旧長崎街道鈴田峠 大村市・諌早市の市境
現地説明板は、次のとおり。後ろの写真は、鈴田峠の北側、風観岳(標高236.2m)の山頂にかけて見られる丸型(大村藩塚)や三角型(佐賀藩御倉入地大渡野村、諫早領破篭井村、大村領鈴田村の大型「三方境塚」)の「藩境石塚」、鈴田峠硯石の傍にあった藩境石を日清戦争後、改刻転用移設した「遥拝所」碑、三角点。
これらは本ブログ次も参照。 https://misakimichi.com/archives/630
旧長崎街道鈴田峠
ここは、大村藩と佐賀藩諫早領の藩境となった鈴田峠です。現在でも、大村市と諌早市の境となっています。
長崎街道は、小倉から長崎に至る57里(230km)を結ぶ九州随一の幹線道路で、海外との窓口であった天領長崎にもたらされた異国の文物や情報を、いち早く江戸に伝えるため、江戸時代前期に整備されました。長崎へ向かう諸大名や長崎奉行、江戸へ向かうオランダ商館長一行や象がこの道を通りました。
この境にある大石は、境石、硯石、鬼の足形石などと呼ばれ、境の目印となっています。江戸参府途中のオランダ商館医シーボルトもこの峠で大村藩役人の出迎えを受けたと記録しており、藩境の重要な場所でした。ここから大村側へ少し進むと大名などが籠を降ろして休憩した籠立場の跡を見るこどできます。
また、藩境に沿って横に伸びる道沿いには、石を積み上げた塚が点々と残されています。これは藩境を示す石塚で、特にここから北にある風観岳の山頂にはひときわ大きな三角塚が築かれています。(写真)
この一帯の山道は、当時の景観が極めて良く残されており、平成8年、文化庁により「歴史の道百選」に選定されました。
平成12年3月 大村市教育委員会