大正十一年頃のガラス写真 262ほか 鯉のぼり

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大正十一年頃のガラス写真 262ほか 鯉のぼり

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
262,81,254  (鯉のぼり)

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号262は、小島街道沿いの現上小島2丁目あたりから見た「鯉のぼり」風景と思われる。背景の右側から写っているのは、金比羅山の尾根で、立山の谷間や筑後町方面の寺が確認できる。現在の写真は、市街の見通しが効く街道沿いの駐車場から、適当に撮影している。

あとの2枚は、参考に掲げる。整理番号81も、「鯉のぼり」風景だが、同じ場所の「鯉のぼり」ではない。整理番号254も、背景に写っているのは、金比羅山の尾根と立山方面である。上小島の上部高台と考えられるので、撮影地を調査中。

(2015年4月16日追記)
整理番号81の鯉のぼりが立っている場所は、この付近に大正の同時期あった温室栽培「翠紅園」の一角と思われる。次の記事と重複で、解明している。英彦山(標高385.6m)?の山頂がこのようにわずかに覗く。
大正十一年頃のガラス写真 81 鯉のぼり
https://misakimichi.com/archives/3712

翠紅園は、「八釼神社の上祠」のある場所のあと一段上、現在、「レオパレス21」が建っている場所にあった。写真好きのこの撮影者の父が経営していた。
大正十一年頃のガラス写真 125,127,286,287 翠紅園
https://misakimichi.com/archives/3715