九州(鹿児島県)」カテゴリーアーカイブ

福山のイチョウ  霧島市福山町福山

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福山のイチョウ  霧島市福山町福山

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

福山のイチョウ
【所 在 地】霧島市福山町福山 2437
【種  別】県指定天然記念物
【指定年月日】昭和 39 年6月5日

福山町宮浦宮の社殿の両側に,2本のほぼ同じ大きさのイチョウが生えている。向かって右側のものは樹高
38m,胸高周囲 7.55m,左側のものは樹高 38.6m,胸高周囲 7.68m とほぼ同じ大きさで,樹齢はどちらも1,000 年以上といわれるが,木の大きさからすると600年ぐらいと思われる。右側の木には,寛政3(1791)年の大火による傷痕があり,左側の木には,明治 10(1877)年の西南戦争の際に政府軍の砲撃を受けた弾痕が残っており,歴史の重みを感じさせる。
イチョウは裸子植物イチョウ科の落葉高木で,原産地の中国から導入され,室町時代頃からよく植栽されるようになったといわれる。病害虫に強く,火や熱によく耐え,長命であるため,昔から各地の神社仏閣に植えられ,巨木となって残っているものが多い。また,種子のぎんなんは食用としてもよく利用される。
このイチョウは全国的にはそれほど大きいものではないが,鹿児島県では最大級のものであり,しかも上記のように由緒ある木であることから天然記念物として指定された。

鹿児島県のアーチ式石橋 野久美田橋  霧島市隼人町野久美田

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鹿児島県のアーチ式石橋 野久美田橋  霧島市隼人町野久美田

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。

№263  野久美田橋

霧島市隼人町野久美田(のくみだ)
清水川
橋長:13.4m  橋幅:4.60m  拱矢:2.74m  径間:5.48m
架橋:明治4年9月

国道10号線を西進し、隼人道路をくぐる約300m手前、右手旧道に架かっています。

隼人塚  霧島市隼人町内山田

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隼人塚  霧島市隼人町内山田

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

隼人塚
【所 在 地】霧島市隼人町内山田 265 − 3
【種  別】国指定史跡
【指定年月日】大正 10 年3月3日

『古事記』,『日本書紀』,『風土記』等に記載されている古代南九州の熊襲・隼人の反乱にちなんだ史跡として指定された。元は高さ3 m の丘の上に,多重石塔3基と四天王石像4体が立っていた。平成8,9(1996,97)年度に塚本体の発掘調査が実施され,平成 10(1998)年度に石塔,11(1999)年度に石像が復元された。
建立の年代には諸説があったが,調査の結果から奈良時代ではなく平安時代に現在地に建てられた可能性が高いことがわかった。建立の目的としては,景行天皇の時代に討たれた熊襲の霊を慰め,災いから逃れるために和銅元(708)年に建立されたという説や,奈良時代の養老4(720)年に隼人が反乱を起こしたため朝廷が大伴旅人に隼人を討たせ,これを慰めるために建立されたという説がある。しかし,目的をはっきり記した文献・考古資料は発見されていない。
江戸時代までは「隼人塚」の名称は見あたらず,明治時代に鹿児島神宮の神官が「隼人塚,一名熊襲塚」と命名し,これ以後,「隼人塚」の名称が定着していった。古くは菩提寺の塚,軍神塚などと呼ばれていたといわれている。
多重石塔3基は,出土した石材をもとに五重の石塔として復元された。また,石像は発掘の結果から,持国天,広目天,増長天,多聞天の四天王石像であることがわかった。四天王とは,仏の世界の東西南北に立って仏法と仏法に帰依する人々を守護する武人像である。
平成 12(2000)年に整備・復元された隼人塚に隣接して「隼人町立隼人塚史跡館」というガイダンス施設が設置された。

