野母崎の散策 (1) 黒浜の風景・史跡  長崎市黒浜町

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野母崎の散策 (1) 黒浜の風景・史跡  長崎市黒浜町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(1)は、まず長崎市街寄りから黒浜の風景・史跡。
黒浜の弁慶の投石、黒浜ダム、黒浜の八幡神社と大イチョウ、黒浜海岸、黒浜海岸の変はんれい岩(長崎県指定天然記念物 説明板は以下宿の項で)、高浜小学校黒浜分校跡、岳路みさき道の尻食い坂(しっくいざか)黒浜側登り口、黒浜海岸を高台から、黒浜トンネル入口

黒浜の弁慶の投石は、安永2年(1773)当時の長崎代官「高木作右衛門支配所絵図」に、佐賀領蚊焼村と公領高浜村の境界地点「投上ヶ石」として表われている(写真1 長崎歴史文化博物館所蔵)。夕日を頂にローソク岩の景色も写せた。
八幡神社は、国道沿い黒浜トンネル手前にある。大イチョウは胸高樹囲4m位。鳥居脇の燈籠には文久二年(1862)の銘あり。この頃のものかと考えられる。
巨木の項は、https://misakimichi.com/archives/196

高浜紹介HP「さんぽみち」(検索は「高浜さるく」)による説明は次のとおり。同HPも参照。

写真  2〜     黒浜の弁慶の投石
黒浜の字名「投上(なげあげ)」というところにあります。地元の方も数人しか知りませんでした。岩の高さは10mぐらいあるでしょうか。「髙浜の字名由来考」には次の様に記されています。
投上は髙浜と蚊焼との境界地点で知られた場所である。俗称を「弁慶の投石」といった。海面に立つ巨石の頂上に人工的に乗せられたような自然の情景。先人達の伝説には、弁慶が投げた石が重なり乗ったものだとの昔し話が残されており、その地を字名「投上(なげあげ)」と呼んでいる。
黒浜の「ようこそ野母崎へ」の看板横の道を登り海岸に下りると正面に見えてきます。

写真  8〜     八幡神社
黒浜の国道沿いにあるのが八幡神社です。鳥居の近くに土俵があり、祭りの時は奉納相撲をやるとのこと。本殿は、拝殿の右側の道を少しあがった所に有ります。
祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

長崎の西の空の夕日  09− 8

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長崎の西の空の夕日  09− 8

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔。以下、続く。
変わった景色とし、電線をなくすため、自宅近くにも出かけ写す。

写真 1〜 6  平成21年 4月23日の18時47分頃
写真 7〜 8  平成21年 4月25日の 8時07分頃 朝の雲、晴の前兆
写真 9〜12  平成21年 4月28日の18時51分頃
写真13〜16  平成21年 4月30日の18時46分頃 岳路南から

碑のある三角点・・・熊 ノ 岳 (標高288.37m)  長崎市宮崎町

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碑のある三角点・・・熊 ノ 岳 (標高288.37m)  長崎市宮崎町 

碑のある三角点は、先に稲佐山を紹介している。長崎市宮崎町の熊ノ岳にもあった。宮崎ダムの南西にNTTアンテナが見える山で、「熊の岳いこいの里」として整備されている。
川原大池から登山道路が上がり、駐車場から遊歩道を約10分歩くと山頂へ着く。天草や雲仙を望み、景観の良い山である。碑文は次のとおり。

四等三角点  熊ノ岳

ここに設置されている標石は、三角点と言い地球上の位置(緯度、経度、高さ)が高い精度で決められています。
三角点は、私たちの暮しにも密接なかかわりがあり、地震予知、地図作りを始めいろいろな活動の基準となる特別なものです。
北緯:32度36分51秒267  東経:129度49分03秒382  高さ:288.37m
設置年月日 昭和48年8月2日   建設省国土地理院  三和町

なお、静岡県の方が全国の「三角点探訪ネットワーク」が作成されており、本ブログも「長崎の三角点」としてリンクされた。光栄なことである。必要なときは、次を参照。
http://www.geocities.jp/superteizan/chizu.html

三和の散策 (14) 岳路海水浴場と同海岸  長崎市蚊焼町

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三和の散策 (14) 岳路海水浴場と同海岸  長崎市蚊焼町

長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(14)は、野母半島県立公園の岳路海水浴場と同海岸。
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

三和の散策 (13) 岳路の風景・史跡  長崎市蚊焼町

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三和の散策 (13) 岳路の風景・史跡  長崎市蚊焼町

長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(13)は、岳路の風景・史跡。岳路海水浴場と同海岸は別項。
くじら浜の海岸、海水浴場北浜の海岸洞穴、「みさき道」永一尾の尾根、ホテルPARCO、同横から野島を望む、岳路海水浴場前バス停下の「みさき道」道塚⑥、下の岳路集落、岳路の浜の三浪神社、岳路バス停付近から遠望、山側の岳路神社、石祠のマリア観音?、同神社のアコウの大木、黒浜近く国道から岳路海岸の遠望
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

