長崎の古写真考 「写された幕末」石黒敬七コレクションなどから

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長崎の幕末・明治期古写真考 「写された幕末」石黒敬七コレクション」などから

発行が古いが、古写真集「写された幕末」石黒敬七コレクションなどから、長崎以外も気付いた作品。写真上から。

(1)長崎出島・同薬園
石黒敬七編「写された幕末 1」アソカ書房 昭和32年4月15日発行 34頁
⑥上の長崎出島の解説はともかく、⑥下は「その薬園」とはならない。出島ではなく大浦居留地の製茶工場跡などの空き草地だろう。現在のNTT長崎病院と孔子廟あたり。
次を参照。  http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=3880

(2)長崎崇福寺山門
石黒敬七編「写された幕末 2」アソカ書房 昭和32年12月15日発行 66頁
「崇福寺」ではなく、「興福寺」の開山堂(観音堂 戦災で焼失)を麹屋町通りから撮影している。この古写真は「写された幕末ー石黒敬七コレクション」明石書店 1997年9月30日発行第4版 154頁にも掲載され、解説は「崇福寺」のままとなっている。
次の参照。  https://misakimichi.com/archives/2269

(3)大名上屋敷
石黒敬七編「写された幕末 3」アソカ書房 昭和34年11月10日発行 68頁
「島津屋敷」ではなく、最近の研究により、場所は現在、東京都港区三田2丁目の「綱坂」。右の長屋は「肥前(備前は誤り)島原藩松平家中屋敷」と判明している。
次を参照。  http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=1443

(4)京都の大鐘
塚原清一編「続巻 写された幕末 1 英字新聞 ファー・イースト写真集」アソカ書房 昭和37年6月30日発行 93頁
京都市東山区「方広寺」の大鐘だろう。鐘を置いたままの事情がある。
次を参照。  https://misakimichi.com/archives/2293