こくぶ城山公園  霧島市国分上小川

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こくぶ城山公園  霧島市国分上小川

霧島市HPの観光施設(国分、隼人、福山地区)による説明は、次のとおり。

城山公園

所在地  霧島市国分上小川3819
施設紹介
北に霧島連山、南に桜島の雄姿と波穏やかな錦江湾。そして、眼下に国分平野をのぞむ高さ192mの高台にあります。園内には、児童広場、屋外ステージ、1周1,350mのゴーカート場、観覧車など、家族連れで楽しめる施設があり、一日中いても遊び足りない公園です。市内はもとより、県外からも訪れる人が絶えません。また、約34種類3万本の樹木が植えられ、4月には桜やツツジ等が満開となり人々の憩いの場としても親しまれています。
営業時間 (4月1日〜9月30日) 午前9時30分〜午後6時  (10月1日〜3月31日) 午前9時30分〜午後5時
休業日  毎週月曜日(ただし、月曜日が祝祭日の場合はその翌日)  ※7月20日〜8月31日は無休
アクセス JR日豊本線国分駅から車で約5分  九州自動車道溝辺鹿児島空港ICから車で約25分
駐車場  268台  駐車料金  無料

国分市高座神社の社叢  霧島市川原

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国分市高座神社の社叢  霧島市川原

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

国分市高座神社の社叢
【所 在 地】霧島市川原 108
【種   別】県指定天然記念物
【指定年月日】平成元年3月 22 日

霧島市川原の高座神社(たかくらじんじゃ)の境内に,ナギとイチイガシの巨木が生育している。また,周辺の社叢には,スギやヒノキが植栽され,林床には約 80 種の植物が自生しており,良好な生育環境を保っている。
ナギはマキ科の常緑高木で,葉は卵形で幅が1〜3 cm あり,針葉樹の仲間とは思えない形態をしている。神木として神社の境内によく植えられ,参道近くにあるここのナギは,高さ約 25m,根回り約5.8m,目通り周囲が約 4.34m,推定樹齢は 800 〜1,000 年といわれ,日本最大級の巨木である。また社殿の前に立つイチイガシはブナ科の常緑高木で,高さ約35m,根回り 12.94m,目通り周囲 5.75m で推定樹齢 400 〜 500 年とこちらも県内最大級のものといわれている。
このように2種の巨木が同じ社叢内に生育していることは珍しく,どちらも樹勢は旺盛で保存状態もよく,しかもナギの幼木も多数見られることから天然記念物に指定された。

上野原遺跡  霧島市国分上野原縄文の森

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上野原遺跡  霧島市国分上野原縄文の森

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

上野原遺跡
【所在地】霧島市国分上野原縄文の森
【種 別】国指定史跡
【指定年月日】平成 11 年1月 14 日

鹿児島湾(錦江湾)に面した霧島市に所在し,標高 260m の台地上に位置する遺跡。上野原遺跡は,縄文時代早期前葉(約 9,500 年前)と後葉(約 7,500 年前)の時期が注目される遺跡で,いずれも上野原テクノパーク建設に伴って発掘調査され,4工区(前葉)の集落跡は平成 11(1999)年に国指定史跡に,3工区(後葉)の出土品は平成 10(1998)年に国の重要文化財(考古資料)に指定された。
4工区(前葉)は,平成7,8(1995,96)年度に発掘調査が行われ,約 9,500 年前に降下した火山灰の上下に,2条の道筋に沿う 52 軒の竪穴住居跡を中心とした集落が確認された。住居群とともに調理施設である 39 基の集石遺構や 16 基の連穴土坑が有機的に繋がって集落の全体を構成する。南九州における定住化初期の様相を典型的に示す大集落であり,日本列島の開始期の遺跡として重要な遺跡の一つである。
3工区(後葉)は,平成3,6(1991,94)年度に発掘調査が行われ,約 7,500 年前の壺を含む土器類,石器類とともに土偶や滑車形耳飾りなど,多彩な遺物で構成される。これらは,縄文時代早期の南九州における文化の先進性を物語る貴重な資料である。

