天草の風景・史跡」カテゴリーアーカイブ

祝口観音の滝  上天草市松島町教良木

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祝口観音の滝  上天草市松島町教良木

天草5橋に続く国道324号線の松島町「知十橋」から、県道290号線と県道34号線により金山橋を渡り、教良木へ入る。教良木小学校や金性寺前を過ぎると、県道はまっすぐ行くと柄本町、左折すると倉岳町への分岐があり、倉岳町方面への県道59号線を上って行くと教良木ダムに着く。

祝口観音の滝は、教良木ダムのすぐ上流側にある。見事な滑滝が見えるので、ダム奥の一周道路から滝入口まで行く。
観音堂までは200m、滝脇を歩いて登る。上流の水源、「自噴する泉」は見忘れた。
上天草市教育委員会編「上天草市の文化財」平成18年刊22頁による説明は次のとおり。

名 勝  祝口観音の滝

市指定:昭和58年3月20日  松島町教良木
県営教良木ダムの水源の一つである祝口観音の滝は、上流の自噴(毎分500ℓ)する泉(周囲49m)を源に、滝の全長300m・標高差80m・幅10〜15mで岩肌を帯状に流れ落ちています。
滝には大小の滝壺(確認数18ヶ所)があって、その中でも ”モミ洗い”(径5m・深さ1.5m)・
”鼻の巣”(径8m・深さ1.7m)の滝壺はスケールが大きい滝壺です。

龍ヶ岳山頂の烽火台  上天草市龍ヶ岳町大道

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龍ヶ岳山頂の烽火台  上天草市龍ヶ岳町大道

天草上島の南東の山、龍ヶ岳(標高470m)には、国道266号線から行くと龍ヶ岳町西部鳴川や東部下貫から登山道路があるが、私は姫戸町の二間戸から上った。
上天草市教育委員会パンフレット「上天草市の文化財マップ」によると、地区別文化財として龍ヶ岳地区に「龍ヶ岳山頂の烽火台」を以下のとおり説明していた。

市指定文化財でないが、これに次ぐ史跡と思われる。龍ヶ岳山頂で探すと龍ヶ岳町東側を向く展望台の3段くらい真下の出っ鼻の岩場に、パンフレット写真どおりの岩があり、烽火用と思われる長円形穴に雨水が溜まっていた。
市に確認していないが、掲載写真から多分これに間違いないであろう。

地区別文化財 龍ヶ岳地区 (62) 龍ヶ岳山頂の烽火台

防人が異国船の監視等のため山頂に築かれた烽火台。

倉岳大えびす  天草市倉岳町宮田

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倉岳大えびす  天草市倉岳町宮田

国道266号線により天草市柄本町から倉岳町へ向かう。宮田第一トンネルを出た十五社の手前から右折して宮田漁港へ出ると、先端の埋立地に「倉岳大えびす」がある。
倉岳はタイ釣りの町。日本一というこの像は台湾産大理石造。台座高が3m、えびす座高が7mある。
現地説明板は次のとおり。
倉岳大えびす  献 辞

波しずかな、不知火海を望む景勝のこの地に、「豊漁・豊作」「商売繁盛」「航海安全」さらに「タイ釣りの町」を象徴する日本一のえびす像を建立しました。
えびす様のふくよかなほほ笑みは、福を呼び、豊を呼びます。これを機にわが故郷(まち)が、またお互いの未来(あす)が明るく活気みなぎり、豊かに栄え、一層躍進することをめざします。
平成二年九月十一日                      倉岳町長 稲津俊穂

維和島(いわじま)  上天草市大矢野町維和

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維和島(いわじま)  上天草市大矢野町維和

維和島は、大矢野島の東にあり、クルマエビの養殖は全国的に有名。東京へ出荷されているものの多くは、この島の近辺で養殖されたものだそうである。別名「千束蔵々島」(せんぞくぞうぞうじま)とも呼ばれる。

島の面積6.42㎡、周囲17.2km、人口約1700人。野牛島を挟み大矢野島間に西大維橋・東大維橋の2つの大橋が架かり、車で行ける。
国道266号線からの道路入口は、大矢野「中」交差点からか、次の大矢野中学校手前交差点からである。

千巌山・高舞登山  上天草市松島町合津

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千巌山・高舞登山  上天草市松島町合津

上天草市松島町の大景勝地。千巌山・高舞登山と合わせて国指定名勝になっている。
千巌山は、国道324号線の松島観光汽船・天草フェリーライン合津港のところに登山道路入口がある。山頂へは駐車場から奇岩の中を10分ほど歩いて登る。
高舞登山は、合津港まだ手前、同国道「合津」交差点から姫戸町へ八代海沿いに南下する国道266号線へ右折して入る。しばらく行った阿村トンネルまだ手前右に登山道路入口がある。
熊本県観光サイトHP「なごみ紀行 くまもと」による説明は次のとおり。

千巌山(せんがんやま)

