長崎の巨樹・名木 (長崎市)」カテゴリーアーカイブ

伊勢の宮の大クス  長崎市伊勢町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

伊勢の宮の大クス  長崎市伊勢町

長崎市伊勢町の伊勢の宮にある。拝殿の左側に生え、かなりの大木と思われるが、上幹はほとんど折れ、根元の回りも枯れかかっており、樹勢が良くない。天然記念物には指定されてない。前に「大楠神社」が祀られ、由緒はありそうであるので、写真を撮っておいた。

松森神社のクスノキ群  長崎市上西山町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

松森神社のクスノキ群  長崎市上西山町

松森神社は、長崎市上西山町にある。諏訪神社のすぐ近くである。現地説明板は次のとおり。

市指定天然記念物  松森神社のクスノキ群    指定年月日 昭和49年6月18日  所有者 松森神社
クスノキの巨樹は、地上まもなく数本の支幹に分かれ、支幹はさらに大小の枝を出して、雄大な樹形をつくる。そのためか、クスノキの巨樹は独立樹が多く、巨樹の群生はあまり見当たらない。
松森神社には、境内を中心とした狭い地域に、7本のクスノキが群生している。最大のものは、胸高幹囲7.80m、樹高25m、東西30m、南北30mの枝張りは、球状の樹形をつくり、盛り上がった根張りは雄大である。樹齢は300年をこえると思われる。
長崎市教育委員会 (平成元年3月設置)

善長谷教会上の「ゆうこう」の木  長崎市大籠町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

善長谷教会上の「ゆうこう」の木  長崎市大籠町

柚の新種「ゆうこう」については、別項の寄稿、川上正徳氏「長崎学とゆうこう」により紹介している。実は優しい香りと筋の山があるのが特徴。川上氏は「ゆうこう」の木が、大籠・土井首・東樫山・出津・佐賀県馬渡島などキリシタンの地に多く見られ、木の分布を丹念に現地調査している。

そのうち、今のところ一番大きい木は、大籠町善長谷カトリック教会の上にあるとのことで、8月27日写真撮影に行った。ルルド奥の竹林内とその上方の道脇にそれぞれある。
ルルドのは竹に負けず背が高いが、辺りは竹林のため樹勢が衰えている。道脇のは、根元から2本に分かれ、太いのは幹回り1m以上、高さは8mぐらいある。手前の枝に青い実をつけていた。外に教会から左へ行った最奥の民家の下にも数本まとまってあるとのことであった。

「ゆうこう」は珍しい木なので紹介した。近くの「善長谷開拓碑」(別項)の回りにエノキやタブの大木があった。教会のシルエットが美しかった。

(追記 平成20年1月14日)
現地を再訪する。実が黄色い写真。ルルドのは実が3個しかなかった。上の道脇のは手前枝の小木のみ成っていた。最後の3枚は教会左上の奥の方畑地斜面に立つ木。たわわに実っているが、根元を見ると大小3本が寄り添った木であった。

山王神社の大クス  長崎市坂本2丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

山王神社の大クス  長崎市坂本2丁目

被爆の片足鳥居で知られている山王神社は長崎市坂本2丁目にある。被爆クスノキもここにある。現地説明板は次のとおり。

長崎市指定天然記念物  山王神社の大クス   指定年月日 昭和44年2月15日

この2本のクスノキは、胸高幹囲がそれぞれ8メートルと6メートルで市内にあるクスノキの巨樹の一つである。ともに昭和20年の原爆で主幹の上部は折れたため、樹高は10メートル内外であるが、四方に張った枝は交錯して一体となり、東西40メートル、南北25メートルの大樹冠を形成している。原爆の影響で一時落葉し枯木同然であったが、次第に樹勢を盛りかえし今日に至っている。
長崎市教育委員会

