長崎の風景・史跡 (県 南)」カテゴリーアーカイブ

守山大塚古墳  雲仙市吾妻町 ( 長崎県 )

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守山大塚古墳  雲仙市吾妻町

雲仙市HP「雲仙市の主な遺跡」による説明は、次のとおり。航空写真も同HPから。諫早湾干拓堤防道路入口から山手へ向かう。

○守山大塚(もりやまおおつか)古墳

■古墳時代(約1700年前)
県内最古級の前方後円墳
島原半島で唯一現存する前方後円墳で、離島を除く長崎県内では最大級の大きさを誇ります。後円部の直径は約45メートル、全長は70メートルを測ります。後円部中央の高さは約7メートルあり、写真で判るように、現在は墓地として使用されています。平成21年度に行われた古墳周囲の発掘調査により、古墳に葺石(ふきいし)が施されていたことや周りに周溝(しゅうこう)(堀)が巡ることが判明しました。また、出土した壺や甕の破片から、4世紀前半には古墳が作られていたこともわかりました。墳丘(ふんきゅう)の大きさも一回り大きくなることが予想され、80メートル前後の大きさと考えられます。前方後円墳の形そのままに現在のお墓が建ち並ぶ姿は一見の価値有りです。
なお、宮崎康平氏の書籍「まぼろしの邪馬台国」でも紹介されています。

守山大塚古墳の航空写真
守山大塚古墳を上空から見た写真(右奥が前方部 後には田内川(たないがわ)が流れる)

葺石基礎検出写真 古墳西側の水田を調査した結果、現在の墳丘の外側に、当時の墳丘基礎部分が発見された。径50センチメートルほどの川原石(後を流れる田内川から採取?)を積み上げている。

鈴田峠の藩境籠立場・跡  大村市 <長崎街道> ( 長崎県 )

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鈴田峠の藩境籠立場・跡  大村市 <長崎街道>

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。
表示板がなく場所がわかりにくいから、HP「伊能忠敬測量による長崎県内の主な街道・長崎街道」から鈴田部分を載せる。鈴田峠(日野峠)から大村側へ復元植栽している松並木を100mほど進むと、街道右手脇に遺構の石垣平地が見える。
後ろの写真は、大村市中里町側の国道まで下る途中の石畳坂、渡辺伝弥久の墓、大神宮など。

鈴田峠の藩境籠立場・跡 すずた
大村市 <長崎街道> 籠立場 江戸期 歴史の道百選 WEB 石垣がよく残る 1 C

旧長崎街道鈴田峠  大村市・諌早市の市境 ( 長崎県 )

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旧長崎街道鈴田峠  大村市・諌早市の市境

現地説明板は、次のとおり。後ろの写真は、鈴田峠の北側、風観岳(標高236.2m)の山頂にかけて見られる丸型(大村藩塚)や三角型(佐賀藩御倉入地大渡野村、諫早領破篭井村、大村領鈴田村の大型「三方境塚」)の「藩境石塚」、鈴田峠硯石の傍にあった藩境石を日清戦争後、改刻転用移設した「遥拝所」碑、三角点。
これらは本ブログ次も参照。 https://misakimichi.com/archives/630

旧長崎街道鈴田峠
ここは、大村藩と佐賀藩諫早領の藩境となった鈴田峠です。現在でも、大村市と諌早市の境となっています。
長崎街道は、小倉から長崎に至る57里(230km)を結ぶ九州随一の幹線道路で、海外との窓口であった天領長崎にもたらされた異国の文物や情報を、いち早く江戸に伝えるため、江戸時代前期に整備されました。長崎へ向かう諸大名や長崎奉行、江戸へ向かうオランダ商館長一行や象がこの道を通りました。
この境にある大石は、境石、硯石、鬼の足形石などと呼ばれ、境の目印となっています。江戸参府途中のオランダ商館医シーボルトもこの峠で大村藩役人の出迎えを受けたと記録しており、藩境の重要な場所でした。ここから大村側へ少し進むと大名などが籠を降ろして休憩した籠立場の跡を見るこどできます。
また、藩境に沿って横に伸びる道沿いには、石を積み上げた塚が点々と残されています。これは藩境を示す石塚で、特にここから北にある風観岳の山頂にはひときわ大きな三角塚が築かれています。(写真)
この一帯の山道は、当時の景観が極めて良く残されており、平成8年、文化庁により「歴史の道百選」に選定されました。
平成12年3月   大村市教育委員会