松島の西方に位置する標高162メートルの山で、天草松島の好展望地として知られ、高舞登山とともに「国の名勝」に指定されています。奇岩怪石が多いため千巌山の名がつけられました。車では途中までしか登れず、駐車場からは歩くことになります。駐車場横には、フィールドアスレチックがあり、子供も大人も楽しめます。山頂からは西に有明海、雲仙、北に大矢野島、東に不知火等が眺めることができ、多少歩いても見る価値はあります。

所在地 上天草市松島町合津

高舞登山(たかぶとやま)

松島町の東方にある標高117メートルの小山で、千巌山と並ぶ景勝地です。頂上付近からは西に有明海を経て雲仙を望み、東に不知火海、はるか遠くには阿蘇を眺めることのできる松島随一の展望地です。九州自然歩道観海アルプスコースの基点で、文字通り海を眺めながらのコースになっています。コース沿いにはヤブツバキ、アセビ、ツゲ等の群落がありマツ、カシなどの常緑樹も多く山歩きが楽しめます。

所在地 上天草市松島町合津

矢岳巨石群遺跡(ドルメン)  上天草市姫戸町姫浦

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矢岳巨石群遺跡(ドルメン)  上天草市姫戸町姫浦

上天草市姫戸町を代表する山が白嶽(標高373m)。白嶽森林公園へは、松島町内野河内から姫戸町へ抜ける県道290号線二弁当峠より登山道路があるが、私は姫戸町から県道266号線により牟田口まで行き、ここから上った。この道がよく整備されていた。

矢岳巨石群遺跡(ドルメン)は、この白嶽山林公園の車道より矢岳神社を通って徒歩8分のところにある。登山道を上に登ると20分ほどで白嶽山頂へ着く。
最後の石は冬至・夏至など祭祀用?「堺石」か。車道下の方のまだ手前にある。
熊本県観光サイトHP「なごみ紀行 くまもと」による説明は次のとおり。

矢岳巨石群遺跡(ドルメン)

白嶽森林公園の巨石群遺跡内に長さ13m、幅6m、厚さ2.5mの巨石があり、ドルメン(支石墓)とすれば世界最大級のものです。また、盃状穴や方位を示す線刻や方位石などが点在し、古代のロマンにタイムスリップ出来るような場所です。
白嶽山林公園の車道より徒歩8分。

白 嶽   (2)  上天草市姫戸町姫浦

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白 嶽  (2)  上天草市姫戸町姫浦

上天草市姫戸町を代表する山が白嶽(標高373m)。高さは念珠岳(標高503m)が勝るが、眺望は白嶽が圧倒的に優れている。
白嶽は独立峰ではなく連山。白嶽の外に矢岳、中岳、谷を挟み鋸岳などが連なる。「観海アルプス」と呼ばれ、九州自然歩道となっている。
この付近の山の特徴は、巨石とまでいかなくも、大石・大岩の山である。

白嶽森林公園へは、松島町内野河内から姫戸町へ抜ける県道290号線二弁当峠より登山道路があるが、私は姫戸町から県道266号線により牟田口まで行き、ここから上った。この道がよく整備され、帰りに二弁当峠へ下った。
(1)は、前日夕暮れの山頂からの展望と翌朝の湿原と不動の滝。(2)はこの翌朝の山頂からの展望。ドルメン(別項)へ回ると山頂までは1時間ほど要し、急登であった。
山頂説明板及び熊本県観光サイトHP「なごみ紀行 くまもと」による説明は次のとおり。

白  嶽

白嶽(標高373m)という名の由来は、遠くから眺めた屏風様の山の岩肌が白く見えることから名付けられ、山頂に積み重なっている岩石は約2億年前大きな山が陥没し、八代海を形成したとき上から崩壊した岩が折り重なって出来たものと言われています。
また、途中の谷は清冽な湧水で湿地帯となり、天然記念物「ヒモヅル」「ミズゴケ」の群生地としても重要な場所となっています。
(注意) ヒモズル・ミズゴケの盗掘・採取は厳禁                環境庁・熊本県

白嶽森林公園

雲仙天草国立内にある総面積50haの自然公園で、園内にはキャンプ場、不動の滝、矢岳神社、矢岳巨石群遺跡、九州自然遊歩道、天草では珍しい高地の湿地帯など、森林浴と癒しに最適な公園です。また、園内の外周の峯々を遊歩道で網図状に結び入園者が自分の体力にあったコースが選べるのが魅力です。

所在地 上天草市姫戸町

白 嶽   (1)  上天草市姫戸町姫浦

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白 嶽  (1)  上天草市姫戸町姫浦

上天草市姫戸町を代表する山が白嶽(標高373m)。高さは念珠岳(標高503m)が勝るが、眺望は白嶽が圧倒的に優れている。
白嶽は独立峰ではなく連山。白嶽の外に矢岳、中岳、谷を挟み鋸岳などが連なる。「観海アルプス」と呼ばれ、九州自然歩道となっている。
この付近の山の特徴は、巨石とまでいかなくも、大石・大岩の山である。

