投稿者「misakimichi」のアーカイブ

種子島のその他の風景・史跡  西之表市・中種子町・南種子町 ( 鹿児島県 )

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種子島のその他の風景・史跡  西之表市・中種子町・南種子町

種子島のその他の風景。写真順に、フェリーから開聞岳・種子島・屋久島・西之表港を望む、フェリープリンセスわかさ、能野海岸、深川大石あたり日没方位角案内と海岸、浜田海岸の北部、竹崎の海蝕洞、七色坂展望所からの展望、帰りのフェリープリンセスわかさ  

国上大田のへゴ自生群落  西之表市国上大田 ( 鹿児島県 )

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国上大田のへゴ自生群落  西之表市国上大田

現地説明板は、次のとおり。県道581号により西之表市国上の国上郵便局手前まで行く。右手前の市道へ右折して入り、大田川沿いに大田集落へ出る。第三大田橋を渡り下って行くと、「←ヘゴ自生群落」の案内標識がやっとここにあり、右へ上がる。幹線道路に案内がなく、場所がわかりにくいから、所在図を参照。
へゴ自生群落の手前には、西之表市指定の名木、樹種「ヤクタネゴヨウ」も立っていた。

へゴ自生群落 (学名 Cyathea spinulosa)  国上大田地区

ヘゴは常緑で大形の木性シダの一種です。紀伊半島南部や八丈島を北限とし、小笠原諸島、四国、九州南部、種子島、屋久島より南に自生しています。日本にはこの他に6種の近縁種があります。
湿度の高い山林内に生え、茎の直径も50センチになるものもあり、葉柄には鋭い刺が密生します。
種子島のいくつかの山中で見られますが、この国上大田地区のヘゴは、70,000〜80,000㎡の広大な面積に群生していて、ヘゴを取り巻く植物景観も、大変素晴らしいものです。
西之表市教育委員会では、このヘゴ群落を大変貴重な文化財として、平成22年3月8日に「天然記念物」として指定しました。
西之表市

奥神社のアコウ  西之表市国上奥 ( 鹿児島県 )

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奥神社のアコウ  西之表市国上奥

HP「ふるさと種子島」による説明は、次のとおり。西之表港から県道581号により島の北端へ行くと、国上奥に案内標識がある。喜志鹿崎灯台入口の反対側へ進む。

奥神社のアコウ
このアコウはたいへん珍しく、地上7〜8mくらいのところからたくさんの根が出ています。その横幅は8m前後に広がり、まさに、タコ足のアコウです。本当にすごいの一言です

奥神社
【祭神】大山祇大神(山の神)、木花咲耶姫(産土神)
【祭事】毎年1月15日の射場祭
境内には、切り立った自然石をたくさん置いてあります。山の神様を祀っています。拝殿の奥には、砂などを敷きつめて、サンゴ礁の祠と石の祠があります。種子島家の鹿倉がこの周辺にあったといいいます。案内板によると、「初午の日には、島主をはじめ、山奉行、犬使いなど赤尾木から家来たちがやってきて、山の神祭りや初狩りが行われていた」と。

喜志鹿崎  西之表市国上喜志鹿崎 ( 鹿児島県 )

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喜志鹿崎  西之表市国上喜志鹿崎

鹿児島県観光サイト「本物の旅かごしま」による説明は、次のとおり。フェリー時間つぶしで、種子島北部へ。
西之表港から県道581号により種子島の北端まで行くと、「喜志鹿崎灯台」入口の案内標識がある。

喜志鹿崎
種子島の北端にある喜志鹿崎には海の安全を見守る灯台があります。喜志鹿崎と本土最南端にある佐多岬との海域は大隅海峡と呼ばれ国際海峡に指定されています。そのため各国の船が自由に航行できる海域になっており、喜志鹿崎の灯台と佐多岬は島の位置と船の位置を把握するための重要な目標として活躍しています。灯台の麓には展望所があり、そこからは季節や天候で変わる大隅海峡の表情や航行する大型貨物船や石油タンカー、豪華客船を見ることができます。また、空気が澄んでいる日は大隅半島、遠くには内之浦宇宙観測所も見え、ロケット打ち上げを確認することができます。
●交通アクセス 西之表港より車で30分、種子島空港より車で60分。

種子島灯台  南種子町竹崎鼻 ( 鹿児島県 )

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種子島灯台  南種子町竹崎鼻

海上保安庁第十管区鹿児島海上保安本部HP「灯台めぐり」による説明は、次のとおり。

●種子島灯台
標識名  種子島灯台
ふりがな たねがしま
所在地  鹿児島県熊毛郡南種子町(門倉岬の東方約9キロメートル)
緯 度  30-23-06
経 度  30-57-44
灯 質  群閃白光 毎20秒に2閃光
光の届く距離  21.5マイル
設置点灯年月日  S16.4.29
管轄事務所  鹿児島海上保安部

