投稿者「misakimichi」のアーカイブ

萩原堤のハネ  八代市 球磨川 ( 熊本県 )

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萩原堤のハネ  八代市 球磨川

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。JR八代駅前から国道3号を東へ進む。すぐの萩原町交差点から国道219号に入った新萩原橋の上下流に萩原堤のハネ群が見える。写真は下流側からそれらしきもの。
7枚目写真の左側白い標柱が、「名勝 萩原堤」の説明標柱。

萩原堤のハネ はぎわら
八代市 球磨川 石水制(三角) (3ヶ所) 慶安2(1649)以前 歴史の道・球磨川水運p.121 球磨川の大屈曲部に、堤防を補強するため造られたもの C

球磨川と前川(新川)の分岐点の敷石 八代市 球磨川 ( 熊本県 )

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球磨川と前川(新川)の分岐点の敷石 八代市 球磨川

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。JR八代駅前から国道3号を東へ進む。すぐの萩原町交差点から国道219号に入った新萩原橋の下流に球磨川と前川(新川)の分岐点の敷石が見える。

球磨川と前川(新川)の分岐点の敷石 くま、まえ
八代市 球磨川 越流堤 寛永11(1634) 歴史の道・球磨川水運p.124 セメントで補強されているが、江戸時代の面影が残る 新川運河を閉鎖するために設けられた石積堤 3 B

甘夏みかん原木  芦北町田浦町 ( 熊本県 )

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甘夏みかん原木  芦北町田浦町  

現地説明板は、次のとおり。芦北町田浦基幹支所玄関脇にある。

甘夏みかん原木
この樹は、昭和26年3月、鶴田源志氏他3名の農家が大分県津久見市から、カラスのつつく甘い夏みかんの穂木を貰って持ち帰り苗木に育て、日本で始めて田浦町に植付けられた「甘夏みかん」原木のうちの1本である。
これらの樹から採穂され、育てられた子孫の苗木は、熊本県内から九州全域に広まり、更に、本州、四国へと渡って植付けられ、町内だけでも約500ヘクタールの果樹園に推計40万本が植栽され、「日本一の甘夏みかん産地」として名声を博するまでに成長している。
甘夏みかんが導入されて以来35年間、町の発展に貢献した功績を讃え、町のシンボル樹として、鶴田庶氏の好意により最初の植栽地から此処に移植したものである。
昭和61年6月   田浦町長 市川 信明

滝ノ上の石畳(佐敷太郎の石畳)  芦北町海浦 ( 熊本県 )

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滝ノ上の石畳(佐敷太郎の石畳)  芦北町海浦

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道3号旧道の佐敷隧道へ戻り、隧道を抜けて芦北町小田浦へ下る。山腹を回り込んだ途中の滝の上橋から芦北広域農道の下をくぐり、「滝ノ上地区ふれあいセンター」まで行く。
この前に「薩摩往還石畳」の説明板がある。「滝ノ上の石畳」はすぐ近くかと思ったが、遠かった。薩摩街道の小沢沿い急坂を30分は登る。史跡説明板があったのは、佐敷峠から下り道を確認した農道の、もうすぐ下の植林地内だったのでガックリきた。

滝ノ上の石畳(佐敷太郎の石畳) たきのうえ
(葦北)芦北町 <薩摩街道> 石畳道 長約20m,幅1.8m 江戸期 町史跡 WEB 放置保存(再発見) 薩摩街道の難所の一つ 2 –

佐敷太郎峠の切通し  芦北町白岩 ( 熊本県 )

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佐敷太郎峠の切通し  芦北町白岩

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。県道27号の肥薩おれんじ鉄道佐敷高架橋を下ったすぐ先から船津橋へ左折。橋を渡ると三叉路となっており、右が薩摩街道で、奥へ進むと前田に佐敷峠へ登る街道の入口案内板がある。中央が国道3号旧道で佐敷隧道へ続く。

佐敷太郎峠の切通し さしきたろう
(葦北)芦北町 <薩摩街道> 切通し 長10数m(2ヶ所) 江戸期 町教委 放置保存 薩摩街道の難所の一つ 2 C

佐敷峠へ登る街道の山道は、途中、採石現場となり鉄柵があって、ウォークイベント以外、普段は通行できないから、国道3号旧道を利用し佐敷隧道まで行く。隧道入口右側の車道をなお進むと、広いミカン畑となり、手前に薩摩街道ウォークコースの標識があった。
ミカン畑の端を登りつめると、この高所が薩摩街道佐敷峠と言われるところであろう。農道が反対側から上がり、抉られた農道のカーブ地点となっている。遺産サイトの切通しがどこなのかわからないが、ほかに切通し状のところは見当たらず、ここが当時の佐敷太郎峠の切通しだろうと判断した。間違いがあれば、後から修正したい。
農道をまっすぐ進むと、やがて農道の分岐点に御駕据所跡の標識があり、江戸への道は、滝の上の谷間へ下っていた。

(2015年9月10日 追 記)
芦北町教育委員会の生涯学習課文化振興係回答によると、佐敷太郎峠の切通しは、尾根筋に登り上がる際に頂上部の岩盤の一部を削って通路を削り出した簡易なものである。場所は標識とカーブミラーのあるところの背後の尾根をもう少し登る。これが薩摩街道佐敷峠の正しい道である。
撮影写真の提供を受けたので、最後に2枚を追加する。

佐敷峠を貫く佐敷隧道(国道3号旧道)  芦北町白岩 ( 熊本県 )

