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長崎学さるく”長崎街道歩きと古賀周辺の史跡めぐり”  平成21年9月

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長崎学さるく”長崎街道歩きと古賀周辺の史跡めぐり”  平成21年9月

平成21年9月26日(土)快晴。長崎学さるく幕末編行事で「長崎街道歩きと古賀周辺の史跡めぐり」。講師は諫早市郷土館 織田武人先生。参加・スタッフとも10人。

矢上バス停9時半発ー矢上神社ー教宗寺ー役の行者ー福端寺ー大村庄屋跡ー古賀地区市民センター(昼食)ー正念善八橋ーつつじが丘団地ー古賀の藤棚ー旧本田家住宅ー船石二双舟の大タブー千歳橋ー並松翠鯉の苑ー下大野橋ー千束野ー古賀バス停15時着。(徒歩約12km)

長崎街道を矢上宿から古賀で歩き、さらに古賀と船石地区の史跡と石橋などをめぐる。織田先生作成資料の要約は次のとおり。

1 矢上神社  馬頭観音 元禄12年(1699)11月吉祥日 矢上札持馬衆中
2 教 宗 寺  文政9年(1826)1月9日シーボルトが江戸へ向かう時昼食時に休んだ。
3 役の行者  石像の伝説
4 楠川渡瀬(楠渡瀬)と境の大楠跡(古賀と矢上)
5 境界石標と台座石  従是南佐嘉領台座石〜地伏石2個の上に石標が立つ。
6 福 端 寺  江戸時代キリシタン撲滅のため、時の島原藩主の命により建立された。
7 大村庄屋跡  安政5年(1858)大村領の戸町と幕府領の古賀(上古賀)を交換した。上古賀と下古賀の境界標。①従是南大村領②従是東北大村領
8 善 八 橋  古賀正念の石橋 長さ4m・幅2.8m 架設年不明 
9 旧本田家住宅  国指定重要文化財 県内最古のかやぶき民家
10 タブの大木  船石奥の二双舟地区にある。
11 千 歳 橋  船石の石橋 長さ4m・幅3.9m 明治45年4月架設。増架されて幅3.9mとなる。
12 並松翠鯉の苑  長崎大水害被災の石橋木場橋を解体、欄干片側が移設されている。
13 下大野橋  船石の石橋 昭和35年12月架設

宮さんの参加ブログ記事は  http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21310463.html
次回は10月11日(日)「江戸期のみさき道を歩く Ⅰ」蚊焼まで。午前9時新地湊公園集合。

三井楽  漣痕・白良ヶ浜・エノキ・高浜海水浴場ほか  五島市三井楽町

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三井楽  漣痕・白良ヶ浜・エノキ・高浜海水浴場ほか  五島市三井楽町

五島市三井楽町の風景・史跡。漣痕・白良ヶ浜・エノキ・高浜海水浴場ほか。
五島市観光協会「五島市観光情報サイト 五島」などによる説明は次のとおり。

写真  1〜  3  漣痕(濱ノ畔 白良ヶ浜東端)
この附近一帯の化石は五千万年前当時の砂浜に印された漣の痕であって、海底に堆積した泥や砂が長い間の圧力や熱のために硬くなり、種々の地殻変動を受けて陸地となり傾斜したものです。(県指定天然記念物 別記参照)

写真  4〜  5  白良ヶ浜(濱ノ畔)
三井楽は高浜や高崎など美しいビーチを持っており、この白良ヶ浜もその1つ。海岸沿いにのびる遊歩道は全長1km。キメの細かい白砂に海の色が映えます。

写真  6〜  7  道の駅遣唐使ふるさと館(濱ノ畔)
中に一歩入ると船底のような天井が広がります。ここは三井楽の歴史が大画面で堪能できる万葉シアターや、地元の名産品が買えるお土産コーナー、大きなレストランなど充実した施設が自慢です。

写真  8      弁天様とカッパの足跡(濱ノ畔)
白良ヶ浜の守り神でもある弁天様。干潮なら小島に渡られる。小さなほこらの周囲の岩場には、なんと、カッパの足跡らしきものがあります。

