投稿者「misakimichi」のアーカイブ

長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ”  平成20年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ”  平成20年10月

平成20年10月12日(日)実施。参加者はスタッフとも30人。「みさき道」の前半コース。
午前9時新地湊公園集合。十人町ー二本松ーダイヤランドー土井首大山祗神社(昼食)ー深堀ー女の坂ー大籠ー三和行政センターまで約17kmを歩く。午後4時30分着解散。

山野歩きに爽やかな日和。二本松や深堀城山に素晴しい街道跡の山道が残っている。女の坂の首なし地蔵がやっと良く写せた。
後半コース、蚊焼ー脇岬観音寺間は18日(土)に実施。開帳の日で観音像と天井絵が見られる。学さるく参加予約申込はまだできる。

平松神社のムクロジ  諌早市本明町

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平松神社のムクロジ  諌早市本明町

諫早市街の永昌町交差点から前国道34号線の市道により、大村方面へ向かう。
明峰中学校入口の先に、JR大村線の踏切を渡り本明川に架かる「平松橋」へ入る信号のない交差点がある。
この道へ右折して入り、「平松橋」を渡ってまっすぐ進むと、突き当たりが「平松神社」である。

名木の「平松神社のムクロジ」は、参道を登った社殿広場の右側に立つ。
「諫早の名木30選」リストによると、幹囲1.58m、樹高17m。
平松神社裏手の丘陵は「平松城跡」。参道入口の鳥居右の石垣上には、梵字が刻まれた「板碑」がある。

蓮光寺のケヤキ  諌早市城見町

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蓮光寺のケヤキ  諌早市城見町

諫早市永昌町交差点から国道207号線に入り、四面橋を渡って竹の下通りに向かう。その中間くらいに前交番があった城見町交差点があり、ここから右折して本明川の方へ下る。
途中で旧街道の道へ出るので、左折して行くと左手高台に「蓮光寺」がある。

名木の「蓮光寺のケヤキ」は、参道を登った左側に高くそびえ、道路側からもすぐわかる。
寺の本堂は新しく建て替えられている。
「諫早の名木30選」リストによると、幹囲1.90m、樹高17m。

北諫早中学校のユリノキ  諌早市城見町

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北諫早中学校のユリノキ  諌早市城見町

諫早市永昌町交差点から右折して国道207号線に入り、四面橋を渡って竹の下通りに向かう。その中間くらいに前交番があった城見町交差点があり、ここから左折してまっすぐ上がって行くと、高架の橋を渡り「北諫早中学校」の正門前に着く。

名木の「北諫早中学校のユリノキ」は、校舎一段下の校庭左周辺の土手にあり、数本が並木道をつくっている。
「諫早の名木30選」リストによると、幹囲1.90m、樹高17m。
ユリノキはモクレン科。同じようなユリノキの大木は、小野小学校の校舎前にも1本あった。

次は、2008年(平成20年)10月23日付朝日新聞のコラム。

【天声人語】 赤組の先駆けがハナミズキなら、黄組はユリノキだろうか。街路樹の色づきである。住まい近くの「ユリの木公園」でも、金茶の葉を宿した木々が増えてきた。ユリの木と書いてみて、カタカナ、ひらがな、漢字が並ぶ珍名に気づく▼名前より不思議なのが、シャツのような葉の形だ。半纏木(はんてんぼく)という別名の通り、職人さんが着るはんてんを思い浮かべてもらえばいい。やっこ凧(だこ)や軍配にも似るオンリーワンの愉快な姿に、自然の妙技を見る▼「葉(よう)画家」の群馬直美さんは、著書『街路樹・葉っぱの詩(うた)』で、秋風と遊ぶ迎賓館前のユリノキ並木をこう活写した。〈ざざざー。シャララー。ぞぞぞー。葉っぱたちが高い梢(こずえ)で手を振り、拍手しながら、いろんな陽(ひ)だまりの人たちを一所懸命に歓迎している〉

▼ユリノキは北米原産で、日本には明治初期に渡来した。新宿御苑では樹齢130年を超す第一世代が、元気に葉を茂らせている。どれも、幹回り3㍍はあろうか。御苑のシンボルでもある巨木たちは、日本中のユリノキの母樹だという▼中でも芝生の広場に寄せ植えされた3本は、根や枝が絡み合い、異形の生命体を思わせる。どの入園者より長生きの三つ子。見上げれば、迷彩柄の「シャツ」はまだちらほらだ。突き抜ける空の下で、緑の大群が「慌てなさんな。ざざざー」と手を振っていた▼きょうは節気の「霜降(そうこう)」にあたる。虫が黙り、北国からは初霜の便りが続く時期。ひと雨、ひと風ごとに秋色は深みを増す。赤組と黄組が抜きつ抜かれつ、山から里へと転げ落ちてくる。