藤田尾のツバキ 長崎市藤田尾町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

藤田尾のツバキ 長崎市藤田尾町

為石から県道34号線を行き、藤田尾の分岐から同集落へ下る。消防団分団のところは右へ道をとると藤田尾公民館がある。この手前から路地に入るが、案内標識が要所にあり、公民館から2分ほどで現地に着く。
現地説明板は次のとおり。なお、この30mほど下方にも、幹周り1.63mの別のツバキの大木がある。
指定の理由  藤田尾のツバキ

市内で最大のツバキである。県指定天然記念物”福江の大ツバキ”に匹敵するほどの大きさである。根元より幹は2つに分かれ地上2mのところから大枝を出して樹勢も極めて旺盛である。
指定の参考資料
目通り  1.48m(大) 0.9m(小)  樹 高  11.2m
樹 広  9.7m東西  7.6m南北    樹 齢  推定約300年
根元周り 2.8m

小ケ倉水源池上流の巨大スギ  長崎市上戸町4丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

小ケ倉水源池上流の巨大スギ  長崎市上戸町4丁目

岩屋神社のスギ群より若いが、小ケ倉水源池上流の植林地にも巨大スギがある。
市民の森から下るより、上戸町の水源池から行く方が近い。烏帽子岩へ出る林道を行き、水源池の最奥となる登りにかかる所(ソーメン流しを作っていた)からフェンス内に入る。川沿いと川を渡り、フェンス入口から10分もかからず現地に着く。
幹の太さ3m内外のスギが10本ほど植林地に残っている。現地説明板は次のとおり。

巨 大 ス ギ

このスギは、1922年(大正11年)に植林されたものです。長崎市内では数少ない大木のスギ林です。大切にしましょう!

式見のエノキ  長崎市式見町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

式見のエノキ  長崎市式見町

長崎市式見町、式見小学校の正門左にある。根元1本の支幹は倒壊していた。現地説明板は次のとおり。

市指定天然記念物  式見のエノキ   指定年月日 平成10年4月30日 所有者 長崎市

このエノキは、樹高17m、幹回り5.8mあり、高さ1.7mのところから幹は3つに分かれ、その内の1つは周囲2.8mの大きさであり、樹齢は300年以上と推定されている。
三根山の山林の中にあった自然木であるが、その場所が、三根城、城山旧庄屋跡、戸長役場、式見小学校と移り変る中、他の雑木が伐採されたのに対し、この木は庄屋や戸長役場のように政治的に重要な場所の目印として残されたものと考えられる。また、エノキが旧街道の境界木として保存されてきたとも考えられる。
長崎市教育委員会(平成11年3月設置)

大徳寺の大クス  長崎市西小島町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

大徳寺の大クス  長崎市西小島町

長崎市西小島の大徳寺公園内にある。説明板は県下第一のクスの巨木としているが、環境庁調査によると島原市有明町松尾にあるクスノキが最大である。下2枚の写真は、公園に他にあったクス2本、イチョウ1本の大木を撮った。
現地説明板は次のとおり。

県指定天然記念物  大徳寺の大クス  指定年月日 昭和25年4月10日
所在地 長崎市西小島町 大徳寺  管理責任者 長崎市

県下第一のクスの巨木である。指定当時の実測によると、根のまわり23.35m、目通り幹まわり12.55mで、本幹は三大支幹に分かれ、樹相は低く横に広がります。樹齢は800年くらいとみられます。
当時このあたりは原始林で、このクスはその中の一本であったと思われる。
長崎市教育委員会(平成17年10月設置)

川原木場ヒジキさまにあった大榊  長崎市川原町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

川原木場ヒジキさまにあった大榊  長崎市川原町

この川原木場のヒジキさまや大榊は、昭和61年「三和町郷土誌」に載ってない。その後わかったものと思われる。高崎市郎先生の「ふるさとものがたり」を読んでいたら、珍しいことが書いてあった。この本は、三和町教育委員会広報誌「あなたと広場」の掲載記事をまとめたものだが、平成5年2月No.29の「郷土誌余聞」その38に「不思議神」として表われる。内容は以下のとおり。

