大村街道  諫早市破篭井町<長崎街道> ( 長崎県 )

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大村街道  諫早市破篭井町<長崎街道>

サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータ及び現地説明板は、次のとおり。
旧長崎街道鈴田峠や大村側の藩境籠立場跡などは、次記事とする。

大村街道 おおむら
諫早市 破籠井町<長崎街道> 道路 長1.46㎞ (指定範囲) 江戸期 市史跡 WEB 未舗装 雰囲気を良く留める 1 C

大村街道   市指定史跡 昭和52年3月5日指定 (現地説明板)
破篭井町から山間部に入り、日野見岳の麓を経て大村市との市境にいたるまでの長さ約1.5km、標高差約
120mを長崎街道の一部・大村街道として指定しています。
この街道の中ほどには、大渡野番所が置かれ、領民の出国や他領からの入国を取り締まりました。その番所の遺構も現在まで残っています。
長崎街道は小倉ー長崎間57里(約228km)、23の道中宿場がある主要な脇街道であり、幕府直轄の貿易港・長崎と江戸とを結んで重要な役割を果たしました。
また、長崎奉行の交替、オランダ商館長の江戸参府、黒田藩・鍋島藩による長崎港警備などに利用されました。
1826年(文政9年)、この地を通ったシーボルトは、「…多良岳に源を発して諫早付近の海に注ぐエイショウ川という小川を越え、海岸沿いに大村の町に向かうたいへん気持ちのよい街道を進んだ。諫早と鈴田という小さな村の間にはたくさんの茶が栽培されていて、畑という畑には整然と茶の木が植えてある。…大村領の境界では2人の武士が姿を見せ、使節に挨拶し行列を先へと案内した。…」と記しています。(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト著「日本」)
なお、この指定区間は、平成8月文化庁選定の「歴史の道百選」に選定されました。
平成9年12月24日   諫早市教育委員会