投稿者「misakimichi」のアーカイブ

「シャクナゲ寺」の花満開  武雄市北方町・高野寺の風景

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「シャクナゲ寺」の花満開  武雄市北方町・高野寺の風景

平成20年4月21日、「シャクナゲ寺」武雄市北方町・高野寺を訪ねる。樹齢300年以上という古木を写しに行った。拝観料500円を取られるので、ゆっくり寺内を写してきた。
「さが名木100選」の別項も参照。 https://misakimichi.com/archives/801
2008年4月13日付西日本新聞朝刊に次の記事がある。

シャクナゲ寺 まるで花園  武雄・高野寺 春の花々満開 

「シャクナゲ寺」として知られる武雄市北方町志久の高野寺(江頭弘勝住職)で、早咲きのシャクナゲが見ごろを迎え、白やピンク色の大輪の花が同寺を彩っている。境内では桜の花も残り、ツツジも開花。カエデなどの新緑と合わせ「花の楽園」が楽しめる。

荒れていた寺を再興するため、三十数年前から江頭住職がこつこつと植樹し、約20種約1000本のシャクナゲが植えられている。昨年完成した全長50メートルの荘厳な回廊があり、雨天でも見学できる。県の名木に指定され、樹齢約350年の古木は20日すぎに満開を迎えそう。遅咲きの西洋シャクナゲもあり、5月初めまで見られる。

拝観料500円。高野寺=0954(36)3616。   =2008/04/13付 西日本新聞朝刊=

伊万里市に残るアーチ石橋  (2)

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伊万里市に残るアーチ石橋  (2)

佐賀県伊万里市に残るアーチ石橋は、7橋である。このうちの(2)。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の中「佐賀県の石橋 伊万里市」によるテータは次のとおり。詳しくは同HPを参照のこと。

写真  5  №2,983  岩谷無名橋     2007.09.09
伊万里市大川内町甲 岩谷
橋長:5.0m  橋幅:1.82m  径間:3.05m  拱矢:1.6m  環厚:30cm

写真  6  №2,984  市山無名橋     2007.09.09
伊万里市大川内町甲 市山
橋長:2.8m  橋幅:2.5m  径間:2.4m  拱矢:1.15m  環厚:25cm
架設:昭和17年(1942)

写真  7  №2,985  山 川 橋     2007.09.09
伊万里市松浦町中野原
橋長:5.0m  橋幅:2.5m  径間:4.5m  拱矢:2.1m  環厚:33cm
架設:明治?

伊万里市に残るアーチ石橋  (1)

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伊万里市に残るアーチ石橋  (1)

佐賀県伊万里市に残るアーチ石橋は、7橋である。このうちの(1)。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の中「佐賀県の石橋 伊万里市」によるテータは次のとおり。詳しくは同HPを参照のこと。

写真  1  №2,973  大石天満宮眼鏡橋  2007.09.09
伊万里市二里町八谷搦
橋長:3.27m  橋幅:1.33m  径間:2.5m  拱矢:0.81m  環厚:27cm
架設:大正9年

写真  2  №2,974  木須町無名橋    2007.09.09
伊万里市木須町
橋長:5.8m  橋幅:3.4m  径間:3.47m  拱矢:1.3m  環厚:33cm
基礎4段H1.22m

写真  3  №2,975  堀田川(ほったごう)橋  2007.09.09
伊万里市脇田町
橋長:5.75m  橋幅:2.75m  径間:4.25m  拱矢:2.2m  環厚:37cm

写真  4  №2,976  龍 玄 橋      2007.09.09
伊万里市脇田町
橋長:6.5m  橋幅:2.74m  径間:5.45m  拱矢:2.25m  環厚:37cm

なお、後の写真は参考。伊万里神社参道橋(近代橋)と松浦鉄道川東駅ホーム下橋梁。

佐世保市に残るアーチ石橋 (3)

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佐世保市に残るアーチ石橋 (3)

佐世保市(世知原町・吉井町・宇久町を除く)に残るアーチ石橋は、10橋である。そのうちの(3)。三川内山入口の早川小学校跡の小橋は、最近見つかった橋。まだカウントされていない。詳細は別項。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  8  第  84 番  三川内山の石橋     三川内山
年代は未確認       長さ 約2.5m  幅員 約1.0m
三川内皿山の児童公園手前を右手に入る。
陶器めぐりの時にのぞいて見て下さい。かわいい石橋です。