三和の散策 (12) 蚊焼の風景・史跡  長崎市蚊焼町

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三和の散策 (12) 蚊焼の風景・史跡  長崎市蚊焼町

長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(12)は、蚊焼の風景・史跡。
長崎市立蚊焼小学校、長崎市蚊焼地区公民館、長崎市立蚊焼保育所、高比良園芸店、桜御前祠、擁壁の地蔵、相撲取墓(二子嶋)、曲江舎雅翁の碑、蚊焼山地蔵寺(曹洞宗)、蚊焼浄水場、岳路みさき道(松永建設奥)、ボラ炊きの釜跡 
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

曲江舎雅翁の碑は、次を参照。https://misakimichi.com/archives/125

三和の散策 (11) 晴海台と蚊焼の風景・史跡  長崎市晴海台町・蚊焼町

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三和の散策 (11) 晴海台と蚊焼の風景・史跡  長崎市晴海台町・蚊焼町

長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(11)は、晴海台と蚊焼の風景・史跡。
晴海台地区公民館、晴海台団地の通りと全景、長崎市立晴海台小学校、「みさき道」の蚊焼西大道にある道塚④、草積御前の祠、蚊焼茶屋跡の推測地点、蚊焼峠の入口、三和史談会の看板がある「みさき道」入口、蚊焼包丁山口鍛冶工場、蚊焼包丁・南蛮ぼーどの展示品(さんとぴあ21)、蚊焼の全景、蚊焼海岸通りエノキの大木、集落に残る旧家、岩穴の地蔵、大法山真乗院(日蓮宗)、宮ノ脇にある庚申塚、字名の女男岩とされる岩
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

三和の散策 (10) 宮崎の風景・史跡  長崎市宮崎

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三和の散策 (10) 宮崎の風景・史跡  長崎市宮崎町

長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(10)は、宮崎の風景・史跡。
ながさきゆうゆう牧場、海星学園三和野球場・ラグビー・サッカー場、町民の森シンボルゾーン、川原木場の風景と公民館、熊川力士碑、徳道の風景と水場、旧徳道径の谷、熊の岳いこいの里
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

三和の散策 (9) 宮崎の風景・史跡  長崎市宮崎町

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三和の散策 (9) 宮崎の風景・史跡  長崎市宮崎町

長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。
三和の散策(9)は、宮崎の風景・史跡。

宮崎ダム、旧徳道径にあった森園地蔵(ダム水没のため移設)、三和記念公園、NPO法人きょうせい農園、高台から三和記念公園全景、中央公民館に展示している明治32年建脇岬・高浜村路標石があった分岐道、宮崎のハウスびわ団地と最盛期の出荷場

三和の散策 (8) 宮崎の風景・史跡  長崎市宮崎町

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三和の散策 (8) 宮崎の風景・史跡  長崎市宮崎町

長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(8)は、宮崎の風景・史跡。
川原海水浴場手前の蛇紋岩の円礫浜、長崎市立川原小学校、池の御前神社、川原大池公園、同オートキャンプ場、川原海水浴場、大池の排水門、周遊道路から大池を望む
昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

長崎さるくマップブック「三和界隈」82〜83頁による説明は次のとおり。

写真  1〜    蛇紋岩の円礫浜
蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた岩石です。脂肪光沢を持った濃緑色の岩石で、栄上を中心に三和地区一帯に広く分布します。この蛇紋岩の礫だけでなる円礫浜は日本でも珍しい貴重なもの。川原本村海浜と川原海水浴場一帯に広がっています。

写真  4〜    池の御前神社
ここには当地の領主・河原大蔵太夫高満が正暦5年(994)11月に愛娘阿池(おち)姫の冥福を祈念するために建立したという伝説が残っていて、池の御前様とも呼ばれています。祠が3基あり、元禄5年(1692)建立の中祠は豊玉比古命、豊玉比売命が御祭神です。

写真  7〜    川原大池
広さ約13ha、周囲約1.9km、最大水深約9mの淡水湖です。池には鯉、フナなどの淡水魚が生息し、湖岸には九州西部北限のハマナツメなどの樹林が広がっています。公園一帯は野母半島県立公園の中心地にあたり、社叢(しゃそう)一帯は県指定天然記念物の樹林地帯です。

「川原大池—阿池姫(おちひめ)伝説と湖畔風景」は次を参照。
https://misakimichi.com/archives/147