大浦塩田・跡  南種子町平山 ( 鹿児島県 )

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大浦塩田・跡  南種子町平山

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道75号が阿嶽川マングローブ林展望所を過ぎると南種子町に入り、すぐ島宿HOPEがある。この手前、県道右側に「大浦塩田跡」の案内標柱があり、奥へ進むと塩田跡である。

大浦塩田・跡 おおうら
(熊毛)南種子町(種子島) 大浦川・河口の湿地帯 塩田 安政4(1857) 町選定 WEB 残存施設は昭和9のもの 種子島で初めて塩田式の製塩が始められた場所/松寿院(第23代島主種子島久道夫人)が当時最新の方法で製塩を実践 4 C

南種子町HPの教育・文化による説明は、次のとおり。

大浦塩田跡(おおうらえんでんあと)
町選定文化財
大浦塩田跡は、大浦川の河口に広がる湿地帯にあり、種子島で初めて塩田式の製塩が始められたところです。それまでは、浜で海水を焚いて塩を取る方法でしたが、量がたくさん取れないため塩が不足していました。松寿院は、この塩不足を憂い、塩田開発に取り組みました。松寿院が安政3年(1856)、調査させたところ、ここが塩田に最適であることがわかり、翌年夏から製塩を始めました。最新の製塩法を導入し、さらに塩田の拡張工事を行ったので、大量に生産できるようになりました。
その後、明治27年に塩田拡張のため大規模な埋め立て工事が行われましたが、資金に困り、土地を売り渡してしまいました。しかしその後、平山の有志22名が土地を買取り、昭和9年、動力ポンプを取り付けた近代的な大塩田を完成させました。将来を期待されましたが、昭和27〜28年頃になると塩の輸入が盛んになり、また値段も下がり採算が取れなくなったため中止されました。これにより、種子島における製塩の歴史に幕が降ろされたのです。