投稿者「misakimichi」のアーカイブ

映画「横道世之介」の長崎ロケ地などを訪ねる

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

映画「横道世之介」の長崎ロケ地などを訪ねる

東京から長男が帰省中。映画「横道世之介」の長崎ロケ地、伊王島・香焼・神の島・柿泊・蚊焼などを訪ねた。写した写真は必ずしも映画のロケ地どおりではない。
映画「横道世之介」資料は、長崎観光ポータルサイト「ながさき旅ネット」から。作品紹介は、次のとおり。2013年2月から全国でロードショーがあった。

原作は、「パレード」「悪人」などの著作をうみだした吉田修一氏の「横道世之介」。第23回柴田錬三郎賞、2010年本屋大賞3位を受賞した、“青春小説の金字塔”と呼ばれる長編小説です。監督は「南極料理人」「キツツキと雨」の沖田修一氏。二人の手により、不器用ながらも真っ直ぐに生きた世之介と周囲の人々が、温かくそしてユーモアたっぷりに描かれています。

みさき道を歩く  2013年8月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

みさき道を歩く  2013年8月

201年8月11日(日)快晴。埼玉県からI.M氏が、毎年の墓参りのため帰省中。みさき道の中心部、蚊焼ー徳道間を案内し、主に道塚を見てもらった。
蚊焼西大道道塚9:38—元松尾道塚10:19—古茶屋坂みさき道入口10:19—郷路八幡
11:21—妙道尼信女墓11:30—鶴山12:30(昼食)13:00—徳道三叉路里程道塚13:54—野母崎ゴルフ場内道塚14:18—徳道車道下り15:44(徒歩距離 約11km)

いつものコースなので、特に記すことはない。古茶屋坂みさき道看板を過ぎてすぐ上では、谷間の地滑り工事のため立入り禁止となっている。展望が良い鶴山へ寄り道をし、昼食とした。
長崎のこの日の最高気温は、33.5℃。林間でも蒸し暑かった。熊ノ岳を越して川原へ旧道を下る予定だったが、野母崎ゴルフ場内道塚まで来てリタイア。自宅の車を呼んでもなかなか来ず、やっと徳道集落の下り道で出合った。

長崎の西空の夕日  ファイル 6から

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

長崎の西空の夕日  ファイル 6から

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。夕日シリーズは以降も続く。
過去の「長崎の西空の夕日」ファイル 6から。オリジナル画像を保存していないため、撮影年月日データは不明となっている。

大正十一年頃のガラス写真 125ほか 翠紅園

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

大正十一年頃のガラス写真 125ほか 翠紅園

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
整理番号 125,127,286,287  (翠紅園)

その他、温室を写し「翠紅園」と思われる作品 (掲載略)
整理番号 36,42,47,48,90,94,183,243,285,292,302

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号125,127,286,287は、長崎市上小島1丁目にあった「翠紅園」と思われる。建物の看板に「外国産鑑賞植物 促成草花蔬菜 翠紅園」とあり、その他はその温室と、温室内で家族を写している。
CD「大正十一年頃のガラス写真」調査は、核心に入った。「翠紅園」があった正確な場所がわかれば、このガラス写真全部の撮影者が、だれだったか特定できる。

「清水寺」が左側に小さく写った整理番号127は、前記事の次を参照。撮影地は、正覚寺から旧茂木街道を進み、「八釼神社の上祠あたりから」と推定していた。
https://misakimichi.com/archives/3706
そのとき気付かなかったが、同じ建物を写した写真が、整理番号287にあった。重ねると2枚の写真は、左右に続く。

これから調べると、撮影地は「八釼神社の上祠」のある場所のあと一段上、現在、「レオパレス21」が建っている土地が考えられる。このあたりに「翠紅園」と、経営者の屋敷があったのではないか。現在の写真は適当に写せるところがなく、「レオパレス21」2階から区分けして写した。
長崎地方法務局で旧土地台帳写しの交付を受けると、「昭和二年三月一一日 所有権移転 馬場安市」氏の所有となっていた。ガラス写真中には、愛娘の卒業証書がある。

近隣で聞くと、「馬場という方が温床をしていた」「子息に写真好きがいた」「娘さんは内田家へ嫁ぎ、近くに縁戚がまだおられる」「温室は高島秋帆旧宅あたりから、長崎女子高校近くまで広くあった」という話である。
CD「大正十一年頃のガラス写真」というタイトルは、愛娘の卒業証書の年月日からつけられたようであるが、実際は大正と昭和にかけて撮影された。主に経営者の子息が写真好きなため撮影し、現在に残ったものと考えられる。縁戚にいろいろ確かめる方法もあるが、あまり立ち入ったことはしたくない。まだ未完な写真は、私なりで調査を進める。