写真  9      エノキの大木(濱ノ畔)
浜を見下ろす坂の上に堂々と立つエノキの大木。幹周りは6m以上です。樹齢が何年なのか地元の人も知りません。

写真 10〜 12  尼御前の墓(波砂間)
三井楽町波砂間と浜窄の境界付近の浜辺の一角に石造りの小さな祠が祀られている。いつの頃か、一人の男性をともなって漁業を営み遁世の生活をしていた賤しからぬ女性がいたが、男性が都に上り2,3ヶ月も還らず、保有食料も尽き磯物を食べて留守居していたことがあった。ある日長崎鼻に差しかかる船を見て喜び、今煮たたんとするミナ(貝)を浜に放り棄てた途端船が転覆。悲嘆し尼となったが、男の供養の後、食を求める術もなく自寂したのではと言われている。その後気品の高かったこの尼の入滅を忍び、尼御前と称え旧暦10日を命日とし、今の世までも香花を供えお祀りしている。(五島雑学大事典から)

写真 13〜 15 火山と流人の島・嵯峨島(嵯峨島 貝津港から渡海船で約20分)
三井楽半島の西方沖約4kmに浮かぶ周囲約12kmの島。三井楽側から見ると、ひょうたんを割って浮かべたような優しい姿だが、島の北側は激浪で浸食され、荒々しい表情を見せる。ホマーテの男岳(標高151m)とアスピーテの女岳(標高130m)が結合してできた珍しい島で、激浪の浸食により噴火口の半分が削り取られ、海上からその断面を観察できる。噴火口の断面露出の例は世界的にも珍しく、学術的にも貴重。
また、男岳の近くの断崖は、罪人を海に突き落としたことから「だっころがし」と呼ばれている。切り立った断崖や千畳敷海岸など自然が織りなす雄大な景観を島の随所で見ることができ、最近では島を周回する遊歩道やキャンプ場も整備され、島民が温かく観光客を迎え入れてくれる。釣りの名所でもあり、陸路から本格的な磯釣りも堪能できる。島に伝わるオーモンデは国の無形民俗文化財。
別掲  https://misakimichi.com/archives/2005
https://misakimichi.com/archives/2006

写真 16     豊漁を見守る魚籃観音(貝津 福江から車40分)
眼下に貝津港、高浜を見下ろし、西方海上に浮かぶ嵯峨島を眺望する高台に建っている。航海安全と漁業の神様で、地元の網主の勧請により1955年に建立され、地域の人たちが大事にお祭りしている。ここからの落日は逸品。

写真 17     高浜海水浴場(貝津 福江から車40分)
真っ白い砂浜と澄みきった海。五島で最も人気のある海水浴場で、日本の渚100選、環境庁の日本の海水浴場55選にも選ばれており、‘04年には日経新聞で、日本で1番美しい海水浴場にも選ばれました。夏期には臨時バスも運行されます。

なお、長崎県HP「長崎県の文化財」による漣痕の説明は次のとおり。

漣  痕   天然記念物(県指定) 
よみがな れんこん
指定年月日 昭和34年(1959)年1月9日
所在地 五島市三井楽町浜の畔字横浜
管理責任者 五島市
三井楽町の白良ヶ浜(しららがはま)の東端で,道路の改修工事の際に露出した地層上に漣痕が保存されていた。地層は五島層群に属する砂岩層で,走向はほぼ東西で,北に50°の急傾斜をしている。露出面は約5m四方程度であるが,近年表面の磨耗がはげしく,次第に波型の模様が不鮮明になってきた。漣痕の中に,断面が非対称的波形を示すもので,一方向の流れによって形成される流成漣痕と,対称的波形を示すもので,前後に動揺する水や波によってつくられる波成漣痕とに区別される。三井楽町の漣痕は非対称的な断面をもち,流成漣痕に属する。五島列島に分布する五島層群の板状をなす砂岩には,地層面上にしばしば漣痕が保存されている。

嵯峨島 (2)  五島市三井楽町嵯峨島

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嵯峨島 (2)  五島市三井楽町嵯峨島

嵯峨島は、三井楽町貝津港から定期船で20分。毎日4往復がある。島は漁業が盛んで他の地区に比べ若者が多い。明治中期、西彼杵から移住した隠れキリシタンを先祖に持つカトリック信者もおり、教会がある。
島の西側には、昭和34年に県の天然記念物に指定されている火山海食崖(がい)が続く。多くの奇岩や海食洞を見ることができ、火山の内部構造を観察できる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

北側の男岳は火砕丘で海岸付近の傾斜が比較的急。一方南側の女岳は小型楯状火山といえる。裾野の緩やかな火山。2つの火山が島の中心地である港附近で接合している。
島内の両火山を一周するコースがある。徒歩約8km、3時間を要する。

嵯峨島火山海食崖  天然記念物(県指定) 