白浜八幡宮のイスノキ  諌早市白浜町

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白浜八幡宮のイスノキ  諌早市白浜町

諫早市街から国道207号線により高来町方面へ向かう。肥前長田を過ぎしばらく行くとAコープ白浜店がある。店先の角から左折してJR長崎本線の踏切を渡り、すぐの分岐は右の細い車道へ入り、坂道を上がって行くと「白浜天満宮」に着く。
白浜公民館の前となる。国道をそのまま行って、次の長崎本線ガード下をくぐっても、この道と続き天満宮へ着く。

名木の「白浜八幡宮のイスノキ」は、本殿の右側にある。周りにイスノキの同じような大きさのが数本見られる。
「諫早の名木30選」リストによると、イスノキの名木は幹囲1.80m、樹高17m。
後ろの写真は、境内広場に目立つクスノキ。かなりの巨木が2本ある。

小野金比羅山 (2)  諌早市宗方町

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小野金比羅山 (2)  諌早市宗方町

国道57号線により諫早市街から諌早市小野町まで行く。小野小学校の次に「小野」交差点があり、右折して旧道の道へ入る。小野の天満宮や郵便局前を通り、小野団地入口まで行くと、「金比羅山頂 ←2.3km」の標識がある。
団地内を通り、山頂すぐ下の駐車場まで車道があり、山頂はこれから歩いて15分ほどである。

金比羅山(標高247m)の山頂一帯は、寛延元年(1748)建てられた曹洞宗「性円寺」の廃寺跡。諫早平野の眺望もよく、諌早市指定名勝。
小野小学校の背後に見える山。登山道路は小野町から上がり、ほかの金比羅山と区別するため、小野金比羅山または小野嶽と呼ばれる。
地図によると山頂部分は宗方町となっていた。久し振り山頂にある雰囲気がよい史跡と出会った。(1)(2)により詳しく紹介する。
現地説明板は次のとおり。

諌早市指定名勝  金比羅山頂    昭和52年3月5日指定

金比羅山頂は曹洞宗性円寺の寺領です。性円寺は寛延元年(1748)に建てられ、日本独特の神仏習合の祭祀がなされましたが、現在は本堂跡の敷石のみが残っています。
昔は諫早領主の祈祷所として、また航海安全の神、武運長久の神として崇められました。参道脇、境内には左記の石仏、石造物などがあります。

金比羅大権現(上宮)  宝暦元年(1751)の建立。
常 夜 灯  文政5年(1822)の建立。この灯火を目当てにして橘湾の漁師は夜間の漁をしたと伝えられています。
松 尾 社  酒徳・寿福の神様として信仰を受けてきた京都松尾神社の分神とされ、文化6年(1809)に建てられました。
唐 風 山 門  石造山門として、市内でも珍しい山門です。(扁額には「金光明山」、文政12年(1829)の年紀銘が見られる)
三十三観音像  上宮の周囲に配置されています。市内の観音霊場としては、ほかに八天神社(永昌町)、慶巌寺の磨崖仏三十三観音(城見町)、久山の磨崖仏三十三観音(久山町)などがあります。
諫江八十八霊場第五十番札所  文政8年(1825)に建てられた弘法像。
翁   塚  松尾芭蕉の句碑。文化10年(1813)の建立で「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也」と刻まれています。市内では他に慶巌寺(城見町)などにあります。
八天狗の巨石  大日如来をあらわす梵字と「八天狗」と刻んであります。天保8年(1695)の奉祀。
平成17年3月  諌早市教育委員会

小野金比羅山 (1)  諌早市宗方町

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小野金比羅山 (1)  諌早市宗方町

国道57号線により諫早市街から諌早市小野町まで行く。小野小学校の次に「小野」交差点があり、右折して旧道の道へ入る。小野の天満宮や郵便局前を通り、小野団地入口まで行くと、「金比羅山頂 ←2.3km」の標識がある。
団地内を通り、山頂すぐ下の駐車場まで車道があり、山頂はこれから歩いて15分ほどである。

金比羅山(標高247m)の山頂一帯は、寛延元年(1748)建てられた曹洞宗「性円寺」の廃寺跡。諫早平野の眺望もよく、諌早市指定名勝。
小野小学校の背後に見える山。登山道路は小野町から上がり、ほかの金比羅山と区別するため、小野金比羅山または小野嶽と呼ばれる。
地図によると山頂部分は宗方町となっていた。久し振り山頂にある雰囲気がよい史跡と出会った。(1)(2)により詳しく紹介する。
現地説明板は次のとおり。