後の方の記述、樹齢数百年の天然記念物ものの榊の巨木ということで訪ねてみた。残念なことにこの木はもうなかった。地主の三浦進さんに聞くと、2〜3年前の台風で倒れたらしい。現況は上の写真のとおり。根株のみ残っていた。大榊とはどんな木だったのだろう。昔はオガダマノキが榊だったので、これとも考えられる。
場所は、木場公民館前バス停から少し行った県道の下手となる。下の道から回らないと行かれない。ひわ畑の奥となる。この道は、今は県道で寸断されているが、熊川力士碑へ続く半島東回り「みさき道」でなかったかと感じている。

郷土誌余聞 その38 「不思議神」    高崎 市郎

川原木場の山中に落人の墓らしい一群を発見し発表したがあれからもう五、六年も経た。最近また変った祀り神があることを知らされ一度行ってみることにした。
祭り主に尋ねてみても何を祀ってあるのかわからないが随分と昔からあったらしいとのことで、藪蚊に喰われ乍ら検べさして貰ったが年代も祭神も書かれて無い。何か訳があっての事なのか部落の人はこれをヒジキさまと呼んでいるらしい。
さて、ヒジキさまとはどんな意味かと尋ねても知らないとのこと、或いは木場の先祖神ではあるまいかとも思った。開き扉のついた仲々立派な祠であって最初これを代々祭っていたのは松浦氏らしい。

松浦氏は木場でも一番古い家柄で…壇の浦で敗れた平家の中には九州の松浦党は菊池氏と共に三百の軍船を連ねて出陣したと記録されているが、この松浦も破れて各地へ散って行った。その中に木場の先祖人がいたかも知れない。
長崎半島東側の海岸地帯には三浦姓が多く、西側には松浦姓が多い。三浦も松浦も平家の一族であることからすれば、この祭神も或いは平家塚と呼んで不思議でもあるまいが、証拠となるべき物が無いので私はこれを不思議神と名づけた。

次にこの祠の近くにある榊に注目した。大体この榊は殆どの神々の近くに植えてあり、通常神事にも使われるが、ここの榊はまさに神木の風格でその巨木には驚いた。大人の抱きまわすような大木でこんな榊をみたことが無い。三和町の天然記念物としても価値あるものではないだろうか。この木の大きさから判断すれば数百年は経たものと思われた。巨木の少ない本町にとっては洵に珍しい植物である。昨年の十九号台風により周辺の山々も随分と荒れて、この神木の葉先も相当に痛んでいたが、春と共に新芽を吹き出してくれることを祈って引揚げた。…

(追記 平成20年1月19日)
ところで、「ヒジキさま」とは、どんな神様か。雲仙市小浜町木津に同名の石祠があった。小浜町・同教育委員会「おばまー史跡めぐりー」平成11年刊8頁の説明は次のとおり。
ひ じ き 様
宗像神社の入り口のところに、恵比寿様と並んで祀られている。石には「安政六巳未歳(1859年)九月穀旦建立」の文字がある。志自岐権現のことであろう。穀旦は吉日のこと。志自岐権現は小豆島移民の守護神と言われている。

蚊焼摩利支天アベマキ群  長崎市蚊焼町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

蚊焼摩利支天アベマキ群  長崎市蚊焼町

蚊焼の摩利支天は長崎市蚊焼町上松尾にある。蚊焼小学校から晴海台団地へ登る車道の上大カーブ地点から左の入った高台にある。石祠一覧によると寛政二年(1790)の碑がある。
三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊657頁、文化財「天然記念物」の項の説明は次のとおり。

「クヌギに似たブナ科の樹木で、日本では中国山地と対馬とともに北九州に分布。戦前はこの木からコルクを採った。ここには四本あり、珍しい木である。なお、川原の大師堂前にも一本ある。(答申中のものは、昭和61・1・31町文化財指定)」

掲載した写真の現地を訪ねたが、いつの時の台風か被害に遭い、ほとんど根元から折れ群をなしておらず、現況は上のとおりとなっていた。
川原のは健在である。大聖寺墓碑群の項に写真を写した。