大村街道  諫早市破篭井町<長崎街道> ( 長崎県 )

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大村街道  諫早市破篭井町<長崎街道>

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータ及び現地説明板は、次のとおり。
旧長崎街道鈴田峠や大村側の藩境籠立場跡などは、次記事とする。

大村街道 おおむら
諫早市 破籠井町<長崎街道> 道路 長1.46㎞ (指定範囲) 江戸期 市史跡 WEB 未舗装 雰囲気を良く留める 1 C

大村街道   市指定史跡 昭和52年3月5日指定 (現地説明板)
破篭井町から山間部に入り、日野見岳の麓を経て大村市との市境にいたるまでの長さ約1.5km、標高差約
120mを長崎街道の一部・大村街道として指定しています。
この街道の中ほどには、大渡野番所が置かれ、領民の出国や他領からの入国を取り締まりました。その番所の遺構も現在まで残っています。
長崎街道は小倉ー長崎間57里(約228km)、23の道中宿場がある主要な脇街道であり、幕府直轄の貿易港・長崎と江戸とを結んで重要な役割を果たしました。
また、長崎奉行の交替、オランダ商館長の江戸参府、黒田藩・鍋島藩による長崎港警備などに利用されました。
1826年(文政9年)、この地を通ったシーボルトは、「…多良岳に源を発して諫早付近の海に注ぐエイショウ川という小川を越え、海岸沿いに大村の町に向かうたいへん気持ちのよい街道を進んだ。諫早と鈴田という小さな村の間にはたくさんの茶が栽培されていて、畑という畑には整然と茶の木が植えてある。…大村領の境界では2人の武士が姿を見せ、使節に挨拶し行列を先へと案内した。…」と記しています。(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト著「日本」)
なお、この指定区間は、平成8月文化庁選定の「歴史の道百選」に選定されました。
平成9年12月24日   諫早市教育委員会

立花河地堤  西彼杵郡時津町日並郷 ( 長崎県 )

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立花河地堤  西彼杵郡時津町日並郷

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。サイト用画像撮影に出かけた。
日並交差点から旧国道に入り、山下酒店角から日並川沿いの町道を遡る。廣済寺分院先の橋は宇野工業の方へ右折、コンクリート林道を終点まで進む。

時津町マップでは「高地池」(黄囲線の場所)、現地の平成4年11月改修記念碑には「橘河内地区老朽溜池」とあった。時津町教育委員会編「時津町郷土誌」昭和54年発行には、10〜11頁「4.沼、堤、池」の項に写しの記録があるだけである。

立花河地堤 たちばなこうち
(西彼杵)時津町 溜池 堤長33m 天和2(1682)→天保4(1833)嵩上げ 町教委 一部C改修 施工: 奉行・松尾好之助、田中九兵衛 3 –

殿様道路(下往還)の石畳  南島原市有家町堂崎

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殿様道路(下往還)の石畳  南島原市有家町堂崎

「有家町名勝・史跡探訪マップ」による説明は、次のとおり。国道251号有家町の東側となる「堂崎公民館」裏手の坂に石畳道が残る。
鹿児島から天草経由で帰り、南島原は「近世以前の土木・産業遺産」サイトの画像撮影のため立ち寄った。

⑳殿様道路(下往還)の石畳

島原城大手門を起点とする南目方面の一部。石畳が当時を偲ばせる。

唐人常夜灯  南島原市口之津町大泊 (口之津公園内)