HP「薩南諸島 島の散歩」による説明は、次のとおり。

爽快な景観『種子島灯台』
種子島の南部、谷崎鼻に種子島灯台がある。種子島灯台は、やや大きめの白亜の灯台。敷地は宇宙センター内にある。灯台から見下ろす景観は、大型ロケット発射場と周辺海が見える爽快な景観。
種子島灯台の南方 8Kmには、太平洋の荒波がいきかう源三郎瀬という大暗礁がある。古い時代、この大暗礁に悩まされ、海難事故が絶えなかったという。種子島灯台は、この源三郎瀬を照らし船を安全に走行させるという重要な役割を担っている。

種子島宇宙センター・ロケットの丘・宇宙科学技術館  南種子町茎永字麻津ほか ( 鹿児島県 )

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種子島宇宙センター・ロケットの丘・宇宙科学技術館  南種子町茎永字麻津ほか

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。県道75号の南種子町広田から種子島宇宙センターの方へ向かい、ロケットの丘や宇宙科学技術館を通って茎永へ下った途中の風景。

種子島宇宙センター

種子島宇宙センター(たねがしまうちゅうセンター、英語:Tanegashima Space Center 、略称:TNSC)は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の種子島に設置、運用している、大型ロケットの射場である。略称がTSCでないのは、同じJAXAの筑波宇宙センター(TKSC)と区別するためである。

概要

1969年(昭和44年)10月、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の前身である宇宙開発事業団 (NASDA) の設立時に開設された。面積は8.64km2。現在はJAXAが保有している。

種子島宇宙センターは種子島の南、太平洋側にある南種子町の竹崎と吉信崎に囲まれた湾に面した土地に施設が点在しており、三つのロケット発射施設(JAXAの用語では射場)をもつ。また種子島島内に数ヶ所の観測所を設けている。

地球の自転を利用したロケットの打ち上げは赤道に近いほど有利になるが、種子島は日本最南端とはいえない位置にある。にもかかわらず同島が選ばれたのは、同島より南にある小笠原諸島が当センター設立前年の1968年(昭和43年)に返還されたばかりであり、また、沖縄返還も実現しておらず、計画当時に日本の主権が及ぶ国土の最南端に近い適地が同島であったためである。なお、小笠原は種子島の東南東に位置し、種子島から打ち上げられたロケットの追跡に好適であるため、父島に小笠原追跡所が設置されている。

「世界一美しいロケット基地」とも言われる[1]。世界的には広大な原野に発射台等の施設を点在させることが多い中で、種子島宇宙センターは緑の山の中に施設が点在し、発射台はサンゴ礁に囲まれた岬の突端近くに設置されており、その絶景を誇って呼ばれたもの。

2010年度(平成22年度)までは、JAXAと種子島周辺海域で操業している各県の漁協との間で結ばれた協定により、ロケット打ち上げ期間が、7月22日から9月30日の71日間と1月1日から2月28日の59日間に予備期間の5月〜6月と11月〜12月の60日間を合わせた年間最大190日間に制限されており、衛星打ち上げ市場での日本の競争力に対する大きな足かせとなっていた。2011年(平成23年)4月からは世界標準である通年の打ち上げが可能となった[2]。

千座の岩屋・浜田海水浴場  南種子町平山浜田 ( 鹿児島県 )

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千座の岩屋・浜田海水浴場  南種子町平山浜田

九州旅ネットによる説明は、次のとおり。県道75号が南種子町に入ってすぐに島宿HOPEがあり、この先の浜田港へ向かう町道に案内標識があり左折する。

千座(ちくら)の岩屋
種子島の東海岸は、太平洋の荒波に洗われてできた海蝕岩が見られます。
なかでも波に浸食された奇岩の広がる浜田海浜一帯にある「千座の岩屋」は、種子島唯一(?)の海蝕洞窟で、中には千人が座れるともいい伝えられています。
洞窟に入れるのは干潮時のみで、自然が作り上げた岩のオブジェの美しさは、幻想的な雰囲気も漂わせています。
沖合にちらばる岩礁もすばらしい景観を誇っています。
近くには浜田海水浴場があり、シーズンには多くの観光客で賑わいます。

浜田海水浴場
浜田海岸は白砂の美しい遠浅の海水浴場として知られ、期間中は多くの海水浴客で賑わいを見せます。
近くには奇岩で彩られた千座の岩屋という名所もあり、シーズン中はたくさんの観光客が訪れます。
シャワー・トイレも完備しています。

大浦川川直し・大浦川川直しの碑  南種子町平山 ( 鹿児島県 )

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大浦川川直し・大浦川川直しの碑  南種子町平山

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道75号南種子町平山郵便局手前の田の中の車道を右折して進む。三叉路の分岐あり。案内標識の矢印どおり右奥へバラス農道を奥まで行くと、大浦川と出合い、ここに「大浦川川直しの碑」(写真では右端のよう)がある。所在図参照。

