長崎の巨樹・名木 (県 北)」カテゴリーアーカイブ

御厨のセンダン  松浦市御厨町大崎免

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御厨のセンダン  松浦市御厨町大崎免

国道204号線を平戸市田平町から松浦市御厨町へ入って、町の中心にまだ出る前に「大崎海水浴場」と「小嶋古墳群」入口の案内標識がある。この小嶋古墳群の所に古いお堂が祀られ、センダンの巨木とイチョウの大木2本が並んで立ち、国道側から見える。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

センダンの巨木

松浦市御厨町大崎にある。地元で小島と呼ばれる小さな森にはセンダンの木が数本あるが、イチョウの大木が2本ある隣に、センダンの巨木がある。幹にはフウトウカズラがびっしりと絡みついている。
地上40cmほどから二つに分かれていて、それぞれが地上3mほどでさらに2本に分かれている。幾つかの枝は切られている。淡い紫色の花が咲いていた。幹周りは、およそ5mほどはあるだろう。
古い祠のような小屋があるが、廃屋になっている。小島の周囲は田畑になっていて、小島に通じるそれらしい道はない。

是心寺のソテツ  平戸市田平町山内免

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是心寺のソテツ  平戸市田平町山内免

国道204号線の「田平港フェリー」交差点から左折、焼罪史跡公園の方へ案内標識により向かう。途中に鳥居がある所が熊野神社と海寺跡で、この道路先の大きな寺が是心寺である。
長崎県指定天然記念物ソテツの古木は本堂裏手の庭園を見下ろす斜面に立つ。寺地の右隅から回り込んで本堂裏手へ行くと、石垣上の高台にソテツが見える。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

是心寺のソテツ

本堂裏手の斜面にあり、庭園を見下ろすように立っている。高さ8m、幹まわり1.8mの雌株。
開基如法・定是居士が、渡唐記念に寛永4年(1626年)にソテツ数本を植えたと記されているので、樹齢380年ほどになる。昭和54年に県の天然記念物に指定。
境内には、タブノキ、イスノキ、マキノキの大木がある。

海寺跡のハクモクレン  平戸市田平町山内免

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海寺跡のハクモクレン  平戸市田平町山内免

国道204号線の「田平港フェリー」交差点から左折、焼罪史跡公園の方へ案内標識により向かう。途中に鳥居がある所が熊野神社で、社殿左奥がビロウの自生地である。
海寺跡は、熊野神社の鳥居から社殿へ行く参道の途中から左の木立内へ入る。長崎県指定天然記念物ハクモクレンの古木が綱が張られた一角に立ち、ビロウはここにも生えている。
隣の民家屋敷の通路の方へは立入禁止。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

海寺跡のハクモクレン

田平町・山内免の民家屋敷内にある。旧武家屋敷で、明治元年まで海寺があった。天暦11年(957)には花が咲いていたと言い伝えられている。少なくとも、樹齢600年以上はあるらしい。樹高16m、幹周り2.2m。いくつかの支柱で支えられていた。
昭和54年、県の天然記念物に指定。ハクモクレンは中国原産。隣接する熊野神社境内には県指定の ビロウが自生している。

熊野神社のビロウ  平戸市田平町山内免

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熊野神社のビロウ  平戸市田平町山内

熊野神社境内に見られるビロウ、九州本島最西端の自生地。長崎県指定天然記念物。
熊野神社は平戸市田平町山内免にある。国道204号線の「田平港フェリー」交差点から左折、焼罪史跡公園の方へ案内標識により向かう。
途中に鳥居がある所の奥が熊野神社。ビロウは社殿左後の斜面に大きいのが数本見られる。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

熊野神社境内のビロウ

田平町山内免にある。種子が流れついて自生したものと言われている。大小40数本が自生しているらしい。九州本島における最北の自生地として、昭和31年、県の天然記念物に指定された。
近くの竹林にも自生している。周辺の林には、シイ、ケヤキの大木の他、バクチノキが多数みられた。隣接した海寺跡には県指定のハクモクレンの大木がある。

皿山公園のスギ(残心の杉)  北松浦郡佐々町市瀬免

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皿山公園のスギ(残心の杉)  北松浦郡佐々町市瀬免

国道204号線が佐々町中心街を過ぎると、佐々川対岸に清峰高校がある。ここを過ぎなお行くと、市瀬免の国道脇に「皿山公園」入口案内板があり左折する。
一番奥の住宅地の中の駐車場まで進むと大スギは目の前。赤い太鼓橋を渡り史跡「市の瀬皿山窯跡」まで行くと根元がある。
国道脇駐車場からは、「ほたるの里菖蒲園」があり、歩くと菖蒲が満開であった。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

残 心 の 杉

佐々町・市瀬の皿山公園の一角に皿山窯跡があり、県の史跡に指定されている。
佐賀藩の有田焼、平戸藩の三川内焼、大村藩の波佐見焼が造られていたが、福本新左衛門を中心とした陶工5人が、1751年(宝暦元年)に三川内村(現佐世保市)からこの地に開窯した。
63mの階段状登窯で、当時としては国内最大級であった。白磁を主体とし、平戸藩の御用窯でもあった。