よみがな さがのしまかざんかいしょくがい
指定年月日 昭和34年(1959)年5月19日
所在地 五島市三井楽町嵯峨島
管理責任者 五島市
嵯峨島は,福江島三井楽町貝津の西5kmに浮かぶ南北3.3km,東西の最大幅2.3km,面積2.82k㎡のひょうたん形をした小島である。北部に男岳(151m)と,南部に女岳(130m)があり,いずれも玄武岩質の赤色の火山砕屑物が積み重なった噴石丘である。この火山体の西側は海食により削りとられ,火山砕屑物の成層状態や,玄武岩溶岩の貫入する様子が見事に露出している。男岳南部(嵯峨島港の北岸附近)や,女岳南西部のモグリ瀬では,噴石丘形成の初期の火山活動の噴出物であるよく成層した凝灰角礫岩が露出する。噴石丘(臼状火山)の形成過程を知る上で,「新魚目(しんうおのめ)曽根火山赤ダキ断崖」とともに,貴重な地学的資料である。なお,男岳の東方に開いた火口内に散在する火山弾や岩滓中に鏡鉄鉱(赤鉄鉱の結晶)が含まれているのは珍しい現象である。

嵯峨島 (1)  五島市三井楽町嵯峨島

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嵯峨島 (1)  五島市三井楽町嵯峨島

嵯峨島は、三井楽町貝津港から定期船で20分。毎日4往復がある。島は漁業が盛んで他の地区に比べ若者が多い。明治中期、西彼杵から移住した隠れキリシタンを先祖に持つカトリック信者もおり、教会がある。
島の西側には、昭和34年に県の天然記念物に指定されている火山海食崖(がい)が続く。多くの奇岩や海食洞を見ることができ、火山の内部構造を観察できる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

北側の男岳は火砕丘で海岸付近の傾斜が比較的急。一方南側の女岳は小型楯状火山といえる。裾野の緩やかな火山。2つの火山が島の中心地である港附近で接合している。
島内の両火山を一周するコースは、徒歩約8km、3時間を要する。

嵯峨島火山海食崖  天然記念物(県指定) 

よみがな さがのしまかざんかいしょくがい
指定年月日 昭和34年(1959)年5月19日
所在地 五島市三井楽町嵯峨島
管理責任者 五島市
嵯峨島は,福江島三井楽町貝津の西5kmに浮かぶ南北3.3km,東西の最大幅2.3km,面積2.82k㎡のひょうたん形をした小島である。北部に男岳(151m)と,南部に女岳(130m)があり,いずれも玄武岩質の赤色の火山砕屑物が積み重なった噴石丘である。この火山体の西側は海食により削りとられ,火山砕屑物の成層状態や,玄武岩溶岩の貫入する様子が見事に露出している。男岳南部(嵯峨島港の北岸附近)や,女岳南西部のモグリ瀬では,噴石丘形成の初期の火山活動の噴出物であるよく成層した凝灰角礫岩が露出する。噴石丘(臼状火山)の形成過程を知る上で,「新魚目(しんうおのめ)曽根火山赤ダキ断崖」とともに,貴重な地学的資料である。なお,男岳の東方に開いた火口内に散在する火山弾や岩滓中に鏡鉄鉱(赤鉄鉱の結晶)が含まれているのは珍しい現象である。

七ツ岳  五島市玉之浦町荒川  平成21年9月

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七ツ岳  五島市玉之浦町荒川  平成21年9月  

七ツ岳は福江島にある標高431.6mの岩峰。九州百名山の1つである。山域は花崗斑岩で成り、五島列島最高峰父ヶ岳(461m)が近くで山脈を同じとする。
父ヶ岳は植林が目立つが、七ツ岳一帯は七岳神社神域に当たり原生林が多い。名の通り7つの峰が鋸歯のように聳え、稜線は荒々しい山容である。
平成21年9月17日(木)快晴。荒川側の七岳神社登山口から登った。麓からの写真では一番右端の高い峰が七ツ岳山頂である。山行記録はHPに多くあるが、次を参照した。
http://ooitanoyama.in.coocan.jp/sub1025.html

福江島西端の荒川の先、国道384号線「矢の口橋」バス停から右折する。玉之浦町ふれあい温泉センター前を通り、七岳川沿いを約2km上ると七岳神社へ着く。林道はまだ登り約800m先で終点となる。数台の駐車場があり、ここが荒川側からの登山口となる。
昔、七岳神社が建っていた奥殿へ急な石段の参道を登る。石垣が残る平坦地に着くと、奥に七岳神社の奥殿石祠が祀られている。
ここに案内図や道標があり「健脚コース」と「巨木コース」に分かれ、「巨木コース」を取る。巨木を写しながら20分ほどで「健脚コース」と合流し、尾根鞍部の寺脇分岐へ着いた。