写真               早川小学校跡の小橋   塩浸町
学校の創立は明治12年  長さ 約1.0m  幅員 約2.0m
三川内山への途中で、市立三川内山保育所手前から右手へ下る。
橋上の高台に記念碑「三川内小学校発祥之地 早川小学校跡」がある。

写真  9  第 129 番  小 島 橋          御船町12番地
大正〜昭和初期(未確認)   長さ 5.5m  幅員 3.6m
旧日野線のバス通り御船川に架かる橋。
まるでトンネルのようだが、橋の両サイドの川の上に建物が建っているので、橋の写真を撮ろうとすると、こんな感じになってしまう。
佐世保駅からSSKバイパスに出て、米軍施設を超えたところで、右手に御船幼稚園がある。そちらに入って川沿いに上る。日野線の現在のバス通りを越えて旧道に出たところ橋。

写真 10  第 133 番  飯盛神社参道橋     相浦町飯盛(愛宕)神社参道
大正6(1917)年     長さ 約5.0m  幅員 約7.2m
トンネルではなく参道橋です。トンネルに見えますよね。
飯盛神社というより「愛宕さん」として親しまれているこの神社の参道橋は、参道を登っていたのでは気がつかない。石橋・神社の双方が好きな私も、佐世保市の教育委員会で教えて頂くまでは気が付かずにいたぐらいです。
正面の鳥居の脇から入る狭い道を通るとこの橋に出会えます。輪石の破損の補強と通行人の保護の為に波板と鉄骨で補強されています。

佐世保市に残るアーチ石橋 (2)

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佐世保市に残るアーチ石橋 (2)

佐世保市(世知原町・吉井町・宇久町を除く)に残るアーチ石橋は、10橋である。そのうちの(2)。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  5  第  83 番  藤山神社の御神橋    小舟町120番地 藤山神社境内
年代は未確認      長さ  約4m  幅員 約2.5m
すっきりとしたアーチが良い。正面からは石橋と判りにくい。
天然記念物の大藤とともに境内には多くの藤がある、花の時期にまた訪れたい。

写真  6  第 142 番  久 保 仁 田 橋      小舟町
年代は未確認      長さ 7.0m  幅員  2.0m
相浦川の支流、久保仁田川に架かる。上流は転石貯水池
佐世保市のアーバン研さんに、わざわざ教えていただいた橋です。
時期を見て、ちゃんと準備して川に下りないと、まともな写真は撮れません。

写真  7  第 163 番  筒 井 の 石 橋      筒井町
年代は確認       長さ 5.2m  幅員 3.8m(2.0石橋で拡幅+0.3mコンクリートで拡幅)
相浦川の支流、大平川に架かる橋。柚木交番手前の道を左岸沿いに上がる。
1.8mほどの幅員の橋を石造アーチ橋として2.0m拡幅しているが、拡幅の石組みの方が稚拙に見えるのは、よく見かける光景だ。
この橋の情報は、石橋の絵を描かれている吉井町の末永様から教えていただきました。感謝!!

写真     第 143 番  大 平 橋        筒井町
昭和13年       長さ 3.5m  幅員 3.58m(佐世保市土木部管理課のデータ)
相浦川の支流、大平川に架かる橋。佐世保市の土木部管理課の方から、情報を頂いた橋。拡幅・嵩上げで近くで見ても石造アーチ橋とは判らない。架け替えをされた可能性も否定できない。
柚木元町の九州TENの裏手から、国見峠に向けて道なりに走って左手、滝の観音様の駐車場の脇になる。筒井の石橋の上流に架かる橋。「大平橋」と記載されている。その奥は小さな滝。(この橋は完全に被覆されているためリストからは削除しました)

佐世保市に残るアーチ石橋 (1)

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佐世保市に残るアーチ石橋 (1)

佐世保市(世知原町・吉井町・宇久町を除く)に残るアーチ石橋は、10橋である。そのうちの(1)。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  1  第  82 番  上 木 場 橋   上木場猫山園地
大正元年8月10日起工、同年10月17日竣工  長さ 約10m  幅員 約2.5m
10年程前、この近くで暮らしていたのだが、橋の存在に気がつかなかった。黒髪ダムのすぐ上流。
石工 榊原徳蔵。世話人 浦 冨四郎、富永濱重と記載されている。