大浦川川直し おおうら
(熊毛)南種子町(種子島) 大浦川 付替え 長200m,幅10m 万延2(1861) 現地解説板 /WEB(みさき道人) 保存状態良好 安政4(1857)に竣工した松寿院の代表的な事業/平山から熊野へ行く道は大浦川の潮が満ちると人馬の通行が困難で、満潮時には海から入った潮で農作物は塩害を受けていた→松寿院は、大浦川を拡幅・直線化することで解決 1 B

大浦川川直しの碑 おおうら
(熊毛)南種子町(種子島) 平山北小浦上 石碑 万延2(1861) 町有形 (歴史資料) WEB 原位置(写真の右端) 松寿院の業績を称え、平山の人々が万延2に大浦川の旧河道と新河道の分岐する土手の上に建立 1 C

南種子町HPの教育・文化による説明は、次のとおり。

松寿院の安政の川直しの碑と水天之碑
町指定文化財 平成20年4月28日指定
松寿院の安政の川直しの碑は、種子島家第23代久道の夫人松寿院の業績をたたえ、平山の人々が、万延2年(1861)に大浦川の旧河道と新河道の分岐する土手の上に建てたものです。当時、平山から熊野へ行く道は大浦川の潮が満ちると、人馬の通行が困難で、満潮時になると海から潮が入り農作物も甚大な塩害を受けていました。
松寿院は、この潮害の原因が、川が蛇行しているからだと考えて、川幅を広げ、まっすぐな川を新たに作る工事を行いました。この工事によって、満潮時の洪水の害を防ぐことができるようになり、荒れ田であったものが立派な美田となりました。この大事業は、安政4年(1857)10月はじめに完成しました。その年の12月、川直しの大工事が無事完成し願いがかなえられたことに感謝して、松寿院は、祠をつくり宝光権現と名づけ祀りました。また翌年の2月には、水天之碑を建立しています。

大浦塩田・跡  南種子町平山 ( 鹿児島県 )

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大浦塩田・跡  南種子町平山

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道75号が阿嶽川マングローブ林展望所を過ぎると南種子町に入り、すぐ島宿HOPEがある。この手前、県道右側に「大浦塩田跡」の案内標柱があり、奥へ進むと塩田跡である。

大浦塩田・跡 おおうら
(熊毛)南種子町(種子島) 大浦川・河口の湿地帯 塩田 安政4(1857) 町選定 WEB 残存施設は昭和9のもの 種子島で初めて塩田式の製塩が始められた場所/松寿院(第23代島主種子島久道夫人)が当時最新の方法で製塩を実践 4 C

南種子町HPの教育・文化による説明は、次のとおり。

大浦塩田跡(おおうらえんでんあと)
町選定文化財
大浦塩田跡は、大浦川の河口に広がる湿地帯にあり、種子島で初めて塩田式の製塩が始められたところです。それまでは、浜で海水を焚いて塩を取る方法でしたが、量がたくさん取れないため塩が不足していました。松寿院は、この塩不足を憂い、塩田開発に取り組みました。松寿院が安政3年(1856)、調査させたところ、ここが塩田に最適であることがわかり、翌年夏から製塩を始めました。最新の製塩法を導入し、さらに塩田の拡張工事を行ったので、大量に生産できるようになりました。
その後、明治27年に塩田拡張のため大規模な埋め立て工事が行われましたが、資金に困り、土地を売り渡してしまいました。しかしその後、平山の有志22名が土地を買取り、昭和9年、動力ポンプを取り付けた近代的な大塩田を完成させました。将来を期待されましたが、昭和27〜28年頃になると塩の輸入が盛んになり、また値段も下がり採算が取れなくなったため中止されました。これにより、種子島における製塩の歴史に幕が降ろされたのです。

種子島阿嶽川のマングローブ林  中種子町大字坂井池之角 ( 鹿児島県 )

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種子島阿嶽川のマングローブ林  中種子町大字坂井池之角

鹿児島県HPの教育・文化・交流による説明は、次のとおり。中種子町中心から県道75号を南下、坂井池之角の国道沿いに展望所がある。
国道58号を通ったときは、「歴史の里坂井公園」から左折し下ると、県道75号へ出る。

種子島阿嶽川のマングローブ林
国指定天然記念物
指定年月日 平成27年10月7日
所在地 熊毛郡中種子町大字坂井池之角
概要
中種子町の阿嶽川河口にはメヒルギの群落が発達しています。メヒルギは潮間帯にできる森林(マングローブ)をつくる植物として東アジアでは最も緯度の高いところまで分布し,種子島は自然分布として北限にあたります。
周辺はウバメガシ林やイヌマキ林に囲まれ,ハマジンチョウやハマボウ,ヒトモトススキなどの汽水性の植物も多く落ち着いた森林景観です。