寺脇分岐から道標に従って、七ツ岳は南東へ稜線上のコースとなる。岩の露頭する道となり、少しずつ上がると地形図の328mピークだが、ここは7峰ではない。
しばらく緩やかに下る。左右は樹林に覆われ展望が全くない。切れ落ちた痩尾根の稜線歩きが続く。小さなアップダウンの後、次第に岩場登りが多くなり、急に右前方が開け、目指す山頂方向が望めるようになる。このあたりが七岳神社側から数えて7峰の1番目ピークのようである。
さらに尾根を進み岩場を登って行くと、はっきりした岩場のピークに出る。ここが2番目ピークと思われる。南西側の展望が開け、荒川湾が良く見える。さらに登ると北東方向の尾根と出合い、道標あり進路は右へ曲がり急な登りとなる。

灌木帯を登りきって4番目?ピークへ達する。高く狭い岩場のピークで、高度感を味わいながら四方の展望が楽しめる。旗竿が立てられ七ツ岳山頂と勘違いするようなピークである。7峰の中心に位置し、景観は山頂より良い。麓から目立つ峰である。
前方にまだ2つのピークとその先に最高峰の七ツ岳山頂がある。岩場の急な下りは注意し、岩峰を越え最後の登りにかかって、やっと七ツ岳山頂に到着した。
三等三角点があり標高431.5m。七岳神社上の駐車場から2時間半を要した。頂上からは二本楠あたり山内盆地の展望が良い。五島にこんな広い平野部がある。

さてさて下りだが、登り降りがきつい同じ稜線道を戻る気がしない。南側の尾根伝いに県道27号線の七岳口バス停へ降りることとした。
最初は急な岩場を一気に下る。後は照葉樹林やヒノキ林内の坦々とした尾根歩きとなる。案内図には七岳神社へ尾根から抜ける山道と林道の遊歩道コースを書いてあるが、途中には何の道標がなかった。廃道になったと思われ無理せずそのまま過ぎ、道標の指定どおり地蔵堂がある七岳公園登山口へ1時間で下った。
逆コースだと七ツ岳山頂まで1時間15分ほどかかる。登りだときつそうだ。荒川方面へ五島バスの便がちょうどあり、最初の国道384号線「矢の口橋」バス停まで乗り継いで、車を取りに七岳神社上の駐車場へ歩いて戻った。最後の写真は、山内盆地二本楠近くから望んだ七ツ岳。

鯨見山・横浦捕鯨基地跡地・一二三滝ほか  南松浦郡新上五島町

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鯨見山・横浦捕鯨基地跡地・一二三滝ほか  南松浦郡新上五島町

南松浦郡新上五島町の風景と史跡。有川の鯨見山・横浦捕鯨基地跡地・丹那山系一二三滝と新魚目の小串郷への道。最後は奈摩湾矢堅崎の夕日。
長崎県警察サイトの「おまわりさんが話す地域の話 28(新上五島警察署)」による鯨見山の説明は次のとおり。
鯨見山展望台と鯨供養碑

南松浦郡有川町(現・新上五島町)有川郷
その昔、有川が捕鯨の町として栄えた頃、鯨見の番人が鯨の進入遊泳状況等を常に見張っていたところから、その名がついたものといわれています。この山の南西側には番所先とか納屋場と呼ばれるところが今も残っており、これも捕鯨業との関わりにおいて生じた俗称です。
この山の頂上あたりには、有川捕鯨の開祖・江口甚右衛門が正徳2年(1712)に建立した鯨供養碑が北東の海に向けて建てられており、そのうちの1基は風化が酷く、僅かに数文字が読みとれるだけです。
県の文化課発行の資料によれば、この供養碑は、「単に鯨の供養というだけでなく、元禄4年から正徳2年までの約200年間の鯨の捕鯨数を明記した点、1つの漁業史料ともいうべく云々、有川捕鯨の貴重な記念碑であるといえよう。」と記述されています。

新上五島町の巨樹・名木  奈良尾のアコウ・大曽のウバメガシほか

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新上五島町の巨樹・名木  奈良尾のアコウ・大曽のウバメガシほか

南松浦郡新上五島町の巨樹・名木。これまで紹介したものの外、新上五島町管内「椿・巨木調査」資料は、次(①以下⑳)を載せている。説明は以下のとおり。
URLのあるものは、2008年7月記事としているので参照。他は未訪問のため写真はない。