写真  2  第 132 番  上 犬 尾 橋   黒髪町27番地
年代は未確認       長さ 約9.0m  幅員 約2.5m
犬尾川の犬尾橋上流に架かる。 黒髪くりのみ幼稚園から裏手に入る。
輪石の厚みが不揃いで、布石のとの隙間が見られる。輪石自体も立ち上がり部は整然としているが、要石付近の頂部に使われている石は、やや不揃い。しかし、アーチに狂いは無く素朴ででありながら端正なシルエットを見せている。

写真  3  第 147 番  白 砂 橋     黒髪町4522番地脇
大正13年2月      長さ  6.3m  幅員 約2.2m(石橋部分)
黒髪町のコープニュータウンの上手にあたる。 広域道路城山大橋の上流。
黒髪から木風に抜ける旧道に架かるが、両側に拡幅してあるので、橋の上から覗き込んだくらいでは石橋は見えない。
拡幅の際にずいぶん乱暴な扱いを受けたようだが、輪石もしっかりしているので問題は無い。なかなか味わいのある石組みが、何処からも見えないのが残念。

写真  4  第 144 番  祝 田 橋     上原(うわばる)町
年代は不明        長さ 7.75m 幅員 4.11m(佐世保市土木部管理課のデータ)
早岐川に架かる橋。佐世保市の土木部管理課の方から、情報を頂いた橋。拡幅した下流側も輪石の部分をコンクリートで作り、布石は既存の石を流用してあるので雰囲気を壊していない。
国道35号線を早岐から三川内に向かって走り、平松入口から左折。団地の途切れたところを右折。

大浦川の暗渠下に残るアーチ石橋「大浦橋」

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大浦川の暗渠下に残るアーチ石橋「大浦橋」

長崎市大浦海岸石橋通り。電停「石橋」の名前の由来になったアーチ石橋が、大浦川の暗渠下に今でも残っている。このことを紹介した資料やHPがほとんどなく、うかつだった。
九州、東京、京都等の石橋巡りを熱中されているHP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の制作者N氏から教えてもらった。同氏も友人の話で初めて知られたらしく、長崎へ来られる。

4月17日干潮を見計らって暗渠下へもぐってみた。「大浦橋」と「寄附者 大浦郷林増五郎 村川勝太」の銘柱が横断歩道手前に残っていることは知っていたが、古写真を見ると桁橋のようであり、アーチ石橋は架け替えられてないものと思っていた。
アーチ石橋は、暗渠下に見事に残っていた。

暗渠は現在、橋から上流をスラブ補修工事中である。ライトにアーチが浮かび上がった。幅員4.2m、長さ10.5m。かなり大きな石橋である。上が道路で塞がれているほか、損傷は見あたらない。工事監督の人の話によると、この上流には石橋はない。
銘柱がある横断歩道反対側に最近、さるく博により次の「大浦橋」説明板が設置されていた。

大  浦  橋

石橋バス停前の道路には大浦橋(石橋)が架かっていました。実は今も道路の下を川が流れていて、かつての石橋が残っています。路面の盛り上がっている所がその目印で、親柱は、同バス停横にあります。昔は河口からこの辺りにも小舟が入っていたそうです。大浦橋は当初、木橋だったといわれていますが、明治初年に簡素な石橋となり、明治19年(1886)、地元有力者により、この写真の石橋に架け替えられました。
管理者:長 崎 市

説明板は、あと1つ「大浦川沿いのまち並み」が石橋電停につけられている。古写真の左下隅にアーチの一部がかすかに写っている。
石橋寄付者の7代目にあたる地元の林先生を訪ねた。説明板に「この写真の石橋に架け替えられた」とあるのはまぎらわしい。三角桁は車を通すため後でつけられた。暗渠になったのは、昭和30年頃。暗渠下のほんとうのアーチ石橋がわかる実物写真も添えた方が良いのではないかとの話である。

地元テレビNIBが2006年10月「まちかど探検① 幻の石橋を探せ!」で現地取材しており、ビデオを見せてもらった。先生はブライアントさん一家を暗渠下に案内している。
なお、ぼんでん氏ブログ「ぼんでんの徒然日記」に、次の記事があった。

2007/11/3 「長崎は今日も異国だった〜南山手洋館、港が見える坂〜(通さるく)」
…最初の説明は、現在暗渠となっている大浦橋の説明、「大浦橋」は、石橋電停の名前の由来にもなった橋である。昔は、入り江の末端であった場所である。居留地時代はここを多くの外国人が渡り、東山手方面に向かっていたという。現在、橋はアスファルトでそのまま埋められているという。信号の側にある橋の欄干が当時の名残を残すのみである。…