦アーチです。
なお、後の2枚は現在の国道下コンクリート造橋と、「藤尾橋」上部の現国道合流点下で見られた小さな桁石橋。