写真  1〜  2  奈良尾神社のアコウ(奈良尾 奈良尾郷)
https://misakimichi.com/archives/1088

写真  3〜  4  源寿院のイチョウ(若松 日島郷)
https://misakimichi.com/archives/1158

写真  5〜  6  中筋公園のアコウ(有川 有川郷)
https://misakimichi.com/archives/1161  

番 号 ①    樹 種 椿    胸高直径 0.63(2.0m)
位 置 奈良尾 高井旅  市道高井旅中山線 高井旅教会から300m先右上50m付近
畑の石垣

番 号 ②    樹 種 椿    胸高直径 0.31(1.0m)
位 置 奈良尾 高井旅  市道高井旅中山線 高井旅教会から800m道下
一ノ瀬宅3軒周り 3本根続き 畑の石垣

番 号 ③    樹 種 鬼へゴ  高 さ 1.2m
位 置 奈良尾 濁
概 要 盗掘注意 天然記念物

番 号 ④    樹 種 椿    胸高直径 0.47(1.5m)
位 置 若 松 桐古里  保育所前 修道院横 墓の中道

写真  7〜  8  月ノ浦のツバキ  https://misakimichi.com/archives/1159
番 号 ⑤    樹 種 椿    胸高直径 0.59(1.86m)
位 置 若 松 月ノ浦  山田宅前
概 要 大きさ、樹形等 総合点で五島一

番 号 ⑩    樹 種 リュウビンタイ  高 さ 1.50m
位 置 上五島 今 里  林道上五島縦貫線佐野原工区 基点上50m川横
概 要 盗掘注意

写真  9〜 10  青方のウバメガシ  https://misakimichi.com/archives/1159
番 号 ⑬    樹 種 ウバメガシ
位 置 上五島 大 曽  大曽教会下より海岸線100m先
概 要 天然記念物

写真 11〜 12  稗ノ口のツバキ  https://misakimichi.com/archives/1160
番 号 ⑯    樹 種 椿    胸高直径 0.68(2.16m)
位 置 上五島 青 方  稗ノ口
概 要 五島一の椿 近くにもう1本あり 0.58(1.85m) 要ツル切り

番 号 ⑳    樹 種 椿    胸高直径 0.54(1.70m)
位 置 有 川 七 目  七目農道上
概 要 椿とタブの木が交互 並木で並ぶ防風林 20本程度 要ツル切り

小奈良尾神社のエノキ  南松浦郡新上五島町奈良尾郷

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小奈良尾神社のエノキ  南松浦郡新上五島町奈良尾郷

奈良尾港ターミナルから奈良尾トンネルを通り、有川方面への国道384号線に上がらず、右手海岸通りへ行くと小奈良尾神社がある。エノキは社殿の左に立つ。幹囲4.7m。

有川 太田のタブ  南松浦郡新上五島町太田郷

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有川 太田のタブ  南松浦郡新上五島町太田郷

有川港ターミナルの手前、エレナ有川店がある有川橋から右折して、県道187号線により峠を越え南東海岸にある太田集落へ行く。太田漁港からさらに南へ小田川へ行く集落内の道を登ってから下って行くと、海岸近くを平行に通るところがあり、一軒の白い小屋がある。
タブの大木は小屋手前の林間に数本見られるが、小屋前の道路下のが一番大きい。

新上五島町管内「椿・巨木調査」資料による説明は次のとおり。
番 号 ⑱    樹 種 タブ    胸高直径 1.59(5.00m)
位 置 有川 太田  小田川へ行く途中道路右下

有川 太田のツバキ  南松浦郡新上五島町太田郷

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有川 太田のツバキ  南松浦郡新上五島町太田郷

有川港ターミナルの手前、エレナ有川店がある有川橋から右折して、県道187号線により峠を越え南東海岸にある太田集落へ行く。太田漁港からさらに南へ小田川へ行く集落内の道を登って行くと、右へ入る坂道があり奥に太田墓地がある。
太田一帯を天正年代から領知した太田新左衛門顕彰碑(殿様墓)がある墓地で、ツバキは墓地の対面となる小高い畑地の上に、二本椿が生えているのが見える。
根元には町が最近、「太田の二本椿」の青色標識を付けている。

新上五島町管内「椿・巨木調査」資料による説明は次のとおり。
番 号 ⑲    樹 種 椿    胸高直径 0.46(1.45m)
位 置 有川 太田  墓地の付近
概 要 二本椿