大正十一年頃のガラス写真 29ほか 吉田牧場

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

大正十一年頃のガラス写真 29ほか 吉田牧場

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
整理番号 29,30,99,141  (吉田牧場)

その他、「吉田牧場」と思われる作品 (掲載略)
整理番号 104,141,142,146,148

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号29,30,99,141ほかは、長崎市愛宕3丁目にあった「吉田牧場」と思われる。
牧場があった場所は、国道324号の白糸から愛宕町バス停にかけての道路下と聞いており、現在、愛宕保育園などが建っているあたりである。
山口広助さんのHP「丸山歴史散歩」などによる記事は、次のとおり。【現ファミリーマート】というのは、愛宕4丁目に店は移転している。
http://hirosuke.at.webry.info/201012/article_8.html  

B-258:吉田牧場跡(よしだぼくじょう-あと)
愛宕3-5(旧長崎村高野平郷) 【現ファミリーマート】
昭和の始め頃、この付近に長崎一といわれた牧場があり、吉田牛乳店が経営していたことから吉田牧場と呼ばれていました。牧場にはホルスタインが数頭とも十数頭ともいたといわれ、当時、牧場沿いの道からはお乳を搾っていた光景が見られ、独特な臭いがしていたそうです。しかし昭和30年頃(1955)閉鎖され住宅地へと変わります。今でもこの付近の電柱には「吉田幹線」の文字を見ることができ、国道沿いに当時の塀(万年塀)が一部残っています。

長崎の西空の夕日  ファイル 5から

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

長崎の西空の夕日  ファイル 5から

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。夕日シリーズは以降も続く。
過去の「長崎の西空の夕日」ファイル 5から。オリジナル画像を保存していないため、撮影年月日データは不明となっている。

大正十一年頃のガラス写真 81 鯉のぼり

イメージ 1

イメージ 2

大正十一年頃のガラス写真 81 鯉のぼり

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
整理番号 81  (鯉のぼり)

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号81の鯉のぼりの写真は、長崎市上小島1丁目の高台から愛宕山方向を撮影しているのではないか。東小島公園から長崎女子高等学校へ向う狭い車道がある。学校正門の少し手前あたりからなら、愛宕山のなだらかな西稜線の奥に、英彦山(標高385.6m)?の山頂がこのようにわずかに覗く。

鯉のぼりが立っている場所は、この付近に大正の同時期あった温室栽培「翠紅園」の一角と思われるが、「翠紅園」は現在、調査中。
あと1枚の整理番号262、鯉のぼりの写真は、次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/3694

大正十一年頃のガラス写真 288 鳴川橋

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

大正十一年頃のガラス写真 288 鳴川橋

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
整理番号 288  (鳴川橋)

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号288に写っているのは、長崎市東小島町の「鳴川橋」と思わせる。正覚寺下電停の上流の川に架かる橋。現在の国道324号あたりから、このように見渡せる。

長崎の西空の夕日  ファイル 4から

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

長崎の西空の夕日  ファイル 4から

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。夕日シリーズは以降も続く。
過去の「長崎の西空の夕日」ファイル 4から。オリジナル画像を保存していないため、撮影年月日データは不明となっている。
2枚目は、五島列島。15枚目は、唐八景から。

小ヶ倉水源池から市民の森へ一周  2013年7月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

小ヶ倉水源池から市民の森へ一周  2013年7月

2013年7月21日(日)快晴。小ヶ倉水源池から市民の森へ一周。参加10人。みさき道歩会の例会。暑いさ中であり、木陰の林道と林間の登山コースを歩いた。
小ヶ倉水源池9:35—林道中間10:26—ふれあいの水辺11:39(昼食)12:30—市民の森12:49—巨木スギ13:45−小ヶ倉水源池15:00(徒歩距離 約12km)

水源池グランドに集合。小ヶ倉水苑から烏帽子岩への林道へ上り、水源池右岸を歩く。鹿尾川上流へ進むと、木陰の林道が続き、約2時間で小ヶ倉水源の森ふれあいの水辺へ着いた。
昼食後、川を渡り谷間を少し登ると、対面に戸町岳と防火帯が見え、八郎岳縦走路の途中にある市民の森野外キャンプ場へ出る。東屋のところは雲仙岳や市内の山の展望が良い。
昆虫の森には上戸石子ども会の団体が来ていた。巨木スギへ下り、帰りは水源池左岸を歩いた。