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佐敷峠を貫く佐敷隧道(国道3号旧道)  芦北町白岩

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。県道27号肥薩おれんじ鉄道佐敷高架橋を下ったすぐ先から船津橋へ左折、橋を渡った三叉路中央が国道3号旧道であり、佐敷隧道へ向かう。

佐敷太郎峠

佐敷太郎峠(さしきたろうとうげ)は、熊本県葦北郡芦北町大字海浦と熊本県葦北郡芦北町大字花岡を結ぶ国道3号の峠である。津奈木太郎峠と赤松太郎峠とともに三太郎峠と呼ばれている。薩摩街道時代からの難所の一つであった
沿革
1900年代前半 – 佐敷隧道完成
1965年(昭和40年) – 佐敷トンネル完成
2009年(平成21年) – 南九州西回り自動車道田浦IC – 芦北IC間開通に伴い新佐敷トンネル供用開始。
交通
国道3号 : 海浦駅付近から佐敷側の山裾までを旧道をショートカットするように佐敷トンネルが通っている。
国道3号旧道 : 山頂部を佐敷隧道で越える。
肥薩おれんじ鉄道線 : 海浦駅 – 佐敷駅間の単線トンネル。
南九州西回り自動車道 : 田浦IC – 芦北IC間を新佐敷トンネルで佐敷太郎峠を越える。

船津の井戸  芦北町道川内 ( 熊本県 )

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船津の井戸  芦北町道川内

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。県道27号の肥薩おれんじ鉄道佐敷高架橋を下ったすぐ先から船津橋へ左折。佐敷小学校正門前まで行く。北側へ入る路地奥に船津の井戸がある。

船津の井戸 ふなつ
(葦北)芦北町 石井戸 江戸期 町教委 井戸端も切石敷 2 C

境 橋  出水市境町 ( 鹿児島県 )

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境 橋  出水市境町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。国道3号の水俣市・出水市境に現在の境川橋があり、水俣側橋脇から東南へ境川の肥薩おれんじ鉄道鉄橋下まで行くと、上流の薩摩街道に境橋が架かる。

№1,453 境 橋

出水市境町-水俣市大字袋字神川
境川
橋長:13.5m  橋幅:4.9m  径間:11.3m  拱矢:3.4m
架設:明治16年(1883)
国道3号線、水俣市・出水市境から120m南を左折、200m先JRの高架下に薩摩街道の標柱がありますので、線路に沿って北東へ130mの境川に架かっています。
(境橋の北詰の道路は、境川右岸沿いに国道3号線へ出ます)

史跡 境橋
「野間の関を通ってこの境川を越えると、肥後の国になります。
薩摩藩主の参勤交代の主要道路でしたが、藩境であるため、防衛の必要から橋はありませんでした。
この橋は、明治十六年(1883)肥後の石工によって建造されました。
アーチ型一連の石橋です。
鉄道や国道三号の開通までは肥薩交流の接点として、多くの人々が往来したことでしょう。
今、静かに時の流れの中にあります。」
出水市教育委員会 平成十七年二日

日本一のお地蔵様  出水市麓町 ( 鹿児島県 )

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日本一のお地蔵様  出水市麓町

出水市HPの「観光地紹介」による説明は、次のとおり。出水市麓町の八坂神社境内にある。

■ 日本一のお地蔵様

日本一のお地蔵様 大正14年、真言宗の僧侶斑目仏師によって建立された地蔵尊です。一刀彫りでは”日本一”。台座まで含めると高さ4.15mあります。交通安全、無病息災、子育てや延命などの御利益があるとされています。出水市麓町の八坂神社境内にあります。

出水麓武家屋敷群  出水市麓町ほか ( 鹿児島県 )

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出水麓武家屋敷群  出水市麓町ほか

出水市HPの「歴史探訪」による説明は、次のとおり。出水麓武家屋敷群マップは、次を参照。
http://www.city.izumi.kagoshima.jp/izumi05/02rekisi/01bukeyashiki_02.asp
写真は、武宮邸・竹添邸・税所邸(以上は一般公開)、出水小学校御仮屋門、宮部邸の順。

武家屋敷(出水麓伝統的建造物群保存地区)

いにしえの鼓動が聞こえる。歴史に文化に、時をこえた浪漫はあの時代を見事なまでに残し今に、伝える。日本有数の武家屋敷群へようこそ

出水市の麓町を中心とした住宅地一帯は、平成7年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
出水麓は、出水郷に赴任する薩摩藩士の住宅兼陣地として、中世山城である出水城の麓の丘陵地帯を整地して作られたところです。その整地には、関ケ原の戦いの前年(1599年)、本田正親が初代地頭に着任してから、3代地頭の山田昌巖の治世下まで、約30年かかりました。出水麓は、薩摩藩内で最も規模が大きく、藩内のほかの麓は、出水に倣ったといわれています。

出水は、肥後(現在の熊本県)と薩摩の国境の町として、藩の防衛上重要な町であることと、一国一城制度下の薩摩藩の外城制度(島津氏による、藩体制強化のための政治制度)により、出水には数多くの薩摩藩士を郷士として住み着かせ、藩境の防衛の任に当たらせました。武家屋敷とそのまち並みは、当時からの薩摩藩士の気風を今に伝えるかのように、整然とした趣と閑静な佇まいを感じさせます。

国の重要伝統的建造物保存地区に選ばれたこの地区は、面積約44ヘクタールの広さを有し、県指定文化財である、出水御仮屋門をはじめ、武家門・石垣・生垣や竹添屋敷など4軒の建築物があるほか、伝統的建造物として特定された建造物などがほぼ昔の姿で残っており、当時の面影を今に伝えています。