諌早市指定名勝  金比羅山頂    昭和52年3月5日指定

金比羅山頂は曹洞宗性円寺の寺領です。性円寺は寛延元年(1748)に建てられ、日本独特の神仏習合の祭祀がなされましたが、現在は本堂跡の敷石のみが残っています。
昔は諫早領主の祈祷所として、また航海安全の神、武運長久の神として崇められました。参道脇、境内には左記の石仏、石造物などがあります。

金比羅大権現(上宮)  宝暦元年(1751)の建立。
常 夜 灯  文政5年(1822)の建立。この灯火を目当てにして橘湾の漁師は夜間の漁をしたと伝えられています。
松 尾 社  酒徳・寿福の神様として信仰を受けてきた京都松尾神社の分神とされ、文化6年(1809)に建てられました。
唐 風 山 門  石造山門として、市内でも珍しい山門です。(扁額には「金光明山」、文政12年(1829)の年紀銘が見られる)
三十三観音像  上宮の周囲に配置されています。市内の観音霊場としては、ほかに八天神社(永昌町)、慶巌寺の磨崖仏三十三観音(城見町)、久山の磨崖仏三十三観音(久山町)などがあります。
諫江八十八霊場第五十番札所  文政8年(1825)に建てられた弘法像。
翁   塚  松尾芭蕉の句碑。文化10年(1813)の建立で「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也」と刻まれています。市内では他に慶巌寺(城見町)などにあります。
八天狗の巨石  大日如来をあらわす梵字と「八天狗」と刻んであります。天保8年(1695)の奉祀。
平成17年3月  諌早市教育委員会

小野金比羅山のエノキ?  諌早市宗方町

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小野金比羅山のエノキ?  諌早市宗方町

国道57号線により諫早市街から諌早市小野町まで行く。小野小学校の次に「小野」交差点があり、右折して旧道の道へ入る。小野の天満宮や郵便局前を通り、小野団地入口まで行くと、「金比羅山頂 ←2.3km」の標識がある。
団地内を通り、山頂すぐ下の駐車場まで車道があり、山頂は駐車場から歩いて15分ほどである。

金比羅山(標高247m)の山頂一帯は、寛延元年(1748)建てられた曹洞宗「性円寺」の廃寺跡。諫早平野の眺望もよく、諌早市指定名勝なので、風景・史跡の項も参照。
暖地性の自然林が広く残る。写真は途中で見た主な樹木と名札のあったもの。

「諫早の名木30選」リストによると、小野町金比羅山「性円寺のエノキ」として幹囲3.14m、樹高20mのエノキを名木にあげている。
しかし、エノキは見あたらなかった。散歩中の地元の人に聞くと、松尾社の先の方の林間に大木があったようだが、平成3年頃の台風により倒壊したという話もあり、確認できなかった。
当該の木の見落としもありそうだ。

小野天満宮のナギ  諌早市小野町

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小野天満宮のナギ  諌早市小野町

国道57号線により諫早市街から諌早市小野町まで行く。宗方町の次に「小野小学校前」交差点があり、右折して旧道の道へ入る。
すぐ「小野の天満宮」があり、鳥居と石門をくぐって中へ入る。境内右の一角に祀られている「小野の六地蔵石幢群」は、史跡の項を参照。

境内にはバクチノキやマキの大木が目立つが、名木の「小野天満宮のナギ」は社殿後ろの敷地一番奥となる小野保育園の入口通路沿いフェンスのところにあった。
剥がれかかった古い銘板があって、やっとわかった。
「諫早の名木30選」リストによると、幹囲2.10m、樹高16m。

小野の六地蔵石幢群 六基  諌早市小野町ほか

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小野の六地蔵石幢群 六基  諌早市小野町ほか

国道57号線により諫早市街から諌早市小野町まで行く。宗方町の次に「小野小学校前」交差点があり、右折して旧道の道へ入る。すぐ「小野の天満宮」があり、鳥居をくぐって中へ入ると、境内の右の一角に「小野の六地蔵石幢群」が祀られている。
天満宮入口の鳥居の先にある石造参道橋や石門も見事なものであった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

小野の六地蔵石幢群 六基  県指定有形民俗文化財

指定年月日 昭和56年3月27日 所在地 諌早市小野町676、赤崎町748の1ほか
所有者 諌早市小野町町内会、赤崎町町内会ほか
小野の六地蔵石幢群は、旧小野村に残っている数少ない石造物である。銘によれば何れも天文年間(1532〜1554)に建立されたものである。また建立者の銘「悦岩宗喜」、「藤原尚信」などは、西郷氏の領国経営にかかわる人物と思われる。
形状は、何れも佐賀型で、宝珠、笠、龕中台、上竿、下竿からなる重制、正体であるが、尊像の頭部を欠いているものが多い。これらの六地蔵石幢は、県下でも古く、長い年月の風化にたえ、地域の人々の信仰に支えられて、今日まで保存継承されてきたものであり、民俗文化財として貴重である。