白嶽森林公園へは、松島町内野河内から姫戸町へ抜ける県道290号線二弁当峠より登山道路があるが、私は姫戸町から県道266号線により牟田口まで行き、ここから上った。この道がよく整備され、帰りに二弁当峠へ下った。
(1)は、前日夕暮れの山頂からの展望と翌朝の湿原と不動の滝。(2)はこの翌朝の山頂からの展望。ドルメン(別項)へ回ると山頂までは1時間ほど要し、急登であった。
山頂説明板及び熊本県観光サイトHP「なごみ紀行 くまもと」による説明は次のとおり。

白  嶽

白嶽(標高373m)という名の由来は、遠くから眺めた屏風様の山の岩肌が白く見えることから名付けられ、山頂に積み重なっている岩石は約2億年前大きな山が陥没し、八代海を形成したとき上から崩壊した岩が折り重なって出来たものと言われています。
また、途中の谷は清冽な湧水で湿地帯となり、天然記念物「ヒモヅル」「ミズゴケ」の群生地としても重要な場所となっています。
(注意) ヒモズル・ミズゴケの盗掘・採取は厳禁                環境庁・熊本県

白嶽森林公園

雲仙天草国立内にある総面積50haの自然公園で、園内にはキャンプ場、不動の滝、矢岳神社、矢岳巨石群遺跡、九州自然遊歩道、天草では珍しい高地の湿地帯など、森林浴と癒しに最適な公園です。また、園内の外周の峯々を遊歩道で網図状に結び入園者が自分の体力にあったコースが選べるのが魅力です。

所在地 上天草市姫戸町

権現鍾乳洞  上天草市姫戸町二間戸

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権現鍾乳洞  上天草市姫戸町二間戸

国道266号線で龍ヶ岳町から姫戸町へ入った町境。海岸に突き出たところに権現山(標高221.2m)がある。鍾乳洞はこの山腹にあり、ヤマハマリン天草製造株式会社正門のちょうど裏方となる側の国道から山手へ車道を上って行く。

道路標識は姫戸側からのみ表示があった。車道行止まりに駐車広場があり、ここから歩いて5分だが、途中はすごかった。崖斜面を大工事している。落石の危険がある道である。
小さな規模の鍾乳洞。そのためパンフレットやHPではあまりふれないのではないか。
上天草市教育委員会編「上天草市の文化財」平成18年刊31頁による説明は次のとおり。市指定天然記念物ではない。権現のいしぶみ、普賢菩薩の由来は現地説明板から。

天然記念物  権現鍾乳洞  (姫戸町二間戸)

権現山の八合目付近に、その鍾乳洞は在ります。入り口の高さは6m、幅2.5m、調査済みの奥行きは130m。天草で唯一の鍾乳洞です。入り口から7.8mほど入った所が25畳敷き程の広場となって権現大明神が祭られ、その地点よりさらに120m奥に、阿弥陀如来像が奉られています。
現在より七千万年前に隆起して、一万年前に山口県・秋吉台の鍾乳洞と同じように完成していましたが、鍾乳石柱と鍾乳石は盗難に遭い、現在は観察することができません。

権 現  いしぶみ

水の流るゝ如く悠久幾千万年、幽玄神秘の鍾乳洞、奥行124m、洞奥に御二体阿弥陀如来御安置。向かって右側、享保19年甲寅(1734)、八代将軍徳川吉宗の治世、栖本町円性寺住職真誉観円法界結縁のため寄進。…途中略…
昭和59年4月1日、神代区に於て権現道路開通式並阿弥陀如来250年、同99年法要、権現様109年祭を神仏式にて盛大に行ふ。之を記念し神代区並ゆかりの人、相はかり此のいしぶみを建立す。
昭和61年10月吉日
神代区  栖本町  円性寺      竹中重次郎孫  竹中虎雄
古賀弥平次曽孫  古賀康口 〃 古賀兼八 〃 堀江イツ 〃 西岡フジエ
田中庄屋家末裔  田中秀穂     設計施工奉仕  松本組

普賢菩薩の由来

権現鍾乳洞北穴の石仏は古老の云い伝へに普賢菩薩と云はるるが寄進者氏名号等不明なりしが平成5年本渡市宮地岳町旧中西庄屋家の末裔中西隆昭氏より中西家の先祖が宮地岳町行人岳と二間戸穴権現に普賢菩薩を寄進したる旨代々庄屋家に云い伝えありと調査依頼あり。
翌6年3月中西家より行人岳(477m)普賢菩薩の祭礼に御案内を頂き参詣。同菩薩像前の碑に寛延3年(1750年)中西庄屋家4代中西忠左衛門は5代庄屋を弟亀右衛門にゆずり全国行脚四国に於て普賢菩薩御二体弁財天御一体を奉戴すと銘記あり中西家の御寄進と確認せらる。
御安置以来246年暗黒の北穴入口に或いは風雨に晒され北穴の仏様として神代区民の信仰篤きところである。茲而普賢菩薩の由来を誌し後世に伝えんことを願い由来の碑を建立す。
平成8年4月吉日                            姫戸町文化財保護委員会
普賢菩薩は釈迦の高弟で仏の理知と慈悲の徳を司り衆生済度のためにつくされると云われます。昭和47年天草大水害のため北穴に土砂流入し危険のため普賢菩薩像は権現鍾乳洞入口に御移転仮安置されております。