尾張国・瀬戸の陶工・加藤民吉が、1804年(文化元年)に、磁器製法の会得にやってきた。当時、瀬戸焼は陶器が主で、磁器の技法は未熟であった。
2代目福本仁左衛門に教えを受け、1807年に瀬戸に戻り、瀬戸の磁器の基礎を築いた。民吉は、愛知県瀬戸市の窯神神社に磁祖として奉られている。
民吉が佐々を去る時、3本のスギを植えたという。樹齢200年になり、大木になっている。
地元では、「残心の杉」と呼んでいる。

長串山公園のツツジ  北松浦郡鹿町町長串免

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長串山公園のツツジ  北松浦郡鹿町町長串免

国道204号線からは、佐々の手前から見返橋を渡り小佐々を通って鹿町方面へ入る。または江迎まで行って鹿町方面へ入る。双方を結ぶ県道16号線の中間あたりが長串山公園の登り口となっている。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

長串山公園のツツジ

鹿町町にあり、平戸ツツジ、久留米ツツジなど、10万本が咲き、その数では日本一である。九十九島を見渡せ、風光明媚な公園。下のツツジは花の小ぶりな久留米ツツジ。その場で植樹もできる。

金子アジサイ園  佐世保市小佐々町楠泊

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金子アジサイ園  佐世保市小佐々町楠泊

佐世保市小佐々行政センター先の「田原」交差点から県道18号線により楠泊漁港まで行き、大橋の手前から冷水岳へ登山道路を上がる。その途中、小佐々青少年旅行村の入口先の道路沿いにある。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中「街路樹」による説明は次のとおり。

金子アジサイ園

全国有数のアジサイ園で、約7万5000本のアジサイが咲く。遠くには九十九島が望める。アジサイ園に至る道路沿いにはおよそ2Kmに渡ってアジサイが植えれいる。また小佐々町の冷水岳公園には約4万本のツツジ咲く。
6月初旬。アジサイはまだ満開ではなかった。

旧泰邦寺跡のシャクナゲ  北松浦郡佐々町志方免

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旧泰邦寺跡のシャクナゲ  北松浦郡佐々町志方免

佐世保市相の浦町まで行き、松浦鉄道沿いの県道139号線により、佐々川河口に架かる見返橋を渡る。左岸を少し上ると、支流志方川を堰き止めた水門があり、手前左から川沿いの細い農道へ入る。

一軒の大きな農家の角に「志方小学校跡」碑と「旧泰邦寺跡」の説明板があり、石段を上った左手の堂前の斜面にシャクナゲの木がある。堂は「平戸新四国第五十八番札所」。
江里峠を越し江迎への県道227号線に入ってから見ると、田の先の川向かいに説明板が見える。地元では「志方小学校跡」と聞かないとわかりにくい。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

シャクナゲの大木

佐々町志方の旧泰邦寺跡の堂横にある。2本のツクシシャクナゲ。近くの玉置山から植栽されたもので、樹齢数百年と言われている。
2本のうち1本の花はほとんど散っていたが、もう1本は僅かに花を残していた。訪れるのが遅かった。
長崎県のツクシシャクナゲの自生は現在では、多良山系と西彼杵半島(県民の森など)にしか見られない。他は盗掘で絶滅してしまったという。

千人堂近くのスタジイ  佐世保市佐々町志方免

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千人堂近くのスタジイ  北松浦群佐々町志方免

佐世保市相の浦町まで行き、松浦鉄道沿いの県道139号線により、佐々川河口に架かる見返橋を渡る。左岸を少し上り江里峠を越し江迎への県道227号線へ入る。この谷間の集落が志方免。集落を過ぎ山手へかかると椎木橋がある。

橋手前に「千人堂入口」の標柱があり左折。標柱に従い左山手の集落まで約600m坂道を進むと千人堂に着く。スタジイは堂から少し下った道脇に立つ。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

スタジイの巨木

佐々町志方・千人堂近くにある。千人堂から左の道を進んだ右手の道沿にある。
幹は根元でふたつに分れ、太い幹はさらに4本に分かれている。幹からは多くの若枝が立ち上がっていて、幹周りはおよそ7mはある巨木。樹高20mほど。樹齢700〜800年と言う。
1563年、平戸軍と相浦軍との戦いで戦死した柴加田一族にまつわるもので、御神木になっている。県北地域でも最大のシイと言われる。
シイの傍は広場になっているが、そこに黒髪神社がある。お墓にしか見えない神社だが、山にあった黒髪神社をここに移したとのこと。
シイの巨木の多くは、洞ができていたりして、老木という印象があるが、このシイは生き生きとしていて樹形もいい。

大山祇神社社叢  佐世保市世知原町開作

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大山祇神社社叢  佐世保市世知原町開作

世知原町開作の大山祇神社は、町中心部から国見岳山系小塚岳トンネルへの県道54号線により行く。山手へ急なカーブを上り、世知原温泉くにみの湯「山暖簾」入口を過ぎると世知原活性化施設「国見の郷」(農産物展示販売)があり、この先すぐ右手に神社がある。

県指定天然記念物。鬱蒼とした社叢。かなりの大木が目立つが、訪れる人がいないのか、なかなか奥までは入りきれない。社殿左右にイスノキ、ケヤキの大木があった。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

大山祇神社社叢

世知原町関作にある神社。国民宿舎国見荘の近くにあり、54号線沿いにある。境内や裏の斜面にはスタジイ、イスノキの大木の他、タブノキ、ケヤキ、ムクノキ、エノキ、イロハモミジの大木がある。
昭和47年、県の天然記念物に指定。メタセコイアもあったがこれは植生されたものだろう。