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唐人常夜灯  南島原市口之津町大泊 (口之津公園内)

「旅ログ」長崎県による説明は、次のとおり。
鹿児島から天草経由で帰り、南島原は「近世以前の土木・産業遺産」サイトの画像撮影のため立ち寄った。最後の2枚の写真は、口之津公園下の「口之津歴史民俗資料館」屋外展示物。

唐人常夜灯

長崎県南島原市口之津町大泊 (口之津公園内)
スポットの説明
口之津港頭の高台(口之津公園)にあり、高さ3.8m、2.1m四方形の石積みの灯明台で、寛永19年(1642年)に造営された琴平宮の献灯で、航行船舶の標識として利用された。明治13年口之津灯台建設後は、専ら琴平宮の献灯としていたのである。明治17年の夏の台風によって琴平宮が倒壊したため灯明台のみが残っている。
文化財  市町村指定重要文化財

JR長崎本線旧線「大草駅」の歴史  駅舎展示パネルから

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JR長崎本線旧線「大草駅」の歴史  駅舎展示パネルから

「大草駅」は、1898年(明治31年)11月27日に九州鉄道により開設された駅。現駅舎に歴史を刻む展示パネルと、懐かしい写真があった。ウィキペディアフリー百科事典による解説は、次のとおり。

大 草 駅
大草駅(おおくさえき)は、長崎県諫早市多良見町元釜にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線(長与支線)の駅である。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。駅舎は諫早方面ホームに接している。2つのホームは屋根無しの跨線橋で繋がっている。跨線橋は大村湾をイメージして、青くペイントされている。ホームは列車の停まる部分のみ嵩上げされている。諫早方面ホームの横に貨物取り扱い時代の側線の跡が残っており、保線用の車両が停車していることがある。
2つ長崎寄りにある長与駅と同じく、長崎本線旧線上にある数少ない交換可能駅である。無人駅であるが、自動券売機が設置されている。かつては業務委託駅だった。

利用状況
2010年度の1日平均乗車人員は180人である。

駅周辺
かつては駅前から長崎空港行きの高速船が出ていた。現在も、大村競艇の開催日には大村競艇場行きの高速船が運航される。
国道207号  大村湾  諫早市役所伊木力支所

バス路線
長崎県営バス 諫早市街・東園方面 – 大草駅前 – 大浦(長崎バス(停留所名は多良見大浦)に乗り継いで長与町・長崎新地ターミナル方面へ行ける)・重尾

歴史
1898年(明治31年)11月27日 – 九州鉄道により開設。
1987年(昭和62年)4月1日 – 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
1989年(平成元年) – 駅舎改築。
2012年(平成24年)12月1日 – 同駅を含む長崎地区19駅にSUGOCAを導入。

隣の駅
九州旅客鉄道長崎本線(長与支線) 東園駅 – 大草駅 – 本川内駅

島原市の風景

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島原市の風景

年末の休日2013年12月30日(月)、雲仙グリーンロードにより島原市へ往復。
島原城、姫松屋の具雑煮、武家屋敷通りと庭園石橋、レトロな猪原金物店、新山温泉上の湯、島原外港、眉山の遠望、島原温泉ゆとろぎの湯石橋、鯉の泳ぐまちのスナップ。

郡川砂防公園の川遊び  大村市黒木町

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郡川砂防公園の川遊び  大村市黒木町

きのう、孫娘の川遊びに、大村市黒木渓谷の郡川(こおりがわ)砂防公園へ出かけた。大村ICを出て、シュシュやかやぜで大村寿しと地鶏焼きなど仕入れ、萱瀬ダム上流の郡川砂防公園へ。幼児に手頃な川遊び場だが、人出が多かった。
2時間ほど過ごし、国道444号で平谷黒木トンネルを抜け、平谷物産販売所まで行って引き返した。夕食は長崎稲佐山温泉ふくの湯のバイキング。