桐原の滝  曽於市財部町下財部

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桐原の滝  曽於市財部町下財部

曽於市観光協会サイト「そおナビ」による説明は、次のとおり。一帯は大川原峡となっている。

桐原の滝  

桐原の滝は、幅40m、落差12mの雄大な滝で、周りに調和して自然美を満喫できます。流れ落ちるしぶきが虹のアーチをかけます。
落差15m、幅60mの滝で、加久藤火砕流堆積物をけずってできた滝です。
堅く固まった凝灰岩が溝ノ口川の水により削られて段差ができたもので、この下流にある関之尾滝や三連轟、甌穴群も同じ溶結凝灰岩でできています。

※加久藤火砕流堆積物:現在のえびの市を中心とするカルデラがおよそ34万年前に破局的噴火をおこし、そのときに発生した火砕流が溜まったもの。
関之尾滝(都城市)、須木の滝(小林市)、曽木の滝(伊佐市)なども同じ堆積物です。
※溶結凝灰岩:火砕流堆積物などが温度と圧力により固まったもの。

溝ノ口洞穴  曽於市財部町大塚原

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溝ノ口洞穴  曽於市財部町大塚原

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

溝ノ口洞穴
【所在地】曽於市財部町大塚原
【種 別】県指定天然記念物
【指定年月日】昭和 30 年1月 14 日

溝ノ口洞穴は都城市と接する山地を取り巻く狭い台地の末端部分にあり,入口の広さ 13.8m,高さ 8.6m,全長 224m の大規模な洞穴である。内部の幅の広い部分は 40m,狭い部分は 15m で,天井はアーチ型になっている。
洞穴は約2万5千年前に姶良カルデラから噴出した大隅降下軽石層と,シラス(入戸火砕流堆積物)の溶結した溶結凝灰岩の中に形成されている。雨水がシラスと降下軽石層の間にしみ込み,シラスや軽石を外に運び去って,徐々に空洞が拡大され,現在見られるような大きさになった。
シラスに関係したこのような洞穴は県内各地にあるが,溝ノ口洞穴は規模が大きく,落盤等による影響も少なく貴重である。
また,溝ノ口洞穴には縄文時代人の生活跡もあり,当時の生活を知る上でも重要である。

〈参考〉
溝ノ口洞穴内部は,入口から 60m 付近までは北 40 °西方向へのび,その後 120m 付近までは北方向へのびている。続いて西方向へのび 170m 付近まで進むと,再び北 40 °西方向となる。200m 付近には棚膳と呼ばれる平坦な所がある。
入口の岩肌には仏像が刻まれ,岩穴観音像が建立されている。

鹿児島県のアーチ式石橋 溝ノ口水路橋  曽於市財部町下財部

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鹿児島県のアーチ式石橋 溝ノ口水路橋  曽於市財部町下財部

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。

№4,223  溝ノ口水路橋

曽於市財部町下財部
橋幅:1.2m  径間:3.4m  拱矢:1.4m  環厚:33cm

(2009年)4月18日「日本の石橋を守る会」大会時、鹿児島の木原安す子さんから情報を頂きました。
この道路は溝ノ口岩穴に通じており、約5年前に訪れていますが、当時眼力がなかったのか、チェックしませんでした。
写真左に上部が少し見えています。

三連轟の滝  曽於市財部町下財部

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三連轟の滝  曽於市財部町下財部

曽於市観光協会サイト「そおナビ」による説明は、次のとおり。滝の上部は、九州電力の発電所取水路だった。

三連轟の滝  

「堅く固まった凝灰岩が溝ノ口川の水によって削られて段差ができた」とされる三連轟。
三つの滝の水の香りと大自然の中の風に囲まれ、身も心も癒されます☆
堅く固まった凝灰岩が溝ノ口川の水により削られて段差ができたもので、この上流にある三連轟や甌穴群、下流にある関之尾滝も同じ溶結凝灰岩でできています。
※加久藤火砕流堆積物:現在のえびの市を中心とするカルデラがおよそ34万年前に破局的噴火をおこし、そのときに発生した火砕流が溜まったもの。
関之尾滝(都城市)、須木の滝(小林市)、曽木の滝(伊佐市)なども同じ堆積物です。
※溶結凝灰岩:火砕流堆積物などが温度と圧力により固まったもの。